第五話・黒真珠と傭兵
薄暗い小屋の中、カイは肩の止血を終えると穴の空いた壁に凭れ掛かった。
幸いなことに背中の矢傷は浅く、肩も布でしっかり縛って止血が行えた。
「暫くはここに足止めか……」
外は滝のような雨だ。
傷ついた体でこんな大雨の中を移動すればあっという間に力尽きてしまうだろう。
「これからどうしたもんか」
戦場からどうにか逃げ出すことは出来たが馬は森の中で潰れ、右も左も分からず彷徨った。
そしてどうにかこの捨てられた小屋を見つけて身を潜めたのだ。
王国軍が追ってくるかもしれない。
雨が止んだらここを発ち、村か宿かとにかく休める場所を見つけて傷を癒さねば。
「……」
こんな風に戦場から逃げ、隠れるのは駆け出し以来だ。
あの時は帝国で内戦が起きており、反帝国軍━━つまり現帝国軍に味方していた。
カイが参加していた反乱軍はエルフの将軍が率いる部隊に奇襲され、大敗。
四方が敵に囲まれる中、必死に逃げ出し、ある農場に逃げ込んだのだ。
その時も今と同じように納屋の中息を殺し、敵に見つからないことを祈っていた。
だが誰かが入って来て━━。
『あー、もう! 最悪だわ!』
「!!」
外から声が聞こえ、カイは急いで剣を手に取ると物陰に隠れた。
外に誰かがいるのは間違いない。
だが雨の音が激しく、外の様子はよく分からない。
(どうする……?)
先手を打つべきか?
だが外にいるのが追手とは限らない。
雨宿りをしに来た旅人という可能性もある。
いや、希望的観測はするべきでない。
生き残るためには常に最悪の事態を想定して動くべきだ。
「……殺るか」
覚悟を決め、剣を強く握る。
『待って、中に誰かいる。アタシが先に入るわ』
足音が近づいてくる。
どうやら相手はこちらに気が付いているようだ。
やはり追手か?
ならば手早く、正確に殺らねばならない。
息を殺し、十分に"敵"が近づくまで待つ。
そして━━飛び出した。
「!!」
小屋から出た瞬間、敵を目視する。
敵は二人。
一人は短剣を構えており、もう一人はその後ろで剣を抜こうとしている。
近い方の敵に向かって剣を振り下ろすと、敵は短剣でどうにか受け流すことに成功した。
(エルフ? いや、ダークエルフか!)
敵の一人はダークエルフの女だった。
カイは攻撃が外れたと判断した瞬間に女に体当たりを行い、吹き飛ばす。
そしてもう一人が剣を抜く前に襟を掴み、後ろから羽交締めにした。
「リシテア!!」
「動くんじゃねぇッ!!」
もう一人を盾にしながら小屋を背にする。
周囲に他の敵は見当たらない。
どうやら二人だけのようだ。
(こいつも女か?)
羽交締めにしたのは黒髪の少女であった。
ダークエルフはともかく、この少女も王国兵には見えない。
上等な服を着ているあたりはどこかの金持ちの娘とその護衛と言ったところだろうか?
「貴様ッ! リシテア様を離せッ!!」
「動くなと言ったぞ! 武器を捨てて五歩退がれ! じゃねぇとこいつの首をへし折る!!」
ダークエルフの女は強烈な殺意をカイに向けながら武器を地面に放り投げた。
そして五歩退がると両者は睨み合い、膠着状態になる。
カイは本気だった。
手負いでかつ数で劣る彼が生き延びるための手段は限られている。
もしあのダークエルフが妙なことをすれば本当にこの少女の首を折り、ダークエルフを斬るしかない。
張り詰めた空気の中、雨が体温を奪っていく。
次の手を考えなければならない。
どうやら二人は馬に乗っていたようだ。
ならば人質を解放する代わりに馬を━━。
「ねえ。貴方、さっき戦場で暴れていた傭兵よね?」
「は?」
少女があまりにも能天気に話しかけてきたため思わず気の抜けた声が出てしまった。
「私もあの戦場にいたのよ。貴方、やるじゃない。あのランドール卿をあそこまで追い詰めるなんてなかなか出来ることじゃないわ」
「おい何を言って━━」
「貴方の戦う姿に目を奪われたわ。ええ、そうね。一目惚れだわ。だからそうね。うん。私に雇われない?」
「リ、リシテア!?」
「はあ!? お前、状況を理解して━━」
「私はリシテア。リシテア・エーレンバッハ。貴方のお名前は?」
※※※
リシテア・エーレンバッハ。
その名を聞いた瞬間、血の気が引いた。
エーレンバッハといえばレイクランド王国の大貴族。
そしてつい先ほどまで戦っていた相手だ。
『なんでも黒真珠の乙女って呼ばれてるそうだ』
戦いの前にデニムが言っていたことを思い出す。
いま、拘束している少女は艶のある黒い髪とルビーのような瞳を持つ美少女だ。
なるほど、黒真珠と称されるわけだ。
(いや、そうじゃねぇ!!)
