六章『断絶』~第一話 初めての体験~
ステルの宿で一夜を過ごし、明朝。イスパは一路ブルームの町を目指した。付近の地形まで覚えているわけではないが、まあ近くまで行けばわかるだろうという思考。他の物には目もくれず、北へ。いつもより速く。少しだけ速く。空は快晴。気持ちのいい朝。風も心地よく、飛びやすかった。
飛んでいる最中、イスパは無心だった。昨日まで色々と考えていたが、今は無心。ただブルームの町を目指して飛ぶ。この日のイスパは休憩することもなく飛び続けた。着陸の回数も普段と比べて少ない。急いでいるわけではないのだが、急いでいるように見える。
今、手がかりを持っている。何もなかった大樹探しの旅に、希望が見えた。ウェルナと会ってから、ではない。それよりももっと前から、イスパが探し求めていた手がかり。
まだそうと決まったわけではない。肩透かしかもしれない。何もないかもしれない。その可能性もある。それでも、期待した。事実、魔石というのは未知の物質。こんな大きなものは、おそらく誰も入手したことがないだろう。なにせ、湖の底に沈んでいたものなのだから。
大樹の手がかりとなるか、別の何かにつながるか。そう信じ、イスパは駆けた。到着はその日の夜。普通では考えられない、異常な早さだった。
以前は門番に止められたが、今回は無視した。上空から直接町に、ウェルナの家の前に降りる。夜中に突然人間が降ってきたことに驚く人々を後目に、イスパはそのドアを開けた。相変わらず鍵はかかっていない。
「……来客とは珍しい。誰だね?」
ウェルナが机に向かったまま言った。こちらを見ないので、イスパに気付いていない。
「ウェルナ。魔石」
「……んん?」
イスパが短く声をかけ、ようやく振り返った。来訪者がイスパであることを知り、立ち上がる。
「イスパ君じゃないか。戻ってきていたのかい?」
「今着いた。それより、これ」
イスパが袋から魔石を取り出し、巻いていた布をほどく。それを見たウェルナの表情は、イスパが見たこともないほど驚愕していた。
「魔石……!? こんな大きいものをどこで!?」
身を乗り出し、イスパに掴みかかるほどの勢いで迫る。思った以上に反応が大きかった。
「湖の底に」
正確には、ブラウジーという町の湖。その真ん中に沈んでいた。誰にも見つけられないままで。
「湖だって……!? いや、それよりこれは……」
ウェルナは魔石を神木の種として栽培した。今彼女の目の前にあるこれは、とてもそんなちゃちなものには思えない。仮にこれも種子として使えるとして、どんな大きさの神木ができるのか。むしろこれだけの魔石なら、何かか別のことに使えるのではないか。可能性は無限。
「ウェルナにあげる。調べて」
興奮しているウェルナに対し、淡々と話すイスパ。あまりに冷静なイスパを見て、ウェルナもようやく落ち着きを取り戻した。
「あ、ああ……しかし、いいのかい? これだけのものなら、魔法使いであるキミの方が何かに使えそうだが……」
「いい。かさばる」
貴重なものだが、旅をするには邪魔。知識のある人に預けたほうがいい。
「かさばるって……ハハ、そういえばキミはそんな人だったな」
時間にしてそれほど長く会っていないわけではないが、ウェルナは何か懐かしさを感じていた。普段他人と会わないせいか、こうした会話に感傷的になってしまっている。
「承知した。私が預かろう。必ず手がかりを見つけてみせる」
魔法の大樹。それにつながる手がかり。現状最も可能性が高いのがこの大きな魔石だ。長年研究しているウェルナにそこまで言わせるほどの発見。何かがあるはず。
「さっそく取り掛かるが……今日はこの通り夜だ。明日また話をしよう。いつでも好きなときに来るといい」
「わかった」
一晩で何か掴めるのかはわからないが、とにかく明日。イスパはウェルナに見送られながら宿へと向かった。
「……よし」
イスパの姿が夜の町に消えていく。ウェルナは一人家へと戻り、魔石を持って地下へ。小さな炎を灯し、明かりとして手元に置く。魔石を光にかざし、まずはゆっくりと回しながら見る。隅々まで……
「…………」
動かしていた手が止まる。
「……すまないが、今は忙しくてね。日を改めてくれるかな」
背後にある気配に声をかける。いつの間に現れたのかはもはや聞かない。聞いても意味がない。
忙しいと断ったが、相手が動く気配がない。じっと、ウェルナの背後に立ち尽くす。
「これは友人から託された大事なものなのでね。渡すわけにはいかない。諦めてくれたまえ」
危機を感じる。抵抗しても無駄と知っている。殴り合いで勝てるわけがない。それでも、黙って差し出すことはできない。
何故今現れたのか、何を狙っているのか。それもわかりきっている。イスパが持ってきた魔石だ。どこから嗅ぎ付けたのか、最初から知っていたのか。
「まあ別に、そこにいてくれても構わないよ。渡さないことに変わりは——」
閃光。
「……あ…………」
ウェルナの手から魔石が零れ落ち、自身の体も力なく床に倒れ込む。
何が起こったのかわからない。何をされたのかわからない。ただ、実感はあった。
自分はこれで死ぬのだ、と。
「イスパ……くん……」
掠れていく世界で最後に見たのは、イスパの顔だった。この世界で唯一、自分を慕ってくれた者。唯一、自分の研究を信じてくれた者。たとえそれが魔法の大樹のためだとしても、ウェルナにはこの上なく嬉しいことだった。だから今こそ、力になりたいと強く思った。彼女には、可能性があった。
「……すまない…………」
涙が溢れた。いつぶりかわからない涙が。強い感情が。謝って許してもらえることでないとわかっていても、口はそう動いた。
最後にもう一度、光が見えた気がした。
翌日。イスパは朝食もそこそこにウェルナの家へと向かった。今日も鍵は開いている。中に入るが、姿は見えず。しかしそれは想定済み。あの魔石を手にしたら、ウェルナが地下に籠ることくらい容易に想像がつく。
イスパは階段を降り、地下へと向かった。日が届かないので朝でも暗い。明かりも何もないので、火の魔法で部屋を照らした。
ウェルナはいた。冷たい石の床に寝ていた。魔石を調べているうちに疲れて眠った……わけではない。
「ウェルナ……?」
考えるよりも先に体が動いた。イスパは無意識的に、治癒の魔法を使っていた。が、反応はない。怪我を治す治癒の魔法は、死んだ人間を生き返らせることはできない。
「…………」
無駄だと諦め、部屋を見渡す。前に来たときと同じ、小さな神木が三つ。しかし。
「魔石がない」
昨日ウェルナに渡した魔石がどこにもなかった。ウェルナが持っているわけでもない。ウェルナの体を動かしてみたが、下敷きになっていることもなかった。
「誰がやったのかな」
状態を見るに、雷でも浴びせたのだろう。魔法使いであることは間違いない。
「このままじゃかわいそうだよね」
ウェルナを誰が殺したのか。それはわからないが、ウェルナの体をこのままにしてはおけない。イスパは彼女の体を持ち上げると、ウェルナが地下の寝床として使っていたであろう敷物の上に運び、その横にあった布をかぶせた。
「魔石、取り返しにいかなきゃ」
目的が変わってしまった。ウェルナのために持ってきた魔石。ウェルナに調べてもらうために運んだ、大事なもの。これまた誰が奪ったのかわからないが、ともかく前に進まなければ。イスパは足早にウェルナの家を出た、が。
「動くな!」
ドアから外に出た途端、鎧を着た男たちに囲まれ槍を向けられた。警備隊だ。イスパは特に何もしていないのでおとなしくする。
「イスパ=サコバイヤだな。お前がウェルナ=ナトゥアを殺害したとの情報がある。来てもらおうか」
何故かまるで身に覚えのない疑いがかけられていた。殺すも何も、イスパはウェルナに協力を得ようとしてここに来たのだが。
「私はやってないよ」
協力者を殺すはずがないのだが、警備隊は聞く耳を持たないようだった。
「とぼけても無駄だ。雷に打たれたような死に様。魔法でしかありえない。お前が雷の魔法を使えるというのはわかっている。殺害されたのは深夜。お前がこの町に入ったのもその時間だ。お前しかいない」
「知らない」
そんな理由だけで殺人犯扱いされてはたまったものではない。何も証拠がない。
「罪を犯せば誰でもそう言う。さあ来い。続きは牢屋で聞く」
話を全く聞いてくれない。これではどうにもならない。
もはや深くため息をつく元気すらなかった。何もかもが嫌になる。
「いらない。そういうの」
風を吹かせる。大の男だろうと簡単に吹き飛ばす突風。悲鳴を上げて屋根まで飛んでいく警備隊を冷たい眼差しで見送り、イスパはふっと息を吐いた。
「ここはもういい……」
吐き捨てるように言い、飛ぶ。更に強い突風と共に、イスパの姿は空へと消えた。
魔石とウェルナを失った。大樹につながるかもしれない手がかりがなくなった。ただ、新しい手がかりもある。
「ウェルナを殺したのは……誰?」
魔石がなかったということは、奪われたということ。すなわち、魔石を欲しがっている者がいる。ウェルナは殴り合いができるタイプの人間ではない。強奪なら、やろうと思えばできたはず。殺してでも魔石を奪いたい、あるいは殺して口を封じたかった。そんな人物がいる。
調べなくてはならない。死んだウェルナが残した手がかりを。
「……情報屋」
カルスたちとの約束もある。が、そんなことを言っていられる状況ではすでになかった。
イスパは駆けた。数日前に通ったあの険しい通り道。ブルームからなるべく直線距離、南西へ……
「っ……」
ふいに、体が重くなった。風を弱め、地上に降りる。だがうまく着地できず、体が地面を転がった。
「あれ……?」
力を使いすぎた。普段は移動に使っていない身体強化を長く続けたせいで、体に負担がかかってしまっていたのだ。
「ん……」
休むならちゃんと野宿にしたいが、その力も残っていない。イスパは静かに目を閉じ、何もない草原で眠りについた。
夢を見た。ウェルナと初めて会った日のこと。神木や大樹について話したこと。思い返せばそう長く話してはいないが、内容は色濃いものだった。イスパにとって初めて、会話らしい会話をした相手だと言える。そのウェルナが、死んだ。もうこの世界にいない。
『明日また話をしよう。いつでも好きなときに来るといい』
最後に聞いたウェルナの声。会うはずだった。会って、魔石のことを聞けるはずだった。もう二度と、あの声を聞くことはない。
「…………」
目が開いた。木の天井が見える。草原で寝たはずなのだが。
ベッドから体を起こす。杖とその他の持ち物がすぐ側にある。盗まれたわけではないようだ。
「あ、気がついた!?」
床に立つちょうどそのとき、部屋のドアを開けてキヒトが入ってきた。
「よかった……びっくりしたよ。あんな場所で倒れてるから……」
何もない草原の真ん中で倒れていれば驚くだろう。見つけたのもすごいが。
「ここはどこ?」
「リダの町。イスパと別れる前に、俺たち三人が行くって言ってた場所だよ」
カルスたちが目指していたリダの町は、ブルームから見れば南西にある。イスパが戻ろうとしたナマルの町は、ブルームから直線距離で南西の方角。たまたまイスパがこの町の近くまで来ていたのだろう。
「イスパが倒れるなんて、どんな無茶をしたの? 心配だよ」
イスパ自身、困惑していた。ここまで体を酷使したことはない。それに、そこまで魔法を使いすぎたわけでもないのだが……
「……あ」
急に、気付く。自分の体の変化に。
「どうかした?」
違う。今、酷使しすぎたわけではない。その前が動きすぎていたのだ。バーゼルの儀式を受けた後、体の調子がよくなった。魔力が満ちていた。その感覚のまま魔法を使っていた。だが今はそれ以前の状態に戻っている。それに気付かないまま、魔力が満ち溢れているつもりで動いていた。それが実際は自分の限界を超えてしまっていた。
「問題ない」
今は眠ったおかげで元に戻っている。普通の調子。
「そう、よかった。でも今日は安静にしててね」
キヒトは心配してそう言うが、イスパはそうもいかない。ウェルナ殺しの犯人を探すため、あの情報屋のいるナマルの町まで行く必要がある。
「……わかった」
とはいえ、今は仲間であるキヒトが言うのなら従うしかない。カルスとクロトも同じ意見だろうし、引き下がる。
「うん。まあ、町を歩くくらいはいいんじゃないかな。じゃあ俺はこれで」
キヒトが部屋を出ていく。イスパはしばらく待ってから、杖と袋を持って外へ出る。太陽の位置からして、まだ朝早い。一晩寝たらしい。
そのまま町を出て飛び、南へ。ナマルの町を目指した。
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