渓流釣り

すみはし

渓流釣り


「この間渓流釣り釣りに行った時の話なんですが」



尾崎さんは先日A県に渓流釣りに行った時の話をしてくれた。

尾崎さんは釣りが趣味で、週末には野営もかねて山へ行くのだという。

渓流釣りは大型連休でも人もそう多くはないので、アウトドアな趣味としては楽だそうだ。


今回行った山は新規のもので、さほど高くはないが木々茂る山の中、空気も澄んでいる。

渓流も見事なもので、大きな岩が積み重なった絶景に高くから落ちる勢いのある滝の音が心地よかった。


「そんなにね、山に行くとは言っても登山ってほどのことはしないんですけど」

そのときはかなり上機嫌になっており、珍しく高みを目指してみることにした。

いつもより上の方へ進むとかなり開けた場所があった。


昼過ぎにテントの設営なども終え、尾崎さんはさっそく釣りを始める。

川魚は活きが良く、想像以上に大きな魚も釣れ、今回はかなりアタリだったという。


清らかな景色を眺めながら塩焼きを食べ、尾崎さんは休日を満喫していた。


のんびりとした空気を楽しんでいるとあっという間に時間が過ぎていく。

夕暮れどきになってくると周辺の空気がまた違ったもののように感じられた。

夕飯にはいわゆるキャンプ飯なる豪快なご飯を楽しむ。

腹も膨れると尾崎さんはテントの中で横になった。


気付いた時には日は落ち、薄暗くなっていた。

薄暗い景色を見て、尾崎さんはいそいそと再度釣りの用意を始めた。

夜間の渓流釣りは禁止にされているところが多く、尾崎さんが今いる山ももちろん禁止区域に当たる。

しかし、夜釣りは星空のもと、虫の音を聞きながら釣りをするというロマンがある。

一度それを知って以来、尾崎さんはひっそりと夜釣りをおこなうようになった。


昼間と明らかに違う空気にわくわくする尾崎さん。

昼間の澄んだ明るい印象とは違う、暗く重たい雰囲気のある空気。


尾崎さんは釣りを始めるが、こういった良さげな場所に限ってなかなか釣れないものである。

気長に糸を垂らし虫の音を聞いて空を眺める。


ふと周りを見渡すと、月と星の明かりの向こうに自分と同じようなランタンの光のようなものが見えた。

やはり自分以外にもこういったことをする人はいるのだなと悪い笑顔が浮かんだ。


こちらがランタンを揺らして相手にアピールすると、向こうもしばらくしてこちらに気づいたようでランタンがゆらゆらと揺れた。



「つれますかー」



尾崎さんは秘密の夜釣り仲間の発見に喜び、声を張った。

こういうものは近づくより誰が誰がかわからないのもオツなものである。



「つれますよー」


向こうから返事があった。

尾崎さんは全くの成果無しだったのでうらやましく思った。



「つれますかー」



今度は向こうから問いかけがあった。



「自分はダメですねー」



ため息交じりに尾崎さんが答える。



「こっちはつれますよー、いっしょにどうですかー」



いかがですか、と声が呼ぶ。

尾崎さんは現在地でのシケた釣りをあきらめ、声の先へ向かうことにした。



「つれますよー」


迷子にならないよう、向こうはランタンを揺らし声を上げ続けてくれる。



「つれますよー」


声のわりに思いのほか距離があるようだ。



「今向かってます―」


「つれますよー」


「はーい」


「つれますよー」



そんなやりとりとランタンを頼りに道をたどる。

声の先のほうが上流のようで、足元に気を付けながら登る。


上り続けてもなかなかたどり着かない。


ランタンの揺れがときどきちらつきを見せ、開けた道にいないような気がしてくる。



「つれますよー」



声とランタンがだんだんと不気味に見えてくる。

だがここまで来た手前、無駄にしたくない気持ちとどんな人が呼んでいるのかという好奇心が勝り、恐る恐る近づいていく。



明かりが随分と近くなった。

このあたりで川がカーブしていたため、その向こうにいるその人のランタンが木々に隠れてちらつきを見せていたのかもしれない。


少し木々の中を通った方が近道かもしれないと思い、ショートカットのために木々の間に入っていく。



「つれますよー」


声が近づくのを感じる。



だが、おかしい。

こちらの方面は川のカーブにしては“曲がりすぎている”。


生い茂る木々の中、空からの光が少なくなり、自分と相手のランタンだけを頼りに歩く。


自分のランタンがジジ、とにじむのを感じた。

ここで消えてくれるなよ、と思いながら尾崎さんは先へ進む。


もう意地のようなものだったという。

ここまできてやっぱり帰るなどもったいない、ありえないと。


尾崎さんのランタンが限界を迎えそうになったころ、ゆらゆらと揺れる相手のランタンを目の前にした。

ランタンの位置は尾崎さんの手のランタンよりかなり高く、相手の足元は暗くてよく見えないが、確実に浮いていた。

よく見るとキャンプ用の簡易の椅子が蹴とばしたように転がっていた。


「吊れますよー」


尾崎さんを呼んだ相手の首にはロープが巻かれており、少し高い木の枝からぶら下がっていた。

その人の重みでゆらゆらと揺れる体で、ランタンも一緒に揺れていた。

足元には


「いっしょにどうですかー」


尾崎さんは顔をあげることができなかった。

相手がどんな表情なのか、どんな顔なのか、生きているのか、尾崎さんは見えないふりをしようとした。


「吊れますよー」

「いっしょにどうですかー」

「吊れますよー」

「いっしょにどうですかー」

「吊れますよー」

「いっしょにどうですかー」

「吊れますよー」

「いっしょにどうですかー」


何度も何度も問いかけてくる相手を前に、恐怖で一歩も動くことができず、それどころかへたり込んでしまった。

しかし、上だけは見ないようにしていた。




そのうち気を張りすぎたのか尾崎さんは気を失ってしまったらしい。

朝日のまぶしさと鳥のさえずりに目が覚める。


ごつごつとした寝心地の悪い中、尾崎さんは体を起こす。

昨日の夜のことは悪い夢だったのではないかと。


しかし体を起こしたその先にはぶら下がったままの人の腰から下が視界に入った。

ヒッ、と小さく悲鳴を上げた尾崎さんの手はなぜか太く丈夫そうな長いロープが握られていた。




以来、渓流釣りはやめたというが、今度堤防のほうに夜釣りにいくらしい。

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渓流釣り すみはし @sumikko0020

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