状況は最悪だ。
もし本当にこの少女がエーレンバッハ公爵の娘なら大貴族を敵に回したということだ。
このことが誰かに知られれば王国内では永遠に追われることになる。
(どうする!? 消すか!?)
「私は名乗ったわよ。貴方も名乗ったらどう?」
「黙れっ!」
腕でリシテアの首を強く締めるとダークエルフが「やめろっ!!」と一歩前に出ようとする。
それを止めたのはリシテアだ。
彼女は「大丈夫だから」とダークエルフを宥め、それから少し苦しそうに「決断しなさい」とカイに言ってきた。
「私に雇われるか、このまま死ぬか。私には夢がある。その夢を叶えるために貴方のような優秀な人間が欲しいわ」
「立場を分かっているのか!? お前は俺に命を握られているんだぞ!」
「そうとも限らないわよ?」
このリシテアという少女。
頭のネジが緩んでいるのだろうか?
いつ殺されるかも分からない状況にもかかわらず全く動じていない。
それどころかこの状況を楽しんでいるようにも見える。
「……このままじゃ落ち着いて話せないか。仕方ない。少し頭を冷やして貰いましょう」
雨が、止んだ。
否、雨が止んだのではない。
カイの周囲だけ雨が静止し、宙に浮いていたのだ。
その異様な光景に目を奪われ、思考が停止する。
だがすぐに何が起きているかに気がつくと腕の中のリシテアを睨みつけた。
「お前、魔術を!?」
直後、雨が一斉に襲いかかる。
雨粒は一つの塊となり、カイの顔面に張り付いたのだ。
頭部が水に包まれたカイは水を剥ぎ取ろうと踠くが水を掴むことはできない。
カイが苦しんでいる内にリシテアは彼から離れ、指を鳴らして魔術を解いた。
水の塊が地面に落ちるとカイは必死に息を吸い、それから小屋の壁に手を着いて体を支えた。
「話を聞いてくれる気になったかしら?」
「糞がっ……」
人質を失った以上、彼にはもう打つ手が無い。
弓を構えるダークエルフを睨みながら壁にもたれ掛かると「好きにしてくれ」と言うかのように肩をすくめた。
「……カイだ。ラーゲンのカイ」
「カイ、カイね。覚えたわ。じゃあカイ、改めて提案します。このまま公爵の娘に狼藉を働いた罪人として死ぬか私に雇われて生きるか。貴方なら賢い選択をすると信じているわ」
「選択も糞もねぇだろうが。死ぬのは御免だ。アンタに従う」
カイの返事にリシテアは満足そうに頷き、ダークエルフの方は眉間に皺を寄せて大きなため息を吐いた。
「一つ聞かせてくれ嬢ちゃん」
「ん?」
「アンタはは自分の夢を叶えるために俺みたいのを求めてると言ったが、アンタの夢ってのは何だ?」
カイの問いにリシテアは目を見開く。
そしてその問いを待っていたと言わんばかりの笑みを浮かべ、大雨の中、両腕を広げた。
「私の夢。それは━━━━帝国を滅ぼすことよ」
雷が鳴り響く。
黒真珠の乙女と傭兵。
この二人の出会いは二人の、いや、世界の運命を大きく動かすことになるのであった。
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