ねんがんの 異世界転移 をてにいれたぞ! と、思ったら腐れ縁のライバルも転移していた件

武村真/キール

第1話 プロローグ

 クソ暑い。


 俺が今思っていることを一言で表現するならば、これに尽きる。

 8月の半ば、お盆真っ最中。

 学生はおろか、社会人だって貴重な連休を満喫し、何だったら海外に脱出したりする。

 とはいっても、折からの円安で、ちょっと尋常じゃない金額がかかったりするため、俺としては検討にも値しない話である。

 芸能人御用達、一般人憧れのハワイなんて、下手をすれば朝飯で3000円を超えてきたりするらしい。

 ロサンゼルスなんぞはもっとエグくて、うっかり豚骨ラーメン全部のせ、替え玉つき、とかすると5000円が見えてくる。

 なんなの、チップ20%って。バカなの?

 世間の代表のように悪態を吐きたくなるが、よく考えなくても俺には関係のない話である。


 などと、益体もないことを考えていても暑さは去ってくれない。

 暦の上では立秋は先週終わったはずである。何の役にも立たない目印だ。

 春と秋どこいっちゃんたんだろう?

 まるで陰キャが書いたロック歌詞のような感想しか出てこない。

 俺も陰キャに属するので、あながち間違ってもいない所が、何ともいえない。別に泣いたりはしないが。


 時計を見ると、時刻は午後の11時を回っている。

 首元を絞めつけるネクタイはとっくに外して、スーツの上着を肩に引っ掛けるようにして歩いている。

 別に酒を飲んでいたりしないが、なんとなく飲み会帰りのサラリーマンといった様相だ。

 ちなみに俺の仕事は経理であり、小説風に言うとバンカーの皆様とお会いするのも仕事だ。

 なぜか彼らはクールビズなど知ったことか、これが最新の戦闘服である、とばかりに夏でもネクタイとスーツ、磨き上げた革靴という英国紳士のような恰好を好む方がまだ多い。

 そのために俺もこんな格好をしないといけない。勘違いしてTシャツにGパンという西海岸スタイルで行った日には出禁まったなしである。

 俺は別にベンチャーのCEOではないし、会社もIT系ではない。


 じゃあ何かといえば、まあ、どこにでもいる普通の会社員だ。

 明日の生活に困っているわけではない。

 だからといって将来の展望があるわけでもない。

 その日その日を何となく、流されるように過ごしてきた結果、気がつけば38歳、独身である。

 流行りのバツ印もついていない。そんなちょっと幸せの時期もあるようなイベントは俺には起きなかった。誰もが一度は妄想する異世界転移とかもないし、ましてや転生もしていない。


 思えば、俺の人生で最も充実していたのは高校時代かもしれない。

 部活でやっていたバスケットボールで、県代表になったのだ。

 とはいえ、別に歴史を変えたわけでもないし、会場が割れるほどの声援を受けたわけでもない。

 ましてや、赤坊主ではなかったし、ピアスを空けて、「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!」とかうそぶいていたはずもない。

 身長は190あるし、体格もいいため、当たり負けはしなかったし、ドリブルもシュートも人より巧かったと思う。

 

 ――だが、それだけだ。

 

 貴重な青春時代の時間を費やした競技は、俺に数々の思い出をくれた引き換えに、肘の痛みをくれた。

 そんなものを抱えてスポーツ推薦やプロへの道が開けるはずもなく。

 俺は冴えないサラリーマンをやっている。


「あー、いっそ流行りの異世界転移でも転生でも起きないもんかね」


 人通りのない道で、俺の口から思わず、ありえないことが零れ出る。

 それはここ数年抱き続けている願望だ。いや、妄想かもしれない。

 それを表すかのように、スマホにはそれっぽい電子書籍が山ほど入っている。

 いい年して何を、と思うかもしれない。しかし、うだつの上がらない現状をリセットして、誰も知らない所でやり直したい、という想いは、誰だって持っているのではないだろうか。

 あるいは、持っていたのではないだろうか。


 今はもうそんなことを思っていない、大切なものがある方はおめでとう。君は人生の勝ち組だ。

 今はもうそんなことすら諦めてしまった人はちょっと待て。君は一人じゃない。まずはこころの相談をするところから始めよう。


 俺は、そのどちらにもまだ振れていない。こんなところすら中途半端だ。

 ぐちぐちと、陰鬱な想いに沈みそうになって、俺は、自嘲した。


「あー、クソ暑い」


 何の意味も目的もないそんな言葉を口にした瞬間――


 俺の視界は暗転した。


 ――え、なんだこれ、熱中症かよ。


 最後に考えたことも、何の意味もない、そんな感想だった。


 ああ、自己紹介が遅れたな。

 俺の名前は、龍見徹。

 当年とって38歳。独身。彼女なし。

 何の因果か、異世界転移を妄想していたら、うっかり熱中症で倒れてしまっただけの、そう。

 くたびれたサラリーマンさ。
























 ――って、思っていたのだが。

 眼を開けると、そこは真っ白な空間だった。

 正面には、なぜか豪華な椅子があり、そこに座る少年とも少女ともつかない存在。

 なぜ曖昧かというと、光っていてよくわからないからだ。体格から、それくらいの年頃だろうと想像しているに過ぎない。

 その少年(仮)は戸惑う俺に向かってこう言い放った。


「突然のことで驚いているかもしれないね。実は、君に異世界転移をしてもらいたくて呼んだんだ」


 俺は思わず拳を握りしめた。

 ……勝った! 大勝利! 


「僕は神様。僕と契約して、異世界転移してよ。世界は、狙われている!」


 ……前言撤回。胡散臭すぎる。 



 

 俺の名前は、龍見徹。

 当年とって38歳。独身。彼女なし。

 何の因果か、異世界転移を妄想していたら、うっかり熱中症で倒れてしまっただけの、そう。

 くたびれたサラリーマンであり……

 今現在わけのわからない存在から胡散臭さ全開の勧誘を受けて、ちょっと心の揺れている、詐欺とかに引っかかる寸前の男だ。

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