第20話 夏の夢の終わりに その3
「待つ。浮かれたふたりを説得して、一緒に帰る」
断定口調とは裏腹に声はわずかに震えていて……そのミスマッチが
「まぁ、そうなるだろうね」
「私は……
由宇の瞳は切なげに潤んでいて……恋人にそんな顔をされると陽平もたしなめる言葉を継ぐことができないでいる。
なぜなら、彼も本音は由宇と同じだから。
ふたりは、そっと手をつないだ。
「
万里の声は揺らぎが大きくなっていた。
ハッキリと同意を得られない状況に怒りを抑えきれない。
同時に、自分の判断を信じることができなくなりかけているような印象を受けた。
――これは……最後の最後に大変なことになった。
即答を避け、腕を組んで空を見上げる。
一方で、同じクラスの――同い年の高校生としては、自分たちを信頼して送り出してくれた親を騙すのはどうかと思うし、万里が懸念するように今後の交際に支障をきたす可能性も無視できない。
「俺は……」
「俺は?」
強い眼差しで先を促してくる万里……だけでなく、由宇も陽平も固唾を飲んで見守っている。
――なんでそんな顔をするんだ?
首を傾げかけて、気づいた。
ここで千里が口にすることは、万里の友人たちだけでなく由宇たちの交際に対するスタンスを表明する意味合いも含まれるからだ。
難しい。
悩んだ末に――千里は口を開いた。
「俺は……ふたりのことは、ふたりに任せた方がいいと思う」
万里の喉がヒュッと音を立てた。
信じていたものに裏切られた、そんな表情を浮かべている。
照り付ける太陽の下ではしゃいでいたとは思えないほどに真っ白……と言うか蒼白な顔で、震える唇で問いを重ねてくる。
「念のために聞くけど、そのふたりってのはユキとステラのことでいいのよね?」
「ああ」
頷くと、万里は口を閉ざして俯いてしまった。
現在進行形で熱々カップルな由宇たちはともかくとして、千里ならあるいは。
そんな気持ちがあったのかもしれない。期待に沿えないことを申し訳なく思うものの……まだ伝えるべきことを伝えきれていない。
「
「だったら」
「それでも俺はそもそも高峰たちのことを何も知らない。だから……まずは自分のことを想像してみた」
「自分のこと?」
「そうだ。もしも俺が誰かと付き合っていて、いい雰囲気になったところに由宇から思わせぶりな連絡があったらどうするか」
「そこ、私なんだ」
「お前以外にいないだろ」
「ふ~ん。それで、千里だったらどうするの?」
微妙な表情の由宇に、ゆるゆると首を振った。
横に。
「わからん。わからんから……両方考えた」
由宇のところへ行く場合と、行かない場合。
由宇のもとに赴くとしたら――恋人とのひととき、あるいはステップアップを諦めるとしたら……それは由宇に危機が訪れている場合だ。
命の危険とまではいかないにしても、のっぴきならない事情があるならば、自分はためらいなく恋人に頭を下げるだろう。
逆にそこまでの問題がないのなら、行かない。
由宇とは家族同然に過ごしてきた間柄ではあるが……それでも、他人だ。
そして、由宇の恋人は陽平であり、千里自身には別に恋人が存在している設定なのだ。
理屈で考えれば恋人を優先すべきであることは明らかだし……理屈抜きで考えれば、せっかくのチャンスを他人のために逃すなんてバカバカしい。
「なるほど、それで?」
「ああ、次に今回の泉の場合を考えてみた」
そこで千里は口を閉ざした。
ここから先は、あまり口にしたくなかった。
しかし――当の本人に促されて、なお沈黙を貫きとおすことは難しい。
「なに? ハッキリ言いなさいよ」
「泉は……みずからを危機に陥れようとしている。高峰たちを待つ間、自分に何もないとは思ってないだろう?」
千里の脳内に浮かび上がったのは、昼間に浜辺で目撃した光景だった。
ひとりボーっと突っ立っていた万里に四方八方から欲望まみれの声をかける男たち。
あれが再現されることは想像に難くないし、夕闇が迫る頃合いともなれば危険度は昼間のそれを上回ることだろう。
「それは……」
「きっと高峰たちも同じように思う。泉のところに飛んでくる。大切な友人をオオカミの群れに放り出しては置けないからな。でも……」
「でも?」
「さっき言ったな。『待つ、そして説得する』だったか。違うよな。説得なんてしないよな。ふたりが男を置いて自分のところにやってきた時点で泉の目的は達成されるんだから」
説得を受け入れるか否か、友人たちには選択肢がないのだ。
相まみえて話し合って、改めて万里を捨てて恋人たちの元に戻るなんて展開は想像できない。
自作自演のピンチなのだから、二重の意味でひどい。
