呪われた姫神 その9

 引っ張られていった先は、レコーディングルーム。

 なんと、丁度、綾乃が撮影前に音合わせを終えたばかりだった。

 綾乃の無事を確認できて安堵したのもつかの間、女性に引っ張られた水瀬は、問答無用で“文字通り室内に放り込まれた。

 「み、水瀬君?」

 「せ、瀬戸さん助けて!」

 慌ててドアに向かった水瀬の前で無情にもドアは閉まった。

 「あら、綾乃さん」女性は綾乃に一瞥を喰らわすと、あちこちにテキパキと指示を出す。

 「小林!さっさと曲リストもってくる!須藤!ぼっとしてない!いい?音響監督なんだから、この子の声!ちゃんと評価して!いい加減なことやってたらタマ潰すわよ!?

 ―――まだ、名前聞いてなかったわね。私は信楽房江、芸能プロダクション「ピースメイカー」の社長をしております。あなた、お名前は?」

 あまりの押しの強さから本能的に逆らわない方がいいって判断した水瀬は、反射的に答えてしまった。

 「み、水瀬、悠理です」

 「まぁまぁ。芸名いらないわね。悠理ちゃん?カラオケくらいやったことあるでしょ?一曲でいいから、歌ってみて」

 「へ?いえあの、ぼ、僕は」

 「一曲歌ってくれたら、今日の所は勘弁してあげる」

 「ほ、ほんとうですか?」

 「信頼第一がビジネスの基本よ?カラオケ流してあげるから」

 「ううっ……」


 困った。

 水瀬は困惑していた。

 実は、水瀬は歌を歌ったことは、物心ついてからほとんどない。

 というか、教養として音楽を習ったものの、趣味として歌ったことがないのだ。

 だから、いきなり言われても何を歌っていいのかすらわからない。

 

 そうだ

 

 心当たりが一曲だけあった。

 

 中学時代、英語の勉強の一環として教わった曲。

 教育熱心で、学校に慣れない水瀬に対しても真剣に接してくれた、水瀬にとってのたった一人の“先生”―――。

 メガネがトレードマークの、あの先生が教えてくれた曲なら、なんとかなるかもしれない。

 「あ、で、でも、あるかな」

 「ここはテレビ局よ?何万曲でもカラオケにしてあげるわよ!さ!」

 「えっと、Midnight with the Stars って、確かそんな曲なら……」

 「待ちなさい……何やってんの!パッと出しなさい!パッと!」

 

 水瀬が初めて歌った人の作った曲。

 Midnight with the Star

 真夜中、星と君と―――


 先生が好きな映画に使われた曲だと聞かされた。映画のタイトルを聞いたら、ほとんどのクラスメートがなぜか引いていたっけ。



 数分後、イントロが流れ出す。


 目を閉じた水瀬の瞼の裏に映し出されるのは、あの日のこと。

 あまり話しも出来なかった同級生達と一緒にいたあの日。

 自分を見つめるみんなの顔。


 教壇に立たされ、みんなの興味深げな表情にさらされた時、僕は恥ずかしかったんだよ?先生―。

 ちらりと横を向いた先には、カセットプレイヤーの再生ボタンに指をかけながら微笑む先生の顔。


 みんな、キライじゃなかった。

 先生の授業も、ホントは楽しみだったんだよ?


 でも、もう、会うことは出来ないんだよね。


 あの戦争で、みんな、みんな死んだから。


 先生も―――


 ああ、先生の授業も、もう、永久に聞くことができないんだな。

 

 あのね?実はあの日、僕、宿題、忘れてたんだよ?


 ごめんね。先生。

  



 水瀬は歌う。

 


 二度と戻らぬ過去への追憶と共に―。




Midnight with the stars and you (真夜中に星達と君と)

Midnight at a rendezvous (真夜中の逢瀬を)

Your eyes held a message tender (君の手にはやさしいメッセージ)

Saying I surrender all my love to you (「私の愛のすべてをあなたに捧げるわ」と)


Midnight brought us sweet romance (真夜中に甘いロマンスのひとときと)

I know, for my whole life through (これからもずっと、君を忘れない)

I'll be remembering yours (いつまでも君のことを忘れない)

Whatever else I do  (この先に何があろうとも)

Midnight with the stars and you  (真夜中に星々と君と)


 

