第1章 1-6

「さて、どういうことか説明してもらおうか。」

場所は客間である。

上座に座った宇航(ユーハン)の横には憂炎(ユウエン)が立っていた。

その前に跪かされ、宇航(ユーハン)の護衛達に囲まれているのは、桜綾(オウリン)の父、李謙(リケン)、義母の春燕(シュンエン)、弟の文葉(ブンヨウ)、そして桜綾(オウリン)に手を下した4人。

その他の使用人も部屋の外で立たされた状態で、宇航(ユーハン)から質問・・・というよりも取目が覚めると、自分の寝床にうつ伏せで、放り出された状態だった。

起き上がろうとすると、体中に激痛が走る。

息をするのも辛い状態なのは、きっと肋骨が何本か折れているのだろう。

(肋骨なんて言葉はこちらでは使わないか・・・)

日は昇っているのか、辺りが明るい。さすがにこの状態では仕事を振ることはしなかったか・・・

とにかく、うつ伏せの状態が辛く、時間をかけて仰向けに姿勢を変えた。

片方の腕と両足は動かせそうになかった。

それでも手を伸ばして、顔を触ってみると切れているのか、染みるような痛みが走る。

喉も異常に渇いていた。だが水のある位置までには少し距離がある。

全身に今までにないほどの痛みがはしる。

視界も狭い。自分の状態を確認する術はないが、きっとこのままでは、危険であることだけは分かる。

傷から細菌が入るだけでも、命取りになる世界だ。

(細菌なんて言葉も存在しないな・・・)

もう少し我慢できていたら、ここから出られたかもしれないのに、ヘマをした。

笑うしかない状況なのに、何故か涙が溢れてくる。涙が流れた部分にある傷がヒリヒリするのを感じても、涙は止まらない。

動く方の腕で、涙を拭う。泣いたところで、なにも変わらないことは自分が一番分かっている。

(喉はカラカラなのに涙は出るんだな・・・・)

もう一度力を入れて、体をひねり、水筒のある方へ何とか進もうとする。

こんなにも自分の体が重いと感じるのは初めてだった。

片方の腕を支えに少しずつ、前へ進む。少し進んでは、痛みが治まるのを待ち、また進む。

やっと水筒のある机までたどり着いたときには、もう息も絶え絶えだった。

体を支えていた手を伸ばして、水筒を取り、口で栓を抜く。

一気にそれを喉へと流し込んだ。飲み込むときに走る痛みよりも、水分が体に入る感覚が勝る。

飲み終えて、そのまま水筒を手放した後、壁を使って何とか上半身を起こす。

時々、痛みで気が遠くなるが、それに何とか耐えながら、上半身を起こした。

もう何の力も残っていない。指を動かすことさえ億劫で、その姿勢のまま、向かいの壁とにらめっこした状態だった。

(このまま、死ぬのかな・・・・)

そう思い始めたとき、戸の外で微かに私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

でも、首を動かすことも出来ない。

そのうち、バンッと言う音と私の名前を呼ぶ声が近づいてくる。

確かに私の名前を呼ぶ声。

返事は出来ない。

よく聞いて見ると、父や義母、家職の声も聞こえる。そして私の名前を呼ぶ声。

ついに私の部屋の戸が開かれた。

そして一瞬の間があった後・・・

「桜綾(オウリン)!!!」

そう駆けつけた人の顔に見覚えがある。

「領・・・・・・」

声を出すことも困難だった。

そんな私を領主は何も言わず、抱えて歩き始める。

「領主様、これにはわけが・・・・」

そんな父の言葉も聞こえてくるが、それに領主様は答えない。

領主様に抱えられるなんて本来ならあってはならないことだが、今の私には抵抗できる力は無い。

歩き進める度にその振動が体に響き、骨が軋む音が聞こえそうなほどの痛みが走る。

目からは涙が流れていく感覚もあるが、それも止められない。

痛くて涙が出るのか、領主様に会えて涙が出ているのかは分からない。

「夏月(カゲツ)、早急に医者を呼べ!それから、憂炎(ユウエン)と鈴明(リンメイ)もここに連れてこい!お前一人で足りなければ他の護衛も使え!」

どこかの戸を蹴り開けた瞬間に、領主様は夏月(カゲツ)に命令を下す。

夏月(カゲツ)は声を出さず頷くと、急いでその場から離れた。

私はやっと平坦な場所へ下ろされる。昨日いた客室のようにも思うが、はっきりとは分からない。

寝かされた体の上に何かが被さった気がした。布団を掛けてくれたのだろう。

「桜綾(オウリン)、もう少しの辛抱だ。すぐに医者が来る。聞こえているか?桜綾(オウリン)!」

領主様の必死さが声から伝わってくる。

(ちゃんと伝わっています。)