千里が重々しく付け加えると、万里は目に見えてうろたえだした。
「それは……私は別に、そんなこと……」
「ちょ、千里」
「千里、それは言い過ぎ」
万里だけでなく由宇と陽平の顔も青ざめていた。
ふたりを手で押しとどめて、さらに言葉を積み重ねる。
「逆の立場になったらって想像してみたらどうだ。もしも泉が恋人といい雰囲気になっていると仮定して、図ったように高峰か
「すぐに飛んでいくわ」
「だろうな。今日一日関わってみて思ったが、泉は情が厚い。だったら……」
「それは……」
「ましてやそれが狂言というか、自作自演の類だったら」
「それは……それは……」
俯いて、同じ言葉を繰り返す万里。
彼女の中にも、後ろめたさがあるのだと思った。
恥じるところがなければ、即座に食って掛かってくるはずだ。
心根の優しさとやり口の悪辣さ、そのギャップに彼女自身が苦しんでいる。
「ふたりの意思を尊重してやればどうだ?」
「真壁?」
「さっきも言ったが、俺は高峰たちのことなんて全然知らん。でも、教室で見る限りでは、どちらもバカではないと思う。泉が懸念していることも十分に理解していると思う。その上で、恋人との時間を選んだのなら……」
そう続けると、三人はそれぞれに異なる複雑な感情を滲ませた。
この三種類の顔を見るだけでも『恋愛とはかくも難しいものか』と嘆息させられてしまう千里だった。
しばしの沈黙を経て、口を開いたのは万里だった。
相変わらず目つきは鋭いし、口調は厳しい。
「……何かあったらどうするの? アンタに責任とれるの?」
「どうすると言われてもな……泉は、ふたりの彼氏のことは知っているのか?」
万里は目を丸くした。
虚を突かれた、そんな顔だ。
「知ってる。会ったことあるって言うか、みんなで一緒に出掛けたりしたこともあるし」
「……それ、お邪魔虫になってないか」
「うるさいわね。今回と似たようなパターンなのよ」
「ああ、そういうことか。それで、そのふたりは信頼できる人間なのか」
「できる……と思う」
だんだん万里の声から力が抜けていく。
友人を信頼している。友人の恋人を信頼している。
だったら……どうして自分はここまで苛立っているのか。
口の端が震えているように見えた。奥歯を噛み締めているのだ。
「俺には恋愛のことなんてわからん。経験ないし、当事者でもない。かなり無責任なことを口にしている自覚はある。高峰たちのこともわからん。ロクに話したこともないし……アイツらがどうなろうと俺にはあんまり関係ないとも思ってる。何か悪いことがあったとしても『自業自得だろ』で終わりだ。少なくとも俺より泉の方が高峰たちのことを親身に心配しているのは間違いない。だから、最終的には泉が自分で決めるべきだと思う」
「いきなりぶん投げたわね」
「結局のところ、他人事だからな。ただ……」
「『ただ……』って今度はなに? 思わせぶりなのはもういいから、洗いざらい吐きなさいよ!」
「ああ。泉は親の信頼がどうとか言っていただろう。そこが引っかかった」
「どこが? なにが?」
「親との約束を破れば親の信頼を失う。それはわかる。でも、高峰たちを騙すようなかたちで恋人と引きはがしたら、泉はアイツらからの……大切な友人たちからの信頼を失うんじゃないか?」
親からの信頼は大事だ。
でも、親友からの信頼だって同じくらい大事だ。
否、それらは比較して優劣をつけられるものではないように思う。
だから千里には決められない。残酷だが……親か親友か、万里自身が選ばなければならない。
「……ッ」
正面から睨みつけてきていた万里は大きく目を見開き、俯き加減になって、額に手を当てて、目蓋を閉じた。
暗闇の中で静かに、あるいは激しく自問自答を繰り返しているのだろう。
彼女が再び目を開けるまで、誰も口を開かなかった。
そして――
「……真壁の言っていることは、一理ある」
正しいとは思わないけど。
そう呟いた万里は、海岸を振り返った。
人影が減った浜辺のどこかに、友人の姿を探しているように見えた。
「理屈で言えば、泉の方が正しいと思うぞ」
「でしょうね。でも……もし立場が逆だったらってのは、結構効いたわ」
「彼氏いないのにか?」
「そうよ、それに……うん、ユキたちの信頼か。当たり前すぎて気づかなかったって言うか、ないがしろにしてたって言うか。うん、ありがと」
大切なことを忘れるところだった。
万里の微笑みは、夏の夕暮れにはかなく揺れた。
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