 曲が終わるまで、居合わせた全員が聞き惚れていた。

 透き通るような声色が奏でる、語り手の思いが心にしみこむような恋歌。

 歌に込められた思いを余すことなく引き出し、聞く者に目を閉じるだけでその光景を、その想いを容易にイメージさせるほど、不思議な説得力さえ持つ―――。


 まさに美声だった。


 「いや、社長!あんなスゴいの、どこから引っ張ってきたんですか?」

 オーディションにも頻繁に引っ張られる評論家でもあるディレクターが興奮気味に社長に言った。

 「逸材ですよ!綾乃ちゃん獲得出来なかったけど、この子なら挽回できますよ!私が保証します!」

 「え?ええ。そ、そうね」

 予想を遙かに上回る水瀬の歌に、正直、社長は気圧されていた。


 ―何千人とオーディションに立ち会ってきた私だって、若手で、音楽的にこんなにスゴイ実力者は、せいぜい、目の前にいるこの子だけだったものね。

 偶然とはいえ、こんなスゴイ子がこの世にいるなんて、世の中、捨てたもんじゃないわ。


 「音程が完全に安定していますし、こりゃ、相当な音感の持ち主ですね。いや、とにかく声がいい!透き通っていて、まるで滑らかに心に染みいるようだった!こりゃスゴイ!」

 居合わせたスタッフも驚きを隠せない程の水瀬の一曲だったが―――。

 

 一方、

 「はぅぅぅぅぅっ (〃-д-)σ‖」

 水瀬はその場にうずくまっていた。

 恥ずかしくてたまらなかったのだ。

 「も、もういいですかぁ?」

 「はい!お疲れ様!契約書作るから、外出たら少し待っていて!」

 「はぁ?」

 

 レコーディングルームの分厚い扉が開き、出てきた先には驚いた顔の綾乃達が待っていた。

 「すごい!水瀬君って!」

 若手の歌手として当代随一、“歌姫”の異名を恣にする綾乃も水瀬の実力には敬服した様子だった。

 「せ、瀬戸さぁん。助けて……僕、人前で歌ったのなんて経験あんまりないんだよぉ」

 「うふふっ。慣れれば大丈夫」

 「慣れたくなぁぃ(号泣)」

 



 「ま、大変だったわね」

 「お姉さんの薄情者、イジメだぁ」

 半泣きの水瀬がようやくのことで食堂に戻ってきたのは、かなり後のことになる。

 ついていった理沙に帰り際、幼児化した水瀬が文句を言いっぱなしだったのは別の話。

 「ま、確かにあれならデビューさせてみたいって思うのは人情よ」

 「知らないもん」

 

 食堂に入って、水瀬達が出くわしたのが、騎士警備部の騎士達と女生徒達、つまり、警備についていた全員。


 「あっれぇ?」

 「水瀬君?」

 女生徒達が驚いた表情で水瀬を見ていた。

 「あ、あれ?百瀬さん達、どうしてここに?」

 「だって、水瀬君が交代するから休めって通信が」

 「警部補、確か水瀬君と共に警備につくと無線連絡がありましたが」

 「交代?僕、そんな指示受けていないよ?い、今、誰が瀬戸さんの警備に?」

 全員の顔色が変わった。

 

 「今どこ!?」

 「10階の楽屋!」

 水瀬達が全力疾走で階段を一気に駆け上がる。

 周囲への被害なぞ、この際どうでもいい。

 

 「瀬戸さん!」

 扉をあけた先には、驚いた表情のマネージャーがいるだけ。

 しかも、仕出し弁当を口に運ぶ途中で凍っている。

 「瀬戸さんは?」

 「い、今、お手洗いに」

 「行って!」

 

 水瀬の指示に女生徒のみならず、警備部の騎士達までもがとっさに動く。

 トイレは無人。

 全員が手分けして探すことになった。

 

 ―まずい。

 

 水瀬は内心で自分を呪っていた。

 うかつすぎだ。

 僕は何でこうもトラブルに巻き込まれるんだろう。

 

 いくつかの角を曲がった時、大きなケースを乗せた台車を押す4人組にすれ違った。

 “クリーニングの大津”と書かれた台車を押すのは、中年の男達。先に女らしき二人が歩く。全員、作業着に帽子姿で、特に不審なところはなかった。

 

 クンッ

 

 例え水瀬といえど、この時に“匂い”に気づかなければ、永久にチャンスを失っていたろう。

 だが、偶然にも水瀬はその“匂い”を感じ取るコトが出来た。

 

 「――待って」

 4人組の前に回り込んで制止する水瀬。

 手にはスタンブレードではなく、霊刃が握られていた。

 「中を見聞したい。現在、当方は警視庁騎士警備部の指揮下にある。拒否する場合、公務執行妨害と同様に―」

 こういう時のためにと教えられた警告を、水瀬は最後まで口には出せなかった。

  

 ギィンッ!!


