壊れたココロ その7


「さて」

 

 目障りな邪魔者がいなくなった恵美子は、鷹揚な態度で新井達に言った。

 「顔を見られた以上、生かしておく訳にはいかない」

 「恵美子……くそっ!」


 ここで俺が殺されるのは、まぁ、いいだろう(ホントはヤだけど。)

 だが、この子まで巻き込むわけにはいかない。

 なんとかこの子だけでも逃がさないと−


 新井は美奈子を抱きかかえ、一目散に逃げに打ってでようとして−。


 グンッ


 「なんだと−?」

 それが出来ない現実を認めざるを得ない自分に気づいた。


 いつの間にか、新井の右足には長い何かが巻き付き、動きを封じられていた。

 「な、なんだ?」

 一瞬、紐かと思ったそれには、生理的な嫌悪感を感じずにはいられないグロテスクな模様が刻まれ、それ自体がうごめいていた。

 「−ひっ」

 それが何か気づいたのは、美奈子の方が早かった。


 ヘビだ。


 「畜生め!」

 新井はスタンブレードを抜くと、ヘビ目がけて振り下ろす。

 が、

 ガチンッ!

 という金属音がしてブレードがはじき返された。

 生き物相手に剣を振り下ろし、

 金属音と共に


 弾き、返された−?


 「な、何?」

 新井は、呆然として弾かれたスタンブレードの刀身を見た。

 例え、ハードラバー製で殺傷力は低いとはいえ、スタンブレードの使用者に法律で禁止されている技がある。

 それが突き技。

 刀剣の形状をとる以上、この攻撃だけはどうしても本物に近い殺傷力がある。

 本物にやや劣る程度の一撃を、弾かれたというのか?


 −こいつだって、生身だろ?

 だったら、サイコブレードを、金属みたいな感じではじき返すなんてこと、あり得ないことだ。

 いや、あってはならないことだ。

 そのはずなのに−。

 

 その一瞬の油断が、新井をさらなる危機へと追いやった。

 「そんなオモチャが効くわけないだろうが」

 すぐ間近でした恵美子の声。

 見上げると、恵美子が立っていた。

 もう、逃げられない。

 「くっ−」


 よく考えてみれば奇妙なものだ。


 今まで、恵美子に様々な感情を持ったことはある。


 愛情、思慕、怒り、哀れみ、悲しみ−。


 だが、たった一つだけ持ったことのない感情があった。

 


 それは、恐怖−。


 

 それが今や、新井の心を支配していた。

 「くそぉぉぉっ!!」

 それから逃れるように、新井はスタンブレードを恵美子目がけてつきだした。

 「−ふん」

 恵美子は鋭い一撃を軽く受け流し、そのつま先で新井の顎を蹴り上げた。

 「ぐっ!」

 新井の体がのけぞり、宙を舞った後、頭から地面に落ちる。

 「先輩!」

 「お前風情が私に刃向かうなど、考えるだけ無駄だ。馬鹿者が」

 「先輩!どうなっちゃったっていうんですか!?あんなに優しかった先輩がなんで−」

 新井に駆け寄った美奈子の叫びに、きょとんとする恵美子。

 「優しかった?」

 「そうじゃないですか!中学で私達、どんなに助けられたか−」


 「優しかった−か」


 「先輩、元に戻って−」

 美奈子の目には大粒の涙がうかんではこぼれていった。


 「あの時、この娘も似たようなことを口にしていたな」


 訳のわからないことを言う恵美子の姿に、美奈子の混乱は増すばかりだ。

 

 「圭ちゃん、やめて。なんでこんなヒドイコトするの?とな−ん?」

 

 じっと新井を見つめた恵美子は、感心したように言った。


 「そうか。お前が圭ちゃんとかいう奴か。なるほど」


 グッ


 新井の胸ぐらを掴んで視線を合わせる恵美子の顔に優しさは微塵もなかった。


 「おい」

 その顔の前に右手をちらつかせ、まるで新井を値踏みするかのように言った。


 「見ろ」


 外灯に照らし出された白い手。

 新井が求め、愛した手。 


 「この手で、何人、死んだか、わかるか?」


 「!?」


 「よく見ろ。この血まみれの手を」


 「なっ、何を言っている?恵美子の手が血まみれ?そんなことは」


 「ある。この血まみれの手か何よりの証拠。生きたまま召還獣に食われる人間を見て笑っていた女の手だ」


 「ウソだ。そんな、そんなのウソだ!!冗談じゃねぇ!恵美子は虫一匹殺せるような女じゃ−」


 「そのウソを現実にしたのは、いわばお前だ。虫一匹殺せない女をここまでしてのけたのがお前だ」


 「ち、違う!俺は恵美子を」


 「守るといって近づき、傷つけ、慰み者にしたのは、お前だ。この娘が心から信じてきた約束を踏みにじり、反故にしたのは、お前だ」

 「俺は約束を!」

 「約束とは何だ?」

 「それは−」

 新井は言葉を失った。


 守るといいながら、守りきれなかった自分。

 守らねばならないのに、傷つけ続けた自分。

 俺が果たさなければならなかった約束とは、そして、恵美子が信じていた約束とは?

