第1章4-7
系譜の儀式当日。まだ夜も明けきらぬうちから準備が始まった。
あまりの緊張で眠れなかったし、目も冴えている。まずは白い衣一枚で、禊ぎをする。夏前とはいえ、まだ水は冷たいが、頭から水を3回かぶった後、丁寧に髪を乾かし、梳かしてから髪型を整える。
軽い化粧を施した、蜜柑色の柄のない衣を纏うと、本殿へと向かう。
朝も早いというのに、そこには多くの朱家縁者が両脇に並んでいる。
父と母はその列の先頭に、真ん中には宇航(ユーハン)様が立っている。
その後ろには祭壇がもうけられ、この前は壁だと思っていた奥に多くの位牌が並んでいる。普段は飾り板で目隠しをしているのだろう。
侍女に手を引かれ、父の元まで行くと両側に並んでいた人達が中央へ移動する。
父と母が宇航(ユーハン)様の前に、その両親の後ろに私が立つ。昨日、流れは教えてもらったが、緊張で心臓がバクバクしている。
父と母が跪き、続いて私がゆっくり手を使って足を折り曲げる形で、座る。本来は跪くのが正しいのだが、私の足では難しく、座る形を取った。
その後、頭を床にゆけ、3度拝礼を行う。
宇航(ユーハン)様が先祖への報告と私の系譜の記載を終えた後、祝詞を唱えている間、ずっと床に頭を付けた状態だ。
それが終わると、父、母、私の順に立ち上がり、先祖の位牌の前で3度拝礼した後、三人揃って縁者に1度拝礼を行う。
宇航(ユーハン)様が、正式に両親と私の名前を読み上げ、儀式は終了となる。
時間の流れも分からぬほど緊張していたが、何とかやりきった。
ほっとしたのも束の間、今度は本家へ移動させられ、以前試着した衣と装飾品を身に付け、化粧を施される。
私は何もしないのだが、この支度は何故こんなに疲れるのだろう。
支度が終わり、呼ぶまで待てと言われた部屋で、重い装飾品と共に置き去りになる。
挿した簪の部分が痒くて搔きたいのだが、髪型が崩れそうで我慢するしかない。
外は段々と騒がしくなっていく。男女の声が入り交じり笑い声も聞こえてくる。
お客様が屋敷に到着しているのだろう。
朝から何も食べていないせいか、空腹を通り越して胃が痛い。
お茶だけは口に出来るが、この恰好で厠に行くのは難しいので、水分は控えた。
どれ位経った頃か、侍女の一人がやっと呼びに来た。
待たされたお陰で、少し気が抜けていた私は途端に背筋が伸びる。
侍女に手を引かれ、本家の扉の前に立つ。すでに多くの人の気配が感じられるし、先ほどよりも騒がしい。
「朱・桜綾(オウリン)様、ご到着でございます。」
一頻り声を張り上げ、扉に向かって叫ぶ。
その途端に、先ほどまでのざわめきは消え、その場がシンとした空気に変わる。
本家の大きな扉が開くと同時に、光が舞い込む。まるでスポットライトでも浴びているかの様だった。
目がくらんだものの、それは一瞬のことで、老若男女問わず多くの人が私に注目しているのが分かる。
そこへ、両親と宇航(ユーハン)様がやってきた。両親と共に一礼する。頭を動かす度に飾りがガチャガチャ鳴るのが耳障りだ。
「本日お集まり頂きました皆様にご紹介いたします。本日。系譜の儀式により、新たなる朱家の一員となった桜綾(オウリン)でございます。皆様にはお見知りおき頂きたく、ここにお招きいたしました。」
その言葉で緊張は最高潮に高まる。この後私が挨拶をするからだ。
一呼吸置いて、大きく息を吸いできるだけ大きな声で自分の名前を名乗る。
