水上陽衣菜 ②


商店街のスーパーで知り合った中学生、陽衣菜から電話があったその夜。

春香は夢を視た。

―だれか、ぼくを見つけて―

心に直接響くような声とともに、しっとりとした湿気を肌で感じる。

何一つ実体のない夢の中で、肌に伝わる感覚というのはおかしい気もする。けれど、こういう夢の経験は初めてではなかった。

―見つけて―

どこにいるの?

春香は手を伸ばす。なにかが、遠ざかる。

見慣れた部屋の天井。

窓のカーテンから、朝陽が差し込んでいた。

「7時か」

ベッドの上のボードで充電していたスマートフォンを取る。

陽衣菜と約束をした時間まで、あと3時間はある。

春香は画面を操作して大吉に電話をかけ、いま視た夢の話と今日の約束のことを話した。


         ◆


噴水のある運動公園で待ち合わせをした。

春香は友人であるという同級生を伴ってやってきた。

「はぁ~るかさぁ~ん、今日は会えてうれしいです!」

「尚継くん、こんにちは」

「素敵な服ですね! 春香さんによくお似合いです! それはそうと、おい大吉、なんでお前までいるんだよ」

「うるせえ、こっちだって来たくて来たんじゃない。というかお前は毎度毎度春香に鼻の下伸ばすんじゃねえ」

春香の姿を確かめるやすっ飛んで行った尚継は、隣の男子高校生といがみ合いをはじめた。

「瑞希ちゃん」

「知らない」

チェックのパンツに七分丈の白いワイシャツという出で立ちの瑞希は、そっぽを向いてしまう。とほほ。仕方なく陽衣菜が尚継を止めに行く。

「尚継くん、知り合いなの?」

「ああ、こいつは大吉。春香さんの幼馴染のくせに、喧嘩ばっかりするしょーもない奴」

「おい、紹介するならちゃんとしろ」

「そうだよ尚継くん。大吉が喧嘩ばっかりしてたのは、中学上がるまでなんだから」

「春香? それはフォローのつもりか?」

各々、初対面の相手に自己紹介を済ませ、桑乃家へ歩いていく道すがら、本題に入った。

「そっか。陽衣菜がプレゼントであげた、大切なぬいぐるみなんだね。それは絶対に見つけないとだね、ね、大吉」

「ん、ああ」

春香に腕を握られても、大吉は平然としている。並んで歩く距離も、なんとなく近い気がする。

陽衣菜のクラスにも仲のいい男女や交際しているカップルはいるが、どこかぎこちないものだ。

高校生の男女の距離感って、こんなものなのかな。二人は付き合ってるのかな。陽衣菜が訊いてみようか悩んでいると。

「桑乃」

大吉が瑞希を呼んだ。

「なに?」

「さっきから陽衣菜ばっかりが話してて、俺たちはまだお前からなにも聞いちゃいない。探し物は、お前が大切にしてるぬいぐるみなんだろう?」

瑞希の足がぴたりと止まり、振り向きざまにきっと大吉を睨みつけた。

「なによ、私がぬいぐるみを大事にしてたら悪いっていうの」

言ってしまってから、瑞希がはっとして口に手を当てた。

瑞希は、陽衣菜の前で以外、口調には気をつけていた。

大吉がちょっと意外そうな顔で瑞希を見つめている。

「あ、あの、大吉さん、瑞希ちゃんは」

どう言えばいいのか、咄嗟に言葉が出てこない。陽衣菜には普通のことでも、大吉や春香に受け入れてもらうにはどう説明をするのがいいのか。

「そういうことを言ってるんじゃない」

大吉がぴしゃりと言った。今度は、瑞希が面を食らう。

「お前がどんなものが好きでもいい。でも人に協力を頼むなら、言わなきゃいけない言葉がある」

大吉は膝に手を付き、腰を曲げた。そうしないと大柄な大吉と、中学生にしても小柄な瑞希とでは、目線の高さが合わないのだ。

瑞希は頬を赤くして、俯いた。

「なんだか、大吉お父さんみたい、ね、陽衣菜もそう思わない?」

春香に訊かれ、はらはらしていた気持ちが落ち着きを得た。不思議と、春香には人を安心させる空気がある。

「そうですね、お父さんみたいです」

「お前らなあ」

「おねがい、するわ」

俯いていた瑞希が、消え入りそうに言った。それから顔をぱっと上げ

「頼んであげるわ、仕方ないから!」

と、大吉の顔を指さして言った。

「はぁ、頼まれました」

大吉は溜息まじりに頷いた。

瑞希が前を歩きだしてから、大吉の袖を引いた。

「瑞希ちゃん、あれ照れ隠しです、きっと」

つま先立ちになって歩きながら、大吉に耳打ちした。

「嬉しかったんだと思います。瑞希ちゃんの本当のお父さんは、あんなふうに瑞希ちゃんを叱ったりしないから」

エスカレーター式の名門校を出た兄、姉とは異なり、一般の公立中学に通いたいと願い出たのは瑞希だった。

もし名門私立に通うとなれば、陽衣菜を伴って入学するというわけにはいかなかった。その場合、桑乃お抱えである陽衣菜は、学校には通えなかった。

桑乃の自覚がないだとか、恥さらしだとか、瑞希の姉は糾弾していたが、当主である瑞希の父は歯牙にもかけなかった。

好きにしろ。理由も聞かずそう言い捨てただけだった。

「さっきの俺、そんなに父親っぽかったか?」

陽衣菜がにっこりと笑って頷くと、大吉は恥ずかしそうに頬の横を掻いた。

「着いたわよ」

四柱に支えられた表門の前で、瑞希が立ち止まる。

「でっけー!」

知ってはいただろうが、尚継は大仰にリアクションを取った。

門を潜ると、飼い犬のシェパード、ライカが駆け寄ってきた。

ライカが、ヴァウ、と歯を見せてひと吼えすると、意外なことに、大吉が大きく後ろに跳び退いた。

「なぁにあんた、犬怖いの」

瑞希が、さっき叱られた仕返しか、にやにやしながらライカとにじり寄る。

「いや、犬は平気なんだが、いまはちょっと怪我できなくて」

「なによそれ?」

「もう、だめだよ瑞希ちゃん、怖がらせたら。大丈夫ですよ、大吉さん。ライカは人に噛みつきませんから」

「お、おお、そうか」

陽衣菜はライカの顎の下を撫で、目の前で掌を回して家の方を指す。賢いライカは指示を読み取って、瑞希の下を離れて駆け去っていった。

「にしても、広いな。この敷地を探すのか」

大吉が唾を呑む。敷地を囲う白壁の塀はどこまでも続いているように見える。

「がんばろ。もしかしたら、ただのぬいぐるみじゃないかもしれないんだから」

春香が大吉に囁くのが、陽衣菜にちらっと聞こえた。

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