相思相愛でも別れてしまう家族
「貴様、それが父親に言う言葉かっ!!」
「黙れこのクソ親父、というか今は俺の親父ではないんだぞ。パン屋をやるなら本気でやれ。なんだこの事業計画は? こんなで国庫の融資が通るわけないだろ。無駄な機材が多すぎる、どんだけでかい店を作るつもりだ」
「それは最低限必要なんだっ! 俺の金を使うんだから――」
「俺のモデル代、使ってるだろ」
「……っ、そ、それは……」
「面倒だが口を出すぞ。貴様が失敗したら姉貴も路頭に迷うんだぞ。可愛い娘だろ? 店を失敗して姉貴の結婚式を上げられなかったらどうするんだ」
放課後、俺は実家に帰った。
親父は退職をしていて、パン屋開業の準備に入っていた。
会社勤めの頃からパン教室に通っていたようだが、本格的にパン屋で働いたことはない。
自己資金1000万、国庫の借り入れ2000万予定、開業資金のうち2500万を店舗に注ぎ込んで残りは回転資金……。
街のパン屋としては中々の規模の店だ。従業員を雇う必要があり、相応の売上が必要だ。
月々の借金返済が40万だとしたら、売上は最低でも400万必要だ。しかもこの親父は商店街の一等地を借りようとした。15坪、家賃80万の場所だ。
物件取得費だけで1000万飛んでしまう……。
家賃の適正を10%としたら……800万の売上、一日20万〜30万の超超人気店にならなければならない。坪売上50万以上? 気が狂っている。
一日にどれだけパンを作る必要がある?
とんでもない量だ。その量を質を保ったまま提供できる技術は? 従業員の使い方は?
とんでもない夢物語だ。地獄の未来しか見えない。これが脱サラして店を潰す典型なんだろう……。
「親父、最大の問題を言ってやろう。……初めて親父のパンを食べたが……クソまずいんだよ……。涙が出てきた。……なんで塩パンなのに妙なスパイスの味がする。なんでアンパンなのにクリームが入っているんだ! これはパンに対する冒涜だ」
「はっ? 他と同じもんやっても仕方ねえんだよ! 優子は美味しいって言って……、言って……、言ってくれたっけ?」
隣でお茶を飲んでいる優子。随分と落ち着いた表情だ。まるでおばあちゃんだ。
「ん? 美味しくないけど、父さんが頑張ったから気をつかったんだ。美味しいって言ってないでしょ。クソまずいよ」
「ゆ、優子っ!!!」
親父が頭を抱えながら「……まずいのか……。ショックだ……」とのたまう。
俺は親父の肩を強く掴む。真剣な表情で語りかける。
「いいか、脱サラして店を潰す奴なんて山程いるんだ。貴様もわかってるかも知れないが、全部自己責任なんだ。……真面目にやってくれ。遊びじゃない。……適切な事業計画書と業者の選定などは俺がしておく。出来たら見せるから貴様はそれを見て判断してくれ」
「……しかし」
「俺は……親父のうまいパンを食べてみたい」
何故、俺は実家に帰ろうと思ったかわからない。久しぶりの実家は何十年ぶりのような気がした。
親父のパンはクソまずいのに、何故か懐かしい気持ちになれたんだ。
「少しでもいいからちゃんとした店で修行をしてくれ。鎌倉に好きなパン屋、あるんだろ? その間の生活費は俺がどうにかできる。優子の面倒だってみてやる」
「……わかった、わかった! 確かに俺は浮かれてた。……そうだな、ちゃんと修行した方がいいよな。わかってるんだよ、俺も。……ちょっと電話してくる」
お調子者で自分に自信がない親父。昔の俺のようだ。弱いものには強く、好きなものには贔屓をする。
決して良い親父ではない。
……だが、似ているんだろうな。子どもの頃の俺と。
「ねえねえ草太、久しぶりにスマブラやらない? 最近さ、ゲーム嵌ってるんだ!」
「……姉貴も親父の店手伝うんだろ? ならパン屋でバイトしてもいいんじゃないか」
俺はそういいながら、テレビの下にあるゲーム機をセッティングする。スマブラの画面が起動する。
「ん? もうやっているよ! 超可愛いって評判の看板娘だよ。――よっこらっしょっと」
姉貴が俺の隣に来る。非常に距離が近いがたまにはいいだろう。二人でコントローラーを握る。
「……姉貴、バイト先で猫かぶってるな」
「もちろんっ! あっ、そのキャラはずるいよ!! 私が取ろうとしてんだよ!」
「勝負は残酷だ。負けたらアイスでいいか?」
「えへへ、久しぶりの勝負だね。お姉ちゃん張り切っちゃうよ!」
***
帰り際、親父は――
『……草太、その、あの……、元気にやってるか? お母さんとはうまくやれてるか? お母さんはその、何か言っていたか? ……草太、こんな駄目な親父で……悪かった』
もっと早く言ってくれてば、と思った。
なんで贔屓していたんだ、無関心過ぎるだろ、と言いたくなった。
多分、親父は駄目な人なんだろうな。それでも、あの母が結婚した男だ。きっといいところもあったんだろう。
きっと俺達の関係は時間というものが解決してくれる。
だから。
『うまいパン作れよ』
とだけ言っておいた。
そして、マンションに帰る。
母はスーツ姿のまま、ソファーで横になっていた。
「そろそろ家を出ようと思います」
「あら、それもいいかもね。……その方が私も気が楽だしね。家事は家政婦でも雇うわ」
候補の物件と、自分の資金、今後の計画をまとめた書類を母に見せる。母はさっと目を通し頷く。
「では来週頭には準備をします。お手数ですが、不動産に同伴の準備をお願いします」
「あら、そこは私の知り合いの不動産ね。面倒だから電話しておくわ。一人で行ってきなさい」
母が立ち上がって冷蔵庫を開ける。
ワインをグラスに注ぐ。一口飲んで大きく息を吐く。
「……飲む?」
「いえ、未成年ですから」
「そうね……、私って本当に子育て駄目ね……。子供が出ていくのに、何にも思わないんだもん。はぁ……家族ごっこの時は頑張ってたけど、子供、全然好きになれないわよね。正直、あなたたちが気の毒だったわ、私みたいなのが親で。……草太、あなたは私にもう関わらない方がいいわ。18歳まではちゃんと保護者をするけど、あとは好きにしなさい」
「……はい、一つだけ聞いていいですか? あなたは親父の事は好きだったんですか?」
「当たり前よ、私が唯一愛した駄目男よ」
即答だ。
少しだけ気が紛れたのかも知れない。言葉に感情がこもっていた。
「……バカだけど、唯一私を本気で愛してくれた人。結婚、うまくいかなかったけどね」
「親の恋愛事情はあまり聞きたくないですね……」
俺はリビングから出ていった。
自室の扉を閉める。荷物が何もない部屋。俺と母との共同生活を象徴するかのような部屋。
多分、母とはこれっきりになるかも知れない。
少し、寂しいと思ったが、それも人生だと思えた。
****
「というわけで、一人暮らしをするなったんだ」
白百合との電話。
何もない部屋で唯一ぬくもりを感じられる。
『そっか、心音ちゃんも一人暮らししてるもんね。引っ越し先は遠いの?』
「そんな事はない、小学校の裏山があるだろ。あそこにある新築アパートだ。不便な場所だから家賃も安い」
「歩いて行けるね、良かった……。あっ、一人暮らしするからって遊んでばっかりじゃ駄目だよ。それにお弁当も作らないと』
「まあいつもと変わらないぞ。家事は俺の仕事だったからな」
『……あ、あのさ、たまにだけど、私も草太君のお弁当、作ってみてもいいかな?』
「いいのか? それはなんと……食べてみたい。白百合は料理ができるのか?」
『えへへ、最近関口さんと一緒に料理本見て練習してるんだ。草太君ほどじゃないけどうまくなったよ!』
「せっかくなら晴れた日の中庭で食べたいな。関口と鎌倉を回っている時にそう思ったんだ」
『むぅ、草太君は関口さんのこと大好きだもんね』
とても安らぐ時間、心が温まる瞬間、なんだろう、俺はこんな時間をずっと望んでいたんだ。
「関口の事は好きだが、白百合の事も大好きだぞ」
『もう、冗談はいいよ〜。あっ、家具とか生活用品あるの?」
冗談じゃないんだけどな。好きって言った時、心臓がバクバクしたんだぞ。
全く、白百合は鈍感で困る。
「……また買う必要がある」
『ならさ、今度は私と藤沢デートしようよ! そのまま江の島行ったりしてさ』
その言葉に心臓が再び跳ね上がる。
鼓動が早くなる。
少しの沈黙。どう答えていいか悩んでしまった。答えは一つなのに――
「ああ、一緒に『デート』しよう。詳細はまた明日」
『ぷっ、草太君らしい言い方。うん、また明日ね!」
なんだろう、まるで遠足の前の日のように眠れない夜を過ごしそうであった。
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