黒真珠のゼルトナー

風来狼

序章・黒真珠と傭兵

第一話・平原の傭兵



 長い冬が明け、春の暖かさは草木を育て、眠りについていた動物たちを活発化させ始める。

多くの人々は春の訪れを喜び、今年一年が穏やかであることを祈ったであろう。

だが春の訪れは戦の訪れであった。


 メルヴァリース大陸。

その南西にある平原で二つの軍勢が激突していた。


 一つは黒地に真紅の獅子の旗を掲げた軍勢だ。

大陸中央を制し、最も長い歴史を持つメルヴァリース帝国。


 もう一つは青地にグリフィンの旗を掲げた軍勢であり、大陸南西部を支配するレイクランド王国の軍勢である。


 両軍は緑の平原を互いの血で赤く染め、激しい攻防を繰り広げている。


 中でも凄まじいのは戦場中央であった。


 男だ。

体長2mを優に超える大男が戦鎚を振り回し、帝国兵を次々と砕いていた。

帝国兵もどうにか反撃しようとするが剣や槍は大男の鎧に阻まれ、逆に高速で振り回される戦鎚によって身体を砕かれていく。


「ガァッハッハッハァッ!! 弱いッ! 弱いッ!! 弱すぎるわァッ!!」


 大男により血肉のマットが出来上がる頃には帝国兵の戦意は尽きかけており、敵を前に後退りし始めていた。

この好機をレイクランド王国軍が見逃すはずがなく、「敵を突き崩せ!!」と歩兵が前進を開始する。


「ええい! なんと不甲斐ない!! 我が軍にあの男を討ち取れる者はいないのかっ!!」


 そう憤慨したのは帝国軍の指揮官ノヴァーズであった。

帝国軍は兵力で王国軍を上回っており、先日もザガラン砦を陥落させ、士気も高まっていた。

兵力も士気も勢いも勝っている帝国軍は王国軍を圧倒する━━筈だった。


「たった一人の傭兵に崩されてたまるものかっ!! こっちの傭兵どもはどうした!!」


「や、奴らも怯えているみたいで……」


「ぐ……ぬぬぬ……!! 傭兵どもにアレを討ち取ったら報酬をやると言え!! ほら! さっさと行かんか!!」


「は、はい!!」


 騎士が慌て去って行くとノヴァーズは舌打ちをする。

いかに凄腕の傭兵といえど所詮は人だ。

傭兵どもをぶつけ続ければいずれは力尽きるだろう。


「見ておれレイクランドの田舎者どもめ! 我ら帝国の恐ろしさを思い知らせてくれる!!」


※※※


「あの男を討ち取った者には報奨を出す!! 腕に自信がある者よ! 名乗り出よ!!」


 馬上の騎士の言葉に傭兵たちはどよめいた。

帝国軍が提示した報奨金は暫く生活に困らないほどの大金だ。

普通ならば我先にと名乗り出るところだろう。


 だが今回は違う。

傭兵たちは困ったような表情を浮かべながら同僚たちを横目で見、「う、うむぅ……」と唸る。


「ま、そうだよな」


 傭兵たちの中で苦笑したのはデニムという男だった。

長年傭兵稼業をしてきたから分かる。

傭兵は金を好むが何よりも自分の命を大切にする。

当然だ。

死ねば金も酒も女も手に入らない。

今、戦場のど真ん中で暴れているのは剛腕のガンテスという凄腕傭兵だ。

ガンテスの噂は傭兵の間では有名であり、一人で五十人の兵を屠っただの戦鎚で城壁を打ち砕いただのと言われている。


「誰かいないのか!! 奴を倒せる者は!!」


 兎に角そんな奴に挑むのは自殺行為だ。

よっぽどの馬鹿じゃなければ名乗り出るはずが━━。


「アイツを殺ればいいんだな?」


 馬鹿がいた。

背中にツヴァイヘンダーと呼ばれる両手剣を背負い、日焼けした肌に鍛えられた身体の若い男は他の傭兵を押しのけて騎士の前に名乗り出た。


「貴様は?」


「ラーゲンのカイだ」


(カイ……? どっかでその名を……)