そう答えたいが、声が出ない。目だけは動かせたので、1度瞬きをしてみる。

「すまない、私が昨日のうちに手を打っておけば・・・」

今度は瞬きを2回。これで伝わるとは思っていないが、何とか気持ちを伝えたかった。

(領主様のせいではありません。)

「桜綾(オウリン)、今日は君を迎えに来たのだよ。憂炎(ユウエン)も鈴明(リンメイ)も一緒に朱有へ行く。だから、しっかりしろ。絶対にここから出してやるから。」

領主様が私の手のひらを両手で握る。温かい感覚がそこから伝わってきた。もう感覚はなくなりつつあるから、そう思っただけかもしれないが。

「桜綾(オウリン)、返事をしてくれないか?せめて何か言ってくれ。」

返事をしたいが、声がどうしても出ない。何かが喉に詰まったような感覚がするだけだ。

口を微かに開いてはいるが、漏れるのは空気だけだった。

「桜綾(オウリン)・・・もしかして・・・声が出ないのか」

それにも返事は出来ない。瞬きで返事をするが、伝わってはいないようだ。

領主様はそんな状態の私を見かねたのか、うつむいてしまった。

そのまま少しの間、無言の時間が流れた。

「領主様、医者が参りました。」

一時して息を切らした夏月(カゲツ)さんと医者が戸口に現れる。戸口で足止めをされている父や義母は、中には入ってこられないらしい。

慌てて私から手を離した領主様は、ゼイゼイ言っている医者を引っ張ると、私の前に連れてきた。

「はあはあ・・・これは・・・・一体・・・何事です?あぁいや、とにかく手当を・・・」

そんなにひどい有様なのか・・・・

自分で確認できない分、人の顔色で判断するしかないが、医者はずっと眉間に皺を寄せている。

脈を取り、領主様を衝立の向こうにやると、着ている物を丁寧に夏月(カゲツ)さんが脱がしはじめる。

血で張り付いている部分もあり、衣を脱がすとそこからまた血が出始める。

それを医者が丁寧に拭い、頭の先からつま先までを丹念に調べる。

薄い衣は掛けられているが、その上からも痣が確認できる程、しかもそれが全身にある。

おまけに体は細く、筋肉は多少付いているものの、骨が浮いている部分も見て取れる。

その状態に、普段は表情を崩さない夏月(カゲツ)ですら、眉をひそめた。

体の傷や痣に薬を塗りおえると、一旦、夏月(カゲツ)さんが衣を着せてくれる。そしてその上に優しく布団を掛る。

衝立から領主様が呼ばれ、医者が説明を始める。

「取りあえずの出来る限りの処置は致しましたが・・・・正直、分かりません。両足と左手の骨が折れており、胸の骨も無事ではないようです。それよりも、臓腑への打撃の影響が今後どれくらい出るかによって、状況は変わってきます。顔などの腫れは冷やして様子を見ますが・・・できる限りの処方を致しましょう。ですが、ここでは限界があります。都の医者か伝(つて)があれば、皇族方に使える待医様に見せる方が良いかと。後、骨接ぎをして固定しなければなりませんが、今は道具がありません。薬を処方するついでに道具をそろえて参りますので、とにかく安静にさせてください。」

「なぜ、声が出ないのだ?意識はあるようだが、声を出せないようなんだが・・・。」

帰ろうとする医者を引き留め、領主様が私の声の話を聞く。

「おそらく、喉に打撃を受けたせいかと。もしくは心の問題の可能性もございます。強い恐怖を受けた場合、声が出なくなる症状が出る事がありますが、今は判断できません。まずは、怪我を治療しそれでも声が出なければ・・・」

「もし心の問題ならば、治す方法はあるのか?」

医者はかぶりを振って答える。

「その場合は、どうなるか正直分かりません。時間がかかって声が戻る場合もありますが、治療法はないのです。ご心配なのは分かりますが、今は薬を飲ませ骨を接ぐことが先決です。」

そう言われて、やっと領主は医者を解放した。

「すまないが、よろしく頼む。」

医者は一礼すると外へ出て行った。

それと同時に今度は騒がしく泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

騒いでいるのは鈴明(リンメイ)だろう。何かを叫んでいる。

医者が出て行った戸から転げるように飛び込んできた。

「桜綾(オウリン)!桜綾(オウリン)!宇航(ユーハン)様!桜綾(オウリン)は!桜綾(オウリン)は!大丈夫なんですか!」

かなり取り乱している。私の全身を見たら卒倒するかもしれない。

「大丈夫だ、とにかく落ち着きなさい。今、医者が薬を用意している。だが、このままでは危険でもある。」

領主様が鈴明(リンメイ)を落ち着かせようとするが、鈴明(リンメイ)は危険という言葉を聞いてさらに取り乱した。

戸口に向かっていくと、護衛に入らないよう押さえつけられている父達に罵声を浴びせ始めた。

「あんた達がやったの!実の子をあんなになるまで痛めつけて!良心は傷まないの!なんなら私がそこの縮こまってる男を殴ってやろうか!そしたらあんた達はどうする?私を殺す?殺せばいい。その時にはあんた達も道ずれにしてやる!」

今にも殴りかかりそうな鈴明(リンメイ)を憂炎(ユウエン)が抑える。

「お前は何者だ!誰に物を言っている?庶民風情が。私の子に手を出せる物なら出してみるがいい。お前達一族を皆殺しにしてやる!」

挑発された義母も応戦するが、そちらは父と護衛が抑える。

「鈴明(リンメイ)、今は大声を上げてはいけない。桜綾(オウリン)が休めない。それより静かに寄り添っていてやりなさい。」

憂炎(ユウエン)にそう諭され、鼻息は荒いままだが、鈴明(リンメイ)は口を閉じた。

そして、憂炎(ユウエン)と共に桜綾(オウリン)の側に来ると、桜綾(オウリン)の手をギュッと握って私を見つめる。

瞬きを1回すると鈴明(リンメイ)が、

「桜綾(オウリン)・・・目は覚めてるのね、鈴明(リンメイ)よ、分かる?」

瞬きを1回。

「大丈夫なの?」

瞬きを2回。

「おじさんも来てるよ。だから、頑張って。」

瞬きを1回。

「桜綾(オウリン)・・・もしかして瞬きで返事してるの?」

瞬きを1回。

「宇航(ユーハン)様!おじさん!」

桜綾(オウリン)についての話をしている2人を大声で呼ぶ。

「どうした!」

慌てて2人が駆けつける。どうやら、私に何かあったと勘違いしたらしい。

瞬きの意味を理解した鈴明(リンメイ)が師匠と領主様にそのことを説明している。

それをきいた二人は私の側へやってきた。

「桜綾(オウリン)、家の者にやられたのだな?」

領主様の言葉に瞬きを1度返す。

「義母達に殴られたのか?」

師匠の質問にも1回瞬きを返す。実質的に手を出したのは、父と使用人の4人の男だ。義母はその手すら下してはいない。だが命令したのは義母だ。

「どうやら、本当に返事をしているようだ。だが、今は何も考えず休む方がいいだろう。それに、顔の傷も冷やさなくては。鈴明(リンメイ)、夏月(カゲツ)。腫れているところをとにかく冷やしてやれ。私はやることがある。医者が戻ったら処置をして、待たせておいてくれ。」

領主様と師匠は一瞬視線を合わせ、二人で部屋を出て行った。

残された鈴明(リンメイ)と夏月(カゲツ)は、水を替えながら、全身の腫れている部分に手巾を当てて冷やしてくれている。

全身を見た鈴明(リンメイ)は涙を流しながら、声を殺している。

(鈴明(リンメイ)・・・ゴメンね)

私は二人の看病を受けながら、眠ることしかできなかった。


り調べを受けている。

「私は昨日、確かにここに来てお前達に、親戚筋の嫁を探していると言ったはずだ。桜綾(オウリン)は今すぐ嫁に行かせるには無理がありそうだと判断し、朱有で貴族の教育を受けさせてから、その後の行き先を決めようと訪ねたのだが、何故あのような状態になっている?」

静かに話してはいるが、その表情は怒りに満ちていた。

「これにはわけがありまして・・・昨日、少し家族の間に誤解が生じ、桜綾(オウリン)が逆らった為、止めようとした使用人がやり過ぎたようで・・・」

李謙(リケン)は額の汗を衣の袖で拭いつつ、必死に弁解をする。

「ほう。では、その誤解とは?」

「それは・・・」

言葉に詰まる李謙(リケン)を見かねて、春燕(シュンエン)が口を開く。

「誤解とは、桜綾(オウリン)の生母の事でございます。私は生前の生母、蘭花(ランファ)とは幼なじみでございましたので、よく存じております。

それで、桜綾(オウリン)と蘭花が似ているという話しになりまして、蘭花の実家が没落してしまった話を私がしてしまった物ですから、桜綾(オウリン)が怒ってしまったのです。それでその言葉遣いがあまりにもひどかった物で、窘めると、さらに怒ってしまいました。4人が私を助けようと、勢い余って、あの様に・・・・」

春燕(シュンエン)は涙を流し、それを手巾で拭いながら、さも自分には非がないような言い方をする。

「そうです。領主様。僕もその場にいました。お姉様に母上は首を絞められそうになったのです。」

文葉(ブンヨウ)も母の言葉を援護する。

「では、そこの4人。本当にそうなのか?お前達が、命令もなしに止めようとして勝手に行きすぎた暴力を振るったと?」

急に話を振られた4人は互いの顔を見つめ合った後、春燕(シュンエン)の方をチラ見する。

ぼそぼそと何かを話している様だが、宇航(ユーハン)の耳には届かない。

「そこの4人!主の命なく、その家族に命を脅かすような危害を加えた場合の罰を知った上で、それでも桜綾(オウリン)に暴力を振るった・・・それで間違いないか?」

主の命なくその家族に害をもたらした場合、そしてそこに明確な理由がない場合の罰。それを行った本人は処刑され、家族は僻地へと移される。その後3代までは僻地から出ることは出来ない。それは家族にとって生き地獄でしかない事は誰でも知っていることだ。しかし、主の命で行ったとすれば、その責任は主へと移される。何故なら、使用人は主に逆らうことは出来ず、自分の意に反して手を下さなければならない事があるからだ。勿論、相応の罰は受けるが、滅多に処刑されることはなく、家族もその場にとどまれる。

全てにおいては、証拠や証人など確かな物がなければ認められないが、4人が果たしてどう出るかは見物だ。

「待ってください、愚息は罪を犯しましたが、全て奥様の命令でやったことでございます!」

後ろで立っていた使用人の中から、初老の女性が、4人のうちの1人の男の前に来て跪き、宇航(ユーハン)に訴えた。

どうやら、その者の母親の様だ。

「春燕(シュンエン)の命令・・・だと?」

「はい。奥様を怒らせた桜綾(オウリン)様を死なない程度に痛めつけろと・・・その様子を李謙(リケン)様も文葉(ブンヨウ)様も止めずに見ていた。そう聞いております。」

母親は涙ながらに話す。それを皮切りに、他の3人も口を開きはじめた。

「桜綾(オウリン)様の生母様の事を、奥様が蔑んだことが原因です。」

「桜綾(オウリン)様はその言葉に怒り、その・・・少しきつい言葉で奥様に詰め寄りました。」

「止めても聞かないお嬢様を、旦那様が殴って止めたのです。」

そう口々に昨日あった出来事を話し始める。

「嘘を申すな!自分たちが罪を逃れたいから、私達に罪をなすりつけておるのであろう!」

春燕(シュンエン)は叫ぶ。目は血走り、今にも4人を殴りかかりそうな勢いだ。

「黙れ!私は4人に話を聞いているのだ。春燕(シュンエン)の申し開きは後で聞く!もし黙らねば、申し開きの機会はもうないと思え!」

宇航(ユーハン)は肘掛けを叩きながら、春燕(シュンエン)を黙らせる。

これにはさすがの春燕(シュンエン)も口を閉じ、頭を下げた。

「これが初めてのことか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

領主のこの質問に、使用人達はどよめき、動揺していた。誰も答えないことに業を煮やした宇航(ユーハン)は、

「これが初めてかと聞いている!そこの女、答えよ!」

使用人の中で、一番前に立っていた中年の女を指さす。

「そこのお前、前へ出て名を名乗れ。」

差されたことに怯えながら、ゆっくりと前へ出ると小さな声で

「玲季(レイキ)と申します。」

と答えた。声は震え、身も縮んで見える。

「では、玲季(レイキ)。このような事は初めてのことか?言っておくが、私に嘘をつく事がどういうことか理解してから答えよ。」

玲季という女も、チラッと春燕(シュンエン)を見た後、目をギュッとつぶってから答えた。

「ここまでひどいのは初めてでございます。いつもは私達と同じように暮らし、奥様や若様の呼び出しがあったときは、多少の事はあったかと・・・・思います。」

「多少とは?」

「私も詳しくは存じません。ただ聞いた話では、一日中、跪かされていたり、頬を平手で叩かれたり、仕事の量を増やされたりという事があったそうです。」

宇航(ユーハン)は握った拳が白くなるほど握り絞め、その怒りを必死に抑えていた。

憂炎(ユウエン)とて、腹が立つのを通り越してはいるが、宇航が我慢している手前、自分が感情を出すことを控えざるを得なかった。

「それでは、お前は桜綾(オウリン)には何もしていないのだな?」

「それは・・・・はい。手は出しておりません。」

「では、口は?その口で桜綾(オウリン)を罵ったり、傷つけるようなことをしたことはないのだな?」

・・・・・・・・・・・・・・・

「桜綾(オウリン)に食事を与えなかったり、労働を強いたことはないのだな?」

・・・・・・・・・・・・・・・

また沈黙。沈黙は肯定と同じだ。

「どうなのだ!!」

とうとう宇航(ユーハン)は席を立ち上がって怒鳴った。

「はい、申し訳ございません。確かに手は出しておりませんが、桜綾(オウリン)様をお嬢様として扱ったりはしておりませんでした。それはここの使用人全員、そうでございます。ですから、多少の嫌みや叱責は申しておりました。奥様からの命令で、食事を運ばなかったこともございます。申し訳ございません!」

そう言って頭を床にぶつけるほどの勢いで頭を下げる。

つまり、街で聞いた噂や宇航(ユーハン)が調べていた内容に近いが現実はひどかった。つまり、お嬢様であるにもかかわらず、重労働を強い、食も殆ど与えられず、家族や使用人から虐げられていた。そして義母や弟からも罰を受けていたという事だ。

ここには誰も桜綾(オウリン)の味方はいない。

「では、李謙(リケン)、春燕(シュンエン)、そなた達の申し分を聞こうか?」

宇航(ユーハン)は深呼吸をし、もう一度冷静になる。ここで怒れば、屋敷ごと燃やしかねない。

憂炎(ユウエン)もそれを察して、怒りを抑えているのだ。組んだ腕とこめかみには青筋が浮いている。

静かに腰を下ろすと、二人の方に視線を戻した。

「領主様・・・これは、家族間の問題でございます。ここは裁きの場でもありません。例え、使用人が言ったこと確かだとしても、それは躾けが行きすぎただけで、何もここまで大事にしなくても・・・・」

李謙(リケン)が申し開くのを諦めたのか、宇航(ユーハン)の取り調べ自体に意義を唱えた。

「そうだな。昨日までなら、そうだろうな。私が出る事もなかったであろう。」

「では、もうよろしいのでは。私どもも行きすぎたと反省しております故、これからの桜綾(オウリン)の待遇についても、改善して参りますので・・・・」

「昨日までなら、と言ったはずだ。」

「でも、これは昨日起きた事でございます。領主様、昨日の事であれば、何もこ・・・」

春燕(シュンエン)が口を挟むが、宇航(ユーハン)が一括する。

「昨日、私が桜綾(オウリン)を朱有に連れて行こうと決めるまでに起ったことならば、私も口は出さぬ!しかし、私が嫁を探していると知っていながら、その結果も待たず、候補を傷物にした。つまり、私の庇護下に入った者に、お前達は傷を付けたのだ。」

「そんな・・・そんなこと一言もおっしゃらなかったではないですか!領主様と言えど、勝手すぎではございませんか。そもそもあなた様が本当に領主様だと誰が判断できるのです?ここにいる誰もが顔など知り得ないのですから。」

春燕(シュンエン)は納得出来ないと言う顔で、宇航(ユーハン)にくってかかる。

「まさか、親がこんなことをすると誰が想像する?領主が親戚の嫁を探していると知り、自分の娘が選ばれるかもしれないと考えれば、大切にこそすれ、暴力まで振るうとは思うまい?違うか?それに、私が偽物だとお前は証明出来るのか?私は本物だと証明出来るが。」

そう言って懐から出した物を春燕(シュンエン)の前へ放る。朱家の紋の入った朱牌だった。朱色の牌は朱有の領主のみが所持を許されている物だ。

その朱牌を見せられた瞬間に、今まで顔を赤らめていた春燕(シュンエン)から血の気が引き、一瞬で青ざめた。

それは李謙(リケン)とて同じである。しかも春燕(シュンエン)よりも青ざめ、体は震えているのが分かるほどだ。

「それでは、聞こう。桜綾(オウリン)を罰したのは春燕(シュンエン)で間違いないのだな?それともまだ4人が勝手にやったことだと言い張るか?それなら、命令していない証拠を出してもらわねばならぬ。桜綾(オウリン)がお前達に虐げられていた証人は大勢いるようだからな。」

李謙(リケン)は震え上がっているせいか、言葉を発することが出来ないでいる。

「くっ・・・・」

春燕(シュンエン)は苦虫をかみしめる様な顔で、それでも宇航(ユーハン)を睨む。

自分が正しく一番であるという傲慢な考えにまみれた女。こんな女はいくらでも見てきた。

表向きはしおらしく、裏ではどんな手を使っても自分を守る。

(こいつら、そろいもそろって馬鹿なのか・・・)

宇航(ユーハン)と桜綾(オウリン)の家族達の会話を端で聞いている憂炎(ユウエン)は、かぶりを振る。

宇航(ユーハン)の表情こそ変わりはしないが、手はもう天を差している。後は振り下ろすだけだ。

領主にたてつくと言うことがどういうことか、全く理解していない。ましてや偽物扱いするとは・・・

この国の4領主に意見出来る者など一握りの人間だけだ。領主が黒と言えば黒になる、それほどの権力と地位を持っている事を知らないはずはない。

それとも、自分たちは特別だとでも勘違いしているのだろうか?

確かにむやみやたらに権力を振りかざしたりはしないが、今は罪を問われている場なのだ。

憂炎(ユウエン)はつくづく桜綾(オウリン)の環境を不憫に思う。

―ドッゴーン!!!!

突然、地響きと共に大きな音が頭上に降り注ぐ。

(とうとうやってしまった・・・・)

「領主に嘘をついた上に、侮辱し逆らうとは・・・お前達は自分がどれほど愚かなのか、気づきもしないのか?」

こうなったらもう止められはしまい。

外では赤く登る火と煙が見え始める。屋敷のどこかが燃えているのだろう。

この状況をズラリと並んだ胡家(こけ)の人間は誰も理解できていない。

「お前達にこの力を使うのも悪くはない。いっそ、全てを焼き尽くしてやろうか?悪人に力を使うのだから、朱雀様も許してくださるだろう。」

領主がそう言ってもう一度手を振り上げたとき、李謙(リケン)がようやく口を開いた。

「領主様、確かに私どもは罪を犯しました。もう結構です。これ以上、この話を長引かせても仕方がない。全ては家長である私の責任です。どうか私に罰をお与えください。」

「あなた・・・何言ってるの!あんなこむす・・・桜綾(オウリン)のために、そんな!」

「黙りなさい。もういい。お前は事の重大さを何も分かっていない!だからもう黙ってくれ。」

すがりつく春燕(シュンエン)の手を振りほどいて、再度頭を下げる。

そして春燕(シュンエン)の頭を掴み、無理矢理、地面に頭を下げさせた。

やっと手を下ろした宇航(ユーハン)は、二人の前まで進み頭上から声を振り下ろす。

「では、認めるのだな。ならば・・・こうしよう。桜綾(オウリン)はこの家から、朱家へ引き取る事とする。もう胡(コ)家の者ではない。また、暴力を振るった4人については、採石でもしてもらおう。体力が余っているようだからな。そして、春燕(シュンエン)並びに文葉(ブンヨウ)については、平民権剥奪の上、私が選んだ屋敷で使用人として受け渡す。李謙(リケン)は5年の強制労働を課す。胡(コ)家の商標権は今日をもって剥奪とする。もっと重い罪を架してやりたい所だが・・・・明日、役所から手配が来るまで、ここから誰1人出る事を禁ずる!」

李謙(リケン)はひたすら頭を下げ続け、春燕(シュンエン)はうなだれたまま動けなくなった。

頭を下げたところであっけなく、胡(コ)家は没落した。命があっただけいい方だ。

見えていた火はもう見えない。宇航(ユーハン)の護衛達が消したのだろう。

(対応も早いことで・・・)

憂炎(ユウエン)はチラリと李謙(リケン)達を見る。

本当はこの場で、桜綾(オウリン)と同じ目に遭わせてやりたいが、いくら非道でも、李謙(リケン)が桜綾(オウリン)の実の父親である以上、殺したりは出来ない。それにもう罰は下された。

この国で平民権を失えば、下人となる。下人は貴族の後見人がいれば平民権を得ることは出来るが、今回のように、罰として剥奪された場合は、最低でも3年は平民に戻ることは出来ない。それに、李謙(リケン)には強制労働が課せられた。これは事実上の奴隷落ちという事になる。つまり、5年間は奴隷としての身分、その後最低でも3年は下人として生きて行かなくてはならない。

どちらにせよ、今までの生活とは雲泥の差がある。耐えられるかは本人次第だろう。

これを機に少しでも、李謙(リケン)が心を入れ直してくれればいいと思うが、春燕(シュンエン)はきっと反省はしないだろう。きっと実家にでも泣きつくのだろうが、実家にしても手を回すことは難しいだろう。逆恨みして桜綾(オウリン)に何かするかもしれない。

しかし、桜綾(オウリン)が朱家に保護さえされていれば、手出しは出来ない。

「では、医者と話し次第、桜綾(オウリン)は連れて行く。以上だ。後の使用人については、大理寺に任せる。」

そう言って、席を立つ。皆一様に頭は下げているが、気持ちはそれぞれだろう。

憂炎(ユウエン)も何も言わず、宇航(ユーハン)の後をついて部屋を出た。




全てに決着が付いた後、宇航(ユーハン)は急いで桜綾(オウリン)の元へ戻った。

医者はすでに処置を終えており、桜綾(オウリン)は眠っている様だった。

「出来る限りの事は、させて頂きました。あの子供は使用人なのでしょうか?それにしてもあの痩せ具合は・・・」

医者は訝しげに質問を投げかける。

「彼女は16だ。子供ではない。それに使用人でもない。」

宇航(ユーハン)のその言葉に驚いた様子ではあったが、医者は言葉を続けた。

「正直、このままだと回復は難しいでしょう。16にしては何もかもが小さすぎるのです。背丈も体の重さも。あれではいくら薬を処方した所で、体力が持たない。先ほども言いましたが、せめてもっと良い薬を手に入れるか、伝を使って待医様にでも見てもらえれば、希望はあるかもしれません。」

それを側で聞いていた鈴明(リンメイ)は泣き崩れた。憂炎(ユウエン)はその背中を支え、椅子に座らせる。

「だから、あれほど言っておいただろう。桜綾(オウリン)に飛び火しないようにしろと。なぜこんなことになった!」

憂炎(ユウエン)が宇航(ユーハン)に向かって怒りを露わにする。

宇航(ユーハン)が手を下したわけではないし、よかれと思ってやったことであることも理解している。だからこそ、憂炎(ユウエン)もそこまで止めることはしなかった。

憂炎(ユウエン)にも責任はある。しかし、宇航(ユーハン)に怒りをぶつけずにはいられなかった。

「申し訳ない。私の思慮が足りなかった。まさか私が訪ねたその日に、桜綾(オウリン)に被害が及ぶとは思わなかった。きちんと策は練って行動したつもりだったが、私が思い上がっていたようだ。あんなにも話が通じない親だとは想像していなかった・・・。」

宇航(ユーハン)も今回のことはさすがに予想出来なかった。

昨日の朝から、何件かの年頃の娘がいる商家を訪ねた。それは、本当に宇航(ユーハン)が親戚の嫁を探していると思わせるための芝居であった。それに、領主の自分が出向けば、宇航(ユーハン)が桜綾(オウリン)を連れ出すまでは丁寧に扱うだろうという甘い考えがあった。

しかし、それは通じなかった。結果はこの通りである。

「もし、待医も薬も用意出来るとしたら、希望はあるのだな?」

宇航(ユーハン)は静かに医者に尋ねる。

「はい。私は医者とはいえ、しがない町医者です。待医様なら私より遙かに知識を持っておられるでしょう。それに、貴重な薬は高く、おまけにこちらの薬問屋では扱っていない物も多くあります。それらを使うことが出来れば、可能性はあるかと。」

「では、桜綾(オウリン)をここから動かす事は可能か?」

「動かすなんて・・・どうするおつもりです?安静が必要な状態なのですよ?それを動かすとは・・・」

「都まで行くには距離がありすぎる。かといって、ここにいても治療は出来ない。待医を呼ぶにしてもやはり距離がある。ならば、途中の朱義まで私達が行き、そこへ待医を来させれば時間を短縮できる。」

「確かにそうですが・・・しかし、馬車での移動は、体に負担がかかりすぎます。何より馬車の揺れは傷にさわるでしょう。」

「このままにしておけば危険なのだろう?ならば助かる見込みがある方を選ぶ。馬車の揺れが問題ならば、私が抱えていこう。それならば少しは傷にさわるのを抑えられるだろう。」

「本当に行く気なのですね・・・・ならば、もう止めません。こちらも用意出来るだけの薬を渡しましょう。それから、傷の手当ての仕方を、あのお嬢さんにお教えします。ですが、どちらにしても危険であることに変わりないことは、承知しておいてください。」

医者に夏月から金が渡される。中を確認したわけではないが、相当の金額を渡したはずだ。

医者との言い合いをずっと聞いていた憂炎(ユウエン)も、宇航(ユーハン)の意見に反対はしなかった。

宇航(ユーハン)が本気で桜綾(オウリン)を助けようとしているこが伝わってきたからだ。憂炎(ユウエン)が同じ立場でも、このままここにいても助からないのなら、少しでも助かる道を選ぶ。

「憂炎(ユウエン)、本当に申し訳なかった。しかし、この責任は桜綾(オウリン)を助けることで償う。」

宇航(ユーハン)は憂炎(ユウエン)に向いて謝罪する。その表情からは強い意志が伝わってくる。

「俺に謝っても仕方ない。桜綾(オウリン)が治ったら、本人に言ってやってくれ。」

宇航(ユーハン)はその言葉に頷くと、夏月に指示を出す。

「朝一で出発する。夏月は馬車の用意を急げ。なるべく大きい方がいい。それから、誰か鈴明(リンメイ)と一緒に医者の所へ行って薬と手当の仕方を聞いてこい。」

夏月と護衛の一人が返事をして、それぞれが動き始める。まだ泣いている鈴明(リンメイ)を護衛が連れて出て行く。

「憂炎(ユウエン)。頼みがある。」

「なんだ?俺に出来ることなら何でも言ってくれ。」

「この牌を憂炎(ユウエン)に預ける。」

そう言って差し出したのは、朱家の牌だった。木牌ではあるが、精巧な朱雀が掘られたその牌は、領主の直属と言うことを意味する。朱家の人間でも、限られた者しか持ってはいない。

「で、これで何をすればいい?」

憂炎(ユウエン)は驚きもせず、その牌を手に取る。

「大理司の役所に行って、胡(コ)家の罪状と私の独断で裁いたことを伝えて欲しい。それから、都の大役司の菅氏を訪ねて、桜綾(オウリン)の身分を朱家に移してくれ。こちらから本家に伝書を飛ばして、桜綾(オウリン)の受け入れ先を決めたら、知らせる。早急に頼む。」

ここから都までは道沿いに行けば600㎞ほどある。馬を全速力で走らせても、12日近くはかかる。

大役司に直接身分の変更を依頼するのも、桜綾(オウリン)にこれ以上危害が及ばない様にするためだろう。

胡(コ)家は没落したのだ。春燕(シュンエン)の実家、論(ロン)家がどう出るかは予想がつかない。

なるべく早く桜綾(オウリン)を朱家の者とすることで、守るつもりなのだろう。

道中も宇航(ユーハン)と一緒なら、何の心配もないとは思うが、打てる手は打っておこうという算段か。

「それなら、これがないと無理だな。都での事が終わったら、俺も朱義に向かう。それまで桜綾(オウリン)を頼む。」

手にした牌を懐にしまうと、宇航(ユーハン)に頭を下げた。

「よしてくれ。元はといえば、私がまいた種だ。桜綾(オウリン)は任せてくれ。必ず助ける。」

宇航(ユーハン)のその言葉に頷くと、憂炎(ユウエン)は護衛に馬を用意させ、黄泰を発った。

宇航(ユーハン)は本家へ伝書を飛ばし、全ての手配を終えた。

「桜綾(オウリン)。少しきついかもしれないが、頑張ってくれ。必ず約束を果たす。だから、ここから出よう。」

意識のない桜綾(オウリン)に話しかける。腫れた顔をそっと撫でるが、何の反応もない。

宇航(ユーハン)はそんな桜綾(オウリン)の体をそっと抱き抱えると、馬車へと歩みを進めた。


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