第1章4-2

翌朝、あまり眠れなかった私の気分とは反対に、元気一杯の炎珠(エンジュ)がやってきた。

まだぼーっとしている私に、顔を洗うようにと桶を渡される。冷たい水で目が覚めた私から桶を奪い、器用に衣を着せ、化粧を施し、髪を整えてから廊下へと連れ出される。

軽く朝食を済ませるが、すでに緊張している私は、料理の味さえ分からない。

カチカチになっている姿を、両親は笑ってみているが、それもどうでも良かった。

どうにか馬車に乗り、本家へと向かって馬車が動き始めると、息をするのを忘れるほどの緊張が襲ってくる。

両親が見かねて、手を握ってくれる。

まだ着いていない段階でこうなのだから、到着したらどうなるのか不安にもなった。

時間の感覚は分からないが、気づけば馬車は止まり、両親が立ち上がる。

私も続いて立ち上がるが、あまりの緊張に体がこわばって、上手く動けなくなっていた。

「どうした?抱えて降りるか?」

父の過剰なほどの優しさをやんわり断ると、やっとの思いで馬車を降りる。

ここまで来たのなら、腹をくくろう。そう思って一度目をつぶり、パッと目を開けた。

父の屋敷より更に倍ほどある門の前、朱色の扉の両脇に、今までで一番大きな朱雀神の石像。

門の上には銀色に輝く「朱家」と書かれた表札が掲げてある。

門から伸びる塀の先は見えない。

ギィィィと鈍い音と共に、朱色の門が左右に開く。その先には長く広い石畳が敷かれ、奥へとつながっている。

見覚えのある護衛達の姿もある。そこに、薄い朱色の衣を纏った鈴明(リンメイ)と、何故か鎧姿の師匠がいた。

鈴明(リンメイ)は分かるとして、何故、師匠が鎧を?という疑問はあったが、今はそれを聞くことは出来そうにない。

私は父と母に挟まれ、ゆっくりと門をくぐる。私達の後ろには鈴明(リンメイ)、師匠、炎珠(エンジュ)が続く。

鈴明(リンメイ)と師匠の顔を見て、少し緊張が和らいだ。

軽く見ただけでも、木蓮や桂花、桃、梅、桜と多くの鑑賞樹が植えられ、季節ごとにその花を楽しめるようになっている。

低木も見事に手入れされ、途中の池には長く曲がり角のある橋が架かり、その上を歩いて、本殿らしき場所へとたどり着く。

所々に東屋があり風景を楽しみながら、お茶が飲める様になっている。

入り口から本殿までかなり歩いたが、景色のお陰か時間は感じなかった。

本殿の中央には門と間違える程の扉がそびえる。

鼓動が一層、早鐘を打つ。

扉の前には夏月(カゲツ)さんが侍女の姿で立ち、

「丹勇(タンユウ)様、藍珠(ランジュ)様、桜綾(オウリン)様、お付きでございます。」

と、扉に向かって声を上げる。

「入れ!」

強い口調の宇航(ユーハン)様の声が帰って来る。

扉が開かれ、両脇に大勢の人が立ち並ぶ中、両親と私、師匠と鈴明(リンメイ)が前へと進む。

炎珠(エンジュ)は扉の側で、私達から離れ一番端に夏月(カゲツ)さんと共に立っている。

その長い通路を顔も上げられず、両親の後を追うことで精一杯だった。

せめて右足がちゃんと動いていたら、もう少し優雅に進めたかもしれないが、この足ではすり足で歩くことしか出来ず、不格好に思えた。

両親の足が止まり、私も足を止める。

「朱・丹勇(タンユウ)、領主様にご挨拶いたします。」

父の言葉の後に母が

「朱・藍珠(ランジュ)、領主様にご挨拶いたします。」

と続き、私に視線を向けたので、両親に習う。

「朱・桜綾(オウリン)、領主様にご挨拶いたします」

朱って名乗って良かったのか?と思いながら、ここで胡を出すのも違う気がするしなどと考えている間に、師匠と鈴明(リンメイ)も宇航(ユーハン)様に挨拶をする。

その後、跪き土下座の形を取るのだが、右足が上手く曲がらない。

できる限り姿勢を低くして、頭をついた。

「立て。」

そう言われて立ち上がろうとすると、重心が定まらず転けそうになる。

手をつく寸前で父の手が私に伸びて、転倒は免れた。

私が衣を整えまっすぐ立つと、父が礼をして

「申し訳ありません。」

とだけ言った。

「よい。桜綾(オウリン)の足のことは分かっている。誰か、椅子を持て。」

宇航(ユーハン)様がそういうと、どこからともなく現れた侍女が私を椅子に座らせる。

両親達が立っているのに自分だけ座るのは何だか気が引けて立ち上がろうとすると、母が小声で座っていなさいと言うので、素直に座っていた。

「丹勇(タンユウ)、藍珠(ランジュ)、良く参った。座っておるのがそなたらの娘か?」

良く通るが少し低めの女性の声。義母の声に少し似ている。宇航(ユーハン)様の隣に座っているので多分、宇航(ユーハン)様の母なのだろう。

反対の脇には男女がそれぞれ座っているが、他の親族の中でも若いように思う。兄弟か?

