第三話
土日は何もせず、山の中で走り回っていた。
全くあらましの掴めないAI自殺の怪異は、脳裏に浮かんですら来なかった。
が、月曜の学校に出る前の朝、ダイレクトメッセージが届いて、俺はその問題に引き戻された。
『いつ頃なら来られますか?』
この人誰? とすら思った。
俺は数字が並んでいる端の方に位置する、もう一つのエンターキーを使いながら、
『逆に、いつ頃なら行けますか?』
と尋ねた。
『平日は無理なので、土日ですね。二十、二十一辺りです』
待ってましたとばかりに、コンマ数秒で返信が届いた。
『なら、二十日に行かせてもらっても良いですか?』
『はい、じゃあ、それで。待ってます。学校頑張ってください』
俺は時間を確認し、パソコンを切った。
「くろんぼ!」
短い脚を懸命に動かしながら走っていると、裏から二人乗りをしている自転車が猛スピードで横切っていった。もう少しでぶつかる、という間合いで。
――なんやあれ。
俺は、あと十分くらいの桜のつぼみが付き始めた道筋を走った。
何となく、開花しつつある桜が眩しい。
――なら俺は、桜の木の影か。
「桜を汚すなぁ!」
ニヤニヤしながら、それなりに肌黒なクラスメイトが通り過ぎていった。
俺は太ももを二回ずつ叩いて、桜の木の影を思い切り踏みながら進んだ。
「おはよ、将ちゃん」
YouTubeのアカウント名、鎧塚将門を知っているただ一人の女、
まるで一昨日のことなど無かったかのように、無垢なように見えるがどこか意味深な笑みを浮かべて背中をぶっ叩かれた。
「動画編集、出来てんの?」
「いや、全然……」
しどろもどろになりながらも俺は答えた。
「あ、そう。まあいいや。ところでさ、将ちゃんワールドミステリーツアー見た? 昨日の。災禍村って言われてる心霊スポットの特集してた。そこに東雲さんが行ってたねん」
「いや見てへん」
「いや絶対見た方がいい。多分ウォッチャーとかで見逃し配信やってるから」
「生憎、知っての通りうちにはテレビが無いものでね」
「スマホで見れるやろ?」
「そんな金あらへんわ」
……沈、黙。
胸の中を渦巻くブラックホールが、だんだん大きくなっていく。そのくせ、もやもやは一切吸い込んでくれない。
「もうそろ九年やな」
何とか話を続けようと出した話だったが、
「せやな」
会話終了。
小中一貫校であるこの学校だが、如何せん田舎でただでさえ人口の少ない上に、別の中学にバスで通う者もいるため、クラス替えは行われない。
「まあええわ、なんかおもろそうなネタあったら教えてくれ」
「さっき教えたけどな」
「まあ……」
彼女と同じ空気を吸うのが何だかむさ苦しくなってきた俺は、息を止めてその場を脱した。
「お、喧嘩か?」
「くろんぼ失恋?」
ヒュゥッ、ヒュゥッと、冷やかす音が耳に響く。
力士のように太った身体に饅頭のような頭をした狐目と、身長の低い色黒にネズミのような出っ歯をしたギョロ目が指笛を吹いていた。
「別に俺は、こいつと付き合ってるわけじゃない」
「そんなこと言っちゃって?」
「嫌われ者同士、仲ええんちゃうん?」
「別に向こうが勝手に寄ってきただけやしな。来る者はお前らみたいに拒まん主義や。第一、お前らが勝手に嫌っとるだけやんか」
「まあ、はっきり言うてキモイからな、お前ら」
相手は目の色を変えた。
獲物を狩る目に。
「俺がえらい色黒で毛深いからか? それ言うんやったら、お前も相当に毛深いし、しかも俺の二倍くらいの横幅があるぞ。キモイとしか喋れん人間ってな、嫌われ者の目から見ればまあまあモテへんねんな」
俺は、目の色などまるで意識することが無く、“既成事実”をつらつらと述べた。何も、嘲っているつもりは無く、かといって抵抗するつもりもない。
だが、相手方は関節をバキバキ言わせながら、ニヤニヤと近寄ってきた。
「不純物は消すだけや」
饅頭頭の方が、今すぐ木造校舎の床が抜けてしまいそうな勢いで走ってきた。
俺はすっと横にずれ、右足をすいと出した。
「ぬおっ!」
豚足は見事に掛かった。
豚のような巨体がふわり。手と足を自分は飛べると錯覚しているかのようにバタつかせて堕ちた。
バキッ!
校舎全体が軋む音がした。
「うわっ、あかん腰やった! 痛ぇ! おいチビ助が、そんなカバに手ぇ出しとらんと助けろ!」
饅頭頭の声に、俺の心がぶるんと振動した。床の軋みに共鳴するかのように。
振り返れば、ネズミの方が可乃子の太い首に右腕を回していた。左腕は持て余したように、ブラブラと可乃子の身体の前を漂っている。
「止めんかい!」
「おっ、さすがくろんぼ。恋人のことは見捨てへんええ漢や。容姿と変質ぶりだけ治ればモテたやろうになぁ!」
ネズミは唾を吐き、カカカと笑いながら可乃子を連れて逃げ回る。
俺はじっくりとネズミを壁側へ追い詰め、動きが少なくなったところでポケットからパチンコを取り出した。
すぐに石をセットし、一投目。僅かに外れる。弾は窓ガラスに着弾した。だが、ネズミの出っ歯が口の中へ戻った。目には、確かに恐怖の色が宿っていた。
間を置かずにすぐに二投目。今度は、ネズミの眉間を見事に弾いた。
「痛いやろ! この野郎!」
喚き声を無視し、俺はネズミへ突進した。横に飛んだ。俺はその足を拾った。
ゴチン
ネズミの頭がよほど硬かったのか、重い石同士がぶつかるような鈍い音が、スペースの有り余る教室に響いた。
パチンコを鉛筆回しの要領で一回転させてポケットに収めた時、俺はようやく、大勢の人間が心を乱闘に吸われてしまったような目でこちらを注目していることに気づいた。
「鬼塚さん、ちょっといい?」
その中に、重度のキレ症である担任のババもいた。
俺は、歯を食いしばり、身体を震わす担任の顔をしげしげと見て、歩いて現場から逃走した。
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