お姉さんはお好きですか?

お姉さんはお好きですか?

桜井美奈子の日記より


 お昼休みのことだ。

 「ええ〜っ!?水瀬君、大丈夫ぅ!?」

 未亜の騒がしい声が教室中に響き渡った。

 見ると、水瀬君が左腕を押さえてうずくまる横で、未亜がおろおろしていた。

 「どうしたの?」

 「な、なんだかわかんないけど、驚かせようとしたら……」

 痛さをこらえている水瀬君の左腕には赤い筋が走って、床に赤い塊が出来ている。


 血だ。


 水瀬君、声が出ないらしく、歯を食いしばったまま。

 「あんた、何かしでかの!?」

 「何もしてないよぉ……」

 「水瀬君、ちょっと見せて」

 傷口は火傷のそれ。かなり深くて、肌は焼けてるし、傷口から血が流れていた。

 「保健室行かなきゃ!保険係は?」

 「も、持ち回りは私だよ?」

 「未亜、あんたじゃいないほうがいいけどね。ま。手を貸して」

 

 ◆保健室

 「かなりの火傷というか、ヘンなケガねぇ。止血はしたけど、医師の手当てが必要よ?」

 水瀬君が保険医の三千院先生に包帯を巻いてもらっていたら、瀬戸さんも駆けつけてきた。

 やっぱり、心配なんだな……。

 「で?どんなイタズラした結果なのかしら?」

 三千院先生の視線の先にいるのは、水瀬君じゃなくて未亜。

 やっぱり、先生、わかってる。

 「べっ、別にぃ。……た、ただぁ、水瀬君が腕まくりしてたから、”色が白いね”って腕を掴んだだけだよぉ!」

 「べ、別に未亜ちゃんが悪いワケじゃないです」

 水瀬君が未亜を庇う。

 「といってもねぇ」

 三千院先生は納得できないという顔だ。

 「例えば、加熱された鉄板に触れたとか、送電中の電線に触れたとか、それ位しないとなるもんじゃないわ。皮膚が解けちゃってるでしょ?その上、皮膚が破けて出血してるし。火傷とは限らないわね。こんなケガ、はじめて見たわ。とにかく、これ、しばらく後残るわよ?」

 せっかく色白で綺麗な肌なのに……って残念がる先生。

 それを聞いた私と綾乃ちゃん。

 無言で頷き合うと、

 まず、未亜の後ろに回った綾乃ちゃんが未亜を羽交い締めにする。

 綾乃ちゃん、華奢だけど力はかなり強い。

 未亜も全力でふりほどこうと暴れるが、万力に押さえつけられたように動けない。

 「に、にゃあ!?あ、綾乃ちゃん!わ、私、ソッチの趣味はないんだけど!」

 「バカ言ってないでおとなしくなさい!」

 ペシッと未亜をひっぱたいて黙らせ、腕を見る。

 特に何かが腕に仕込まれているようには見えない。

 ただ、銀の指輪があるだけだ。

 「腕に何を仕込んでるの?」

 「仕込んでないぃ!」

 「この銀の指輪から魔法でも―――」

 「原因、それ」

 「へ?」

 水瀬君の一言に、皆が驚いて水瀬君を見た。

 「僕、銀ってダメなんだ。触れるだけでこうなるの。治るの遅いから大変なんだ」

 未亜ちゃんは、悪くないよ。と、フォローを入れた水瀬君だけど、銀で火傷するなんて、あり?

 「しょうがないよ。そういう体質なんだから」

 「どういう体質よ……」

 「うーん。魔族に銀が効くって聞いたことはあるけど、人間の症例は聞いたことがないわ」

 って、三千院先生も不思議がっていたっけ。


 

 ◆翌日の朝


 今朝の教室での話題は二つ。

 一つが騎士養成コースの生徒達の測定結果を巡って。

 もう一つが、昨晩、都心で起きた大規模な爆発事件の話題。

 

 測定結果っていうのは、メサイアの操縦能力値のこと。

 SMDというらしい。

 メサイアを操縦する際の能力を測ったものだというけど、私にはよくわかんない。

 この力が高いと、他の能力値が低くても、メサイアを保有する所、つまり、皇室近衛騎士団に採用されるかもしれないから、特にメサイアに乗りたい場合、いわば人生を左右されかねない、大事な能力値らしい。

 その測定結果が、今日、生徒各自に告げられるというのだから、そりゃ、わからないでもない。

  

 もう一つは、六本木で起きた爆発事故。

 大きなビル一個が半壊。なんでも、有名な銀のアクセサリーを販売しているお店が吹き飛んだというんだ。ブランド物の銀のアクセサリーはほぼ全滅。被害総額は十億円じゃ効かないという。

