二人分の努力の結晶
あの日から一ヶ月が過ぎた。
それでも俺のルーティーンは変わらない。
「や、山田君、私、入学した時から好きでした。付き合ってください」
「……確か一年D組の小野里さんか。気持ちは嬉しいが答えられない。俺にも好きな人がいるんだ」
「わっ……、そ、そうなんですね」
「ああ、それでもよければ気軽に喋りかけてくれ。またな」
「は、はいっ!! わわ……、あ、ありがとうございました!!」
笑みを持って告白に真剣に答える。
あの頃みたいに冷たい定型文ではない。人はそれぞれバックグラウンドがある。友人がいたり家族がいたり、人生で重要じゃない人間なんていない。
小野里は走り去って行った。
何故か後ろ姿が懐かしく感じられた。……もしかしたら選択肢が違ったら、他の人生で深い仲になっていたのかもな。
胸に手を当てる。
誰かが俺の中にいた、という認識だけはあった。ぼんやりとしか覚えていない。
覚えている必要がない事だけはわかる。
教室に入るとボクシング部の松田が近寄ってきた。松田とは昔いたジムの顔見知りだ。最近それに気がついた……。
「おう、山田。やっぱお前モテるよな〜」
「いやいや、中学の頃の同級生の風間という奴には負ける。好意は嬉しいが話した事もない生徒を好きになるのは難しいだろ」
「優しいんだか厳しいんだか……、ていうか、時任がまた勉強会から逃げたぞ」
「なんだと? あいつ……、そんなに勉強が嫌なのか……。俺も好きではないが学生ならやることやってから遊べばいい」
「たはは……、そんなに怒るなって。多分C組にいるだろ。ほら、白百合さんと関口さんの近くだとセーフティーゾーンだからな」
いつからだろうか、俺は教室の生徒たちと普通に話していた。
きっかけはよく思い出せない。深く考えたこともない。
「ちょっとC組に」
「お、なんか緊張してるな。頑張れよ!」
「茶化すなよ、松田。後で覚えてろよ。今日はボクシング部の体験だからな」
「おう! 期待してるぜ! ていうか、尖ったナイフの山田がこんなに落ち着くなんてな」
「と、尖ったナイフ?」
「ああ、お前中学の頃のジムでそう言われてたんだぜ。神埼とは違った怖さがあったぞ。……まあ昔の事だな」
本人は自分がどんな風に変わったかわからない。
他人の方が変わった事に気がつくらしい。
これは経験談だ。
C組を覗くと時任が白百合グループの女子と楽しそうに会話をしていた。
俺は扉をノックする。何故か女子生徒から歓声が聞こえたが気にしないようにした。
時任がびっくりしたハムスターのように止まった。
微動だにしない。
「あっ、やべ……」
「時任、さあ勉強の時間だ。中間テストまで時間がないぞ」
「し、白百合ちゃーんっ助けて! 山田がいじめる!!」
「赤点を取ると補修を受ける羽目になる、ということは夏休みが少なくなるんだぞ? それでもいいのか、時任」
「い、いやだよ……。どっちもいや!!」
「お前は……何故この学校に入れたんだ……」
時任が白百合と関口の後ろに隠れる。
「まあまあ草太君、テストまでもう少しあるから大丈夫だよ」
「……いや、むしろ私もやばいかも。時任、あんたも成績悪いんだよね? あんたに勝てるように頑張るっしょ!」
多分、これが心地よいやり取りなんだろう。
……あの日から2人の事を妙に意識してしまう。
多分、好きなんだろう。でも、これは淡い恋心だ。まだこの気持ちを大事に温めて行きたい。
「えへへ、2人の前だと山田はゆるゆるだからね〜」
「……勉強時間二倍にするか?」
「ごめんごめん!!」
「あっ、草太君、今日は部活体験するんでしょ? なら私がみっちり勉強見ておくよ! 2人ともよろしくね!」
「うわ……」
「マジか……」
「頼むぜ、白百合。あっ、そうだ、残念だが今日の夜はゲームにログイン出来ない。少し母と話し合いをする予定でな」
たまに口調が乱れる。
なんだろう、別にそれでも構わないと思えた。
「うん、りょーかい! あっ、そろそろコスプレ衣装作らなきゃね! 私も作品進めているよ。えっと、関口さんもコスプレしてくれるってやっと了承してくれたよ」
「ふむ、衣装作りか。何事も経験だな。関口は何のコスプレをするんだ?」
関口は少し恥ずかしそうにスマホを俺に見せる。
……そ、それは。18禁ゲームのヒロインではないか!?