 何もかもわかったようで、何一つわかっていなかった自分を、新井は恐れたからこそ、こうして何かを求めるように動いていたのだから。

 

 恵美子は心底見下したという顔で胸ぐらを掴む手に力を入れた。

 「忘れていたろう?だからこそ、この娘はここまで堕ちた」

 「くっ」

 「聞け。教えてやろう。冥土の土産にな」


 恵美子は語り出した。

 

 

 沼田恵美子の記憶より



 肌がじっとりして気持ち悪い。

 やっと終わった行為の後で、圭ちゃんが私を解放してくれた。

 腕枕が少しだけうれしく感じられるようになったのは、私が変わったからかな。

 

 「ねぇ、圭ちゃん」

 そっと圭ちゃんの胸にすがりながら、ちょっとだけ甘えてみる。

 「約束、覚えてる?」

 「なんだそれ」

 「もうっ、小さい時、約束してくれたこと!」

 「忘れた」

 「いじわる」

 それが、冗談だから、私はすねた振りをして反応を待つ。

 冗談なんだよ。圭ちゃんの。

 

 でも−。


 「ガキの頃の約束なんて、大人になれば無効じゃねぇか。お前もとっととそんなクダらねぇこと忘れちまえよ」


 え?


 「無効……?くだらない?」

 

 何も考えられない。

 何も感じられない。

 うそ。

 うそよ。

 そんなことない。

 あの約束は、私の全てなんだから。

 うそよ。

 無効じゃない。

 くだらなくなんてない。

 圭ちゃん、すぐに言ってくれるよね?

 

 うそだって。


 でも、圭ちゃんの口から出てきた言葉は、


 違った。


 「俺が言ったんだろう?その俺が忘れてるってことが何よりの無効の証拠じゃねぇか」

 「……」

 「な、それより」

 

 私は圭ちゃんに抱き寄せられ−。

 


 

 街はいつのまにか雨が降っていた。


 お腹が痛い。

 

 傘もささずに町中を歩き続けて何時間たったろう?

 濡れ鼠の体が冷え切っているのがわかる。

 

 どうせなら、このまま凍死してしまいたい。


 死にたい。


 死ねば、すべてが終わるから。


 お母さんが、そうしたように−。



 あの時、私は、お母さんは「すべて」から逃げたと思った。

 卑怯だと感じた。

 でも、

 

 今は、逃げることが出来たお母さんが、うらやましい。


  

 そして、商店街の端に新しく出来たらしい骨董品店の前に、私はさしかかった−。





 「まぁ、そこで呪具たる私に出会ったのだから、私としては感謝すべきかもしれないな」

 「う、うそだ。俺が、恵美子を死ぬほど絶望させたなんて。俺は恵美子を−」

 「お前に関わった近頃の記憶で、この娘が幸せだったという記憶はない」


 「うそだ!そんなの!なぁ、頼む、ウソだと−」


 「まごうことなく真実だ。だからこそ、自暴自棄になったこの娘は自らの死を、そして、積もり積もった恨み故に、お前の死までを願うようになった」


 恵美子は冷然と新井の胸ぐらから手を放すと、放した手にあのかぎ爪を作り上げ、それを振り上げた。


 「故に、お前を殺す理由は3つになった。一つ、私にとって邪魔だから。二つ、この娘が殺したいと願ったから。三つ、お前自身が、死にたがっているからだ」


 「……」

 呆けたまま、かぎ爪を見る新井の表情に、生きる気力は全く感じられなかった。

 「死にたいという顔だな。ならば、惚れた女の体で殺してやる。感謝しろ」


 言葉と共に振り下ろされるかぎ爪の動きを、新井は、ただ、虚ろな目で眺めるだけだった。


 


 新井が死を待ち望む中、

 「グッ!!」

 振り下ろされるかぎ爪が新井の頭を砕く直前、恵美子の背中が爆発した。


 「なっ!?」

 「!」

 「きゃっ!」

 