 なんでも、第三種事件の結果らしいけど……。

 

 「ほら!席につけ!」

 教室に入ってきた南雲先生の大声でみんなが席につく。

 南雲先生は、入って来るなり、黒板の”欠席”の欄に水瀬君の名前を書き出した。

 「先生?水瀬君はどうしたんですか?」

 「事故だ。しばらく入院のため欠席する」


 詳細はなにもわかんなかったけど、とにかくみんなでお見舞いに行くことにした。


 ただ、未亜の掴んだ出所の怪しい情報を鵜呑みにすると、次のようになるらしい。


 ◆未亜ちゃんの怪しげインフォメーション◆

 怪しげな情報1.水瀬君は、昨晩のあの爆発事件に居合わせていた。

 怪しげな情報2.爆発の際、銀の装飾品が破片となって水瀬君を襲った。

 怪しげな情報3.それにより、水瀬君は重傷を負った。

 

 ……ま、本当だとしても、水瀬君は認めないだろうし、肝心なのは、水瀬君のお見舞い。原因の追及じゃない。

 

 放課後、南雲先生に教えてもらった水瀬君の入院先は、何と宮内省近衛府付属病院。

 お父さんが近衛の人だから、きっとその絡みだろう。

 女子は私と瀬戸さん、未亜といういつもの面々。

 さらに今回は、男子が二人。

 「ま、あのバカ、何しでかしたのやら」という羽山君。

 「ケガの程度がわからん。心配だな」とは秋篠君の台詞だ。


 羽山光信(はやま・みつのぶ)君。

 顔はモデル級、背も高いし、頭もいいし、運動神経も抜群。

 気配りもきくタイプで、しかもかなりの硬派でクール。

  ケンカの実力もかなりのもので、草薙君とも引き分けまで持ち込んだって聞いている。

 ”熱血番長”草薙君の対局にいるような”ワイルド&アイス”タイプだから、学年を問わず、かなりモテる。

 現在、彼女なし。申し込みだけは後を絶たないらしいほど。


 ここまで書くと非の打ち所のない好人物なんだ。

 

 だけど、そんな好評を打ち消す位、とにかく口が悪い。

 本人に悪気はないらしいけど、ニヒルっていうか、毒舌吐かないと気が済まないんじゃないかって気がする。

 水瀬君の事故を先生に告げられた時も、その毒舌ぶりに呆れるしかなかった。


 死んだか。


 開口一番、これだもん。

 生きてるって。


 アイツはいいヤツだった。


 そう?


 ああ。どうでもな。


 だから、生きてるって。それ以上言うと、瀬戸さんに殴られるよ?


 黙っていてくれ。


 こんな具合だから、水瀬君にとっては口ケンカ友達に近い。

 秋篠君と三人で”三バカトリオ”っていったら、失礼かな?やっぱり。


 お見舞い行く?

 ―面倒だが、行ってやろう。

 ……やっぱり、心配してるみたい。


 「で?二人とも、今日の結果は?」

 「ぁ?ああ、SMDのことか?」

 羽山君と博雅君がちらりとお互いを見て言った。

 「オレがA+、秋篠がAAだとさ」

 「それってスゴイの?」

 「何か、ここ5年以内でA以上の男子生徒って俺達だけらしいけどな」

 「先生達も騒ぎになってたよ?ようやく近衛採用者を送り出せるって!」

 興奮気味の未亜だったが、羽山君は冷静っていうか、醒めていた。

 「くだくねぇ」

 吐き捨てるようにそう言うと、見舞いのケーキの箱を手に、病院の入り口をくぐる羽山君。

 「騎士の仕事なんかに興味はない。オレは大学で博物学やるのが夢なんだ」

 「もったいなぁい……」

 「それでいいんだよ。秋篠だって、騎士としてここ来るより、宮内省雅楽部部員として来たいってクチだろうが」

 「ま、それはそうだ」

 そっか。やっぱりみんな、夢はあるんだなぁ……。


 受付で部屋番号を聞いた後、みんなで病室へ。

 「B棟の451号室って……ああ。ここだな」

 プレートの数から2人部屋らしいけど、水瀬 としか書かれていない。


 コンコン。


 羽山君、ドア蹴破るかと思っていたけど、一応、ノックする辺り、常識人らしくて安心。

 「どうぞぉ……」

 水瀬君の声がした途端、ドカンッ!て音がして、ドアが乱暴に開かれた。

 羽山君が蹴り開けたからだ。

 「水瀬!事故かますとは笑わせてくれるな!茶菓子持ってきてやったぞ!おう、茶くらいだせ!」

 「羽山君!」(×2)