 同様、までしゃべった時には、霊刃が相手のナイフを受け止めていたからだ。

 正しくは、ナイフタイプの霊刃。刃の部分だけ霊刃となるよう、加工されたタイプだ。

 つまり、彼女が魔法騎士だということでもある。



 ギリッ

 

 「行け!ここは押さえる!」

 水瀬と鎬を削る女の鋭い声に、男達が台車の上の袋を担ぎ上げて駆け出そうとする。

 「待ってったら!」

 そこを、水瀬の放った魔法の矢が襲う。

 互いに騒ぎが大きくなることを嫌い、大がかりな魔法を使うことを避けるために最も基本的な魔法の矢による攻撃とならざるを得ないとはいえ、大気をプラズマ化させるほどの熱量を持つ魔法の矢が放たれてもスプリンクラーが作動しないところをみると、彼女たちはいろいろ細工してくれたらしい。

 ガンガンガンッ

 あちこちから金属音がした所から考えると、どうやら防火壁を閉じたらしい。

 逃走経路以外の防火壁で追っ手を阻止するつもりなのだろう。

 さっさとケリをつけたい。

 騒ぎの火消しはお姉さんに頼むことにしよう。

 納めた税金分は働いてもらわなければ。

 

 まずは、男を始末することにしよう。

 女は、その気になればいつでも殺せる程度にすぎないし。


 「ちいっ!」

 女は水瀬の魔法攻撃を防御魔法で男を庇いつつ、魔法の矢と霊刃で反撃してくる。

 彼女に言わせると、“こんな狭いところで下手な魔法を使えば、こちらの被害もどうなるかわかったものじゃない”と、水瀬より余程現実的な判断に基づいているのだが。

 だが、彼女は正直焦っていた。

 彼我の実力差は圧倒的だ。

 全く勝てないことは、他人に言われるまでもなく、彼女自身がわかりきっていた。


 とにかく、あいつが逃げてくれれば任務には成功する。

 そう。それだけでいい。

  私のことなどどうでもいい。

 最悪、私にはこれがある。

 無意識に手がポケットの中のスイッチに行く。

 押せば腹部に巻いた高性能爆薬の束が爆発する。このフロア位なら吹き飛ぶほどの―

 


 双方が魔法の矢を放ったのはほぼ同時。

 しかし、その数は水瀬の方が圧倒的に多い。女は自分の放った矢をわざと爆発させ、矢の誘爆を誘うが、矢は何本となく、爆発をかいくぐって襲ってくる。

 「くっ!」

 楯の形成が間に合わない!

 バンッ!

 女が魔法の楯を展開する前に魔法の矢が彼女の目前で爆発。

 後ろにいたもう一人の女を巻き込む形で床に叩きつけられた女の頭から帽子が吹き飛ばされ、細い細工物のような美しい金髪がこぼれ落ちる。

 女はそれにかまう事なく、魔法の攻撃をかけてくる。


 「はぁぁぁっ!」

 魔法の矢とタイミングをあわせて水瀬に突撃、跳躍して防御魔法の真上をかいくぐり、水瀬を狙う攻撃。


 違う。


 水瀬の直感は鋭い警告を発していた。

 

 真下

 

 床の建材に魔力を通し、真下から床材の破片が水瀬に襲いかかる。

 真っ正面からの魔法の矢を防御魔法で弾いた所を、上からの攻撃を受けた水瀬は、対抗する魔法を放つと同時にとっさに後ろに飛び退けて難を逃れたが、一瞬の判断を誤れば、挽肉になるところだった。


 女も、反撃は覚悟していたらしい。

 水瀬の攻撃もまた、攻撃は防がれていた。

  

 ―まずい。この人もかなりの使い手だ。


 ここで瀬戸さんをさらわれるのはまずいけど、この人にもいろいろ聞かなくちゃならいなみたいだ。

 

 ――なら。


 水瀬は魔法の矢を10本作り上げ、一気にそれを放った。

 狙いは女ではなく、荷物を抱えて角を曲がろうとする男だ。

 女の防御魔法が魔法の矢から男を守るが、男は突然、つんのめって前に転んだまま動かなくなった。

 「何!?」」

 「光ったモノだけが魔法攻撃じゃないよ」

 「なっ!!」

 男に気を取られていた女は、水瀬が自分の懐に飛び込んでいることに気づくのが遅れた。

 

 ガツッ

 「ぐっ!」

 作業着の下に着込んだ防御服がなければ内蔵が破裂したろう水瀬の霊刃の一撃が鳩尾に決まり、女は崩れ落ちる。

 

 女の胸からこぼれ落ちた、奇妙な細工がされたロザリオが水瀬の目にとまった。

 

 

 

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