壊れたココロ その5


夕焼けに染まる公園で、恵美子がまた泣いている。

恵美子のスカートをめくったヤツは俺がやっつけてやったから、泣くな。

つーか、スカートめくられた程度で泣くなよなぁ。


−オマエは、俺が守ってやる。だから、泣くな。


何度、恵美子にこう言ったんだろう。


−本当?


不安げな表情で、俺を見つめる恵美子。


−ああ。何しろオマエは−




あの頃、俺は恵美子に何て言っていたんだろう。



そして−。



あの頃から俺は、恵美子を守っていたといえるんだろうか。



子供同士で交わした約束を、俺は果たしたのだろうか。



−オマエは、俺が守る。




俺は、本当に……。









新井圭一の事情聴取テープより(一部抜粋)

採取日   4月○○日

時刻    14時25分〜15時15分

対象    新井圭一(私立明光学園2年在学中。騎士)

採取者   村田理沙警部補

同席者   記録削除。


問い:現場に居合わせたのは誰か?

答え:新井圭一(以下、俺と記す)と新井圭次(以下、弟と記す)、それと沼田恵美子。


問い:現場に居合わせた理由は?

答え:弟に、恵美子に挨拶くらいしろって呼び出した。

 そしたら、圭次のヤツ、ブチ切れてさ。恵美子をののしるんだよ。なんで俺がオマエみたいなヤツに一々挨拶しなけりゃなんねぇんだって。最初はさ。俺も兄貴だからさ。たしなめる程度だったんだけど、あのヤロウ、恵美子をダッチワイフだの公衆便所だのいいだした時は俺もキレたよ。……まぁ、あいつをぶん殴ろうとした所まで覚えてるけど、目が覚めたら俺はここ。圭次は集中治療室ってわけさ。

だから、誰の仕業かなんて、俺に聞いてもわかんねぇよ。


問い:沼田恵美子とはどういう関係か?

答え:幼なじみさ。小さい頃からずっと一緒だった。


問い:調べさせてもらったが、あまりいい噂を聞かない。心当たりは?

答え:あいつが「暗い」とかいうヤツだろ?違う。あいつは単に不器用なだけだ。人を傷つけるのが怖くて、人と接するのを嫌がっているだけなんだ。それでも、あいつは本当は優しい子だ。誰も面倒見ない学校の花の世話をしたり、近所のノラ猫にエサをやったり−。いろいろいいこともしている。


問い:周囲が誤解しているだけと?

答え:そうだ。あいつが自分の殻に閉じこもるのをやめて、昔通りにやっていれば、あんな風にはならなかった。


問い:イジメの主導的役割を果たしたのは、あなたと対立していたグループに所属していた女子生徒達だったと聞いているが?

答え:鈴木達だろ?あいつら、死んでせいせいしたぜ。あんな死に方するってのは、ちょっと後味悪かったけどな。刑事さんも知ってるだろ?喫茶店に無人のタンクローリーが突っ込んだ事件。鈴木達、あれで死んだんだ。

恵美子にちょっかい出しているって聞いた時はブチ切れてケンカもしたさ。

だけど、アイツらが悪いんだからな。


問い:あなたのそういう素行が事態をややこしくしたとは思わないか?

答え:(しばらく沈黙)そりゃ、そうかもしれないけどさ。俺は恵美子を守るためにやったんだ!誰も、俺以外の誰からも守ってもらえないんだから、仕方ないじゃないか!

それにあいつは−


問い:あいつは?

答え:刑事さん。これ、プライベートだから、黙っていてくれる?いい?じゃ、話す。

恵美子は、俺の恋人だ。この前のバレンタインの時、そういう関係になった。

あいつ、手作りのチョコもってきてくれてさ。俺、ホント、心底うれしくって。はぁ、うまかったよなぁ。アレ。


……刑事さん、そういうの縁なさそうだから、わかんないか。


ち、ちょっと刑事さん!俺は病人だぜ!?胸ぐら掴むなんて。


……はい。わかりました。ごめんなさい。ちょっとノロけただけです。口の中に銃を突っ込むのやめてください。


はあ。刑事さん、案外冗談わかんないんだから。はい。ごめんなさい。マジメに答えます。


問い:で、バレンタインの時に一線を越えたと?