「朱・桜綾(オウリン)でございます。よろしくお願い申し上げます。」
(言えた・・・・)
たった一言なのに、息切れがするほどだった。
大勢からの拍手の音が聞こえる。両親にはお祝いの言葉が飛んでいる。
私は再び侍女に手を引かれ、用意されていた席へと腰を掛ける。
これだけの人がいても、狭さを感じないのは庭が広いからだろう。皆、好きな場所でお茶を飲んだり談笑したりしている。
色々な香が混じった香りがするのは、女性も多くいるからだろう。
私の元へ挨拶しに来る人も多く、侍女が耳元で家柄や名前を教えてくれる。
挨拶を返しながら、挨拶に来る人は若い男性が多い事に気がついた。
「桜綾(オウリン)様の婿候補になりたい人達ですよ。お嬢様はお綺麗ですし、朱家の力は絶大ですから。」
そういうことか。私がどうと言うよりも、きっと朱家に取り入りたい人は多くいるだろう。
しかし、今のところ私の記憶に残るような男性はいなかったように思う。というか私がそういう目では見ていないし、恋愛に縁のない私には、男性の善し悪しなど分からない。顔が整っているなとか、綺麗だなと言う美意識はあっても、近くに宇航(ユーハン)様のような人がいれば、それも霞んで見えるのかもしれないが。
終始挨拶に来る人に挨拶を返し、笑顔を作るのもしんどくなってきた頃、宇航(ユーハン)様が席までやってきた。
「疲れている様だが、大丈夫かい?」
本当によく見ているのだなと思いつつも、大丈夫だと答えると、本殿へ移動して欲しいと言われた。
人が途切れたのを見計らって、侍女と共に裏から本殿へと向かう。
そこには宇航(ユーハン)様を含めた男性2人と女性2人が座っていた。
私が宇航(ユーハン)様の隣へ行くと、皆立ち上がりそれぞれが挨拶をする。
「玄家領主、玄・流仙(リュウセン)と申す。よろしくの。」
黒い衣に白い物が混じった長い髭。歳は50過ぎと言ったところか。
「蒼家当主、蒼・梅美(メイビ)と申します。よろしくお願いいたします。」
緑の衣に豊満な胸を隠した魅惑的な女性。
「白家当主、白・翠美(スイビ)。よろしく。」
白の衣に細身ながら、武芸者の様な出で立ちの女性。そして光沢のある白い髪と睫。
ここに宇航(ユーハン)様を入れて、つまり、4領主がここに集まっていることになる。
系譜の儀式ってこんな重鎮まで呼ぶのか・・・?
「桜綾(オウリン)、君も挨拶を」
宇航(ユーハン)様に促されて我に返った私は慌てて挨拶をする。
「朱・桜綾(オウリン)でしゅ。」
咬んだ・・・・。
「よろしくお願いいたします。」
咬んだことが恥ずかしくて、体中が熱い。この場から消え去りたいくらいだった。
「あら、かわいい挨拶ですこと。緊張するわよね、こんな所に連れてこられたら。」
そう言ったのは蒼領主様だった。
「そんなに緊張しなくてもよい。何も取って喰いはせんよ。めでたい席なのでな。ぜひ近くで話をしたくて、宇航(ユーハン)殿に無理をお願いしたのだからな。」
と、玄領主様が言う。
「そうそう。そんなに畏まらなくて良い。ここには私達しかいないのだから。」
その領主様方に緊張するのですが、と言いたいが、言えるわけもなく。ただひたすら笑顔を浮かべていることしか出来ない。
「外では周り騒がしい上、4領主がここへ集まっているとなると、それこそ大変な騒ぎになる。だからここへ来てもらった。」
(そりゃ、そうでしょうよ。国の2番目にえらい人が大集合ですよ。この状況に元庶民の私が耐えられるとでも?)
すこし宇航(ユーハン)様に恨みの念を抱きながらも、もうどうすることも出来ない状況を、嘆いていても仕方ない。
今日1日の辛抱だ。そう自分に言い聞かせて、この場をしのぐしかない。
「すまないね。少し聞きたい事があって宇航(ユーハン)殿にお願いしたのだよ。そう畏まらずに、まずは座ったらいい。」
玄領主様がそう言って、椅子を引いてくれたので、そこへ腰を掛ける。
宇航(ユーハン)様も自分の席に座り、何とも場違いな私は、俯くしかなかった。
「して、桜綾(オウリン)。そなたに質問がある。突然で申し訳ないが、答えてもらいたい。」
どうやら、ここでは一番年上の玄領主様が話を進めるらしい。
「はい。お答えできる事なら。」
「そなたは、琳家の蘭花(ランファ)の娘で間違いないか?」
唐突に母の話が出たので、少し戸惑う。質問の意図が見えないからだ。琳家は取り潰しになった。
そのことと何か関係があるのだろうか。それでも答えない訳にはいかないだろう。
「はい。間違いありません。」
「その母はそなたが1歳の時に亡くなり、その後すぐに論家の春燕(シュンエン)が後妻に入ったと言うのも事実か?」
「私はまだ幼かったので、記憶してはおりませんが、聞いた話では、母が亡くなって1年も経たずに義母が嫁いで来た様です。」
一体、この質問が何になるのか、目的も分からないまま答えることに、少なからず不安を感じた。
玄領主以外は黙ったまま、ただ聞いているだけだし、宇航(ユーハン)様すら言葉を発しない。
ツンとした空気感だけが漂っている。
「では、そなたの母は何故亡くなった?」
「何故・・・とは、どう言う意味でしょうか。母は急な病で亡くなったと聞いております。産後の肥立ちも悪かったとか・・・そこから来た物だと。」
「そうか。」
何が言いたいのか、私に何を言わせたいのか、本当に分からずに考えれば考えるほど、不安が増してゆく。
かといって、宇航(ユーハン)様は別としても、他の領主様の質問に質問を返すことなど恐れ多い。
だが戸惑いを隠しきれなくなっているのも、自分で分かっている。
「玄領主、桜綾(オウリン)が戸惑っているではないですか。ちゃんと説明してあげないと。」
そう助け船を出してくれたのは、白領主様だった。そう言われて、玄領主は額を平手で叩きながら、
「おう。すまん、すまん。前置きを飛ばしておった。がははは」
と、大きな声で笑う。
「桜綾(オウリン)、唐突に質問して悪かったなぁ。質問したのは、あれだ、あれ。えーと」
まだぼける歳ではないと思うのだが。
「はぁぁぁ。桜綾(オウリン)、私が説明いたしましょう。朱領主があまりにも桜綾(オウリン)を気に掛けるものだから、どんな女性なのか、私達も気になっていましたの。ある程度、話は聞いていたのですけれど、色々と本人に確認したかったのです。聞いていた話に間違いがないかと。あっ朱領主を疑っている訳ではございませんので、あしからず。」
蒼領主様が補足するが、それにしては聞いている内容が、母や琳家に偏っている気がするのは気のせいだろうか。
しかし、領主様方がそう言っているものにケチを付ける訳にはいかない。
「桜綾(オウリン)の事は朱領主から、大方の事情は聞いていたのでな。その他のことが聞きたかっただけだ。不快にさせたのなら、申し訳なかったのう。」
「いえ、不快という事はありません。ただ、意図が分からず、戸惑ってしまっただけでございます。こちらこそ、失礼を致しました。」
取りあえず、領主様方に反感を持たれないよう、頭を下げておく。
「質問はこれぐらいにして、せっかくのめでたい席です。乾杯でも致しませんか?」
そう促したのは、白領主様だった。それと同時に杯を片手に持つ。
「そうですわね。私も喉が渇きましたわ。」
そう言って、蒼領主も杯を手にする。それに習って玄領主も宇航(ユーハン)様も杯を手にしたので、私も杯を持つ。
「では、乾杯!」
白領主が音頭を取ると、一斉に乾杯と言うと杯を一気に飲み干す。私もつられて飲み干した。
本来なら、宇航(ユーハン)様が先に飲んで、後からお客様である3領主が返杯するのが正式だが、どうやらこの4領主様同士ではそういった仕来りは省いているらしい。公の場でもない。
酒は上等な物なのだろうが、これまたキツい。が、飲んだ後にほのかに、甘い果実の香りが登ってくる。
胃が熱いのは、空腹に酒を入れたからだろう。
