壊れたココロ その4


「ねぇ、博雅君」

「ん?」

「普通の人が走るスピードって、どれくらいかな」

放課後、本屋に行こうと誘われた水瀬が、不意に博雅にそう言った。



秋篠博雅あきしの・ひろまさ−。

旧華族の出だが、騎士としての血を持つために明光学園に入学したという変わり種だ。

190センチの堂々とした体躯に、濃い顔が乗っている。

一言で言えば、「マジメといったらこんな顔」の典型的な顔立ちだ。

外見だけじゃなく、内面もマジメ一筋。言い換えれば融通が利かない。

だから、こういう時は水瀬のような悪知恵の働く者からいいように利用されることになる。


「そりゃ、こんなもんじゃないのか?」

一般人が軽く走る程度で、博雅は走った。

軽く300キロを超える移動スピードを誇る騎士である博雅にとっては走ったうちには入らないが・・・。

「じゃ、そのまま走って」

水瀬も突然走り出している。

「ち、ちょっと、どういうことだ!?」

「そこへ!」

水瀬は、ビルとビルの間の細い路地を示し、博雅と一緒にそこへ飛び込んだ。


 少し遅れて、誰かが水瀬達を追いかけるように路地に飛び込んだ者がいた。

 しかし、いるはずの二人はどこにもいない。

 まかれたか−

 舌打ちした途端、息が出来なくなった。

 気がつくと、骨が折れたかと思うほどの力で腕をねじ上げられ、壁に押しつけられているのに気づいた。

 「ぐっ−かはっ」

 「誰?」

 さっきまでの、のんびりした水瀬の声ではない。凍てついた世界を思わずにはいられないほどの冷たい、恐怖感を固まりにしたような、そんな声だった。

 声だけで、体が金縛りにかかったようになる。

 「返答次第では−殺す」

 「!!」

 「しゃべる?」

 無言で何度も頷くと、不意に力が緩められ、地面に崩れ落ちた。

 「……で?」

 「お、おい水瀬」

 殺気の余波を受けて金縛り状態だった博雅がようやく水瀬に声をかける。

 「この人、知ってる?」

 「知るか」

 荒い呼吸を繰り返して何とか肺に空気を入れようとしているのは、スーツ姿の女性−。 

 

 理沙だった。

 

 「さ。しゃべって」

 「け、警視庁警部補、村田理彩……」

 意外な答えに、水瀬と博雅は、思わず顔を見合わせてしまった。




 「で?どういうことです」


 あきれ顔の水瀬が、なんとか復活した理沙に問いかけた。

 「僕、高校生ですよ?」

 「……あなた、何者なの?」

 「へ?」

 「市立病院で近衛と一緒に行動しているのを見たわ。それに、あなたへの身辺調査は禁止されるし」

 「……危ないコトしてるんですね。死にますよ?」

 「ただの高校生相手にして、そんなことになる?絶対ヘンなのよ!」

 「で、独断で僕の調査を?」

 「あなたを調べる線でいけば、きっと犯人にたどり着く。私のカンはそういっているの」

 「お姉さん……熱血刑事ドラマみて警察に入ったクチでしょ」

 「悪い!?」

 図星を突かれた理沙は赤面しながら言い返した。

 「悪くはないし、いいカンだと思うけど……」

 水瀬は、不意に路地の奥を見つめると、博雅にいった。

 「博雅君、この人を守って路地から出て」

 「何?」

 「来るよ」

 



 グルルルルッ


 獰猛なうなり声を上げながら路地裏の物陰から飛び出してきたのは、漆黒の肌に炎のような瞳を持つ、牛ほどもある犬だった。


 断っておくが、誇張ではない。

 北海道の牧場生まれの理沙がそう認めるサイズだから間違いない。

 一言で言って、ありえる大きさではない。

 しいて名前を付けるとしたら、「牛犬」だ。

 

 グオォォッ!

