第1章 2-4
それから更に2ヶ月。2ヶ月前、丹勇(タンユウ)と宇航(ユーハン)は仕事があるので、4日ほど滞在して朱有(しゅゆう)へと帰った。
しかし、母は朱義(しゅぎ)に残り、鈴明(リンメイ)や炎珠(エンジュ)と共に私の世話を焼いている。
母は終始笑顔で、私が体を酷使しない限りは怒ったりしない。その代わり、礼儀作法や朱家の仕来りを教えてくれた。
幸い、足は骨折だけで神経は傷ついていなかったらしく、平行棒での歩行訓練は順調に進み、今は杖があれば、一人で歩けるほどになった。
これならば朱有(しゅゆう)へ行く事も出来る。現に領主様から朱有(しゅゆう)へ出立するようにと伝書が届いた。
この2ヶ月で色々体験した。
相変わらず、体は細いが以前より食事の量は増えてきた。
滋養に良い物をと母が色々作らせ、今まで食べたことのないような物も沢山食べたが、質素な食事が無性に食べたくなる時がある。さすがに、草までは食べたくはならないが・・・
春真っ盛りで、庭の花々も多くが咲き誇っている。池の睡蓮も蕾を付け始めた。
じっとしているのもつまらないので、午前中は体力づくりと、歩行練習を兼ねて庭を散策するのが日課になっている。
毎日、一時間ほど庭を散策するが、そろそろ飽きてきた頃、それに気づいた母が時々、屋敷の外へ連れ出してくれる様になった。
馬車で見た大きな道路沿いに並ぶ屋台も、綺麗な衣装を纏った妓女の舞も間近で見ることが出来た。
初めて見た時も思ったが、黄泰(こうたい)よりも賑やかで、華やかだ。私の見ていた世界がいかに狭かったのかが、それだけでも分かる。
堀の近くには、男女がつかず離れず会話を楽しみ、子供達は無邪気に駆け回っている。
すれ違う多くの人は幸せそうに道を歩いている。
今はそれらを見るだけでなく、堪能することが出来る。その表情を見ることも、商品を手に取ることも、食すことも。
急いで俯きながら、通り過ぎるだけの道ではない。
「あらあら桜綾(オウリン)、こちらに来てご覧なさい。これなんかあなたに似合いそうね。」
ニコニコしながら店先に並んだ簪に手を伸ばし、私に手招きする。
困ったことに、母が私に何かと買いたがる。
もうすでに、母からもらった衣も装飾品も大量にあるし、十分過ぎるほどなのに、街へ出ればまたそれらが増える。
しかも、どれも高価な物なので、使うのに気が引ける。
私も思わず笑顔で近寄り
「お母様、もう沢山買って頂きました。もう十分・・・」
「色違いもあるのね。私も頂こうかしら?」
そう言いながら、自分の分も手に取り、店主にお金を支払っている。私の話など聞いていない。
母はこうやって、おそろいの物を買いたがる。それは正直嬉しかった。耳飾りや腕輪などは、もう何個もおそろいの物がある。
母というのはこう感じなのかとまだ他人事の様に感じる。
鈴明(リンメイ)や師匠にもお土産を買って帰る。鈴明(リンメイ)には香袋や髪飾り、師匠には食べ物か酒だ。
炎珠(エンジュ)は護衛として着いてくるので、一緒に屋台の食べ物を堪能したり、芝居を見たり・・・
それが終わると、午後からは屋敷にある書物で知識を養う。その間、鈴明(リンメイ)はここの侍女から作法を習いに出かける。
私には日本での知識は多く存在するが、黄仁というこの国の知識の方が少ない・・・
というか、私の知識は黄泰(こうたい)と家の中。それに師匠から聞いた事のみなので、色々読んで見ることにした。
朱家にはいろんな書物があると炎珠(エンジュ)から聞いていたので、適当に見繕ってもらった。
これがなんとも・・・絶妙な選択で。
まずは黄仁国の役司の役割や組織図。大きく言えば9つの部署がある。
簡単に言えば、大役司(だいやくし)は貴族の身分証明や許可が必要な物の精査と許可証の発行。地方では発行できない物がここに集約される。貴族はその系譜に載った時点で、その身分を証明する物を発行する決まりになっている。それがないと貴族としては認められない。養子を取った場合もそうだ。通行許可証などは、大きい街なら小役司で発行できるが、宮廷への入廷許可証や建築などの許可、黄有での販売許可。そういった物は全て大役司で許可を得るらしい。
大財司(だいざいし)は主に、金や布、貨幣などの管理と各地から納付される税の管理。
大軍司(だいぐんし)は軍内部の役人の調整や物資などの補給の調整をする。
