畜生ウェイ

上雲楽

人畜生

 繰り返してうんざりしているのは承知している。喫茶店はうるさく、私たちもずっと話していて、

「あなたは鬱蒼としたすごい森をしばらく歩いていて、どんどん薄暗くなった。それで、いつの間にか森の中央にいて、道がなくなって、『気を付けて』と書かれた看板だけを見つけた。何を意味していると思う?」と牧村に言われて、この心理テストを装ったカルマの調整に私が勘付かないわけがなかった。

「実家で飼っている犬のぺくたはもうおじいちゃんだから、食欲なくて心配」と正直に言えば、

「テロリズムの予兆だね」と分析されてしまうのは確実だから、マドラーでかき混ぜていたコーヒーを見つめて、

「糖尿病」と私はほほえんだ。

「目の前のことしか考えてないね」と牧村はくすくす笑った。コーヒーを冷ましたいから混ぜているけど、ブラックコーヒー。

「私は、恋占いにしか興味ないと何度言えばいいのかな」

「遠い未来に起きそうな出来事?」

「だから、蓋然性の話は興味ないんだってば」

 牧村は、森の話を続けた。もしも、森が氷河期だったら糖尿病は生存戦略だと。だけど、今を生きる私たちは地球温暖化について考えるべきで、森が、増えたり減ることで、警告が発され、森のホメオスタシスに携わりたい人々が言葉として警告する。喫茶店に来たのは、みんな、犬が大事であることを議題にするためだと思っていたから、私、びっくりした。横の席に座っていた三浦も、びっくりしたらしく、

「うるさーい!」と叫んだ。三浦と話していた来島だけが困った顔で拍手して、他のみんなは無視していた。三浦は、メンバーの中でも畜生にかなり近いから私も尊敬している。例えば三浦はカレーを二人前頼んで食べた。食欲を暴走させる程度のカルマの調整は足りないかな、と私は思うけど、努力を惜しまない人が好きだ。

 牧村が工作員なのはみんな知っているんだから、このときばかりは、

「三浦さん、空気読んでよ」と言いそうになったが、それは三日後に伝えた。私の、仕事の、税金の計算を中断して、ランチ休憩中に横断歩道を歩いていたら、えいとちゃんをリードに繋いでいる三浦が、紫のコートを強調するように、振り返った。ディズニーアニメのヴィランみたいですね、とえいとちゃんに共感してほしくてほほえむ前に、えいとちゃんは私を見ると唸り声をあげて、姿勢を低くした。

「ごめんなさいね。この子はいつも、すぐに、人は私を襲うものだと思っているのよ」と三浦はリードをグイグイ引っ張った。畜生の性は悲しいね、と牧村なら言いそうだった。喫茶店でも牧村は暗に、闘争と食事と生殖を私から遠ざけようとしていた。

「怖くないので、離していいですよ」私は三浦に言った。

「私が、話すことに誰の許可が必要だっていうのよ。あなたにうるさいって言ったこと、まだ、復讐したいのね、許せないのね、この、畜生……畜生……」そう言われたから、喫茶店で三浦は私に叫びたかったんだって気がついた。三浦の警告にはよくあることだが、私だけに向けたものではなく、もっと汎いものとして伝わりがちだった。来島が、来島の弟とお互いの茶碗を交換した話をしていたときも、三浦は、

「もっと、ふしだらでありなさい」と得意気に来島に説教していて、これ、私だ、と思った。今月の私へのご褒美は夫婦茶碗だった。私は、やっぱり私を畜生道に貶めることを諦めきれず、頑張って姦淫と虐殺したい。恋占いして、私でない誰かが、私をオーガズムに導くと祈り続けるのも、一苦労だから、私を労う必要を感じたし、私にご褒美あげることも、欲深く、畜生みたいで一挙両得なんだね。

 牧村は、森は誰のものでもないから煩いなくていいねと教えたが、森に住む畜生は生存競争で食い合っているよと言い返したい。三浦に怒鳴られたと感じた牧村はビクッとしたあとストローでオレンジジュースを吸った。

「私がかつて虫だったらこんな風に吸ったと思い出したなあ」と私が言うと、牧村が何か言いたそうに息を吐いてストローから気泡をブクブクさせた。みっともない。

「あなたは、やっぱり輪廻転生を信じているんだね」牧村が嬉しそうに言った。

「だって、例えば昨日の私は紅茶を飲みたかったけど今の私はコーヒーを飲んでいるわけで、そのミッシングリンクを埋めるには、私はその瞬間ごとに死んで生まれてを繰り返していると考えるしかない。いつまでも私でない私が在り続けると考える方がよっぽど自然だと思うけど」

「なりたい私になれてる?」牧村が意地悪そうにはにかんだ。

「犬になりたいね。犬はかわいいから」

「昔、私は畜生だったから、わかるんだけど、かわいいもんじゃないよ。殺されるか、従属するかだもん」

「私、犬じゃなければ火星にいる名前もないバクテリアでありたいから、頑張って、無欲な人を屠っているんだよ。馬鹿にしないで」

「私、犬だよ……、私になってもずっと。だから、あなたも、新しい私になってもずっと私だよ。犬にはなれない」

「黙れ」と言う代わりにテーブルの上の飲みかけのお冷を牧村にぶっかけた。牧村は基本善人だから、この行為も畜生じみていると自己評価した。牧村はびしょ濡れになって、寒いと言った。来島が立ち上がって、ハンカチを渡したが、水分を吸うには小さすぎて、ただハンカチも濡らすだけだった。

「私を殺したい?」と牧村が見つめてきた。

「虐殺用のサクリファイスは、きちんとメンバーの総意で決めます。勝手なことしないで下さい」と三浦が振り返って怒鳴った。総意と言っても、ずっとくじ引きでしか決めてなかった。駅前のマンションの五階に住む人を、みんな殺したことがある。くじ引きでそうなったけど、私は、自分の意志で悪くない人を殺した方が畜生だと思うから、そういう非効率な行動には賛同できなかったけど、三浦がやれって言うから。しかも、五階の人だけ燻るつもりが、延焼して、計算も狂った。この事件でメンバーの半分は投獄されたし、畜生道に憧れる気持ちも、他の人たちにバレてしまった。私の真似をする人も増えてしまった。私の仕事は、税金を納めないように計算の辻褄を合わせることにあるが、同期の新井は私の仕事に気がついて、経費をちょろまかし、

「あなたと共犯になれて嬉しいです」と言った。それを理由として新井は、生殖行為を迫り、私の皮膚を吸った。首にあざが残り、私はそれを理由として、新井に虐殺の手伝いもさせた。

 定期的に嬰児殺しを繰り返して、プライベートが充実していたのに、新井は自殺して、悲しかった。しばらく、私が妊む嬰児の原因を新井にできたのに、次に私から生まれる嬰児の根拠を何にしようかまだ決めることができない。決めかねているのを三浦は察して、

「想像妊娠で得意になっている程度じゃまだまだね」と私の腹を殴った。横断歩道の真ん中でうずくまり、叫んだりしたが、みんな無視した。えいとちゃんだけが、私の首に噛みついた。とりあえず袖で傷口を押さえるが、流血は止まらなかった。こういう光景を、よく思い出すから、私はまだ畜生になれないなって、知る。

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畜生ウェイ 上雲楽 @dasvir

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