第4話 始まりと呼ぶには、あまりにも気まずくて その4

 男除けだと言われても腹は立たなかった。

 どこまでも広がる空には夏真っ盛りな太陽がギラついていて、青い海にも白い砂浜にも人が溢れかえっていて、誰も彼もが浮かれていて。

 何もかもがまともではない。

 こんなところに際どい水着姿のクラスメートをひとりきりで放置するなんて、想像するだけでゲロ吐きそう。

 人として、男としてあり得ない。


――まぁ、いいよな。


 もともと罰ゲームだったし。

 ……などと理屈を並べ立てて自分を納得させた千里せんりを(いつの間にか)じっとり見つめていた万里ばんりは――ふーっと息をついてから、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出した。


「よし。それじゃ、連絡連絡っと」

 

「連絡?」


 つい聞き返してしまった。

 さっきから単語と状況が上手く繋がらないのだ。

 頭も視界もチカチカと点滅しているような、奇妙な感覚が消えてくれない。

 一方で足元はフワフワしていて、総じて現実味がない。夢の中と言われた方がしっくりくるぐらいだ。


「そ。ユキとステラと来たって言ったでしょ」


「ああ……そういえば、そうだったな」


「『ナンパされたから遊んでくるわ』って、ちゃんと言っとかないとね」


 千里を捉えていた流し目が、意味ありげに細められた。

 まるで歌っているかのように、声が弾んでいた。

 彼氏と遊ぶために自分をダシにした友人たちに、ひと泡吹かせてやりたい。

 そんな本音が滲み出ている。


「……それ、大丈夫なのか? メチャクチャ心配かけそうだし、無難な感じにしといた方がよくないか?」


 千里の眉間に深いしわが刻まれた。

 万里たちのグループは、万里自身が中心となって形成されている。

 そのカリスマなリーダーが海でナンパされて……なんて話になったら、他のメンバーがどんな反応を見せるか予想がつかない。


「だってそうじゃない。そっちからナンパしてきたくせに、今さら何言ってんの?」


 アンタの名前は出さないから心配しないで。

 万里はそう続けて、鼻歌交じりにディスプレイに指を滑らせる。

 それが彼女なりの気遣いだということは理解できる。学校一の美少女にして難攻不落な『泉 万里いずみ ばんり』が、これまでほとんど接点のなかった男子とデート(?)とか……誰かに知られたら、それこそトラブルの火種になりかねない。

 わかる。

 わかるけど。

 額を抑えて背中を向けて――万里を刺激しないよう、そっとため息をひとつ。


――ありがたいことはありがたいんだがなぁ……ズレてるんだよなぁ。


 千里の名前を出さないということは『見知らぬどこかの誰かとひと夏のアバンチュールしてくる』と宣言することに等しい。

 夏の海。

 大胆な水着。

 超絶な美貌と魅惑的な肢体。

 あらぬ妄想を掻き立てるには十分すぎるほどのパーツが揃っている。


――嫌な予感しかしない。

 

 背中をひと筋の冷たい汗が流れ落ちた。

 軽率にナンパを仕掛けた自分はともかく……背後で鼻歌交じりに指を踊らせるクラスメートが変な噂に晒されるのは、まったくもって愉快な話ではない。

 噂はしょせん噂に過ぎなくとも、たとえ真実とかけ離れていようとも……誰かを容易に、無責任に傷つけるものだ。

 放置しておくには、あまりにも危険すぎる。


「俺の名前、出してくれていいぞ」


「え、何……アンタ、自己主張激しいタイプ?」


 万里の声には、訝しげな気配が滲み出ていた。

 非常に心外だったが……勘違いされても仕方がないと思い直した。

 彼女の友人たちに『真壁 千里まかべ せんり』の存在感を知らしめようとしていると受け取って、不快感を募らせるのも無理はないのだ。

 気遣いを無駄にするやり口でもあるし、それはそれで揉めそうな気配がプンプンする。

 それでも、ちゃんと噂の危険性を指摘しておかないと彼女が危うい。

 この状況において最も大切なのは、その一点に違いない。

 自分を含め、男の扱いなんて正直どうでもいい。


「そうじゃなくって、見ず知らずの誰かとそんな格好で遊んでくるって……そっちの方がヤバくないかって話」


「ああ、心配してくれてるんだ」


「そりゃするだろ」


「う~ん……まぁ、大丈夫でしょ。ユキとステラに話すだけだし、あっちはもっと盛り上がってるだろうし」


「……そうなのか?」


 あっけらかんとした万里の言い分に、思わず空を仰いだ。

 千里の脳内に描き出されていたスキャンダラスな噂を凌駕する盛り上がりと言われると……それはもう完全に十八禁的な展開なのだが。

 見上げた空にはギラギラと照り付ける太陽があった。

 夏の日差しは自分以外の人間をも狂わせているのだろうか?