答え:ああ。でも、俺は後悔していない。きっと恵美子だって。


問い:まさかと思うが、力ずくだったわけではないな?

答え:そりゃ、俺が……まぁ、少し強引だったかもしれない。恵美子、ベットまですんなり付いてきたのに、服を脱がせるってなったら、「ごめんなさい!」だぜ?

 我慢できるかっての。

「今日はダメ」とか「終わったら」とか、なんかマジ焦っていたけどさ。


……え?「女の子の事情」?


なんだそれ?


…「お赤飯の日」?


知るかそんなもの。


刑事さん。ここ、病院だぜ?発砲はやめてくれ。ついでに俺は病人だ。


 ま、とにかく、恵美子は俺のモノになったんだ。俺は責任はとるつもりだし。言ったろ?後悔してないって。あいつ、あの後だって拒まないし。

抵抗しても無駄だって諦めてるだけじゃないかって?

そんなわけあるかよ!

!俺がどうしようと、俺の勝手だし、アイツだって俺の気持ちと同じはずだ!


……え?


い、いや……それは……。


(長い沈黙)


だってさ、あいつ、いつもイジめられてばかりだったから、それは−。


ち、ちょっと待てよ刑事さん!今、今、思い出すからさ!


ま、待てって!待ってくれよ!


絶対、絶対あるはずなんだ!だから待てって!


−採取者、退席。

 録音終了



翌日夕方

市内某喫茶店


 「キミ、結構な策士ね」

 「そう?」

 喫茶店の一角で、理沙と向かい合うのは水瀬だった。

 理沙の目の前にはスパゲティやハンバーグなどの食べ終わった皿が山積みになっていた。

対する水瀬の前にはアイスティと書類があるだけ。

 「そうよ。で、はっきり教えて。沼田恵美子がホシっていう根拠は?」

 「これ」

 書類から目を離さず、ポンッとテーブルに置いたのは、あの現場で拾った恵美子の生徒手帳だった。

 「あの一件の現場で拾った。新井君達の不可思議な落下事故の時に居合わせて、ラブホテルでの屍鬼事件の監視カメラに収まっていて、あの犬の一件で物的証拠を残している」

 びっくりした表情の理沙と平静なままの水瀬。

 「……疑うには十分すぎるわね。キミが言っていた、事件と事件のつながりがこれではっきりしたわ……でも」

 「?」

 「警察の調査は、すべて近衛には筒抜けってコト?」

 「その質問には答えない。それと、手帳、悪いけど、鑑識に回したりしないでね?ここで警察が大きく動くのはまずいもん」

 「……わかったわ」

 ハンカチにくるんでポケットに収める理沙の目の前にナポリタンが運ばれてきた。

 「まだ食べるの?」

 「こういう時じゃなくちゃ、食べられないじゃない?」

 じっと水瀬を見据える理沙は念を押すように言った。

 「キミの奢りなんだからね?」

 「はいはい」

 −年下のしかも高校生に食事をおごらせることにちょっとは罪悪感を感じろ。それでも公僕か。と、思わないでもないが、水瀬はあえて黙っていた。

 おかわりのスパゲティに、文字通り食らいつく理沙は、ちらりと書類に目をやった。

 「それフガフガブカ」

 「お姉さん。食べるかしゃべるかどっちかにして」

 「モグモグ、ゴクンッ−最後の質問。あれ、かなり響いていたわよ」

 「ま、彼自身も罪悪感は感じていたってことだよね」

 「でも、結局、思い出せなかった。当然よ。そんなことなかったんだものね。あのエロガキにはいい薬だわ」



 

 質問は、変装した水瀬より発せられていた。



 その質問に、新井は、大切な何かを見失っている自分に気づかされることになった



 守るべきモノを−。



 果たすべき約束を−。




 質問への答えは

 