「……リトルバスタードっていうゲームのヒロインらしいんだ。超可愛いからこれにしたんだけど」
「なるほど、楽しみにしていよう。全年齢版があるからゲームもプレイしてキャラを把握しておけ」
「ちょ、草太! なんか珍しくエッチな感じがする!」
「気の所為だ。――さて、時任、今日の午前中は体力測定だ。さっさと着替えて移動するぞ」
「おっ、そうだったね! 運動なら得意だもん! 絶対クラスで一番になるよ! じゃあね、みんな!」
俺達は軽い挨拶をしてC組を出る。
C組でも顔見知りが出来た。というよりも、この学校には元々俺の知り合いが多かったようだ。中学の頃の同級生や、ボクシングジムメイト、それに街でトラブルがあった時に出会った生徒たち。
出会いは様々だ。
俺はどうでもいいと思って、関わらないようにしていた。いつしか本当に認識しなくなっていた。
まるでゲームの中のモブという認識であった。
今はそんな事はない。
例えば、教室の隅っこにいる大柄な少女、龍ケ崎。
事務所の後輩がクラブで悪さしているという噂を聞いて、乗り込んだ時にいた少女。
そのまま龍ケ崎と2人で後輩を追いながら探偵の真似事をし、波乱万丈の夜を明かした……。
ん? まてよ? こんな事は一度ではない。ボクシングジムの神埼の時もそうだし、東京の学校に通っている田中君という有名アイドルと関わった時もとんでもないトラブルに巻き込まれた。
……俺は巻き込まれ体質なのか?
「山田、ぼうっとしてんじゃないわよ。早く行くよ!」
「ああ……、時任、妙に偉そうだな……」
****
体力測定。
中学から努力を続けた結果、俺の身体能力は一定以上高くなった。
ボクシングは技術的な競技だから努力を積み重ねると一定の強さを得ることができる。
正直、俺の身体能力はこれ以上、伸びないと思っていた。才能の限界というものを理解していた。
だが、何かがおかしかった。
「えっ……? 山田やばくね? 陸上部よりも速えぞ。松田、お前同じジムだったんだろ?」
「いやいや、確かに強かったけど、あそこまで動けてなかったな。……覚醒か?」
「覚醒ってなんだよ!? ていうか、握力やべえ……90って高校生のレベルか?」
「元々山田って何か余裕があったっていうか……。ほら最近あいつ雰囲気変わったし、本気出したんじゃね?」
「それが運動能力と関係あんのかよ!」
身体を動かすのは楽しかった。
そうだ、楽しかったんだ。『努力』の一つして義務的に運動をしていたが、違ったんだ。
俺は運動が好きだったんだ。
以前よりもずっと身体が動く。枷が無くなったというか、『違う人間』の能力が加算されているようだ。長い年月の努力を重ねた誰かの経験を……。
感覚でそう思える。
「キィィィッ!! 悔しい! 山田に負けた!」
「いや、男子と比べるもんじゃないだろ。時任、お前は女子で一番だ。誇れ」
「へ、へへ、毎日チワ助と走っているかいがあったね!」
「……あんまり運動部には言うなよ。お前帰宅部だから嫉妬されるぞ」
身体の異変はそれだけじゃない。
ボクシング部の体験でも感じられた。
以前は松田といい勝負をしたが――
「おいおいおいおい、お前サボってたんだろ? なんで俺より強くなってんだよ! 今なら神埼だって倒せるぞ!」
「なんでだろうな? ……犬と遊んでたからか?」
「てめえふざけんな!! どうしたらサンドバックが浮くんだよ! 一発もパンチが当たんねえなんてありえねえよ!? くそ、練習だ」
パンチが止まって見える。力が十全に扱える。人が動く前に筋肉の収縮で動きがわかる。人の急所が的確にわかるようになった。
……どんな経験をしたらそんな風になれるんだ。自分の事だか……。
それだけじゃない、頭の回転が恐ろしく早くなった。
解いたことの無い、大学の問題が解けてしまったんだ。
勉強だけじゃない、知識があふれるように頭に蓄積されていた。
「……努力したんだな。……俺よりも凄いじゃないか」
俺の中にいた何か。
多分、それの経験を俺が引き継いだ。
そんな事を考えたが、すぐに霧散した。
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