第3話 奇襲作戦
老将は戦場の匂いが変わったのを感じ取り、静かに身を起こした。
時は夜、空は新月、闇に包まれた中での奇襲はさぞ偽王国の度肝を抜くだろう。
彼が潜んでいたのは林だ。
日中に動いては察知されるだろうと、二日を掛けて潜みつつ進行してきた。
率いるは彼と同じだけの時を戦場で生きた精鋭と、先だって徴兵された若者達というやや不釣り合いな一団だ。
だがここしばらくで、敵がこの先の平原に堂々と拠点を築きつつあるという報告があがって来た。
未だ掘りも柵も無い脆弱極まりないものであると。
本来拠点攻めの力押しは被害が大きくなる上に困難なものだが、先日遠巻きに見た限りでは十分に行けると判断出来た。
偽王国ではしばらく前にまた政権交代があったという。
正当なる王を戴く真王国では考えられないことだ。
そして権力の入れ替わりに際して、連中はいつも間抜けをやらかす。
どうせ築城の常道も知らぬ馬鹿が前線へ出てきたのだろう。
ならばちょいと首元を撫でてやって、戦場経験の浅い若者達に自信を付けてやるのも悪くない。
そういう意図によって考案、決行された作戦だった。
※ ※ ※
十分に接近し切るより早く、駆け出した一団があった。
声をあげ、続く若者達を見て、老兵が愚痴を溢す。
「堪え切れなんだか。まだまだ訓練不足だな」
老将が返した。
「はははっ、若者が血気盛んなのは良い事だ。少しばかり遠いが、この距離ならば奇襲も成功するだろう。ほら、若いのにばかり手柄を取られるなよっ」
指示を飛ばし、手早く松明に火を点けていく。
一人の背負った松明複数本、この暗闇では敵も正確な把握など出来はしない。単純極まりないが、案外こういうのを奇襲を受けた側は真に受けてしまう。とんでもない大軍が現れたと不安に駆られ、勝手に敗走を始める。
懸かっているのは己の命だ。
普段であれば上官がどうすればいいかを示してくれるが、奇襲というのはその指揮系統を一般兵から外すことを一番の目的とする。
さあどうする。
無数の味方に囲まれながら、孤独になった兵は戦えるのか。
「…………むん?」
先頭集団が敵拠点へ攻めかかろうという、その手前に達した所で奇妙な風を感じた。
なんだ、と暗闇に目を凝らした時、その闇が切り裂かれた。
強烈な光。
照らし出される自軍。
罠だ。
奇襲はあくまで奇襲。
陣形を組んで待ち構える軍勢には敵わない。
敵が待ち構えていたことを察した老将が退却の声を上げようとしたその時、戦場を震撼させる声が響いた。
「「皆ぁー! 今日は来てくれてっ、ありがとおおおおお!!」」
炎髪姫だ。
後方へ下げられたまま、戻ってきていない筈のあの悪鬼が何故。
更に脇で立っていた小柄な少女がその前へ躍り出てくる。
「最っ高のステージにしてみせるからっ、全力で応援してくださいっ!!」
バッ――――と、光の色が変わる。
太く、細く、色とりどりに。
更には理解不能な恰好をした少女二人が手に小さな杖を持ち、広い台座の上で手を組んで、宣言する。
「「最初のナンバーはこれっ『あなたと手を繋いでハッピーラブ♡』!!」」
若者達が歓声をあげた。
腕を振り上げ、己の魂ごと捧げんとばかりに咆哮した。
「逢いたかったよおおっ、レイラちゃあああああん!!」
「アリーシャ……!! 本物のアリーシャだあ! うおおおおおおお!!」
「映像なんかじゃないっ、ようやく二人の生ステージを見られるんだああ!!」
「志願して良かったああああっ!!!」
老兵達は皆、呆気に取られて硬直していた。
まるで事態についていけない。
台座の上では音楽が始まり、件の二人が舞いを披露しながら歌ってみせるが、意識の中へ入ってこなかった。
彼らは奇襲を仕掛けた筈だ。
しかし敵に察知されており、反撃を受けることも覚悟した。
なのに何故、自分達は宴に導かれ、歓待を受けているのか。
あそこに居るのは炎髪姫だ。
もう一人の少女は分からないが、少なくとも彼女は戦場伝説と揶揄されるほど真王国の騎士団では恐怖の対象となっていた、あの。
赤の甲冑を見に纏い、兜の裾から敢えてあの真っ赤な髪を晒し、次々と味方を切り殺す化け物。強風に吹かれた炎の如く、陣営を喰らい尽くしていくあの女が、どういう訳か肩も腹も脚も晒して、素顔のまま歌って踊って笑顔を振りまいている。
時折兜すら外して味方を鼓舞する勇敢な将だ。
長く戦場に居れば自然と顔くらいは覚えてしまう。
非常に整った顔立ちをしていることは、時折騎士団内でも話題になり、軟弱なことを言い出す馬鹿も居たが。
その炎髪姫アリーシャ=ヴェルファリオが小さな杖へ囁くように、甘い声で歌った。
恐るべき女が、とろけるような笑みを浮かべて。
「『アナタに キュンキュン♡ こっちを向いてよダーリン チュッチュッ♡』」
トクン、と何かが老兵達の胸を弾ませた。
正体不明の感情。
おそらく恐怖だろうと誰かは結論付けた。
だがもう遅い。
見てしまった。
聞いてしまった。
だって言ってるじゃない。
こっちを向いてよ。って。
その先は?
