『不器用なひとに』

やましん(テンパー)

『不器用なひとに』



 『これは、フィクションであり、他の世界のことです。』


    🙇 🙇 🙇



 全世界の、不器用なひと。


 なにも、恥じることも悲観することもありません。


 むしろ、ほこりにするべきなのです。


 それは、才能なのです。


 この世のなかに、器用なひとというのは、たくさんあります。


 このかたたちは、なんでも、器用にこなしてしまいます。


 しかし、それは、よくできているだけで、たいていは、なんの、おもしろみもありません。それだけなのです。ま、たまに天才さんがいますが、それは、仕方がありません。まともに闘っても、勝負にはなりません。


 世の中をおもしろく、楽しくするのは、不器用なひとたちなのです。


 それは、ときに、予想外のきばつな発想をうみだします。


 お金にならなくてもね。


 お金になる必要はありません。


 お金とは、しょせんは、器用に生きる人たちのエゴのかたまりです。

     🙇

 

 ここでは、もう、役に立ちませんし。

      

 みなさんは、自由であるべきです。


 太陽のない空を飛ぶ、とりたちや、暗い地底をさまよう、ねこたちのように。


 器用に生きるのは、あたりまえのことで、たいしたことでもありません。


 しかし、生きる糧を得るために、多少の妥協はしなくてはなりません。いまいる場所を守らなくてはならないのです。自分のために。


 あとは、自信をもって、楽しく、不器用に生きれば良いのです。


 不器用にお手本はありません。


 だから、つねに、独創的なのです。


 わたくしは、子どものときに、ある、先生から『教師になってうん十年、きみみたいな不器用は、始めてみた。』と、言われましたが、それは、称賛だったと、いまは、思います。つまり、そこまで言われた生徒は、他にはいなかったはずですからね。まあ、不器用は、いまでも、まったく、変わりませんけど。


 くりかえしますが、不器用なのを苦にする必要は、ありません。


 引け目に思う必要もありません。


 ただし、けがはしないように。


 また、あまり、その才能にうぬぼれないように、多少、謙虚には、しましょう。


 不器用は、常に、最後まで、不器用に、しぶとく、多少は、回り道しても、生き残らなくてはならないからです。


 不器用は、負けません。


 かならずや、この地球の最後には、不器用な人が、生き残るはずなのです。



 西暦2555年

  『恒久的地下シェルター』にて



追伸


 まだ、地上には出ることが出来ません。地上は、器用な人たちが占領しています。彼らは、ウェルズさんが描いたように、もはや、人類ではありません。ぼくらは、食糧を必要としています。なんとか、不器用にでも、道を開かなくては。


 




 

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『不器用なひとに』 やましん(テンパー) @yamashin-2

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