 とっさに恵美子と美奈子を抱きかかえ、新井は二人を守る形で吹き飛ばされた。


 「あちゃ〜」

 そして、三人がまとめて吹き飛ばされる光景を、非常に気まずいという顔で見つめるバカが一人−。


 「ごめんねぇ!魔力調節しそこなっちゃった。あはははははっ」


 乾いた笑い声でごまかそうとするのは、あの時、召還獣と共に吹き飛ばされたはずの水瀬だった。


 「生きてる?」


 「この野郎!後で面貸せ!」


 「水瀬君覚えてなさい!?」


 怒り心頭の二人に抱えられる形でぐったりとしている恵美子からの反応はない。

 魔法攻撃をマトモに喰らったのだから、そのダメージはかなりのものとなっているはずだ。いくら呪具に乗っ取られているとはいえ、元は生身の女の体にすぎない。


 下手をすれば死ぬ。

 運が良くても、どんな後遺症が残るかわかったものではない。


 水瀬が心配したのはそこだった。


 「その話は後で。二人とも、彼女からカードケースを取り上げて」

 「はぁ?」

 「カードケースさえなければ、先輩は元に戻る」

 −多分。と自信なさげな言葉は、二人には届かなかった。


 が


 「くっ−ああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 目を覚ました途端、新井の胸の中でのけぞりながら絶叫する恵美子。

 「くあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!」

 白目を剥き、叫び続ける恵美子は、誰の目にも常人ではなかった。

 「体が限界だよ!急いで!」


 水瀬の鋭い声を受けて反応したのは、恵美子の方だった。

 

 新井を突き飛ばし、ふらつきながらも立ち上がる恵美子。

 

 「キ、キ、サ、マ、ァ」

 すでにフタの開けられたカードケースからは凄まじいまでの魔素があふれ出て、水瀬の目には周囲が黒いモヤがかかって見えた。

 「いい加減、先輩は諦めた方がいい。君だって危ないんじゃない?」

 「キサマを殺すためなら、このオンナなんぞどうでもいいわ!このオンナの「最大の代償」を使えば−」

 魔素がガスのように吹き出し、召還の準備が始まったらしい。

 上級妖魔まで召還した呪具だ。

 何が出てくるかわかったものではない。

 

 しかし−。

 

 「−ぐぁっ!」

 突然、恵美子が頭を抱えながら悶えだす。

 「き、キサマ!渡せ!記憶を渡せ!この記憶なら、これだけの記憶なら、あの獣をぉ!」

 「!?」

 誰かの抵抗を受け、思うように進まない召還。


 その隙をついて動いたのは、水瀬ではなく、新井だった。

 

 「恵美子!すまん!」

 スタンブレードで隙を作った新井は、

 「こんなものがぁ!!」

 怨嗟の声を上げながら、恵美子の左手から文字通り呪具をむしり取り、水瀬目がけて投げつけた。

 

 「やっちまぇ!」


 「さんきゅ」


 ザシュッ!


 カードケースが霊刃で一刀の元に切り捨てられた途端−。


 「ギャァァァァァァァッッッッ!!」

 凄まじい悲鳴と共に、恵美子の体から靄のようなモノが浮かんだかと思うと、周囲の魔素を強力な掃除機のように吸い込み続ける呪具の残骸の中に飲まれていくなかで、


 −この娘が、この娘が「あの記憶」さえ渡しておればぁぁぁぁ−


 水瀬の耳に、そんな無念の叫びが聞こえた気がした。

 

 

 あたりに静寂が戻った。


 

 

 「大金星だね。新井先輩」

 今になって全身に走る痛みのせいで動けなくなった新井に手をかざす水瀬。

 ポウッ

 かざされた手に中がほのかに光り輝き、かざされた箇所の痛みが和らいでいく。

 

 療法魔法

 別名ヒーリングとも呼ばれる癒しの魔法だ。

 新井の体中の痛みがウソのように消えた。


 「恵美子は?」

 「あそこ」

 アゴでしゃくられた先には、へたり込んで呆然としている恵美子の姿があった。


 「恵美子!」

 「ギャッ!グェッ!」

 水瀬を殴り倒し、蹴り飛ばし、突き飛ばし、スタンブレードで10回くらい本気で殴りつけた挙げ句に、踏みつけながら新井は恵美子に駆け寄った。


 後には、地面にめり込んだまま、新井の足形のついた水瀬が横たわっていた。


 「ふうっ、なんだか私、こんな役ばっかりね。今回」


 美奈子が地面から水瀬を引っ張りだしながら、そうぼやいた。

 