ダーリン、で。
チュッチュッ。だ。
どういう意味だ。
それはまさか!? いやまさか!? そう戦慄する老兵達の傍らに、いつの間にか瓶底のような分厚い眼鏡を掛けた青年が立っていた。
※ ※ ※
「お分かりいただけたようですね」
頭上の星空の如く純粋な輝きを無数に瞳へ宿らせた青年が、老将の傍らで口を開いた。
何者か、驚いて剣を向ける護衛の騎士に彼は動じない。
「私ですか。名乗る程の者では。ですが呼び名が必要であれば、P、とだけ呼んでいただければ」
「ピィ……貴様、偽王国の者だな」
老将の問いに彼は頷いた。
周囲が殺気立つのをまずは抑え、しかし睨み付ける。
若輩の兵であればそれだけで震え上がるだろう視線を受けて尚、Pはまっすぐにステージを見詰めていた。まるで神聖なものを見るかのように、感動に打ち震えている。
「はい。アナタ達にそう呼ばれている国の、何でもない片田舎の貴族でした」
「ほう」
いくつかの感心を老将は得た。
捕虜への尋問などで時折偽王国の者と話すことがある。
その際、偽と名付けて語った老将へ、彼らは総じて声を荒げてくるのだ。
加えてこの場で平然と語りを続ける胆力、もしかすると彼こそが先の政権交代に携わった一人ではないかと推測した。
「あのステージを見て、アナタ方はどう思いますか?」
「軟弱だ。あれでも我が国の騎士達を震え上がらせた炎髪姫かと、失望しておった所よ」
一瞬でも感じてしまった想いを無視し、老将は言い捨てた。
そう出来るだけの経験を彼は戦場で積んでいる。
今更チュッチュッと言われた所でなんだというのか。
「軟弱、ですか。私はそうは思いません。よく見て下さい。今ステージで歌い踊る彼女は、本当に軟弱でしょうか」
言われ、つい視線を向けてしまった。
これまでは敵兵という幕向こうに立っていた炎髪姫、それが破廉恥極まりない服装でゆらりゆらりと男を誘う様に…………などと考えていたのが、一曲を終える頃には改められていた。
「なるほど」
「お分かりですか」
「儂も戦場では戦いながら声を張り上げる。今でこそ一線から離れ、俯瞰する立場に居るが、若い頃は常に最前線で兵を鼓舞したものよ」
しかし、動きながら喋るというのは実に辛いもの。
慣れてきても気を抜くと声が震えてしまう。
指揮官の震え声など聞けば兵は不安を覚えるだろう。それがちょっと姿勢を崩しただけの結果であっても、自分達は負けてしまうのか、だから彼は声を震わせているのかと考えてしまう。
故にどんな時も真っ直ぐに声をあげられるよう、鍛え上げあげたものだ。
「見た目にはそう激しい動きではない様に見えるが、細かく身体を捻り、腕を振り、首の角度すら一定ではない中、この歌声は一度として震えはせなんだ。確かに、軟弱なだけではなかろう」
炎髪姫だけではない。
傍らで踊るあの少女。
名も知らぬ、いまだ男も知らぬだろう幼子のような少女も同様だ。
だが、と老将は首を振る。
「ピィとやら」
「はい」
「此度の歓待、実に見事である。だが我が国と貴公の騙る国、その火種は未だに多く燻っている。この戦場で決着が付かずとも、またどこかで会うこともあるだろう」
「いいえ。いいえ、この戦場が最後です、護国卿」
そう、偽王国が決して認めてはこなかった呼称で老将を呼び、青年は目を伏せた。
「我々は五十年もの間、争い合ってきました。悲しい事です。その戦いの中で多くの歌と踊りは失われ、私達は芸能を軽んじてきた」
「芸能……はは、若い頃には、まだ少しは残っていたがな。そうか、アレは芸能だったか」
台座の上で新たな音楽が始まり、二人の少女が舞い踊る。
それを遠い景色の様に見詰めた後、老将はふと気付く。
「……炎髪姫の着るあの破廉恥極まりない衣装、どこか我が国の民族衣装に似ているな。もう一人の少女のものは、貴公らの国のものか」
「はい」
青年は語らない。
故に考えねばならなかった。
そう。この事の始まりで、あの二人が何と言っていたか。
「一つ目の歌の名は……なんだったか」
「『あなたと手を繋いで――――』」
「ははっ。『はっぴいらぶ』だったな。あぁそうだった。若者の使う異大陸語は分からんが、そうか、手を繋いでいるのだな。我らと、貴公らが」
「護国卿」
再び、その名で老将を呼んだ青年は、歌い踊る二人を示しながら言う。
「ご覧下さい。どうか。もっとよく」
「見た。だが、この一時だけだ」
「いいえ、違います」
