第22話 特別な場所
あかりちゃんが聖地と呼び、空が特別な場所と言うあそこは、俺にとっては単に怖い思い出があるところでしかない。
一時的ではあったが、手首を縛られ、監禁された。きのうはその記憶が鮮烈によみがえった。
洞穴が埋められているのを見て驚いたが、これでもうあんな事件が起こることはないと安心した。
なくなって残念だとは思わなかった。
「いまから行くの? 今日はのんびりしない?」
洞穴跡に2日連続で行くのは、あまり気が進まなかった。
「行こうよ。天乃さんと行ったのだから、わたしとも一緒に行ってくれるでしょう?」
そう言われてしまうと、ことわることはできなかった。
それにしても、空がこれほどあそこに執着していたとは思わなかった。
あの洞穴を見つけ、快適な秘密基地にしたのはあかりちゃんだ。
俺と空は彼女の遊びにつきあっただけなのに……。
俺は身支度をして、空とともに玄関を出た。
きのうは清流沿いの砂利道を経て、神社山へ行った。そのコースは散歩をするには気持ちいいが、少し遠回りだ。
神社山へ行くだけなら、住宅街をまっすぐ突っ切った方が近い。
俺たちは最短距離を進んだ。
颯爽と住宅街を歩く空を、何人かの男性が目で追っていた。
神社の隣にあるコンビニに立ち寄り、俺はペットボトルのスポーツドリンクを、空はお茶を買った。
その場で飲んで、ボトルを回収箱に放り込んだ。
そして、整備された登山道を登り始めた。
ここは人気のあるハイキングコースの出発地だ。
大きなリュックをかついだ登山客がいて、軽装の人もいた。
分岐点からマイナールートに入ると、とたんに道が悪くなり、俺たち以外の人がいなくなった。
俺は先頭に立って、ゆっくりと歩いた。
いくつも蜘蛛の巣が張っている。気づかずに顔にかかったりして、気持ち悪かった。
「だいじょうぶ?」
俺は振り返って、空に声をかけた。
「平気。何度も来た道だから」
彼女はいつものクールな無表情のまま歩いている。
ずいぶんとこの山道に慣れているようだ。
「そこ、足元に注意して。木の根があるから」と教えてくれたりした。
洞穴跡に着いた。
やはり入り口は砂でふさがれている。隙間は少しもない。
空は神妙な面持ちで、砂の壁を見つめた。
「ここは特別な場所なのよ」と彼女は言った。
「確かに特別に怖い場所だよね」と俺は答えた。思い出の中では、ここは依然として怖ろしい。
「そういう意味じゃない」
空は真剣な目で俺を見つめた。
「そういう悪い意味じゃないの」
彼女は砂の壁に手を当てた。
「ここはあの日をしのぶ大切な場所なのよ」
あの夏の日は、俺にとっては懐かしくしのぶようなものではない。
できればなかった方がよい日だった。
「ここは特別な場所なの」と彼女はまた言った。
「冬樹がわたしを助けてくれた場所。命を救ってくれたところ。かっこよかったよ、冬樹」
空からかっこよいなんて言われたのは初めてだ。
彼女の瞳は熱っぽく俺の目を見つめていた。
「冬樹は口でロープをほどいて、わたしたちを解放してくれた。そして、きみたちだけでも逃げろと言った」
そんなこと言ったっけ?
「あなたは勇敢だった。毅然として自分だけ洞穴に残った。わたしは必ず助けを呼んでくると言って走った」
確かに俺だけ残ったけれど、ロープがほどけなくて、どうしようもなかったからだ。
別に勇敢ではなかったし、毅然ともしていなかった。
「天乃さんは逆だった。冷静さをなくして、すぐに泣いた。あの男を殺そうとまでした。小さな子にそんなことができるはずないのに、蹴り殺そうとしたわ。あなたはそれを止めた。賢明な判断だったと思う。もし蹴ったりしたら、あいつは逆上して、わたしたちを殺したかもしれない。あの子は、わたしたちの命を危険にさらしたのよ」
あれ? 最初にあの男の人を殺そうとしたのは、俺だったはずだけど……。
「あなたがわたしたちのロープをほどいてくれた後も、天乃さんはおろおろしているだけだった。すぐに助けを呼ぶべきなのに、行動が遅くて、あなたのそばでぐずぐすしていた。彼女はずっと泣いていた」
空の記憶は、俺とは少しちがうみたいだ。
あかりちゃんはそんなにぐずぐずしてはいなかったと思う。
俺を置いていくのに少しは逡巡したかもしれないが、ふたりはすぐに洞穴から出たはずだ。
「天乃さんはわたしたちのリーダーみたいに振る舞っていたけれど、ピンチのときは全然だめだった。本当のリーダーは冬樹だった。あなたがいたから、わたしたちは助かったの。あなたの行動は見事で、非の打ちどころがなかった」
いや、それはちがう。
俺だってかなりだめだった。
危機に陥る前になんとしてでも逃げ出すべきだった。あの男の人が酔っ払って眠りこけなかったら、なにもできなかっただろう。
「俺たちが全員無事だったのは、運がよかったからだよ」
「そんなことない」
彼女は激しく首を振った。
「冬樹が的確に行動したから、わたしたちは助かったの。あなたはわたしの命の恩人なんだよ!」
ちがう。
俺はヒーローとか、命の恩人とか、そんなふうに思われるような人間じゃない。
たまたまロープをほどくことができただけだ。
それ以外はなにもできなかった。
怖くて怯えていたし、殺そうと考えたし、ふたりが脱出した後は震えていただけだった。
空もあかりちゃんもあのときの俺を美化している。
そうとしか思えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます