第8章 水とミミズ

第36話 カズのこれまで

 カズの本名は丸森和孝という。テッツオたちの召喚の一度前、こちらの時間で10年前の召喚の被害者のひとりである。

 魔法詞は【詳しさ】で、俗に言う【鑑定】の魔法が使える。転生前から異世界に飛ばされた時の事を考えていたそうで、儀式の間じゅう【鑑定】をくれと願い続けていたそうだ。

 王都で3年ほど働いたあと、彼は放浪の旅に出た。前世の知恵で稼いだ金と恵まれた魔力を持つ彼は、水魔法の魔装具を手に入れて旅に出る。


 寒けりゃ南に行き、夏になれば高地へ赴く。出発から1年が過ぎた頃、彼に転機が訪れた。

 一人旅の道なりに、魔物に襲われた馬車を見つけたのだ。物語ならば、見目麗しいお嬢様を間一髪で救う展開なのだろうが、カズが駆けつけた時には、旅の一団は既に事切れていた。

 道を塞ぐ馬車を脇に寄せて、遺品を漁る。荷物の主が何処の誰なのか、残された家族への伝言の有無も含めて探す。

 何もなければ見つけた人間の物になる習わしだから、カズは何も出て来てくれるなと願いながら3人の遺体を探った。

 その願いも虚しく、一番金持ちそうな男の上着の内ポケットに、遺言らしきメッセージを見つけてしまった。

 自分の不運を呪いながら読み進めるカズの転機はそこにあった。この馬車の本当の荷物は、馬車の御者席の下にある。それを故郷へ届けていただけば、それなりの礼をすると遺言に書いてある。

 すぐさま、席の下を探る。布の袋と、その口を縛る呪詛の帯、それに届け先の住所が書かれた札が付いている。

【鑑定】で見たところ、その粗末な布の袋はマジックバッグだった。彼の中にネコババの気持ちが芽生えるが、これだけの呪詛の帯を解呪できる知り合いはいないし、それなりの謝礼も期待出来る為、結局カズはそれを届ける事にした。


 目的の場所は、バリチェロ村の外れにあった。詳しい道を教えてくれた村人が物珍しそうな顔をしたことが気になったが、教えられた道なりに目的地へと向かう。

 たどり着いた目的の集落は、木々が生い茂る山に囲まれた窪地にあった。山で見かけると遠回りするトゲ植物の代表格、群青薔薇を使った生垣に囲まれていて、物々しさが現れている。


「すみませーん」


 カズは正面の門の前で声を上げた。大きく息を吸うと、群青薔薇の香りで咽せてしまった。


「どちら様?」


 門の上にはスラリとしたエルフの女、若く見えるが、そう見えるだけかもしれない。

 カズはここに来た理由と自己紹介を簡単にすると、門が開き集落へ案内された。

 女に連れられて見る集落の内部には、彼女の様なエルフ族の女たちが何やら働いていて、いくつかの建物の太い煙突から薄紫の煙が上がっていた。


「怪しいでしょ?」


 女は尖った耳に長い髪の毛を掛けながらカズの方を見る。その艶かしさに、生唾を飲みながら頷くカズを見て


「ここではね、男性用の精力薬を作っているの」


 声が遠く聞こえる。


「性欲が弱いとされているエルフ族の女だからこそ耐えられる職場よ」


 カズは集落の一番高台にある建物に案内された。そこにはより着飾ったエルフの女が一人用のソファーに座っていて、カズに向かいに座る様に指差した。


「私の名前はスイ、この里の長をしています」


 ハキハキとしたスイの言葉を聞きながら、カズは彼女の姿を見つめている。エルフらしからぬふくよかな身体付き、袖のフリルが揺れるたびそれを目で追ってしまう。


「だいたいの殿方は、集落を抜けてここまで来れません。窪地に溜まる【フラージュ】の残り香で意識を失うか、近くの女に襲いかかかるか…そのどちらかです」


 彼女の説明で、モヤモヤの原因を特定出来たことはわかったが、カズは知らぬ間に試されていた事に嫌な気分にもなった。


「おかしい。俺はあんたの身内の死を知らせに来たんだ。何故試されなければならんのだ。何故お前らは悲しみを見せない?」


 大声を出した事で少しだけカズの意識が正常に戻ってきた。

 スイは鼻で笑ったあと


「あの人は運搬し販売する係です。精力剤を女の私たちが運ぶ事は危険ですから…。

 ですから、あのクズが死んだ悲しさよりも、袋が無事に帰ってきた喜びの方が勝るのです」


 エルフの口から出たクズという単語が、あの男への感情が漏れ伝わってくる。

 精力剤、美しい女性たち、人里離れた閉ざされた空間、カズの頭にいやらしい妄想が湧き出てきた。


「勘違いしないでください。あの男がこの里で平気だったのは、女性全体を見下していたせいです。

 アイツの周辺には常に複数の薄着の少年を侍らせていましたから…」


 スイの説明にカズは顔をしかめる。


「もしかして、貴方が平気なのもそういう趣味だからなのですか?」


 その言葉とは裏腹に、彼女はカズのいやらしい視線に気づいている様で、ゆっくりと足を組み直した。


「いや、俺はたぶん、普通の人間ではないからだ」


 それからカズは、自分がこの世界に降りたったあとの物語を語った。芳しき香りのせいか、目の前にいるエルフの女のせいか、カズは包み隠さず話した。


「では、貴方があの男の代わりをなさい」


 ウフフと怪しく微笑む彼女の提案にも、カズは尻込みする。自分はこのまま正気でいられるだろうか?


「カズ様、エルフ族は性欲が弱いだけで、全く無いわけではないのです…」


 怪しく微笑むスイのその一言で、カズの残りの人生は決まったのかもしれない。


 それからは、集落で作った薬を持ってカンバーランドの全土を巡り、歓楽街や豪商、果ては貴族まで、得意先を巡る生活が始まった。

 特技の【鑑定】を使い、精力剤【フラージュ】をランク分けした事が、尚更この里の評判を上げた。

 そしてなんだかんだあり、3人の妻を娶り、間に5人の子を授かった。


 なので、カズは前の世界を思い出す事が極端に少なくなっていた。それだけ充実していたともいえる。

 そんなカズが前の世界を久しぶりに思い出したきっかけは印鑑だった。取引先の薬屋で見かけたセントラスからの輸出証明書。そこに押された印鑑は、今や懐かしい

漢字【砂糖】の鏡文字だった。

 それを見た後カズは、無性に会いたくなった。たぶん、自分と同じ召喚の被害者なのだろう。

 懐かしい気持ちが込み上げる路地裏に、3月の冷たい風が吹いた。

 


 

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