本気になるまでの心の痛み

10数分くらいたって彼が部屋を出てきた。


満足げな顔をしていたので、俺は思わず一寸先の絶望を予見した。しかしオーディションはまだまだ続くことを、次の名前が呼ばれたのを聞いた時に蘇るように思い出した。


確かに彼はライバルだ。でも他の役者さんだって相当レベルが高い人たちばかりが来ているはずだった。そんなことは最初からわかっていたのに、どうしてラザールにばかりスポットライトを当てていたのか。


本番のステージに立てるのは1人だが、このステージに立っているのは俺を含めて何100といる。落ち着いて、信じること。



「すいません。アントワーヌさんですよね。」



「え、ああ。」



オーディションを終えた役者はスタスタと速足で帰っていくのが普通なのに、もう誰もいない廊下の隅でラザールを見るためだけにしばらく立っていた俺。当の本人がやってくることにも気付かず、ただじっと不安と戦っているだけだった。


「え、ああ!?」


「わ、びっくり・・・・・・。とりあえず出ませんか?」



「ごめん。」



会場を出て近くのベンチに座ると、ようやく一息つくことができた。よくよく考えてみなくとも、会場をとっとと出るべきだったのだ。でなければこんなに不安と戦わずに済んだだろうに。



「それでアントワーヌさんはどうしてこのステージを選ばれたんです?」



「主人公としてステージに立ちたいってのもあるけど、どうしてもここじゃなきゃいけないって理由があったんだよ。」



「どうしても?」



「うん。ちょっといろいろね。」



「そうですか。」



目を閉じて、少し息を吐いた音を出す。なんとなく話したくないのだとわかったラザールは、これ以上無理な質問をするのをやめた。



「ラザールはどうしてこのオーディションに来たの?」



「やっぱり経験のためです。若いうちからどんどん挑戦したほうがいいんじゃないかと思いまして。」



「そっか。」



当たり前だよな。俺がビビってただけで普通は挑戦するんだ。若手役者だからこそ経験を積むことが大事なんだろう。


無茶とかそういういらない理屈はもう捨てないといけないところまで来てるんだから。


「そういえばさ、1つ気になってたっていうか聞きたいことがあるんだけどいい?」



「いいですよ。」



「あの面接の時、俺の演技なんでバカにしなかったの?」



「そんなの当たり前です。僕は人が頑張っている姿を馬鹿にするようなことは絶対にしたくないんです。」



また当たり前のことを言われてしまった。そりゃそうだな。俺は頑張ってたんだし・・・・・・。わざわざ笑う訳もないってことだよね・・・・・・。


頭が真っ白になって、なにもかも吹き飛んでしまう。本当にやりたかったはずのこと、遅くまで練習したこともたった30秒くらいで消えてしまった。ゲームのデータが突然消えたみたいなあの時の恐怖や不安感は自分の頭ではなく心臓が強く覚えていた。



「俺さ、あん時すげえテンパってどうしたらいいかわかんなくなった。だからピエロなんて頭のどこにもなかった演技をしちゃったんだ。やっぱり馬鹿だ。あそこにいたやつらの言ってたことも俺は正しいと思ってたし。」



やっぱり馬鹿だよな。今だって、自分がどんな演技をあの場でしたのかとか強く不安になっちゃってる。やめなきゃいけないのに、、



「だから、それがなんなんですか。スターになるために事務所の面接にきた。という思いがどれだけ本気だったのかはわかりません。が、少なくともそうやって不安を抱いたり、嫌な記憶として残っているということその分、痛いくらい本気だったってことですよ。」


「いいじゃないですかそれだけで。セリフが飛んでも変な演技をしてもそこに立っている以上は最後まで本気を貫く。僕はそれをスターだと思います。」


痛いくらい本気だった。痛みがあるから本気だった。俺が悩んでいた事の本質を一発でつかんだ言葉は辛くも俺の心に強く響いた。


「スターになるなら。他人のことを見ている暇はない。だから前を見て、それだけで痛くなんてなくなる、本気に変わるはずですから。」







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