呪われた姫神 その24
ぐいっ
ゴキッ!
突然、襟首を掴まれた水瀬の首が鈍い音を立てた。
「!?」
首が痛い。
捻挫したのは間違いない。
水瀬は、首に治癒魔法をかけながら痛みに耐えた。
「悠君?」
その声に振り向くと、そこには意外な人物が自分を見つめていた。
「……お母さん?」
その言葉にニコリとほほえんだのは、水瀬の母、遥香だった。
信じられない。
長野の実家にいるはずなのに。
「お父さんに会いに来ました。所で、悠君は、何してるの?」
目の前で起きていることなんて、まるで感心がないという顔の遥香がそう言った。
「え?な、何しているって……あ、あれを止めようと思って」
水瀬の指さす先には、暴走を続ける綾乃がいた。
「まぁ。大変……そう言ったほうがいい?」
「あの……まぁ、大変って……そんな他人事みたいに!」
「悠君は止めようとしているの?どうやって?」
「そ、それは……」
「まさか悠君ったら、綾乃ちゃんを引き剥がせば何とかなるなんて、思ってないでしょうね?思っていたら、お母さん、お尻ペンペンしちゃいますよ?」
「……ち、違うもん」
図星をつかれても、それを否定しようとする水瀬は、母から目をそらせた。
「ふうん?じゃあ、どうやって?」
「う……ううっ」
息子のことが手に取るようにわかる母の問いに、水瀬は返答することが出来なかった。
「悠君と綾乃ちゃんがまともに接触したら“中和現象”が起きる。だから、魔力の暴走が収まるなんて考えているなら、ぶっぶーですよ?」
「……なんですか?そのぶっぶーって」
「可愛くない?」
「ふ、不正解ってことですよね?」
「そう。ほら、テレビのクイズ番組でよくやってるじゃない?」遥香は言った。
「……考えてみなさい?魔力も、あれだけのレベルになったら、中和させるには、あなた自身が暴走するしかないでしょう?」
「……え?そうなんですか?だって綾乃ちゃん」
「あのねぇ?」
遥香は息子を叱る目で言った。
「“中和現象”の意味がよくわかってないみたいね。
いい?
中和した所で、綾乃ちゃんに触ることが出来るのが関の山。
綾乃ちゃん自身の暴走は止められない。
何故?
綾乃ちゃんが暴走しているのは、綾乃ちゃん自身の意志だから。
“中和現象”は、意志までを中和できません。
それに、“中和現象”が邪魔するから、あなたの魔力で綾乃ちゃんを止めることは出来ないでしょう?」
「じゃあ、どうやって!?」
母の言いたいことはわかる。
だが、それはつまり、自分には何も出来ないといわれているのと同じなのだ。
そんな息子に、
「お母さん達に任せなさい」
にっこりと微笑みながら、遥香はそう答えた。
「へっ?」
「お母さん達が何とかしてあげる」
「ど、どうやって?」
「お願いしますは?」
「え?」意味がわからない。
「人にモノを頼む時は、お願いしますっていわなければダメですよ?」
あくまで遥香は、息子への母としての姿勢を崩そうとはしない。
「……お願いします」
しぶしぶながらの水瀬の言葉に、遥香は微笑みを崩さずに頷いた。
「はい」
その頃―――
有里香達本家の巫女・神官達は、分家同様に幕屋の中で儀式を見守っていた。
ただ、有里香の目には退屈そうな色が浮かんでいた。
雅楽の音色は嫌いではない。
昔を思い出す。
あの頃はよかった……。
あのお方が、私を愛してくれたあの頃は……。
有里香はため息混じりに舞い続ける亜里砂を見つめた。
つまらない。
舞手としての才能はあるが、私に比べれば稚拙過ぎる。
……まぁいい。
そう。いいのだ。
こんな娘の舞なぞ、そこら辺の奉納神楽と同じ。
“力”を微塵も感じない。
そんなモノに意味なぞ存在しない。
舞は終盤に近づいていた。
亜里砂はそつなく舞を続けている。
ふん。
まぁ、少しは褒めてやるべきか。
有里香は、そう思い、視線を山へと向けた。
強い。
強力過ぎるほどの魔力を感じる。
あちらは成功しつつあるようだな。
よろしい。
こちらの茶番も終わりだ。
有里香は席を立った。
控えていた巫女達が怪訝そうな視線を向けるが、有里香はいっこうに構う気配がない。
幕屋から出た有里香の手に某手裏剣が握られていたのを、誰も気づかなかった。
「黒」
「お側に」
黒達忍が、幕屋の裏に控えていた。
「首尾は?」
黒は、無言で手にした包みを開いた。
「……ご苦労」
「はっ」
「そのゴミはその辺にでもうち捨ておけ。由里香が来る」
「はっ?」
黒は、突然の言葉に初めて有里香を見た。
その目には憎悪の光が宿っているのを、黒ははっきりと見た。
「由衣(ゆい)がしくじったそうだな」
「面目次第もございません」
「己が娘の不始末、由里香の血をもってあがなえ。それで不問だ」
「……はっ」
「はぁ……はぁ……」
走り続けの行程に、由里香はさすがに息があがってきた。
無理もない。
そう思ったイーリスは足を止めた。
30過ぎの専業主婦だ。
この距離、いくら鍛錬していた所で、息が切れても当たり前だ。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫。そう、いいたいのですが」
年かしら?というセリフだけは口にしない由里香だった。
「今となっては、下がることも出来ません」
「覚悟の上です……はあっ……さて、行きましょう!」
気丈に言ってのける由里香の手がとっさに動いた。
それは、イーリスが迎撃体勢を整えるのとほとんど一緒だ。
「……水龍の剣!」
由里香の手から螺旋状の青い炎が走り、闇を切り裂いた。
その隙間を、イーリスの魔法が貫く。
「ぐあっ!?」
「ぎゃっ!」
次々と男達が断末魔の悲鳴をあげて地面に落ちた。
「私たちも、ついには本家の敵ですか」
「最初からでは?」
「ふんぎりがつかなかったのです」
由里香は悲しそうに呟いた。
「何かの間違いであって欲しいと……そう……」
「由里香殿は」イーリスは訊ねた。
「本当は、本家に戻りたいのではないですか?」
「……それすら、わかりません」
「どうして?」
「私は綾乃がいればそれでいい。そう思っているだけです。ですから、家というものが、どうでもよく思えてならないのです」
「……それが、今回のすべての引き金なのでは?」
「……」
「あなたは、綾乃さんを出産した後」
イーリスは、はっとなって黙った。
綾乃を楯に本家に戻り、あなたが本家を治めようとすればよかったのではないか?
そう、いいたかったのだ。
だが、それがどういう意味か、イーリスはすぐに悟った。
そして、その軽率さを深く悔いた。
由里香の娘、当主にしては孫。
それは、純血の倉橋の巫女。
家にとっては喉から手が出るほど欲しいはずの存在。
当主たる巫女が、当主であるが故に求められる最高の手柄。
次の巫女。
それを産む資格を握るのは、由里香だけ。
家は、それでいい。
イーリスは、ここまでしか考えていなかったのだ。
だが、かつての由里香は、夫と共に、その先を考え、そして決断したのだ。
娘はどうなる?
次期当主、そして倉橋の巫女として―――道具としてのみ扱われる。
そこに、今、綾乃が享受出来る自由は存在しない。
愛する歌も歌えず……
未来は、ない。
それは、由里香自身が一番わかっていることだ。
だから、由里香達は選択したのだ。
娘が、人として生きるべき道を。
それが間違いだと、イーリスは思っていない。
何より、他人であるイーリスが口を挟むべきことではない。
子のためによかれと思い、親として選択したことだ。
子を持たぬ身が軽々しく論ずるべきことではない。
「今、失われている命の意味がわかります」
黙るイーリスに、由里香は呟くように言った。
「私が、殺しているのと同じだと」
「由里香殿!」イーリスは言った。
「なりませんっ!そんな考えは!」
「……」
由里香は答えることなく俯いた。
そう。
イーリスが言いかけたように、例え娘を代償にしたとしても、由里香が当主の座を取れば、このような騒ぎは起きずに済んだ。
何より、亜里砂を綾乃の代償として苦しませてきたことを、由里香は否定するつもりすら、ない。
誰かを生かすために、誰かを犠牲にする。
それを、よりにもよって血を分けた身内でまかなっているのだ。
言い逃れても、真実からは逃げられない。
逃れる気すら、ない。
「自分を責めすぎるな」
突然、背後の暗闇から声がした。
由忠だ。
「自分を責めすぎるな。甘ったれてる証拠だぞ」
「甘え……ですか?」
「ああ」
「どこが、ですか?」
ムッとした顔で問う由里香に、
「……どこまでバカなんだろうな。人妻って種族は」
由忠はあきれ顔で言った。
「よく考えて見ろ。由里香。そもそもの根本原因は、お前でも有里香でもない」
「?」
「有里香を操る奴……自分の主人がそういっていたろう?あれは、遠回しにお前達に罪はない。そう諭す言葉でもあるんだ。この言葉を否定するなら、俺から昭博に伝えてやる。お前は女房にこれっぽっちも信じられていないと」
「そ、そんな……ことは」
「あるんだ!」
由忠は語気を荒くして言った。
「ここまで来てウジウジ考えるな。もし、犠牲が申し訳ないと思うなら、さっさとこの状況をどうにかすることを考えろ!」
「―――はい」由里香は、そっと目頭を押さえながら頷いた。
「さもなければ」
由忠の語気は荒い。
だが、明らかに焦りが浮かんでいた。
「綾乃ちゃんが死ぬぞ」
「綾乃が?」
「ああ。見ろ」
「!?」
「なっ!?」
由忠が指さした先。
それは山。
分家の儀式が行われている方角。
上空に魔力が集まり、空間が歪んでいる。
見たこともない光景に、由里香もイーリスも言葉を失った。
「あっちは成功しかけている」
「あれが、儀式の成果だと?」イーリスが驚いて言った。
「空間が歪むほどの魔力で、何を呼び込むつもりなのですか!?」
「さあな」
由忠はイーリスの肩に軽く触れて言った。
「これ以上、立ち話をしている時間はない。昭博に任せればいい」
「昭博さん?」由里香が驚いた。
「旅館にいるのでは?」
「あいつはずっと水月の儀を調べていたんだ」
「てっきり、旅館で待っているものと」
「―――あいつだって父親だ」
まるで夫の威厳を見せつけるかのように、由忠は言った。
「あいつはそれがわかっている」
「!!」
「綾乃ちゃんは、あいつにとっても大切な娘なんだ。それを守ろうとしている」
「……」
「あいつは、自分の知識という最大の武器を使って儀式を止める。その方法を見つけたんだ。もう、あいつに任せるしか、俺達には手がない」
由忠は二人を促しながら言った。
「行くぞ。俺達は有里香を、その背後に潜むモノを止める」
「で、でも、儀式を止めるって、昭博さんは!?」
「遥香とバカ息子がいる。あいつらを止めることなぞ出来るものか」
「遥香さんが?」
「ああ……」
由忠は、浮かない顔で言った。
「俺は、敵に同情するよ……」
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