 「牛犬」は、あたりを震撼させるほどの吠え声を響かせ、その巨体で10メートル以上の距離を、ほぼ一駆けで詰める、騎士なみの動きを見せた。

 「水瀬!」

 その巨大な顎で水瀬を砕こうとしているのは、博雅の目からも明らかだった。

 博雅は一瞬、水瀬の小柄な体が砕かれる光景を想像して戦慄した。


 「せぇの−」

 対する水瀬は、バックに入れた手を無造作に振り下ろしただけ。

 たった、それだけの動きで−。

 

 ズバンッ

 

 肉が砕ける音が響いた途端、「牛犬」は真っ二つになって理沙の目の前で消滅した。

 水瀬の無造作の一撃によるものだった。


 「久々だなぁ。こういうの」

 水瀬は、どこか楽しげに振り下ろした手に握っている物をバックにしまいなおした。


 魔法騎士専用の刀−霊刃だった。


 霊刃−。

 別名サイコブレードともいう。魔法騎士の魔力で作られた刃を持つ刀の総称。

 破壊力は鋼鉄製の刀剣の比ではないが、魔力を消耗するため、長時間の使用には向いていなかったり、魔法騎士以外には扱えないなどの制限が強い。


 「お、おい、今の、一体、何だ?」

 騎士である博雅にとって、驚いたのはそこではない。

 無造作な一撃で牛ほどもある巨体を真っ二つにしてのけた水瀬のデタラメなまでの強さの方だ。

 「妖魔だよ。低レベルだけどね」

 「あんなものがどうしてこんなところに!」

 「誰かに召還されたのかな?−わっ」

 理沙が、不意に水瀬の腕をねじ上げ、突然手錠をかけた。

 「ち、ちょっと!」

 「銃刀法違反の現行犯で逮捕します!逮捕時刻16時35分!さ、これ以上のことは取り調べ室で聞いてあげるわ!今までの件も含めてね!」

 理沙の目がランランとアブなく光っている。


 「……カツ丼、でる?」

 


 誤認逮捕

 職権濫用

 捜査範囲の著しい逸脱

 命令違反

 その他、公に出来ない理由で、理沙に下されたのは3ヶ月の減棒処分。


 ちなみに、霊刃が銃刀法の適用から除外されていることを理沙が知ったのは、部長に延々怒鳴られている最中だったという。





 「あれ?これって……」

 あの「牛犬」の一件の後、現場に戻った水瀬は、脇道に積み上げられたゴミ袋の影で、一冊の手帳を拾った。

 水瀬がよく見知った手帳。

 明光学園の生徒手帳だ。

 「沼田、恵美子……」


 翌日、明光学園。

 水瀬は、情報通の未亜の元を訪れていた。

 丁度、中庭で昼食を取り終わった未亜の横に水瀬が座った状態で、二人は会話を交わしていた。

 「沼田先輩のこと?」

 「うん。知ってる限りでいいんだけどね。どんな人かなって」

 「あー。まぁ、元からあんなんじゃなかったんだけどねぇ」

 抜けるように青い空を仰ぐと、未亜は深くため息をついた。

 いろいろウワサがあるらしいから、未亜なら一発でノッてくると思っていた水瀬は、予想外の反応に、内心で驚いていた。

 「というと?」

 「沼田先輩って、私と美奈子ちゃんと中学一緒なんだ。で、入学したての頃はいろいろよくしてもらったから、よく覚えてるけどね。あの頃は明るくて優しい人だったんだよ?今じゃ、想像できないかもしれないけどさ。……ふぅ……やっぱり、あの件だよねぇ」

 「あの件?」

 「お母さんの自殺」

 「自殺?」

 「沼田先輩のお母さんって絵本作家だったんだ。結構有名でさ。自殺した時は、話題になったんだよ?」

 「自殺の理由は?」

 未亜は首を横に振った。

 「作家とか芸術家って、ワケわかんない理由で自殺とか人殺しとかするから」

 「それと、沼田先輩の変化とどういう関係が?」

 「第一発見者が沼田先輩。しかも、自殺の前の晩、先輩とお母さん、かなり口論になっていたらしくてね。先輩、自分が自殺に追い込んだって思いこんでるんだ。一種の対人恐怖症だね。自分は何気なく言ったつもりの言葉が、大切な相手を簡単に殺してしまうって」