 デニムはハッとし男の顔を見る。

カイと言えば先日のザガラン砦攻略戦で先陣を切り、大暴れした傭兵だ。


(まさかあんな若造とは……)


「ラーゲンのカイか。よし! 今すぐ奴を討ち取って来い!」


 「あいよ」と言うとカイは兜を被り、革紐からツヴァイヘンダーを外すとそのまま敵の方に向かって歩き出した。

そんなカイを傭兵たちは見送ると口々にこう言うのであった。


「ありゃあ死んだな」


※※※


 カイは帝国兵を薙ぎ倒しながら前進するガンテスの前に立つと「よお」と声を掛けた。


「アンタがガンテスだな?」


「如何にも! 吾輩こそがガンテスである!!」


 デカい。

カイはまず最初にそう思った。


 2m超えの大男は全身にプレートアーマーを装着しており、身長とほぼ同じ長さの戦鎚を持っている。

まるで鋼鉄の熊と対峙しているかのような圧迫感で、兵士たちが怯えるのも理解できる。


「アンタを殺ればたんまり金が入るんでな。死んでもらうぜ」


「グァッハッハッ!! 若造が! 身の程を知れぃ!!」


「!!」


 ガンテスが戦鎚を振り、カイの鼻先を掠る。

そして即座に放たれた二撃目を剣で受けると鈍い音と共に凄まじい衝撃が両腕に伝わった。


(早くて重い……! まともに受けるのは自殺行為かっ!!)


 敵の間合いから逃れるために一歩下がるがガンテスは二歩前進し距離を詰めてくる。


 嵐だ。

高速で振り回される戦鎚は風を切り、まるで嵐のように荒れ狂う。

僅かでも擦れば肉塊と化す攻撃は敵に凄まじいプレッシャーを与える。

実際カイは暫くの間、回避に専念して反撃の隙を窺っていた。


「さっきの威勢はどうしたァ! 逃げ回ってばかりではないかァ!!」


 ガンテスが前進する度にカイは後退する。

戦鎚を全て紙一重のところで躱し続け、敵の動きを何一つ見逃さないようにする。

そしてついに見えてきた。


(見てくれは派手だが単調だ)


 戦鎚による猛攻は一見付け入る隙が無いように見えるが実際は左右に振り回すだけの単調な攻撃だ。

ガンテスの攻撃には技など無く、力任せに敵を砕くだけ。

ならば如何様にも対処できる。


 一度見切れば振り回される戦鎚からの威圧感は消え、ただの長い棒に見えてくる。


 攻撃を躱し続けながら息を整える。

左右に触れる戦鎚を目で追いながらリズムを取りーー踏み込んだ。


「ぬ!?」


 僅かな前進。

だがそれだけで戦いの流れが変わった。


 思わぬ前進によりガンテスの足は止まり、僅かに戦鎚の動きが鈍る。

そこに斬撃を叩き込んだ。

 