「はい、炎麗(エンレイ)様。桜綾(オウリン)と申します。この度、私共の娘として迎え入れました。どうぞお見知りおきくださいませ。」

そう父が挨拶すると、炎麗(エンレイ)は私に視線を向ける。

「桜綾(オウリン)、しっかり顔を上げよ。」

そう言われて少し体がびくついてしまったが、慌てて顔を上げる。義母とは別人だと分かっていても、体がその強い口調に反応する。

「ほう。中々の器量よのぅ。桜綾(オウリン)、そなたは物を作るのが得意と聞いたが、最近はどのような物を作った?」

思いもよらぬ質問に頭がついて行かないが、

「今は石鹸という物を作っている最中でございます。皆様が知っている物であれば、衣掛けでしょうか。」

かろうじて答える。

「あれか。あれは中々良い。そうか、あれを作ったのは、そなたか。」

「厳密に言えば、草案を出したのが私で、それを形にしたのは師匠・・・憂炎(ユウエン)様でございます。」

師匠を名前で呼ぶことがないので、少し気恥ずかしいが、この場ではその方がふさわしい気がした。

「母上、そのくらいに。これ以上は桜綾(オウリン)が緊張で倒れてしまいます。」

そう声をかけたのは、宇航(ユーハン)様だった。

「なんです。せっかく女主人を演じていたのに、水を差すなんて。まぁいいわ。私もあの演技は疲れる。桜綾(オウリン)、私は宇航(ユーハン)の母の炎麗(エンレイ)。そこの二人は、宇航(ユーハン)の姉の炎鈴(エンリン)と弟の宇明(ユーメイ)。これから家族になる者達よ。」

何が起ったのか分からず、目を白黒させていると、父が大声で笑い始めた。

「炎麗(エンレイ)様も人が悪い。桜綾(オウリン)が本気で縮んでしまったではないですか。桜綾(オウリン)、炎麗(エンレイ)様は普段、あんな物言いはしない。私達と同じだよ。心配しなくても、悪戯好きなだけだ。本来は優しい方だから、もう力を抜いてもいいぞ。」

演技?悪戯?えっ何?

まだ混乱から戻らない私を見かねて、宇航(ユーハン)様が椅子から立ち上がり、私の横に立つ。

「皆、桜綾(オウリン)だ。私が自ら選んだ丹勇(タンユウ)の娘だ。よろしく頼む。」

そう言って私を立たせて肩を抱き、皆が並んでいる方へ向かせる。

私はどうしていいか分からず、取りあえず頭を下げた。顔をあげて初めて、思った以上の人数がいることに驚いた。

通路側に並んでいるのが親戚縁者だろう。その後ろには侍女や使用人達の姿もある。この屋敷の者だろう。

ここに入った時は下を向いて、気配だけで感じてはいたが、こんなのも人数がいたとは・・・

確かに混乱は治ったが、次々に襲う緊張の波でもう押しつぶされそうだ。

宇航(ユーハン)様が席に戻り、私は元の椅子に座らされる。

「憂炎(ユウエン)、久しぶりに顔を見た気がするが、息災だったか?」

炎麗(エンレイ)様が師匠に話しかける。久しぶりという事は、師匠は炎麗(エンレイ)様と知り合いなのか?宇航(ユーハン)様とも知り合いだから、おかしな話でもないか・・・

「炎麗(エンレイ)様もお変わりなく。ご覧の通り、息災でございます。」

「また、憂炎(ユウエン)に会うとは思わなかった。朱有を出てもう10年以上経ったか。で、また朱有で働く気で戻ったのでしょうね?」

「前とは違う仕事ですが、まぁそうなりますね。」

「よかった。宇航(ユーハン)を支える者が近くにいることは喜ばしいわ。桜綾(オウリン)といい、憂炎(ユウエン)といい、朱家にとってめでたいことが2つも重なった。桜綾(オウリン)、先ほどは驚かせてしまったわね。これから宇航(ユーハン)共々、よろしくね。」

どうやら師匠の過去には何かあるのかも・・・・まぁ要らぬ詮索はしないに限る。

炎麗(エンレイ)様が私の方へ歩いてきたので、私も慌てて立ち上がる。すると、宇航(ユーハン)の姉弟達もこちらへよってきた。

「桜綾(オウリン)、さっき言っていた石鹸って、いい香りがするって本当?」

と、炎麗(エンレイ)様が、

「桜綾(オウリン)さん、私、妹が欲しかったの!今日からは私の妹だからね!」

と、炎鈴(エンリン)様が、

「私にも何か作ることは出来ますか?」

と、宇明(ユーメイ)様が、一度に話しかけてきた。

どれから質問に答えるべきなのか・・・

「え・・・っと。炎麗(エンレイ)様、石鹸は後でお持ちします。まだ試作段階ですが、これから色々な香りを作るつもりです。後、炎鈴(エンリン)様、私などが妹でよろしいのですか?それと、師匠と一緒なら、宇明(ユーメイ)様にも作れるものはあると思います。」

