第4話 ドーナツ

 4月2日の朝、目が覚めて、きのうの出来事を思い返した。

「1日交代で、あなたの世話をすることになった」と空は言った。その言葉が嘘でないとすると、今日はあかりちゃんが俺の世話をする日だ。

 本当にそんなことがあるのだろうか?

 高校でも屈指の美人が交代で家に来るなんて。


 とにかく部屋のかたづけをしておこう。

 あかりちゃんが来て、また「お部屋の掃除をしてあげようか」などと言い出すと困る。

 押し入れのエロ本を発見されてはならない。

「掃除ならいらないよ。きれいだから」と言って断りたい。

 でも俺の部屋は、ちょっとやそっとでは整理できないほど乱れている。


 部屋を乱雑にしているのは本だ。

 俺は書痴と言われても反論できないほどの本好きで、紙の本を偏愛している。小遣いの大半を小説や漫画などの購入に費やしてきた。

 その結果、本が棚からあふれ出し、床の上に大量に積んであるという悲惨な事態を招いている。フローリングの床がほとんど見えないほどだ。

 さて、どうかたづけよう?


 すべてを本棚に入れるのは物理的に不可能だ。

 いっそのこと一部を古本屋さんに売ってしまおうかとも考えたが、すぐに首を振った。それは嫌だ。本は俺が生きるための必需品なのだ。手放すことはできない。

 せめて雑誌くらいは捨てようと考えた。

 小学生のときに買った漫画雑誌すら手放さずにいて、かなりの場所を占めている。

 俺は部屋の中に散らばっている雑誌を集め始めた。

 そのときドアホンがピンポーンと鳴った。

 まだ午前7時。かたづけは緒についたばかりだった。


「おはようー。世話しに来たよ、ふゆっち。今日からよろしくねー」

 玄関のドアを開けると、にこにこと笑うあかりちゃんが立っていた。

 彼女は本当に現れた。俺の世話をするというのはエイプリルフールの冗談ではなく、本気だったのだ。

 キラキラと輝く笑顔と服を押しあげる巨乳を見て、俺はどぎまぎした。

「きのうはどうだった?」

「空と肉じゃがを食べたよ」

 あかりちゃんは俺をビシッと指さした。

「浅香には負けないよ。サービスするからね、ふゆっち!」

 朝っぱらからテンションが高く、俺は圧倒された。

 彼女はローファーを脱いで、すたすたと家の中に入ってきた。


「もう朝ごはんは食べた?」

「まだ食べてない」

「よかったー。ドーナツ買ってきたんだよー」

 彼女はチェーンのドーナツショップの箱を持っていた。

「朝ごはんにドーナツ?」

「うん。ドーナツ美味しいよー。一緒に食べようと思って、6個買った」

 朝からドーナツ3つずつ?

 俺が唖然としていると、あかりちゃんの表情が曇った。

「あれ、嫌だった? ドーナツ嫌い?」 

「いや、好きだよ」

 俺は無理矢理笑顔をつくった。彼女の親切を無にしてはいけない。朝食はトーストにバターを塗って食べる方が好みだが、別にドーナツでもかまわない。甘い物は嫌いじゃない。

「だよねー、みんな大好き、ドーナツ最高!」

  

 俺はあかりちゃんが異様に甘い物好きであることを思い出した。

 小学生時代、彼女はチョコレートに蜂蜜、バニラアイスにメープルシロップをかけたりしていた。

「ふたつの甘味が合わさって、最強なの」

 そんなことを言って嬉しそうに食べていた。

 俺も蜂蜜チョコレートを食べたことがあるけれど、べたべたに甘すぎて食べなければよかったと後悔した。


 ケーキを選ぶときには、あかりちゃんは迷いに迷ったものだった。

 俺と彼女の前にいちごのショートケーキとチーズケーキがあるとする。

 あかりちゃんはどちらも食べたくて、決めることができないのだ。

「お腹すいてないから、俺のケーキを半分食べていいよ」

 俺がそう言うと、彼女はにこーっと笑って自分のショートケーキを全部食べ、俺のチーズケーキをしっかりと半分食べた。遠慮なんてしなかった。

「ありがとう、ふゆっち。美味しかったよ!」

 彼女の笑顔が眩しくて、俺はいつもケーキを譲っていた。


 ティーバッグで紅茶をふたつ淹れ、食卓に置いた。

 あかりちゃんはすかさず角砂糖を4個入れて、スプーンでかき混ぜた。

 俺はストレートで飲む。

「どのドーナツを食べる? オールドファッション、フレンチクルーラー、ココナツチョコレート、抹茶クリーム、ポン・デ・リング、ストロベリーリングがあるよ。ハニーディップとダブルチョコレートも買いたかったなあ。あとマフィンとかも。ドーナツは正義、ドーナツは人生!」

 あかりちゃんのドーナツ愛がすごい。俺はまた圧倒された。

「どれでもいいよ。みんな美味しそうだね」

「そうでしょうそうでしょう。じゃああたしはこれから」 

 彼女はココナツチョコレートを手に取って、嬉しそうにかじった。

 俺はオールドファッションを選んだ。

 あかりちゃんはたちまち1個目をたいらげ、抹茶クリームに取りかかった。俺はまだ半分も食べていない。

 

 オールドファッションを食べ終えたとき、彼女は3個めのポン・デ・リングをもぐもぐと食べていた。それもすぐになくなった。

 食卓に残っているドーナツはフレンチクルーラーとストロベリーリング。あかりちゃんはまだ食べ足りないようで、物欲しそうに眺めていた。

「食べていいよ?」

「残りはふゆっちの分だから……」

「俺はあと1個で充分だから」

「でも……」

「本当にいいから。遠慮しないで」

「そう?」

 あかりちゃんはストロベリーリングにかぶりついた。

 彼女は甘い物が好きで、その上に食いしん坊だ。


 こんな食生活をして太らないのかな、とふと思った。

 あかりちゃんの腰は細く、くびれている。

 カロリーを宙に消すことができる謎の生き物かなんかなのか?

 

 あかりちゃんは四個のドーナツをたいらげて、けろりとしていた。

 俺は紅茶のおかわりを淹れた。

 彼女はまた角砂糖を4個、ティーカップに放り込んだ。


「これからふゆっちのお世話をするわけだけど、連絡手段がないのは不便だよね。今朝も6時に行くべきなのか、7時まで待った方がいいのか悩んだし」と彼女は言った。

 6時に来る可能性もあったのか。

 約束もなしに人の家を訪れるには早すぎる時刻ではないだろうか。

 俺の常識と彼女の常識の間には、大きなずれがあるようだ。


「連絡先交換しよ」

 あかりちゃんはスマホを俺の方に向けた。

 俺はそれに応じて、QRコードを読み取った。 


「うふふ、まずは第1歩」

 彼女はスマホを見ながらにっこりと笑った。

 俺はティーカップとドーナツをのせていた皿をキッチンへ持っていって、手早く洗った。

 その間、あかりちゃんはスマホをいじっていた。

 俺がテーブルに戻ってから、「あっ、だめじゃんあたし! ふゆっち、洗い物は任せてよ!」と急に気づいたように目を見開いて言った。


「いいよこんなの。別に世話なんてしなくていいから。あかりちゃんが来てくれただけでうれしいよ」

「変わらないなあ、ふゆっちは。やさしい」

 彼女は目を細めた。

 俺はやさしくなんかない。食器を洗っただけだ。

 わざわざ隣人の世話をしに行ったりはしない。

 あかりちゃんのようにすごく可愛い女の子が、俺なんかのために時間を割いてくれる理由がまったくわからない。

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