 「恵美子!おい、恵美子!」

 「……」

 新井に肩を揺すられても反応しない。

 「おい!しっかりしろ!恵美子!」

 「……」

 まるで呼びかけが聞こえていない。

 夜空を、そして、心配そうにのぞき込む新井の顔を見ているはずの目の焦点はあっていない。

 

 ただ、新井に揺すられるだけの恵美子は、まるで等身大の人形のようだった。

 

 「水瀬!おい、なんとかしてくれ!恵美子が!」

 

 さっきの療法魔法のこともある。

 一縷の望みをかけて呼びかけた水瀬の反応は


 ふるふる

 悲しそうな顔でただ、首を横に振るだけ。


 「もう、記憶が破壊されているはずだよ。先輩はもう、何もわからないはず。新井先輩が誰で、ここがどこか」

 「……そ、そんな」

 その最終通告に、新井の目から涙がこぼれ落ちた。

 

 「うそ、だろ?」

 「自分が誰なのか、それすら先輩にはもう−」


 「だって、俺、俺は−」 


 俺は、恵美子を守るって約束したんだ。

 それなのに、俺は−。

 俺は、何をやってきた?

 彼女をこんな風にしたのは、誰だ?

 俺じゃないか。

 

 俺は−。

 


 「許してくれ恵美子!俺は、俺は−!」

 止める事が出来ない涙をそのままに、恵美子の胸に顔を埋めて、新井は男泣きに泣いた。

 

 そっ。


 「!?」

 「!!」


 

 不意に、新井の頭をなでる手があった。

 

 恵美子の手だった。


 「どうしたの?何を泣いているの?」


 不思議そうに小首をかしげる恵美子。


 「え、みこ−」

 

 「まさか」驚きの表情を浮かべる水瀬。

 「記憶が完全に失われていなかったの?」

 水瀬は不意に、呪具の最後の言葉を思い出した。


 −この娘が、この娘が「あの記憶」さえ渡しておればぁぁぁぁ−


 呪具に抵抗するには余程の精神力が必要なはず。というか、不可能と言い切れる。

 だが、それでも守りぬいた記憶が、先輩にはあるというのか?

 水瀬は、携帯電話で後方待機中の部隊に短く通信した後、だまって経過を見守ることにした。

 

 「あなた、だぁれ?」

 「圭一だ。新井圭一。−って、知らないか」


 水瀬の言葉は本当だった。

 恵美子は自分のことを忘れている。

 俺が誰なのか。

 俺とかわした約束まで含めて−。

 全てを−。


 「圭ちゃん?」


 「!!」

 新井は目を見開いて恵美子を凝視した。

 「圭ちゃん、いつの間にこんなに大きくなったの?」

 小首をかしげながら、不思議そうに言う恵美子。

 「−ははっ。いつかな」


  涙に曇る声で、新井は笑った。

 自分の名前を覚えてくれいていたこと。

 それだけで奇跡なんだだから。



 「うわっ。私も大きくなってる。ほら」

 驚いた様子で自分の胸を掴む恵美子の顔は、無垢な子供のそれだった。

 「さわってみる?」

 「ばっ。ばか!」

 

 

 「でも、どうして泣いてるの?転んだの?どこか痛いの?」

 「そ、そんなんじゃない」

 涙をぬぐい、精一杯の笑顔を浮かべてみせる新井。

 「ち、ちょっとな」

 「ダメだよ。約束なんだから」

 「や・く・そ・く?」



 「私のこと、守ってくれるんでしょ?」


 

 思い出した。

 


 約束を交わしたときの恵美子の笑顔と共に−。


  夕焼けが景色をセピア色に染める世界で、恵美子は泣いていた。


  『ほらっ。泣くな!俺が守ってやるから!』

  泣き虫だった恵美子に新井は何度そういったろう。

  『ホント?本当に?』

  『ああ。お前は俺のヨメさんになるオンナだからな!』

  マセガキというもんだ。だけど、何のドラマのセリフだったか忘れたけど、このセリフの度に、

  『うんっ!』

  安心しきった顔で見せてくれた笑顔を、オレはなぜ、忘れたんだろう。

 



 「だめですよぉだ。私をお嫁さんにしてくれるんだから、もっとしっかりしないとね?」


 悪戯っぽく、しかし、心からの笑顔。


 一体、この笑顔を、俺はどれだけの間、失っていたんだろう。



 ああ。そうだ。



 新井は思う。


 俺は、この笑顔のために、力を持ったんだ。

 俺の力とは、この笑顔を守るための力だったんだ。

 今からでも遅くないのなら、償えるなら、俺は、なにも惜しむまい。

 恵美子の笑顔を、今度こそ守り抜いてみせる。

 そのための力なんだ−。

 そのために、俺は生きているんだから−。



 そっと恵美子を抱きしめながら、新井は言った。

 「ああ。そうだな。もっとしっかりしないとな」

 抱き返しながら、穏やかな表情を浮かべる恵美子は安心しきった声で言った。


 「うんっ!」



 翌日

 明光学園中庭

 