全ての答えを一気に答えきった。

「静かに!桜綾(オウリン)も困っている。落ち着きなさい。後でいくらでも話せる時間はある。今日は、皆に桜綾(オウリン)を紹介するために集まったのだ。席に戻れ。」

宇航(ユーハン)様が見かねて助け船を出してくれたお陰で、やっと静かになったが、3人は同じ膨れ顔で席へ戻っていく。

やはり親子は似るんだなと思い、微笑ましくなった。

「では、続ける。此度、丹勇(タンユウ)からの申し出により、黄泰の胡家、豪商の家柄だが、そこの長女であった桜綾(オウリン)を丹勇(タンユウ)の娘として迎えることになった。桜綾(オウリン)は作司所属とし、桜綾(オウリン)の護衛に炎珠(エンジュ)を。桜綾(オウリン)の仕事にまつわることを取り仕切る侍女として、宋鈴明(リンメイ)を。最後に桜綾(オウリン)を支える作司として宋憂炎(ユウエン)を正式に任命する。作司は朱有独自の役ではあるが、私の直下組織とする。尚、正式な系譜の儀式は辰月の25日だ。」

宇航(ユーハン)様が言い終わると、皆から拍手がおこる。

「では、これを持って桜綾(オウリン)との顔合わせは終了とする。皆へ隣の部屋に酒と食事を用意してある。遠慮せずに各々楽しんでくれ。」

途中、思わぬ事も起ったが、どうやら無事に切り抜けたようだ。

そう思った途端、体から力が抜けた。

そこへ宇航(ユーハン)様がやってきた。

「緊張したであろう。母達が君と話したくて、あちらで待っている。両親と私達親兄弟だけの席だ。もう少しの時間だけ付き合ってくれ。」

宇航(ユーハン)様にそう言われては断る事も出来ず、皆とは反対の扉へ案内される。

扉を開けた瞬間、炎鈴(エンリン)様と宇明(ユーメイ)様に腕を掴まれ、引きずられる様にして、二人の間に座る事になった。

「こら。桜綾(オウリン)は足が悪い。気を遣ってやりなさい。」

宇航(ユーハン)様が二人を叱る。

「ごめんね。桜綾(オウリン)。妹だから桜綾(オウリン)って呼んでもいいわよね?私の事はお姉様って呼んでくれると嬉しいわ。」

まるで鈴明(リンメイ)みたいだなと思いながら、

「先ほどもお聞きしましたが、私が妹でよろしいのですか?他にも私ぐらいの歳の方を沢山見ましたが・・・」

「皆を妹には出来ないでしょ?それに丹勇(タンユウ)おじさまの娘なんだから、私の従兄弟になるでしょ?だから桜綾(オウリン)は、私の妹なの。お姉様って呼んでみて!」

圧がすごい・・・

「お・・・お姉様」

「きゃー聞きました?今、確かにお姉様って言ってくれたわよね?かわいい❤」

何だか拍子抜けするほどの歓迎ぶりだ。押しは強いが・・・

「炎鈴(エンリン)姉様だけずるいです。私も桜綾(オウリン)さんと仲良くしたいのに。」

そう言って左隣でむくれているのは、宇明(ユーメイ)様。

「宇明(ユーメイ)様はおいくつですか?」

私が尋ねると、16歳だと教えてくれた。

「私と同じ歳ですね。物作りに興味があるのですか?」

そう聞くと、すごい笑顔で

「はい!お兄様に洗濯機?なる物を見せられたときから、私も作ってみたくて。まさかそれを作った人が家族になるなんて。嬉しすぎて昨日の夜、眠れませんでした!」

そう答える目には星でも飛びそうな勢いだ。でも悪い気はしない。

「作るのは、意外に大変ですが、興味がおありなら、今度、一緒に何か作りましょう。」

二人に挟まれ、わちゃわちゃしていると、ゴホンっという大きな咳払いが一つ。

宇航(ユーハン)様が、無言で黙れと促している。

一気にその場が静まりかえった。

「桜綾(オウリン)は緊張して、何も飲み食いしていない。質問もいいが、まずは食事にしないか。」

宇航(ユーハン)様に言われて二人ともやっと私を解放してくれたので、注がれていたお茶を一気に流し込んだ。

「あらあら、本当に喉が渇いていたのね。」

そう言って炎麗(エンレイ)様が笑う。

(あっ、はしたなかった・・・よね?)

母の方を見ると、母も微笑んでいるので、大丈夫なのか?と思いながら、次のお茶を注いでもらった。

そこからは、炎麗(エンレイ)様や宇航(ユーハン)様にもてなされ、食事を頂きながら、談笑する。

両親も上機嫌で、緊張したり、挟まれたり、笑われたりで忙しい食事ではあったが、楽しいものとなった。

食事が終わった頃、宇航(ユーハン)様が今後の仕事場へ案内したいと、私を部屋から連れ出そうとすると、皆が名残惜しそうにしたが、これからいつでも会えると宇航(ユーハン)様が言って聞かせて、漸く部屋から出ることができた。




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