 否


 


 問い:「彼女を犯した後、キミは心から笑う彼女を見たことがあるか?」








同じ頃のことだ。


「うっ−くっ」

恵美子は、ベットの中で苦痛にあえいでいた。

歯を食いしばって痛みがすぎるのをただ待つだけ。

今の恵美子に出来るのはそれだけだ。


 『よいか?召還獣が撃破されると、召還獣が受けたダメージの何割かは確実に召還者に跳ね返ってくる。使い方には十分に注意しろ』

 カードケースを手渡したあの店員の言葉が、今の恵美子には重かった。

 

 「ぐっ!」

 体を引き裂かんばかりの痛みに歯を食いしばって耐えるのはがこれで何度目か、恵美子は数えるのをとっくに止めている。

 

 「はぁ。はぁ」

 

カーテンの隙間から光が漏れる。

 もう、昼間のはずだ。

 学校には3日も行っていない。

 だけど、誰も気にする人なんているはずもない。

 学校からすら、何の連絡もこない。

 私が、誰からも必要とされていないからだ−。

 

 不要人間。

 それが私。

 

 そんな私がやっと手に入れた剣を傷つけたアイツは、新井と共に殺さねばならない。


 憎い。

 にくい!

 ニクイ!!

 

 殺す。

 コロス!

 コロス!!

 コロシテヤル

 コロシテヤル

 コロシテ

 コロ−

 コー

 コ

 ……

 …

 



 痛みがそのまま憎悪へと変わり、苦しみが殺意へと変わるのに、時間は関係なかった。

 それが、今や恵美子にとって快楽ですらあったから。


 そして、破滅的な変化が、恵美子の精神を襲った。


 

 クッ

 クックック

 クックックッ

 アハッ

 アハハハハハハッ



 うつぶせになって痛みに耐えていた恵美子の口から、不意に笑い声が漏れた途端、それは腹の底からの大爆笑となって部屋中に響き渡った。

 狂気としか思えない笑い声をあげながら、痛みと苦しみという名の快楽に酔いしれる恵美子の虚ろな目は、すでに正気の光を失っていた。


 カタカタカタ−

 サイドテーブルの上では、あのカードケースが、まるで恵美子の笑い声に呼応するかのように楽しげに揺れている。


 まるで、狂気に浸食された恵美子の精神を歓迎するかのように−。

 






 ザァッ−


 突然の夕立に、理沙は裏通りに面した古ぼけた店先へ飛び込んだ。

 

 まいったな。

 

 どんよりとした雨雲を眺めながら理沙は肩をすくめた。

 

 ついていない。

 水瀬クンからは、単独での被疑者への接触が禁止されちゃうし。

 手がかりになりそうなお店を探していたら、雨に祟られちゃうし……。

 

 理沙が、水瀬から受け取った恵美子の生徒手帳にはさんであった一枚の覚え書きを見つけたのは、全くの偶然だった。

 

 「天原骨董品店」

 

 簡単な地図と共にそう書かれたメモ一枚。ただ、それだけだが、警察で生きてきた理沙には、ひっかかるモノがあった。

 問題は、理沙が地図のあたりを2時間かけて歩き回ったのに、該当する店が見あたらないこと。

 地図の場所は、ここだ。

 1時間前に通り過ぎたとき、ここは大きなビルの一部、たんなる壁でしかなかった。

 

 そして、周囲を構成する商店街の店主も、所轄の交番勤務の警官すら、誰もこの店を知らないなんて、そんなバカな。

 『いやぁ。戦前からここに店を出しているけど、そんな店、知らないねぇ』

 『この交番での勤務は長いですが、自分はそんな名前の店は知りません』

 

 どういうことだろう。

 本当に架空の店なのか?

 沼田恵美子は、どういう理由でこの覚え書きを記したのだろう。

 こんな壁しかない所に−。

 

 理沙の思考がそこまでいって凍り付いた。

 

 壁?

 そうよ。だって1時間前にもここに来たでしょ?

 ほら。向かいは古本屋、その隣が床屋で……。

 でも、私は確かに、雨宿りにと、この古ぼけた店の軒先に飛び込んだ。


 壁−じゃなくて?


 恐る恐る背後を振りかえる理沙。

 

 そこは壁ではなく、古ぼけた店先。

 店同様、古ぼけた人形や時計、様々な物が雑多にショーウィンドーに置かれている。

 「……うそ」

 色あせたフランス人形と目があった理沙は、ガラス張りのドアに古めかしい字体で書かれた店名を見て、言葉を失った。


 天原骨董品店


 理沙は、ドアを開けた。



 あちこちに置かれたランプの光に照らされた店内は、びっくりするほど薄暗く、埃とカビ臭い空気が充満している。

 そして天井から床まで、理沙にはガラクタとしか思えない物で埋め尽くされているため、どこが通路かすら判然としない。多分、床が見える所が、いわば通路なんだろうけど、消防法の規制にひっかかっているとしか考えられないほど狭い。

 理沙は、ちらかった自分の部屋を歩く感覚で店の奥に入っていった。

 「ごめんください」

 

 返事はない。


 「警察です。どなたかいらっしゃいませんか?」

 

 理沙は、胸のホルスターに収まった拳銃の安全装置を無意識に解除した。

 

 「あのぉ」


 「なんじゃ。客か?」

 棚の影から突然現れたのは、年の頃でいえば12歳位の女の子だった。

 腰まで伸ばした髪。整いすぎて、むしろ人形みたいな印象。ガラス玉のような瞳。

 ゴシック調のワンピース。すべてが、この不可思議な、人間の気配がしない店に不思議ととけ込んでいた。


 「あっ。あの、警察の者ですが−」

 理沙は、まるでこの店の空気と会話しているような違和感に戸惑いを感じながら声をかけた。

 「警察?あれか?人間界で悪い者を捕まえるという、あれか?」

 不思議なことをいってジロジロと理沙を見つめる女の子。

 「ま、まぁ、そう。お店の方、いらっしゃる?」

 「妾が、そうじゃ」

 女の子は、平らな胸を精一杯そらせて、そういった。

 