 「新井先輩が転校?」


 「恵美子先輩が施設に入るでしょ?だから、施設に近い学校に転校するんだって」


 約束通り昼食をおごらせた美奈子が、水瀬から最初に知らされた後日談がそれだった。

 

 恵美子は保護され、現在も検査が進んでいるが、施設に入る必要がある。


 新井はそのことを知って、施設近くの学校への転校を希望している。


 「―――今度こそ、守るつもりでしょうね。先輩は」


 さすが。と呟いた美奈子は、満足そうな笑顔を浮かべて晴れ渡った空を見上げた。

 

 「どっかの誰かさんとは大違いね」


 「……誰のこと?」





 放課後

 喫茶「南の風」


 「調べがついたわよ」

 相変わらずの食べ終えた食器の山越に見る理沙の顔。

 「ありがと。早かったね」

 「まぁ、ね」

 あまり気乗りしないという声に、水瀬は眉をひそめた。

 「掻い摘んで話すけど、いい?」

 「うん」

 

 「まず、君から依頼のあった新井圭一と沼田恵美子は、君の読み通りだったわ」

 「なんか似てるとは思ったけど、まさかね」

 「共に父親は、旧姓沼田伸也。沼田恵美子の母、沼田礼子の実の兄よ。つまり、恵美子はそういう関係から生まれた子になるわ。

 二人がそういう関係になったのを知った周囲が二人を引き離す意味で、兄を遠方の家に婿養子に出し、世間体から礼子を放逐した。ところが、二人の関係は、影にずっと続けられたか、時期的にはもう、引き離された時点で妊娠していた可能性もあるけど、とにかく結果として圭一と恵美子二人が生まれた。

 ただし、沼田伸也は三人目の顔を見る前に死んでいるわ」


 「運命−かなぁ」


 「随分皮肉な−ね。沼田伸也の死後、沼田伸也の妻、新井房江は知人のツテで二人の子供を抱えて、この街に移り住んだ。そして、二人の子供が出会ったわけね。随分と仲がよかったみたいだけど、沼田礼子も、圭一が生まれたことは知っていても、顔も見たことないだろうし、まさか目の前の子供が兄の子だなんて考えもつかなかったでしょうね」


 「でも、いつしかそれがわかった」


 「これからは多分、私の想像だけどね」

 頬杖をつきながら、フォークでハンバーグをつっつく理沙。

 「わかったのが、礼子の自殺の原因じゃないかって、そう思うのよ。近親相姦の子よ?普通は罪悪感持つわよね。その子が自分同様、例え腹違いとはいえ、血の繋がった兄とつきあっていることがわかったとしたら?思うにその罪悪感から−」


 首をキュッという仕草をする理沙。


 「−多分、そんなトコロじゃない?恵美子先輩がそれを知っていたかどうかは、今となってはわからないけど。ところで、捜査についてだけど、警察の方では?」

 「近衛同様、迷宮入りよ。調査資料は?」

 「処分しておく。こんなこと、公に出来ないし」

 「そうね。で、肝心の沼田恵美子は?どうなの?」

 「重度の記憶喪失患者として精神病院で長期カウンセリングが必要らしい。人格が完全に破壊されたわけじゃなくて、幼児化しているようなものだって報告受けている」

 「じゃあ!」

 「失われた時間は戻らないけど、作っていくまでには復活できるはず。退院する日がいつになるかわかんないけど、これから未来と過去を作っていけばいい。そう思う」

 ティーカップを置いた水瀬の表情は、どこかほっとしているように見えた。

 

 「奇跡って言葉、なんだか信じたくなった」

 



 都内某病院

 中庭


 昨日までの雨がウソのように晴れ上がった空の下、

 「圭ちゃんこっちこっち!」

 無邪気にはしゃぐ恵美子の姿があった。

 「おいおい、また転んで婦長さんに怒られるぞ?」

 その後ろには、ややあきれ顔の新井の顔があった。

 「大丈夫よ!」

 恵美子は、元気よく自信満々に答えた。

 「圭ちゃんが守ってくれるもん!」

 

 勘弁してくれよ。とは思わずにはいられなかったが、

 その澄んだ瞳に微笑まれると、

 

 しゃぁねぇか。

 

 とも思う。


 だから言おう。

 心からの誓いの言葉を。




 「俺が、お前を守ってやるんだからな」



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