 彼が私と綾乃ちゃんのダブルツッコミを受けたのは当然のことだ。

 「あ、見舞い、来てくれたんだ……」

 ベットの上の水瀬君はパジャマ姿。見ただけじゃ傷の程度はわかんないけど……。

 ただ、なんだかさっきから、妙にモジモジしてる。

 「傷、痛むのか?」見舞いの花を置いて、博雅君が心配そうに訊ねる。

 「そ、それほどじゃないけど……」

 よく見ると脂汗流している。

 「ちょっと待ってろ、看護婦を!」

 「あ、待って!」

 ピッ

 博雅君がナースコールを押す。

 数秒後。

 『ナースステーションです』

 「451号室の水瀬です。患者の様子が」

 『すぐ参ります』


  ホントに数秒後、入ってきたのは、

 「やっほぉ!ゆ・う・り・く・ん?とうとう年貢の納め時かなぁ!?」

 入ってきたのは、不思議とテンションの高い看護婦さん。

 かなりの美人で、しかも巨乳。

 その看護婦が、指でくるくる回しているモノ……。

 それは―――。


 溲瓶(しびん)。


 「――ん?」

 看護婦さん、私達の姿に気づいたらしい。

 「へぇ?何?お見舞い?」

 「は、はい」

 「へぇ……」

 じろじろと私達を値踏みするように見つめたあと、看護婦さんは、水瀬君の耳元にささやくように言った。

 「カワイイ娘達ばかりじゃなぁい?ねぇ、悠理君?で、誰が彼女?それとも、全員?やるわねぇ。お姉さんなんか、眼中にないか。ちょっと、寂しいぞ?」

 「ち、ちちちちが」

 水瀬君、なんだか知らないけど、妙にもじもじしてるし……。

 「もう。我慢しなくていいの。お姉さん、慣れてるんだから」

 「おい」

 ポンッと肩を叩かれて振り替えると羽山君がドアを顎でしゃくりながら言った。

 「10分くらいしたらまた来る。さっさと済ませろ」

 「で、でもぉ……」

 水瀬君、まさか……。

 「にゃあ?水瀬君、シビンが恥ずかしいのぉ?それとも、シビンに入らないのかなぁ?」

 「未亜っ!」

 一応、突っ込んでおくけど、あのサイズなら、どんな……その、”男の人”でも、入るよ……ね?

 どうなんだろ。

 「あっはっはっ!そうかもねぇ。ほらっ。悠理君?」

 看護婦さん、爆笑しつつ水瀬君を促すけど……。

 「水瀬、覚悟決めろ。一時の恥だ」

 「う……ううううっ」

 「それとも、瀬戸さんにでも頼むつもりか?」

 「……お願いします」

 

 看護婦さんは、羽山君にニコッと微笑むと、言った。

 「キミ、いい子ね?ありがとう」

 「……」

 羽山君は無言で私達を促して病室から出たけど、何故か、顔が赤かった。

 待合室に移動する間、ずっと「へぇぇぇぇ」っていう、未亜の意地の悪そうな言葉と視線を受けた羽山君、ペシッて未亜の頭に一撃喰らわせていたけどね。

 




◆待合室


 「にしても、水瀬君、何我慢してるのかと思えば」

 「しかたねぇだろ。アレはなぁ……」

 ソファーにぐったりともたれかって足を組む羽山君。

 みんな、ソファーに座っているけど、一番、態度がデカい。

 でも、何だか心は上の空って感じ。

 「やっぱり、恥ずかしいモノなの?」

 「水瀬だって、外見お子ちゃま、精神年齢三歳児つっても、やっぱり、恥ずかしいだろ。そりゃ」

 「にしても、きれいな看護婦さんだったねぇ」

 「……ああ」ポツリと同意する羽山君。

 「美人で明るくて」

 「……ああ」

 「しかも巨乳」

 「……ああ」

 「惚れちゃった?」

 「……ああ。って!?」

 羽山君、やっと気づいたみたい。

 「にゃぁ?そっかぁ、羽山君って、ああいうの好みだったんだぁ」

 「テメエ信楽!ちっと待て!」

 「きゃぁ!犯されるぅ!」

 

 よりにもよって病院の待合室で追っかけっこだ。

 羽山君と未亜が、看護婦さんに叱られたのは当然のことだ。

 その間、私達は全力で他人のフリ。

 こっちも、まぁ、当然のことだ。

 

 5分後。

 「そろそろいいかな」と秋篠君。

 「そうだな。いくらなんでも終わってるだろう」

 「あの看護婦さん相手だから、もう少しかかるんじゃない?」

 羽山君にヘッドロックされて頭をぐりぐりされた未亜が性懲りもなく、そう言った。

 「あ?」

 「ほら、水瀬君、おしっこ以外のモノまで出してるかもしれないじゃん」

 「こらっ!」

 

 頃合いを見計らって見舞いにもう一度、病室を訪れた。

 丁度、あの看護婦さんが包帯を取り替えている所だったけど、水瀬君、かなりのケガ。

 火傷用のクリームがびっちり塗りつけられているし、取り替えられた包帯も血がにじんでいる。

 やっぱり、かなり痛いらしい。

 瀬戸さんも真っ青になっていたっけ。

 「大丈夫。男の子だもん。ね?悠理君?」

 看護婦さんが、子供をあやすように言っていたけど、何でこうも水瀬君って、こういう台詞を言われるのが似合ってるんだろう。


 私達はずっと、水瀬君の怪我ばかりに目がいっていたけど、羽山君だけは見ている場所が違っていた(^_^) 

 なんのかんのといってたら、面会時間が終わり。

 また来るね。と約束して病院を後に。


 ◆翌日

 「誰か、水瀬の所にプリント持って行ってくれないか?」

 という先生。瀬戸さんは仕事で休み。私かなと思ったけど

 「お、羽山か?じゃ、頼む」

 振り替えると、羽山君が手を挙げていた。

 その時は、まさか羽山君が、毎日プリントだのなんだのを届けに行くとは、思っても見なかったけど……。

 

 ◆4日後

  病室

 

 「うん。羽山君、よく来てくれるよ?」

 放課後、お見舞いに行った時、この話をしたら、水瀬君はそれを認めた。

 「意外でしかないけど、やっぱり、心配してるんだね」

 「違うよ」という水瀬君。

 「へ?」

 「羽山君のお目当ては、涼子さんだよ」

 「誰?」

 「白川涼子、あの看護婦さん」

 「あの、妙に軽い?」

 「そう。あの人。今日も来てるけど、ナニしてるのやら」


 ◆病院内、給湯室

 瀬戸さんから聞いた話。

 私が帰った後に見舞いに来た瀬戸さんが、お見舞いの花を生けに給湯室に行ったら、羽山君とあの看護婦さんが話していたという。


 「そうなんだ。キミ、マジメなんだね」

 「そ、そんなことないです」

 「うふふふっ。謙遜して」

 「ま、オレ、騎士ですし」

 「え?あ、キミ、騎士なんだ。じゃ、もう進路決めてるの?」

 「え?い、いやまだ……」

 「近衛入れたら、怪我しても看病してあげるからね?」

 「あ、じゃ、オレ、近衛入ろうかな」

 「うふふっ。なぁに?仕事より私に看病されたいっていうの?」

 「あはははっ。怪我はヤダけど、白川さんの看病なら受けたいかも」

 「ふふっ。いいわよ?お姉さんがきちんと看病してあげますからね?」

 この後、看護婦さんに頭をナデナデされて喜ぶ羽山君が、何だかかわいく感じたと、瀬戸さんは語っていたけど……。

  

 ◆病院リネン室

 「あら?」

 水瀬の洗濯物を運んできた綾乃だったが、意外な人物に出くわした。

 涼子だ。

 「あら?偉いわねぇ。ボーイフレンドのお洗濯?」

 「え、ええ。まぁ、そんな所です」

 「あっはっはっ。頬が赤いぞぉ。いいなぁ。純情な娘って」

 「あ、はあ……」

 「あ、そうだ」

 涼子は思い出したように、ぽんっ。と手を打って綾乃に言った。

 「あの部屋ね。実は防音なんだよ?」

 「防、音?」

 「そう。だからね。ナニしても外に漏れないから大丈夫。ベットもあることだし」

 「あ、あの、その、一体、ナニを?」

 「だからぁ、ナニの話」

 クスクス笑う涼子と、真っ赤になってうつむく綾乃。

 「ホントからかいがいがあるなぁ。悠理君が熱心なワケだ」

 「……」

 「じゃ、ここでお姉さんがいいこと教えてあげましょう」

 「いいこと?」

 

 「あのね?」


 耳打ちされる内容を、しばらく綾乃は理解できなかったが……。

 出来た途端、”綾乃ちゃんの妄想劇場特別版”が開幕し―――。


 

 ◆病院内廊下

 ヅカヅカヅカ

 廊下を歩く綾乃を見た途端、廊下にいた全員が、手近の部屋に逃げ込んだという。

 

 ――悠理君、顔はあんなんだけど、スゴいんだよ?