 この時理沙は、この店が家族経営で、この子は店番程度にしか考えていなかった。


 「お嬢ちゃん。お店に出ていること多いの?」

 「当たり前じゃ。ここは妾の店じゃぞ?」

 「そう。あのね?」

 理沙はハンドバックから一枚の写真を撮りだして女の子に渡した。

 沼田恵美子の写真だ。

 「この写真の人、この店に来たことないかな?」

 「おお。召還箱を買ってくれた子ではないか」

 「知っているの!?」

 「当たり前じゃ。久々の、確か半年ぶりの客じゃったからな」

 自信満々で言うことか。それ。と、理沙は心の中だけでつっこんでおいた。



 「あの娘が買ったもの?」

 怪訝そうな顔で理沙を見つめる女の子。

 「そう」

 「……知ってどうする?」

 「知ってから考えることにするわ」

 「ふむ……」

 しばらく考えたあと、女の子は言った。

 「よかろう。あれは一つしかないものじゃから、似たモノで説明しよう」

 ゴソゴソとそこら中を引っかき回し−。


 ゴトン

 ガラガラガランッ


 「にぎゃぁぁぁぁっ!!」


 ドッシャーンッ


 棚から崩れ落ちてきたガラクタに生き埋めにされる女の子。


 店内が舞い散るホコリで充満する。

 「ゲッゲホゲホッ!ち、ちょっと!ゲホッ。だ、大丈夫!?」

 「な、なんのこれしき」

 涙目になった女の子は、大きなタンコブをさすりさすりガラクタの山からはい出てきた。

 「掃除、したほうがいいわよ?」

 「や、やってはいるんだが……。お、あった」

 ガラクタの中に目指す物があったらしい。

 女の子はホコリを払うと、理沙を誘ってカウンターらしき所にそれを置いた。

 後頭部に蜘蛛の巣がべったり張り付いていたが、理沙は黙っていることにした。



 「あの娘が買うてくれたのは、これのお仲間じゃ」

 カウンターに乗せられたのは、何の変哲もない古ぼけた革製の名刺入れだった。

 「これは?」

 「お主、召還獣を知っているか?」

 「いいえ」

 「お主、バカらしいの」

 「なっ!」

 「召還獣は、魔法によって妖魔界から招くことができる低級な妖魔にもなれない、一種の精霊もどきのことじゃ。人間界では式神というらしいがの。きちんとした手順さえ踏めば、そこそこの魔法の力でも召還は可能じゃ。しかも、召還した者の命令には絶対服従じゃから、使役することができれば、かなりのコトが出来る。これは、その召還獣を最初から封印してあってな、必要なときに必要な獣を解放、または封印することができる呪具じゃ。ま、あの娘に売ったのは、失敗作じゃが、こっちは完璧な代物じゃ。どうじゃ?」

 「召還獣……」

 理沙は、路地裏で襲われた「牛犬」を思い浮かべて戦慄した。

 「そうじゃ。あの娘の箱には、たしか数百体はいたぞ?」

 「そんな物騒な物を平気な顔で売っているなんて!」

 「物騒?」

 「だって。妖魔を売り買いしてるのと同じじゃない!」

 「召還獣は、妖魔と違い「自我」がない」

 女の子は理沙の言葉を遮るように言った。

 「物騒かどうかは、獣を使う者の心一つだ。モノに罪はない」

 「でも」

 「この店は、モノを売る所じゃ。売り手のココロをどうこうする所ではないわ!」

 突っぱねるように言い切る女の子に、理沙は反論することができなかった。

 例えば、刃物を売ることそのものは悪ではない。これは確かだ。例え、それが通り魔事件の凶器につかわれたとしてもだ。

 通り魔を悪と呼ぶ者はあっても、刃物まで悪と呼ぶ者がいないのと同じだ。

 少なくとも、理沙はそう思った。




 「まぁ。そういう意味では、後味の悪い取引ではあったな」

 深いため息と共に、女の子がぽつりとつぶやいた言葉を、理沙は聞き逃さなかった。

 「それ、どういうこと?」

 「言ったろう?失敗作じゃったと」

 「失敗作?」

 「ああ。普通、こんなモノは、使用に際して代償は必要とされない。当たり前じゃ。いつ、何時、どれほどの規模で使用するかわからない以上、一々代償を求められていてはたまったものではないからの」

 「で、その、代償って何なの?」

 「記憶じゃ」

 「記憶?」

 「召還者は、召還する獣の強さに応じて、記憶を失うことになる。弱ければ、例えば昨日、何を食べたか忘れる程度で済む。しかし、下手をすれば全ての記憶を失うことになる。自分の名前どころか、自分が何者なのかすら。完全にな」

 「それを、沼田恵美子は買った」

 「そうじゃ。じゃがな」

 女の子は、ガラクタの中から椅子をひっぱりだして腰を下ろした。

 「あの娘は、それでいい。そう言っていたぞ?」

 「え?」




 『よいのか?記憶を失えば、それこそお主は自我を持たぬ人形になってしまうぞ?』

 『人形?』

 『そうじゃ。過去を失い、自らが何者なのかもわからず、ただ呆けるだけの、生きた人形じゃ。生きているとはいえん。過去があるからこそ、未来はある。過去がない者に未来はない。過去を失うことは、お主が考えているよりずぅっと辛いコトじゃ』

 『……』

 『考え直せ。他のモノにするのじゃ。値段は相談に乗る』

 『これでいいのよ』

 『ばかな!ココロが壊れた人形になるのじゃぞ!?壊れた生き人形なぞ、誰からも相手にされぬ!そうなってもよいというのか!?』

 『いいわ』

 『……』

 『失って、怖い記憶も、ほしい未来も、私にはないもの』

 



 「何でそれで止めなかったのよ!」

 理沙は激高して女の子を怒鳴りつけた。

 「手にした後、彼女が何をして、結果としてどうなるか、そんなこと、分かり切っていたことでしょう!?」

 「だとしたらどうする」

 「どうするったって−」

 「あの娘は自分で判断し、自分で決めた。妾は一応は止めはしたぞ?」

 「でも」

 「でももヘチマもないわ!」

 女の子はガラクタを殴りつけながら怒鳴った。

 「もう一度いうぞ!?あの娘は、自分で決めたのじゃ!他人がとやかくいうことか!?あの娘とて赤子ではない!自分のケツくらい、自分で拭くだろうよ!」


 しばらくにらみ合う二人。


 「あなたは、それで満足なの?」

 理沙は不意に、哀れみに満ちた声で、女の子に語りかけた。

 「?」

 「お金を出して買っていただいたお客様が、その商品で人を傷つけ、お客様自身まで傷つくことになるのよ?あなたに商売人としてのプライドがあるなら。それはどういうことかわかるはずよ?」

 「……この店には、一つのルールがある」

 女の子は、ポツリとそう言い返してきた。

 「購入に際して、客の決定があった場合、それを拒否することは出来ない」

 「ルールなんて無視すべきだったのよ!」

 「妾には、それが出来ない。そう決められているのじゃ……」

 悲しそうにうつむいて、女の子は言った。

 「妾も、ある意味、人形じゃからな……」

 「人形?」

 「……機会があればまた来るがいいわ!買わぬなら出て行け!」

 女の子がそう言い放った途端、突然、店内を突風が吹き荒れた。

 「!!」

 思わず目をつむる理沙。

 風を感じなくなり、理沙は再び目を開けて、呆然とした。

 「……え?」

 ビルの壁の前にポツリとたたずむ自分の姿に気づいたからだ。


 店が、消えていた。









 手に入らないからこそ、欲しい。


 そう思うもの。


 どんな代償を支払ったとしても、惜しいとすら思わない、そんなもの。


 誰もが、心の中で持ち続けていること。


 泣いても、叫いても、手に入らないのに、それでもなお、人はそれを欲する。


 何故? 

 単なる欲望?

 今への不満の現れ?

 それとも、後悔の裏返し?


 それは誰にもわからない。


 でも、人は求める。


 「時よ。戻れ。」と−。







 読日新聞○月20日朝刊より抜粋。

 『○○市内で第三種事件。警察官2名重傷

 午前1時頃、屍鬼が現れたという通報を受け駆けつけた警察官2名が屍鬼に襲われて重傷を負った。場所は○○市の繁華街に近いラブホテル街の一角で、屍鬼は付近をさまよっている所を発見されたもの。この後駆けつけた警視庁騎士警備部により退治されたが、この騒ぎで周囲は一時、騒然となった。屍鬼化したのは、○○警察署少年課勤務の丸木義男巡査長と見られるが、詳細を警察が確認中である』





 「呪具、ね」

 理沙から一部始終を聞いた水瀬だったが、まるで何でもないという顔で、話を聞き流しているようだった。

 「って、ちょっとは驚きなさいよ!」

 理沙がドンッとテーブルを叩くと、山積みになった皿が跳ね上がって音を立てた。

 「警官が高校生にゴハンおごらせていることに驚いている」

 「誰のせいで私が減棒になったと思ってんのよ!」

 「自分のせい」

 「っとに、顔に似合わずかわいくないんだから。あ、コーヒーおかわり。あと、ハンバーグセット、ライス大盛りで」

 頬を膨らませてそっぽをむく理沙だが、食欲だけは非常に前向きだった。 

 「で、新井君達は?」

 「お兄さんが今日、退院したわ。弟さんは−」

 「危ないの?」

 「意識が戻らないって。昏睡状態で1週間よ?」

 「ふぅん……兄は退院。弟は未だ死にかけ状態……」

 顎に手をやって考え込む水瀬が、思い出したように理沙にたずねた。

 「お兄さんが退院したことは、沼田先輩は知ってるの?」

 「問題はそこ」

 ハンバーグが突き刺さったフォークで水瀬を指す理沙。

 「お姉さん。お行儀悪い」


 「彼女、行方不明よ」


 「行方不明?」

 「ええ。一昨日から家に戻った様子がないのよ。どこかで潜伏しているのね」

 「警察の動きは?」

 「失踪届も出ていないのに、捜査できないわよ。ノータッチ同然。それでなくても、昨日は屍鬼の件で警官2人重傷で大騒ぎだったんだから」

 「あ、あの件?−あれ?」

 きょとんとした水瀬は、そのまま固まった。

 「水瀬クン?」

 まるで凍り付いたように動かない水瀬。

 「おーい」

 手を振っても気づかない様子の水瀬をフォークで突っつく理沙。

 「こら」

 デコピン喰らわそうとした途端、


 「居場所わかった」


 と、水瀬がポツリと呟くように言った。


 「へ?」

 「あのラブホテル街のどこか」

 「沼田恵美子が、ラブホテル街に潜んでいるってこと?」

 「あのナントカいう警官、少年課で何してたの?」

 「たしか、ラブホテル街近辺で売春行為に走る女の子達がいないか監視……って」

 「沼田先輩、見つかったんだよ。その人に」

 「で……丸木巡査長は」


 「呪具のエジキ」


 「……水瀬クン。もう、警察は警察で動くわよ」

 理沙は真剣な顔で言った。

 理沙達警察官にとって、同じ所轄の警官は家族同然の存在である。

 それが、自分の迫う犯人に殺されたのだ。

 警察官として黙っているわけにはいかない。

 それが、警察官の仁義というものだ。

 理沙は、その考えを疑ったことすらない。

 

 「仇はとるわ!」

 理沙の頭の中で太○にほえろのテーマソングがフルオーケストラで鳴り響き、その目が燃えるのを、水瀬はため息混じりで見つめていた。


 「身内殺されて、指をくわえて見ているワケには−」


 「ダメ」


 対する水瀬は冷酷なまでにあっさりと言い返した。


 「なっ!」


 怒りに任せて席を立ち、にらみつけてくる理沙を、水瀬は冷ややかに見つめ返した。


 「逮捕するつもり?誰を?」


 「沼田恵美子に決まって−!」

 

 「何の容疑で?殺人?」

 

 「あたりまえでしょう!何を言ってるの!?」


 「凶器は?」

 

 「だっ、だから−」

 そこまで言われて、理沙は言葉を失った。

 一般にありえない「呪具」などというもので連続殺人をしていたと報告して、上層部を納得させる自信は、理沙にはなかったからだ。

 

 「そういうこと。その呪具の力を、どうやって証明してのけるの?呪具の力を、裁判所で証明してのける自信がお姉さんにはあるの?」

 じっとっと理沙を見つめながら、諭すように語りかける水瀬の言葉が、理沙には重かった。


 「ないよね」

 

 「で、でも」


 でも、それでは−。


 殉職した同僚の無念は、一体、誰が、どうやって−。


 唇をかみしめる理沙に、水瀬は続けた。

 「気持ちがわからないんじゃないよ?でもね。こういう立証できない事件だからこその第三種事件でしょ?お姉さんが暴走して沼田先輩を逮捕しても、敵討ちになんか絶対にならない。お姉さん。もう少し冷静になった方がいい」


 「……」


 「人生は一発勝負だよ?やり直しはきかないんだから、もう少し慎重な位にならないと」

 

 「じゃ、警察はどうしたらいいと思う?」

 「取りあえず、新井兄弟に監視をつけて。沼田先輩はまだ諦めたわけじゃない。必ず来るよ」

 「いつ頃?」

 「多分、今夜」

 「早くない?」

 「っていうか、今夜中に決着つけないと」

 水瀬は追加注文をとろうとする理沙を止めながら言った。




 「沼田先輩が、本当に破滅しちゃう」



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