呪われた姫神 その7
綾乃の家を辞した後、水瀬は歩きながら考えを巡らせていた。
由里香には言わなかったあの時のこと。
誘拐された時、綾乃は右腕に軽い切り傷を負った。
絆創膏でも貼っておけばなおる程度だったが、水瀬はそれを治癒の術でなおそうとして、そして、出来なかった。
その光景に、水瀬は戦慄した。
治癒の力が、綾乃に触れるか否かのタイミングで「消滅」したからだ。
―え?
何度やっても結果は同じ。
術に失敗したか?とも思ったが、間違いなく力は「消滅」してることを水瀬も認めざるをえなかった。
中和現象―――
魔法には、使い手によって独特の波長があり、波長が全く同じ者は原則として存在しないことになっている。
では、仮に同じ波長を持つ者同士が存在していたとして、その者同士が戦ったらどうなるか。
現実に存在しないことになっているから、仮定の域を出ることはないものの、この場合、互いの力が中和され、結果として力は消滅することになる。
それを、中和現象という。
ありえない。
水瀬は自分に言い聞かせるように、口の中で何度も呟いた。
絶対にあり得ない。
いや、あってはならないことだ。
なぜか?
魔法を使う者の力が強ければ強いほど、波長も強くなる。
当然ながら、水瀬の力を消滅させるほどの波長を持つなら、それは―――。
家に戻る途中の水瀬は、足を止め、空を見上げた。
都内某教会内執務室
「瀬戸綾乃の誘拐に失敗したことは知っている」
革張りの重厚な椅子から立ち上がり、いらだたしそうな口調を隠そうともしないのは、牧師姿に身を包んだ背の高い男だった。
「は……」
対して神妙な顔で男の様子をうかがうのはシスター姿の女性。
金髪の碧眼の上に整った美しい顔立ちが人目を引く。
「で?いつ、再開するというのかね」
「現在、瀬戸綾乃は自宅におりますが、警察の監視が厳しく」
「言い逃れは聞きたくないな。私は、いつ再開するのかと聞いているのだ」
「……」
「イーリス、私が何のために君に白銀兵団を貸していると思っているのかね?彼らをピクニックにでも連れて行けとでも、私に命じられたというのか?」
「……いえ」
「10日だ」
「……」
「それが最大の譲歩だ。手段は問わない。あの娘を手に入れてこい。いいか?もう一度言う。あれは人ではない。人ではないからこそ、今回の召還計画には必要不可欠な存在なのだ。教団のため、犠牲は厭うな!」
「―――全ては、神の御為に」
「そうだ。期待しているぞ。イーリス」
都内某所 天野原骨董品店
「おお。水瀬ではないか」
ガラクタ(神音曰く『商品』)の間からひょこっと顔を出したのは、店番の神音だった。
「こんにちわ。かのん。店長は?」
「おお。奥にいらっしゃるぞ」
「通るね?」
ガラクタを器用に避けつつ、奥の部屋に入る水瀬。
ギイッ
黒光りした年代物の扉の向こうは、店と同じくらいの広さの書斎になっていた。
執務机に座るのは、先ほどの神音と同じ顔、同じ姿の女の子。
「これ。悠理ったら、ノックくらいしなさい。レディの部屋ですよ?」
「ごめんなさい。神音(かみね)おばあちゃん」
バツが悪そうに頭を下げる水瀬に、神音と同じ姿の女の子は優しく言った。
「いらっしゃい。どうしたの?珍しいじゃない。どれ、お茶でも入れてあげましょう」
「召還獣の件ではお世話になりました。」
ソファーに腰を下ろしながら礼を言う水瀬の前に、気が付けば、どこからか出したのか、紅茶が置かれていた。
「いえいえ。私も驚いたわよ。よもや獣を入れておく時空の網が破れていて、その中に妖魔が紛れ込んでいたなんて」
「召還獣は妖魔達にとって格好のエサですからね。ま、よく妖魔を召還できたって感心はしましたけどね」
「やっぱり、私の製品は間違いないわよ?」
「……そのおかげで僕がどれだけ―――」
「はいはい。で?聞きたいのは、あの綾乃っていう女の子のこと?」
「え?」
「シルフィーネ、いえ、遥香さんから連絡が来てますよ?どうせ悠理が行くから面倒見て欲しいって」
「はは……」
「ま、いいわ。結論から先に。悠理、あの子にあなたの魔法は通じません。ただ、剣なら間違いなく殺せます」
「いえ、別に殺したいわけじゃ」
水瀬は、綾乃が敵と勘違いされていると笑って済ませようとしたが、神音の口調は冷酷な程、真剣なものだった。
「殺しなさい」
「―――え?」
「あれはあってはならない存在です。野放しにすることは、魔界にとっても、ひいては天界にとっても、困ります」
「おばあちゃん?」
「だから、殺しなさい」
「……どういう、ことですか?」
「魔界の機密事項ですから答えられません。あなたは自分の生来の職務を全うする意味で、あの子を殺せばいいの」
「できません」
「……だめ?」
「だめです」
「どうしても?」
「どうしてもって……」
じっと見つめ合う二人だが、不意に神音の方がため息混じりにソファーにぐったりと寄りかかりながら言った。
「簡単に言えば、あの子は、あなたの『対』なのよ」
「対?」
「あなたに対抗する意味で作られた存在といえばわかるかしら?」
「それが、なぜ人間界に?」
「そのきっかけが、あなたが関わっている事件の発端なのよ。何がどうなったかなんて、誰にもわからないわ。ただ、あの娘の母親が、あの子の基を自らの胎内へ召還してのけたっていう、もう信じられないことがあったという事実だけが全てよ。わかるでしょ?その存在の異常さ。厄介さが」
「じゃ、瀬戸さんは……」
「遥香が生まれたときから3年がかりで調べた結果よ。わかるわね?この意味」
「そんな……」
それは、水瀬にとっては信じられないことだった。
いや、信じたくない。
信じたくないから、
否定してもらいたくて
ここに来た。
それなのに
「あの子は、あなた同様、ただの人間じゃないわ。―――ううん」
「あの子は、あなたと同じなのよ」
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