 剣の刃と戦鎚の柄が激突し、音が鳴り響く。

どうにか体勢を立て直そうとするガンテスに対してカイは斬撃を叩き込み続け、両者の攻防は一転してカイが優勢となる。

そして十を超える叩き込みの末、カイのツヴァイヘンダーがガンテスの両手首を斬り落とした。


「ぐ、がぁぁぁ!?」


 両手首を斬り落とされたガンテスは苦悶の叫びをあげながらその場で両膝を着いた。

斬られた両手首からは血が吹き出し、このままでは直ぐに失血死するだろう。

その前にトドメを刺そうとカイは剣を握り直し、構えた。


「まっ待っ━━」


 ガンテスが命乞いするよりも早くカイは剣を彼の首に叩き込み、そのまま刎ね飛ばす。

そして頭と手を失った大男が地面に倒れると戦場が静止した。


 敵も味方も。

戦場にいた誰もが予想外の光景に驚愕し、動けなくなっていた。

そんな中、カイが剣に付着した血を払うために剣を振ると帝国の騎士がハッとして「ガ、ガンテスが斃れたぞ!!」と槍を振り上げる。


「お、おお! 今が好機だ!!」


 一人の傭兵によって生み出された流れが別の傭兵によって変えられた。


 動揺し、勢いを失った王国軍を帝国軍が押し返し始め、やがて王国軍は総崩れになるのであった。


※※※


 夜。

王国軍を破った帝国軍は休息と更なる侵攻のために一度ザガラン砦まで退いていた。


 帝国軍は先刻の勝利を祝っており、陣営には戦を聞きつけた商人や娼婦が集まっている。

傭兵たちの野営地も酒が振る舞われ、彼らは思い思いにはしゃぎ、娼婦をテントに連れ込んでいる。


 そんな中、カイは武具の手入れを終えて焚き火の前で焼いたウサギの肉に喰らいついていた。


「よお、カイだったか? 今日は大活躍だったじゃねぇか」


 そう言いながら近づいてきたのは両手に葡萄酒を持った見るからに胡散臭い男だ。

傭兵同士に信頼関係はない。

お互い金で雇われただけの身。

知らない奴は信用しないのが基本だ。


「おっと、そんなに警戒しなさんなって。俺の名前はデニム。俺はただ今回の功労者を労いに来たのと一つ提案を持ち掛けたいだけだって」


 デニムと名乗った男が葡萄酒を差し出してきたため、少し考えてから受け取ることにした。

それを了承ととらえたデニムはカイの隣に座り、「乾杯」と言って酒を飲む。


「で? 提案って?」


「アンタ、俺と組まないか?」


「…………」


 葡萄酒を飲み干し、立ちあがろうとするとデニムは「まあ待てって」と止めてきた。

ため息を吐き、仕方なく座り直すと目で話を続けるように促す。


「自分で言うのもなんだが俺ぁ腕っぷしが強くない。そんな奴が長年傭兵をやって生き残れている理由が知りたくねぇか?」


「手柄の横取りでもしてたんじゃないか? そんな奴はごまんといる」


「それだけじゃこの仕事は生き残れねぇ。鼻だよ、鼻。俺は鼻が利くんだ。ヤベェ仕事や仕事中の危険をこの鼻で嗅ぎ分け、俺は今まで生き残って来た」


「鼻、ねぇ。そんな鼻があるなら俺と手を組む必要は無いだろ」


「そんなことはねぇさ。俺の鼻は確かに利くが絶対じゃねぇ。だから俺はアンタと組みたいのさ。腕の立つアンタと鼻の利く俺。二人で組めばもっと儲けられると思わねぇか?」


 このデニムという男。

どうにも信用できない。

過去にもこの男のように上手い話を持ち掛けてきた奴は何人もいた。

そしてその全てがしょうもない小悪党だった。


 今回もどうせ同じだと思い、断ることにするとカイは立ち上がって葡萄酒を椅子に置く。


「悪いがこの話は━━」


「ラーゲンのカイはいるか!」


 大きな声を出しながらやって来たのは四人の歩兵を連れた帝国の騎士だ。

傭兵たちは騎士に道を開け、カイの方を指差す。

すると騎士は大股で歩きながらカイに近づき、値踏みするように見てきた。


「貴様がカイだな? 褒美の件でズヴァール様より話がある。着いて来てもらおう」


 「武器は置いていけ」と言われたため、ため息を吐くとデニムの方を見る。


「さっきの話。俺の武具をちゃんと見ていたらもう少し聞いてやってもいい」


「お! マジか! なら任せておけ! しっかり見張っとくからよお」


 念の為に「何か一つでも減っていたら話は無しだ」と言っておき、騎士たちに着いていく。


(こりゃ帰りも気が抜けなさそうだな……)


 既に数人、こちらに対して敵意を向けている奴がいる。

金欲しさに寝込みを襲ってくるかそれとも戦が終わって解散した後に襲ってくるか。

とにかく傭兵同士で血が流れるのは間違いないだろう。


 そのことにうんざりしながらカイは騎士たちと共に野営地を離れ、砦の中に入るのであった。

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