しかし、領主様方は私にお酒をつぎ足し、飲めば次が注がれる始末で、断るわけにも行かず、杯を空けていく。
私に劣らず、領主様方も勢いよく飲んでいるが、全く変化がない。俗に言うザルだ。
それに合わせて飲んでいる私も私だが・・・いつの間にか目の前が少しゆがんで見える。
それでも杯は満たされるので、飲みまくっていた。
何杯飲んだかも分からない程飲んだ所で、宇航(ユーハン)様が声を掛けてきた。
「桜綾(オウリン)、もうその辺にしときなさい。君を待っている人がもう一人いる。忘れたかい?」
「もうひろり?だれれしたっけ?」
「君、酔ってるのかい?参ったなぁ。まぁあれだけ飲めば仕方ない。」
「ろってまへん!正常れす!待っている人がいるなら、いきまひょう!」
そう言って指を差し、立ち上がろうとしたが、自分の右足が悪い事をすっかり忘れて、右足に重心を掛けた物だから、力が入らず、そのまま倒れ込んでしまった。
その音にビックリした他の領主様が一斉にこちらを見る。
「忘れてましたぁ私の足、うごかないんらった、きゃははは」
腰を落したまま手をヒラヒラ振っていると、
「桜綾(オウリン)が飲み過ぎたようです。部屋へ送ってきます。」
宇航(ユーハン)様はそう言って、そのまま私を抱きかかえ、本殿の裏手へと連れ出した。
その間も私は宇航(ユーハン)様に絡む。
「宇航(ユーハン)様はこーんなに綺麗なのにぃ、結婚しないんれすか?」
「私なんて、嫁にも行けないれすねぇーこんな顔らし、こんな足らしぃ。まぁいんれすけろね。」
「そんなことはない。きっと君を守ってくれる人がきっと現れる。現れなければ・・・まぁいい。」
「なんれすかそれ。きゃははは」
宇航(ユーハン)様は表情を変えず、淡々と歩く。
「君が酔うとこんな感じになるのだな・・・気をつけないといけないね。」
「きをつけるんれすか?はい!きをつけましゅ!」
こんなに気分がいいのは久しぶりだ。今なら何でも出来そうな気がする。空でも飛んでみるか?
そう思って羽ばたいてみたりするが、飛べる訳はない。ある意味、宙には浮いているんだけど。
「宇航(ユーハン)しゃま、私、とんれます?今なら飛べしょうなきがしゅるんですが!」
バタバタと腕の中で暴れるので宇航(ユーハン)様が何度も私を抱え直す。
「じっとしていなさい。落ちたら怪我をするだろう。」
「宇航(ユーハン)様・・・、ほんろは、ヒック、不安なんれす。私なんかがここにいいていいのか。」
「いいと何度言えば分かるんだろうねぇ。君は。とにかく、今日はもう休みなさい。来客には明日会えばいい。」
どうやら私の部屋についたらしい。炎珠(エンジュ)が部屋から飛び出てくる。
「桜綾(オウリン)様!どうなさったのですか!?」
宇航(ユーハン)様に抱えられて、ヘラヘラしている私を見て叫ぶ。
「あーえんじゅら。えんじゅぅお腹すいたぁ」
その状況に炎珠(エンジュ)は戸惑って、宇航(ユーハン)様を見る。
「領主方が強い酒をかなり飲ませてしまった。後を頼めるか?」
「勿論です。」
宇航(ユーハン)様は私を寝台に下ろすと、部屋を出て行き、炎珠(エンジュ)は鈴明(リンメイ)を呼びに言った。一人では手に負えないと判断したのだろう。
その後、炎珠(エンジュ)は酔い覚ましを作りに厨房へ、鈴明(リンメイ)は酔った私の相手をする羽目になった。
訳の分からない事をつらつら話し、半分も理解出来ない上、呂律の回らない状態では余計に分からない。
そんな私に適当に合わせながら、二人は、薬を飲ませ寝るまで付き合ってくれた。
私は寝ながら夢を見た。
大きな綺麗な鳥が大空を舞っている。神々しい姿で、長い尾羽を優雅に空に流している。
その鳥は私を見ているような気がするが、私は見上げているだけで、近い距離ではない。
だが目はあっている。何か聞こえる気もするがそれは聞こえない。
そのうち、鳥は去って行った。
不思議だが、何故か懐かしさの様な物を感じた。
しかし、目覚めたときにはその夢を忘れてしまった。
と言うよりも、領主様方と飲んでいた途中からの記憶がない。
なぜ寝台にいるのかも分からなかったのだから。
後から、炎珠(エンジュ)と鈴明(リンメイ)に話を聞いて、青ざめたが後の祭りだった・・・・。
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