 「で、友達とも言葉を交わさなくなった」

 「うん……」

 体育座りの未亜は、膝に顔を埋めるようにして深く息を吐いた。

 「私達とまでね」

 「……」

 「そんなんだから、最初は親身になってくれた友達まで離れていった。こっちに進学してからは、もう最悪。イジメられるようになってさ……」

 可哀想だよねぇ−。

 そう、ポツリとつぶやく未亜。

 「でもさ。誰一人っていうワケじゃないでしょ?せめて一人くらい」

 「いるわよ。私と美奈子ちゃん、心の中だけだったら他にも何人もいる。それに」

 「それに?」

 「多分、一番は、この前入院した新井君のお兄さんの圭一さん。家、近所だから私にとっても幼なじみでさ。仲良かったんだ。ただね」

 「うん」続きを促す水瀬。

 「圭一さん、あんまり素行が良くないんだ。乱暴でさ。あっちこっちに敵がいて」

 「草薙君みたいな人かな」

 「そっくりだね。で、敵としては、先輩は圭一さんの彼女。当然、敵。自分と全然関係ないところで、先輩、敵を作りまくっていたんだよね」

 

 


 市内某ディスカウントストア店内


 『タイムセール!大特価!カップラーメン12個入り1箱1000円ぽっきり!』

 というPOPを前に、スーツ姿の女が思案を重ねていた。

 理沙だ。

 給料日まであと6日。一日2個で何とかしのげる。

 だからこそ、ここでの選択は大切だ。

 

 醤油味か味噌味か−。


 シンプルでさっぱりをとるか。

 濃厚なこってりをとるか。

 

 理沙はこの問題にとりかかってすでに30分以上、山積みにされた箱の前で思案を重ねていた。

 おかげで他の客がカップラーメンを買うことが出来ずにいるものの、店員ですら声をかけるのをためらう程、理沙は思い詰めていた。


 よし


 シンプルな醤油味!シンプルだからこそ、飽きが来るのは遅いはずだ。

 アパート中を引っかき回してようやく手にしたしわくちゃの1000円札を握りしめると、理沙は箱に手を伸ばした。

 

 つんつん

 

 誰かが突然、理沙のお尻をつついたのは、丁度、その時だった。

 

 「きゃぁぁぁぁぁっ!」

 理沙の悲鳴が店内に響き渡り、店内に居合わせた全員が、理沙に注目しているのがわかった。

 「だっ、誰よ!」

 怒りに任せて振り返った理沙の視界に入ったのは、両手で耳を塞ぎながら、びっくり状態で凍り付いている水瀬だった。

 「あっ、あんた−」

 そう。理沙の減棒の原因がここにいた。

 「なっ、何よ!私が減棒処分になったのが、そんなに面白い!?おかげで給料日までラーメンすするしかないのがそんなにおかしい!?それとも、バカにするだけじゃ気が済まなくって、今度はセクハラしに来たっての!?」

 ふるふる

 無言で首を横に振る水瀬。

 「お願いに来たの」

 「はぁ!?」

 「捜査してほしいことが−」

 「なによそれ!警察動かすなら、近衛経由でやればいいじゃない!」

 「それ、手続きすっごく面倒だからヤダ」

 「ああそう。でも、私の答えなら最初から−」

 「100万でどう?」

 「イエスよ」


 近くの公園に移動した水瀬は、理沙に缶コーヒーを手渡しながら言った。

 「事情聴取してほしい人がいるんだ」

 「あ、の、ね、ぇ」

 これだから素人は。

 あきれ顔の理沙は、諭すように言った。

 「キミ、考えてみなさい。キミを思いつきだけで警察が取調室に連れて行くっていわれたら、キミは黙って連れて行かれるの?あのね?警察が人一人、取り調べるのにどれだけ手間がかかるかわかってないわね」

 「学校の生徒落下事故、お姉さんが調べてるんでしょ?」

 「それが?」

 「お姉さん。あの妖魔がらみの事件、調べたくない?」

 じっと目を見ながら語りかけてくる水瀬に、思わず理沙は視線をそらせながら答えた。

 「そりゃ、調べたいわ」

 「じゃ、事情聴取してくれたら、調べられる」

 「え?」

 思わず、水瀬を見返す理沙。

 「この二件は繋がっているから」

 「ま、まさか」

 「最初から否定して、そこから何が進むの?それに、学校絡みの事件ってことなら、管轄からいっても、お姉さんは天下御免で捜査ができるはずだよ?」




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