 ほとんど関わりがないとは言っても、毎日のように顔を合わせる女子が真っ昼間からそんなドエロいイベントの真っ最中だなんて……夏休み明けに教室でどんな顔をしたらいいか、わからなくなってしまうではないか。


――いや、待て……ひょっとして、おかしいのは俺の方なのか?


 深刻な疑問が脳裏をよぎる。

 恋愛的にもエロ的にも、もっと進んでいるのが同年代のスタンダードなのだろうか?

 例えば――由宇ゆう陽平ようへいのように。

 口の中に苦みが増した。


「……泉がそれでいいって言うなら別に構わんよ」


 声が重くなり過ぎないよう、精一杯素っ気なさげに虚勢を張った。

 背中越しに感じる万里の気配に変化はない。


「じゃ、そういうことで。アンタも連絡しといたら?」


「そうだな……黙って姿をくらませたら、心配されるか」


 四肢に気怠い重みを感じるし、吐き出した空気は澱んでいた。

 のっそりとした動作で鞄からスマホを取り出してチャットを開き……その場に崩れ落ちた。

 ついでに頭も抱えたし、変な声も出た。


「うへぁ……」


 画面は由宇からのメッセージで埋め尽くされていた。

『調子はどう?』

『真壁隊員、報告よろしく』

『ねぇ、成功した? それともまだ?』

『千里、ダメで元々だから落ち込んじゃダメだよ』

『かき氷食べない? 奢るよ』

『無視すんな~!』などなど……

 後になるほど同情混じりの内容が増えていてイラっとする。


「何、どうしたの……って、うわ、日高ひだかって結構拘束強いタイプ?」


「な……お、おい!」


 ふいに影が差した。

 肩越しに万里が覗き込んできたのだ。

 直接触れずとも彼女の体温と重み……もとい存在を感じた。

 眩しい美貌が間近にあって、垂れ落ちる黒髪に頬をくすぐられて。

 甘やかな声が耳から、かぐわしい香りが鼻を通じて強烈に理性を揺さぶってくる。


「何キョドッてんの? 真壁ってスマホ見られるの嫌だったりする?」


「そうじゃなくって……近すぎるだろ! 距離感おかしいだろ!」


「意識しすぎてウケる。じゃあ、ビックリさせたお詫びに……」


 万里の白い指が伸びてきて千里のスマホを撫でると――次々とメッセージが投下されていく。

 唖然としたまま、目はディスプレイに釘付けになったまま。

 身体が動かない。声も出せない。すぐ傍にいるにもかかわらず、SNSで暴れる万里を止められない。


『成功した』

『最高に可愛い子と遊んでくるから』

『俺のことは気にしなくていいぞ』

『そっちもせいぜい励むがいい』

『避妊はちゃんとするように』


「おい、泉!」


 慌てる千里の手の中でスマホが震える。

 表示されている名前は――由宇。通話だった。


――そりゃ、そうなるよな。


 あちらにしてみれば、普段の千里からは想像できないメッセージだろうし。

 泡を食って通話ボタンをタップする由宇と、訳知り気味に笑みを浮かべる陽平の顔が目に浮かんだ。

 

「何やってんだか」


 とろみを含んだため息が耳朶を撫でた。

 初めての感覚に背筋がしびれ、口を動かせなくなる。

 動転する千里を余所に――白い指は勝手に電源をオフにしてしまった。

 真っ黒になったディスプレイに映っていた顔は、自分のものとは思えないほど困惑に染まっていた。


「泉、お前……」


「ウソは言ってないし。ほら、もういいでしょ」


 いくわよ。

 スマホをしまった万里はスッと立ち上がり、返事を待つことなく踵を返した。

 堂々とした後ろ姿、特にパーカーの下に覗く柔らかそうな白いお尻と面積が少なすぎる赤い布地が目に焼き付いた。

 空の青さとの対比に、強烈に夏を感じる。


――まぁ、いいか。


 夏だし。

 その答えが、すとんと腑に落ちた。

 人差し指で眼鏡の位置を直し、スマホをバッグに放り込む。

 腰を浮かせて、強張っていた脚を延ばして――小走りで万里の後を追った。

 何かが起きそう、そんな予感を胸に抱きながら。

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