 

 向かう先は、水瀬のいる病室。

 

 ――看護婦の間じゃね有名なんだから。


 綾乃の目は怒りに燃えていた。


 ――悠理君狙っている看護婦って結構いるのよ?

 

 綾乃独自の”妄想語”に翻訳された言葉が妄想劇場に流れる。

 

 ―――”アレ”で看護婦はメロメロよ?私もその中の一人だけど。 

 ―――悠理君、スゴイんだもん。昨日も私、(自主規制により削除)


 妄想劇場はさらにエスカレート、もう文章を公表できないレベルをぶっちぎっていた。

 

 許せない!


 バキィッ! 

 突然の音に驚いた水瀬の目に病室のドアを引きちぎった綾乃が飛び込んできて―――。


 「綾乃ちゃん!僕けが人!ついでにここ病院!」

 「死亡診断書がすぐ発行できるんです。よかったですね」

 水瀬の命乞いは、綾乃に聞き届けられるはずもなく……。

 病室の白い壁に朱色の模様が浮かび上がった。

 

 「……はぁ」

 今日も渡せなかった。

 手にした封筒と病院を交互に見つめつつ、羽山はため息をつく。

 ――何度もチャンスはあったはずなのに、どうしてこうなんだろう。

 ――いや。違う。

 羽山は思う。

 ――ようは、当たって砕けろだ。あんな美人が、オレみたいなのをまともに相手してくれるはずはない。でも、やるだけやってみよう。

 

 「よしっ!」

 羽山が気合いを入れた途端、ガラスの割れる音がして、空が暗くなった。

 「―へ?」

 


 

 ◆翌日 病室

 

 「あっはっはっ。ゴメンねぇ」

 笑って手を合わせる涼子と、全てを白状して赤面してうつむく綾乃。

 恥ずかしさのあまり、病室の修理代の請求書を握る手に力がこもる。

 「だって、悠理君、顔に似合わずホントに大きかったからびっりしちゃってぇ!でね?もうみんなにしゃべっちゃって。ホントごめんなさい。もうしません!」

 「……」

 「にしても、キミ、綾乃ちゃんだっけ?すごいことしたわねぇ」

 自分のしでかしたことを思い出し、綾乃も耳まで真っ赤になっていた。

 「―――ま、そこまで想われているなら、男冥利につきるでしょ?ね?悠理君?」

 「……」

 4階の窓からベットごと地面に投げ出された結果、全身包帯だらけの水瀬は、しゃべることすら出来ず、ただ涙するだけ。

 「このド阿呆」

 何故か、水瀬の隣のベットには、羽山が横たわっていた。

 ベットごと窓から放り投げられた水瀬が、偶然、下を歩いていた羽山を直撃したからだ。

 ちなみに羽山も全治2週間の重傷だ。

 「お前の痴話げんかのとばっちりを、何でオレが受けなきゃならん」

 せっかく、意を決して涼子さんに告白に来て、ベットの下敷きなど、冗談ではない。

 

 そこまで考えて、羽山は青くなった。


 つーか、あれ?手紙は?


 羽山は学生服を探して動こうとするが、それを止めたのは涼子だった。

 「まぁまぁ。キミも。お姉さんの看病が、こんなに早く受けられたんだから」

 涼子は、優しく頭をなでながら、そう言った。

 「それだけは嬉しいですが、わりにあわない気が……」

 「うん。よくなったら、デートしてあげるから、ね?」

 「は、はいっ!」

  

 

 「あ、そうだ。羽山君」

 何故か、仕切のカーテンを閉めた涼子が、そっと羽山の耳元に口を近づけて言った。

 「手紙、読んだよ?」

 「え゛?」

 どうして、彼女の手元に!?

 まともに涼子の顔を見ることができない羽山。

 さすがは年の功、涼子がリードするかのように耳元でささやいた。

 「ふふっ。お姉さんでいいの?」

 「は、はい……」

 「じゃ、私でよければ、お願いします」

 「こ、こちらこそ」

 「それとね?」

 「はい?」

 「キミ、近衛に入りたいって、言ってたよね?」

 「え、ええ。まぁ……」

 「さっきね?採用課の人、来ていたから話しておいたよ?そしたら、歓迎するって。書類、かわりにサインしてあげたからね?」

 チュッ。

 一瞬、音と共に頬に伝わる暖かい感触に、羽山は生きてることを、生まれて初めて、神に感謝したというが……。 

 

 明光学園卒業後、羽山、近衛騎士団右翼大隊配属。

 後、実戦部隊配属。

 ことある事に入院し、その都度、新妻となった涼子の世話になるのだが……。

 

 なんつーか、合掌。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る