大理司(だいりし)は黄仁で起きた事件や事故などの調査をする組織。地方で解決出来ない物や、領地を跨いだ犯罪などは、ここで調査される。
大判司(だいはんし)は大理司で調査を終え、有罪と見なされ捕縛された罪人の軽量や処罰を下す場所。
業司(ぎょうし)は各地から集められた農作物や畜産の管理と飢饉などへの対策。
工司(こうし)は河川の管理や建築や大きな工事などの管理。
大獄司(だいごくし)は罪人や自白させるための拷問を行う場所。
禁軍(きんぐん)は皇居の護衛兼兵の育成。
そんな感じだ。この9つの上には左相(さしょう)(文官側)右相(うしょう)(武官側)がおり、皇帝の命を受けて国政を取り仕切る。
その上が四領主。朱家当主、白家当主、蒼家当主、玄家当主。そしてその上が、かの皇帝だ。
また、宮廷にはこの他にも7つの役職がある。こうやってこの国は回っている。
そして、各領地内にそれぞれの小司が存在する。
大体の事は知っていたが、よく読んでみれば、その複雑さに頭が痛くなりそうだ。
1日の午後中、この書物に時間を取られたが、自分の知識がいかに曖昧な物だったか気づかされた。
それからは、午後は必ず書物を読みあさった。
四神と金竜の話も興味深かった。確かに、四領主の事は知っているが、それについての詳しいことは知らなかった。
朱は朱雀神が、白は白虎神が、蒼は蒼龍神が、玄は玄武神が、それぞれその世代の領主を決める。そして皇帝は黄龍神が決める。
皇帝や領主が亡くなれば、次の皇帝、領主はそれぞれの神が決める。その時にならねば、後継者は分からない。しかし、必ずその血筋の者から選ばれる。つまり、その血筋の誰が後継者になるかは、神のみぞ知る。
選ばれた領主、皇帝はそれぞれの神の加護と力を得るが、私欲で国を害することをすれば、神からの罰が下り、次の世代へと後継者が移るのだ。ただし、神達は人々の争いや、犯罪に目を向けることはない。そして、自然の摂理を曲げる事も。あくまでも、国が安泰であるための力であり、権力である。この国は元々、黄龍の地であり、四神の地である。故にその加護で守られているこの国は、500年以上も安泰であり、平和なのだ。
しかし、今回は私の件で領主様はその力を使ったのではなかったか・・・?
でも領主様の髪は朱色のままだった。という事は、あれは大丈夫だったという事か・・・。
うん。そこら辺は理解出来ないが、まぁいい。
とにかく、こんな具合に、この国の知識を押し込むだけ、押し込んだ。
ここにない書物は、街に出たときに買い足したりしていた。文字を読むことは苦ではなかったし、好奇心のおかげで、すんなりと取り込むことが出来た。
たまに夕食を忘れるほど没頭して、母に怒られたり、夜が明けるまで読みふけって、炎珠(エンジュ)に叱られたり・・・
そんな2ヶ月もそろそろ終わりを告げる。
毎日が前の私にはなかった時間だった。安らかで、穏やかで。
そんな穏やかに流れていく時間が不安にもさせる。
私の人生は4ヶ月前に大きく変わった。変わりすぎた。
だからこそ、この幸せが夢か、何か悪い事の前触れではないかと怖くなる。
しかも、あと数日もすれば、この朱義(しゅぎ)から朱有(しゅゆう)へと移動することになっている。
一気には移動できないので、一旦はここから400㎞ほど離れた珠璃(しゅり)を目指すことになるのだが。
何もかもの流れが速いようで、遅いようで、まだ自分の環境に慣れていないせいで、地に足が着いていないような毎日だ。
どんなに良い待遇を受けても、人ごとのように思える時がある。
義母や使用人達が私を踏みつけにしていた日々は、心から消えることはないし、夢にさえ出てきて、私を罵る。
その度に、そこから抜け出せないような、絶望感に苛まれる。
夢が覚めて、またあの日々に戻ったら、きっともう耐えきれないだろう。
人の温もりを知ってしまったから。
屋敷では、旅の支度がもう始まっている。
荷物が次々に屋敷に運び込まれ、それが荷馬車に積まれていく。
まだ足の不自由な私は、手伝うことも出来ず、その光景を眺めているだけ。何だか心苦しいが、私が手伝おうとすると炎珠(エンジュ)達が気を使う。
せめてあの池の睡蓮が咲いた所が見たかったが、それはかないそうにない。
これから、長旅が待っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます