第1章 3-4
温泉から帰った次の日、師匠は早速、モップを仕上げてきた。
見た限りには、私の記憶にある物に近い。素材は違うけれど、ちゃんと部品は取り外しが出来るようになっている。
だが、実際に使って見ると問題点が二つほど出てきた。
まずは、雑巾自体が薄い為に、本体との間に隙間が出来てしまい、雑巾が抜けてしまう。
それに本体の先部分が床に当たって、床自体に傷が入ってしまう。
これでは、全く意味をなさない。
そこから師匠との試行錯誤が始まった。
まずは部品自体を大きくしてみた。が・・・これまた木の角が薄い布を通り抜けて床に傷が付く。
ならば、雑巾自体を厚くすればいいのではないかと、最初の部品で厚くした雑巾を挟んでみるとしっかりと挟むことが出来た。それから、部品の角を削って、丸くする。
後は柄の先部分の改良だ。
先が床に当たらないようにするか、床に当たっても傷がいかないように何かを付属するか・・・
床に当たらないように先端を短くすると、強度がなくなると師匠が言うので、付属出来る物を考える事にした。
こちらの先端も丸くして、そこに綿を付けるのはどうかという案が出たが、綿は劣化が激しい上、お財布にも優しくないので却下した。
ならば麻の紐で巻くのはどうかと言うので、やってみたが、巻きが甘いとずれてしまう。これも駄目だった。
最終的に、先端に何重かに縫った布を膠でくっつけて覆うことにした。
柄の先端も洗う手間は出てくるが、雑巾がけの苦労に比べれば、良いのではないかという話になった。
試行錯誤して、色々試した事が功を奏し、モップが完成した。
この期間、約10日。
意外に時間がかかってしまったが、珠璃の屋敷では好評で、今は立ったまま雑巾がけが出来るようになった。
気をよくした師匠が、これに名前を付けろと言ってきたが、さすがにモップでは聞き慣れないだろうし、何の事か分からない。
炎珠(エンジュ)や鈴明(リンメイ)、母とも話してみたが・・・いい案が出てこない。
確かに、名前は必要なのだが、私の中ではモップなので、それ以外で用途が分かりやすい名前となると・・・・
立ったまま雑巾を使える・・・立雜棒(りつざつぼう)・・・いや、安直過ぎる。立水巾棒(りっすいきんぼう)なんてどうだろう。
それを師匠に伝えると、なんの躊躇もなくその名を付けてしまった。
必死に考えた私の努力は!だったら、モップでも良かったのでは?と思うほどだ。
これから先、何かを作る度に、名前を生み出さなくてはいけないのかと考えると、気が重い。
次は師匠に考えさせようと思ったが、ろくでもない名前が出てきそうで、それは言うのを止めた。
「これはきっと売れるに違いない!」
そう意気込むが、商売については宇航(ユーハン)様と相談してからという事になった。
売るにしても、量産しなくてはならない。ここでそれをするよりも、朱有で拠点を構えてからの方がいい。
それに、もうすぐ朱有へ向けて、最後の旅が待っている。
沢山作る時間はないが、ここで使う分だけなら、作れるだろう。
師匠は、もう何本か同じ物を作るといって、自室にこもった。こうなると、出来上がるまでは、出てこない。ご飯も鈴明(リンメイ)が運び込む事になるのだろ。
(本当に鈴明(リンメイ)が一緒に来なかったら、どうなっていたことやら・・・)
師匠が籠もってすぐ、その立水巾棒を、使用人が不思議な使い方をしている光景を見た。
それで、部屋の壁を拭いていたのだ。
竹の長さがあり、先に雑巾がついているのなら、何も床だけ拭けるわけではない。普段ははしごを使って拭いたり、拭けない部分を拭けるのだ。
それを見たとき、自分の作った物が進化した気分になり、人は道具さえあれば、思いもつかない使い方を考えつく事に感動した。
物を作る醍醐味だ。作って良かったと感じるし、師匠が発明に夢中になる気持ちが、少しだけ分かった気がする。
朱有に行っても発明は続けるのだから、次に作る物を考えるのもいいかもしれない。
ここを出るまでの数日を、暇をせず過ごせるだろう。
その頃朱有では、朱家に新しい家族が増えることで準備に追われていた。
系譜にその名を記すには、先祖の位牌が並ぶ前で、儀式をしなければならない上、お客を招いてのお披露目も行われる。
一切の失敗は許されない。
丹勇が子を欲しがっていることは知っていたが、こんなに早くそれが決まるとは、炎麗(エンレイ)も思ってはいなかった。
炎麗(エンレイ)は宇航(ユーハン)の母であり、丹勇の叔母に当たるが、その子供の話を聞いたときは、一抹の不安を感じていた。
宇航(ユーハン)から聞いた話ではあったが、親から見放され、心に傷を負った子供だ。その哀れな子を朱家で引き取って、丹勇や藍珠(ランジュ)が幸せになれるのか心配だったからだ。
宇航(ユーハン)の目を疑うわけではないが、その子に問題があったときに、責めを負うのは丹勇と宇航(ユーハン)なのだ。
炎麗(エンレイ)も親であり叔母である以上、心配して当然であろう。
しかし、宇航(ユーハン)が珠璃へ向かう前日に、全てを打ち明けてくれた。
いかに桜綾(オウリン)が苦境の中にいたのか、いかに知識を持っているか、そしていかにまっすぐな人間なのかと言うことを。