青年は指し示していた。
台座の上ではなく。
それに向けて声をあげる、真王国の若者達を、だ。
敵の篭絡に乗り、軟弱極まりない姿を晒している大馬鹿者共。
だが、愛すべき次代を担う者達。
それが。
「彼らは今、笑っています」
「……………………あぁ」
気付けば老将らの周りは静まり返っていた。
騒がしい最前線とは打って変わって、止まった時の中に居る様で、時代を作って来た男達は凝った空気を吸って、ため息を落とす。
「貴方は、貴方達は、どうして武器を取ったのですか。どうして、今日まで戦い続けてきたのですか」
「無論、王の正当なるを世へ知らしめる為よ」
「それだけでは無かった筈だ。その事も貴方達が大切にしていることは承知しています。ですがもっと身近で、もっと当たり前の、その胸に芽生えた最初の想いを、思い出して欲しいのです」
最初。
言われ老兵達は想いを馳せた。
長く、真王国の為に身を粉にして働いて来た。
分かたれた王権、既に王族すら途絶えた偽王国には分からぬよと哂うのならばそこで話は終わりだ。
けれど、己の胸に張り続けてきた大義を剥がした向こうの景色に、ほんの些細な、個人的な幸せは確かにあった。
「貴方達は彼らのような若者がっ、笑って過ごせる未来を作りたいと願ったのではなかったのですか!?」
叩き付けられた言葉に、想いに、郷愁が溢れ出す。
最早戦場以外に生きる道は無し。
己の死に場所を求めて戦い続けてきた老兵達は、未来などというあまりにも眩しい言葉につい、喉を震わせた。
「私は彼女達の示す姿こそがっ、この世界が目指すべきものであると確信していますっ!! 共にアイドルと歌いっ、アイドルを推しっ、歓声をあげてその姿に涙する……!! その為にはアナタ達の力こそが必要なのです! 今日この日まで真王国を支えてきたっ、アナタ達だからこそっ、この戦争を終わらせることが出来る!!」
誰かがむせび泣いた。
戦争を終わらせる。
とうに忘れた言葉だった。
戦いに勝つ。偽王国を討つ。そんな言葉ばかり重ねていて、結局辿り着く事の出来なかった想い。それをこんな若造に求められて、心の動かない老兵は居ない。
それがたとえ、敵国の人間であろうとも。
彼のあまりにも純粋で真っ直ぐな訴えが、老人の胸には刺さるのだ。
「どうやら、儂らが忘れていたのは芸能だけではなかったらしい……」
「護国卿ッ!」
「ははは、お前の様な若造の訴えに、いや、だからこそ……あぁ、なんといったか」
曖昧な問い掛けに彼は即答した。
「『あなたと手を繋いで』」
「『はっぴぃらぶ』か。良い名だ。思い出したぞ、らぶ、というのは、愛を意味する異大陸語だったな。そういうことが出来る未来もあるのだろうか」
「作っていくのです。私達と、貴方達とで」
「出来るのか、生意気小僧め」
敢えて彼は乱暴に言って捨てた。
そこへにやりと笑った青年が即座に拾い上げ、叩き返してくる。
「貴方が先にバテないことを祈ってますよ、クソジジイ」
周囲は呆気に取られた。
だがそう呼ばれた護国卿たる老将は、大きく口を開け、哄笑する。
「は――――っはははははは! はははははははははははははははははははははははははははははははははは!! この儂に舐めた事を言うではないか!! 戦場を遊び場にしてきたジジイの体力を甘く見るなよ!? あっはははははははははは!!」
この後、大陸東端の小さな島で行われていた、五十年にも及ぶ内戦は幕を閉じた。
アイドルが、戦争を止めたのである。
※ ※ ※
幕間 ―アイドル周辺機器誕生秘話①―
「ここか。拡声のファンタジーアイテムを生み出したという工房は」
「ファンタ? はい、P。どうぞ心行くまでご覧下さい」
「ふむ……音量の調整は可能か」
「可能です」
「小型化についてはまだ研究中と来ている。現状では手持ちサイズが限界だと」
「はい」
「こちらの親機から子機へと声を転送し、それを複数の子機とほぼタイムラグを発生させずに音を流すことが可能なのだな。そしてその、中間にミキサーとなる道具を挟み込むことによって細かな調整と、音の加工をリアルタイムで行えるという話だが…………そこまでの品だ、相当に金の掛かるものなのだろうな」
「いえ、ウチの子どもでも作れます。量産も余裕です」
「マジでか。凄いなファンタジー」
※ ※ ※
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