第18話 観察
「申し訳ございませんでした!!」
腰を深く折り曲げ、頭が膝に付くのでは無いかと思うくらいに頭を下げて謝る姿勢を、ダレンは初めて目にした。
謝罪とは、色んな形がある物だな、などとぼんやりと思う。心から申し訳ないと思い、その気持ちが如何すれば伝わるか、身体が勝手に動いたのだろう。謝っている本人すら戸惑っている。
「生理現象だ。仕方ない。お前は何も悪くない、ウィリス」
ダレンは深く反省し謝罪をする、元軍人で現在は伯爵家の専属運転手をしているウィリスに声を掛けた。
勢いよく頭を上げたウィリスは「しかし!」と顔をグシャリと情けなく歪め、ダレンを見つめる。
【女神の愛し子】が消えた。
恐らく、犯人に連れ去られたのだが、その時にウィリスはトイレへ行っていたのだ。
ダレンが教会へ到着し、運転席にウィリスが居なかったのは、丁度、教会内のトイレで用を足していたからだった。
「私が居れば、防げた事でした!」
「生理現象は止められん。そもそも、犯人が来るのは明日だと思っていた僕にも落ち度があった。起きた事はもう仕方がない。今は、犯人に運が向いていた。それだけだ。僕だって、貸出車が途中で燃料切れを起こした。それだって、犯人の運が良かったからだ。だけど、僕はこれ以上、犯人に幸運を与える気などない。少なくとも、僕が来た道をすれ違った車はいない。なら、別の方角へ向かって行った事は明白だ。今は、それがどの方角なのかを見極め、行動するのみ。さぁ、話は終わりです。皆さん、僕は今から観察をしますので、どうかあまり歩き回らないでください」
そう言うと、ダレンの纏う空気が変わった。元々切れ長の瞳だが、開きが大きいためか、普段はあまり鋭さは感じない。だが、今のダレンは鋭い視線で地面にしゃがみ込み、道を観察している。
靴の跡、その種類や数、そして車輪跡……。
足跡は複数人が歩いたせいで、どれが犯人の物か見分けるのは難しかった。しかし……。
ダレンは何かに気が付いたのか、ニヤリと口角を上げ、ポケットからルーペを取り出した。そして服が汚れるのも厭わず両膝を地面に落とし、手を着いて
「オ、オスカー様!?」
院長が驚きの声を上げたが、キャロルが「いつもの事ですから」と宥めた。
「ダレンは人より視力が良いんです。私たちが見落としてしまう様な小さな変化すら、見落とさず見つけることが出来るのです」
ダレンは素早く立ち上がると、今度は伯爵家の車に近寄りタイヤを観察する。
「これは素晴らしい……」
呟く様に放たれた言葉に、キャロルがダレンに近寄る。
「何か手掛かりが?」
その声にダレンはキャロルを振り返る。その瞳は、先程までの苛立ちや悔しさの混じった瞳では無く、ギラギラとした物だ。
「キャロル、車とは本当に素晴らしい物だな」
「……どういう事?」
「タイヤには溝があるだろ。どうやら車ごとにタイヤは違うようだ。靴の裏と同じだな。よく似ているが、明らかに違いがある箇所を見つけた。幸運の女神は、犯人ではなく僕に微笑みを向けてくれたよ。犯人が向かった先は、まだ道の整備がされていない森へ向かう方角だ。お陰でその跡が何処へ向かったのか、僕には見ることが出来る」
その言葉に、キャロルは瞳を大きく見開いた。
「キャロル。君は僕の家へ向かってくれ。鍵はこれだ。昼過ぎにエリックが来る事になっているから、部屋で待っていて欲しい。あの子は沢山食べるから、何か美味いものを見繕って大量に買っておいてくれ。これで足りなかったら、後で支払うから出しておいてくれ」
ダレンは自分の家の玄関と部屋の鍵、そして幾らかの金銭をキャロルに手渡した。
「僕は犯人の車の跡を追う」
「わかったわ。どうか気をつけて」
「ああ」
ダレンは立ち上がると院長に向かって声を掛けた。
「院長、この教会には自転車はありますかな?」
「自転車でございますか? ええ、今は一台エリックが乗って行ってますが、もう一台ございます」
「お借り出来ますか? 必ず返しますので」
「え、ええ、もちろんでございます」
院長は若い修道女に自転車を持って来る様に伝えると、直ぐに取りに走った。
「では、お借りします」
「オスカー様」
「はい」
「どうか、あの子を助けてください」
院長が両手を組み祈る様に訴える。それを見たダレンは、深く顎を引く。
「もちろん、助けてみせます。では。キャロル、エリックを頼む」
「任せて!」
二人は頷き合うと、ダレンは自転車を走らせ車を追った。
「では、院長様。私も行きますわ」
「ええ。エリックをよろしくお願いします」
「もちろんですわ! では、また伺いますわね」
「はい、お気を付けて」
「ありがとう」
キャロルはウィリスを促し、センター街へと向かわせた。
***
エリックは王都内にある六箇所の教会のうち残り一箇所へ新聞を配り終え、ホッと息を吐いた。
普段よりも、通りをすれ違う人を観察しながら教会を巡ってせいか、いつもより少し時間が掛かった。
喉の渇きを感じたエリックは、公園へ立ち寄り、公共水道で水を飲もうと考えた。腹が減った時にも、よく利用する水道だ。普段は水を沢山飲んで、空腹を誤魔化していた。だが、今日はこの後、ダレンの手料理を食べると思うと、喉を潤す程度にしようと考えた。
そうと決まれば、自転車の向きを変えて公園へ向かおうとした、その時。
後ろから聞き覚えのある言葉が聞こえた気がした。
エリックは素早く振り返る。
ついさっき、新聞を配りに行った教会から、例の男女が男児を連れて出て来たのだ。
心臓が強く跳ねた。エリックはその二人をじっと視線で追う。車に乗り込む子供。
「あ!」
後部座席に黒髪が見えた。あの横顔は間違いなく、あの子だ! と分かると、エリックの心臓は激しく動き出した。
一瞬、思考が停止しかけたが、すぐに一人の美しい男の顔を思い出した。
「ダレン様に知らせなきゃ!」
エリックは横掛け鞄のポケットから、ダレンに渡された名刺を取り出し、その名を指先で触れる。
彼なら、絶対に助けてくれる。
そう強く思い、ひとり力強く頷くと、公衆電話を探し出したのだった。
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