そして、桜綾(オウリン)が朱家にとって、いや4領主と皇帝にとっていかに大切な存在かという事を話してくれたのだ。
勿論、このことは炎麗(エンレイ)と宇航(ユーハン)、そして4領主しか知られてはならない。皇帝にすら、今はまだ話せない内容なのだ。
桜綾(オウリン)は、琳家の血を引き、その琳家に嫁いだ鳳家の末裔である。
黄仁が平定され、安定してから500年。いつの間にかその存在を忘れられた一族の末裔。
桜綾(オウリン)自身も知らない事であろう。
知っているはずの母親は桜綾(オウリン)が1歳の時に亡くなっている。となれば、桜綾(オウリン)を失えば、鳳家の血筋は途絶えることになる。
ある日、宇航(ユーハン)の枕元に朱雀神が現れた。そこで、宇航(ユーハン)も鳳家の存在を初めて知ったのだ。
鳳家とは元々、巫女の血筋であるらしい。5神の話を聞き、国に何かがあれば、その5神をまとめる役目を担っている。
それぞれの領主と皇帝は、夢の中に気まぐれで守護神が現れる事があり、唯一その場でのみ会話することが出来る。
しかし巫女は違う。必要なときに必要な事を守護神達と話す事が出来る能力を持っている。
それは巫女が18になったときに得る能力で、桜綾(オウリン)はまだ16なので、その能力に目覚めてはいない。
その末裔が途絶える危機に、朱雀神が宇航(ユーハン)に助けるように、促したそうだ。
例え巫女を朱家が引き取ったからと、何らかの恩恵がある訳ではないが、5神にとって大切な存在なら、この国の為にも守る責務がある。
5神の中で朱雀神が現れたのは、憂炎と桜綾(オウリン)が懇意にしており、その憂炎と宇航(ユーハン)がつながっていたからだ。
桜綾(オウリン)の事は以前から、知っていた宇航(ユーハン)だったが、調査の結果はひどい物だったらしい。
そのお告げを受けたこともあり、桜綾(オウリン)を助ける算段を整えたが、策が甘く、桜綾(オウリン)を失いかけた。
そこで、保護するために丹勇にも、このことは内緒で、引き取りを打診したのだ。
丹勇達も悩みはしたが、引き取る事を決め、桜綾(オウリン)にも直接、会いに行っている。
しかも藍珠(ランジュ)は、桜綾(オウリン)の側にいたいと、まだ朱有に帰っておらず、伝書で届く知らせは良い物ばかりだった。
それを聞くまでは、系譜に入れるまではしなくてもいいのではと思っていたが、丹勇達はその子を気に入っているらしい。
それならば、炎麗(エンレイ)が反対する理由もない。
しかし、4領主にもお披露目会に出てもらわなければならない。
そう考えると、系譜の儀式は辰月の末、吉日を考えれば25日が良いだろう。
今は寅月の半ばだ。迷っている時間はないので、招待状を出さねばならない。
貴族の中からも勿論、参加してもらわねばならない者もいる。
そうなれば、食事や酒の手配も必要だろう。
後数日で、桜綾(オウリン)は朱有へ向かって出立することを考えれば、朱有まで30日から33日で到着する
それまでにやらなければならないことも多い。
そして桜綾(オウリン)が到着してからやることも。
そのおかげで、今屋敷は忙しい。招待状を書き、遠い地域から順次招待状を伝書で送る。
近い場所にいる者にはそれなりに形式張った招待状を作らなくてはならない。
それには紙一つ、装丁一つにこだわらなくてはならない。
料理の材料や酒に関しても早めに手配出来るものから、手配する。
儀式のための装飾も必要だ。
宇航(ユーハン)は桜綾(オウリン)と会う度に表情が穏やかになっていく。
当初の目的はなんであれ、桜綾(オウリン)という娘がどんな人間かは朧気に見えてきた気がする。
とにかくこの儀式だけは、朱家の為にも成功させなければならない。
炎麗(エンレイ)は筆を取り、招待状を書き始めた。
珠璃から出発する日、やはりこの馬車に乗ることに憂鬱を覚えて、躊躇していると、母がどこからともなく出してきた布団を座席に引き始めた。痩せているせいで、お尻の辺りに出っ張っている骨に、馬車の振動が響いて辛かったが、これなら少し楽かもしれない。母の気遣いに感謝する。
毎度毎度この馬車移動には悩まされるが、人の温かさや気遣いに気づかされる場面でもある。
馬車での移動は苦痛を伴うが、その分、私の知らない世界へ連れて行ってくれる。
そう思えば、馬車に感謝してもいいのかもしれない。
今回はおおよそ22日程の旅になる。
天候にもよるが、その日数の先に朱有がある。
南の都とも言われ、温かな気候と魚介が有名で、塩、真珠や珊瑚の産地でもある。
それに朱有の南は海が広がっており、泳いだりも出来るらしい。
記憶には桜の見た海があるが、私自身は体験した事はない。川とは違い海の水には塩辛い味がついている。
波が行ったり来たりして、それがいろんな物を運んでくる。それをこの手で、体で、体験してみたい。
海の温度や波の動き、潮の辛さや広さも。
その楽しみを心に一月過ごした珠璃を後にした。
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