二度目の人生はスローライフで ep発明技術で楽しく異世界を生きよう
霜月華月
プロローグ
とあるオフィスの一室で製図台を眺める二人。曲線を描く設計図を鏡と同僚の田中は確認した後、デスクの上にある冷めたコーヒーを見て溜息を零す。
「製鉄業の次は化学プラントか」
ぼやく田中に鏡は僅かな笑みを浮かべると慰めるように言葉を掛けた。
「依頼、依頼で大変かもしれんが、頑張ろう」
「なに言ってんだ、キョースケ。お前があちこちに手を付けるから、こんな風に依頼が入るんじゃないか。まあお前はスーパー設計士だからいいがな……非凡な才能の俺のことも考えてくれ」
「非凡とかいうなよ。お前だって例の大手から引き抜きがあったじゃないか」
ふと過去にそんな一大イベントがあったことを鏡は思い出し、顎に手を置きながら尋ねる。尋ねられた田中は冷めたコーヒーに手をつけると大きく溜息を吐いて鏡を見やる。
「ああ、あれね」
「そういや、なんで断ったんだ?」
「まあ、お前と仕事をすることが好きだったからかな」
「そんな言葉でデレはしないぞ」
「望んでいないから心配すんな。デレるのはかみさんだけでいい。あはは」
「ふっ」
ちょっとお茶目で頼りがいのある田中は、鏡に押しつけられた無茶な依頼に付き合ってくれている頼もしき同僚でありネトゲ仲間である。
時計は深夜0時を回り、オフィスの窓から見える街の電灯が一つ一つ落ちていく。
業界人曰く、鏡に任せれば全ての技術設計が滞りなく進むと。
友人曰く、困った縫製は鏡に任せればいい。なんとかしてくれるからと。
同僚と皆が曰く、鏡は妻帯者がいないので任せやすいと。
この言葉の通りに、鏡はその有能さ故に無茶ぶりを押しつけられることが多々ある。深夜帰りは当たり前であり、手取りは四十万を越リリーがその代わり休みらしい休みはない。
「そろそろ引き上げるか田中。続きは明日にでもしよう」
「明日は付き合リリーかどうかわからないぞ、俺は」
「すまんな、奥さんにすまなかったと言っておいてくれ」
「まあ、お前は早く結婚しろよ、キョースケ。ああ、それとな、偶にはネトゲの方も付き合えよ。お前が忙しかったら召喚が抜けて痛いんでな」
攻撃及び防御、そして回復など戦略的多岐に亘る某ネトゲの召喚を鏡はしている。ネックはプレイ時間がないことで仲間に迷惑をかけていることか。
今度の週末は付き合える時間をなんとか作るかな、と鏡は考リリーと席から立ち上がり、田中と共にオフィスの電灯を落として外へと出て行く。
外へ出ると、東京の空っ風が二人の頬を撫でる。田中は風の冷たさに体をぶるっと震わせると、
「んじゃ、帰りはどこかで飲んでいくか? ネトゲもいいが、偶に飲みぐらいには付き合ってくれ」
「いいのか早く帰らなくて? 奥さんが心配するぞ」
「言うな、言うな。妻は寛容だから心配すんな」
新婚の田中。そんな亭主の顔を早く見たいと思うのは妻の性だが、それでも田中は友である鏡との関係も大事にしている。
田中の内心は分からないが、仕事に付き合ってくれたことに感謝をしつつ、鏡は尋ねる。
「この時間にどこか飲むところがあるのか?」
「あるある、うまい焼き鳥屋知ってるんだわ、俺。食べてびっくりすんなよ」
「焼き鳥か、熱燗とネギマがいいかな俺は。あーやばい、涎が垂れてきた」
そんな他愛もない雑談をしながら田中と鏡はアスファルトを踏みしめ店へと向かう。
焼き鳥屋に着き、扉を開けると温かな空気と良い香りが鏡と田中を出迎えた。
田中に促されるようにして席へと着くと二人は店員に注文をする。少し酒が入り、田中がもも肉を食べながら鏡に訊いた。
「そういやキョースケが会社に入社した経緯は初恋の女の子の言葉がきっかけだったな?」
「いうな、いうな。小っ恥ずかしい」
男気もなく頬を朱色に染める鏡。昔、付き合っていた恋人に
「私、発明家とかそんな人が大好き。だからキョースケもその道に進んでほしいな」
と、甘言を囁かれた事が今の会社に入った要因だ。だから田中は笑いながら鏡に言った。
「しかし、まあお前さんも純真だよな。高校卒業後に即現場入りだろ。どんだけ好きだったんだよ、その子のこと」
「いやー、若かったんだな、私は」
「で、今はフリーだからその後はお察しか。そのまま結婚してしまえばよかったのに」
「まあ、しかし私のお別れされた恋人はお前さんの奥さんほど寛容じゃなくてね」
鏡は杯をテーブルへ戻すと別れ間際の恋人の台詞を思い出す。
「私、やっぱり普通の人がいい」
あの頃、鏡は開発や発明に夢中になりすぎて彼女と疎遠になってしまった。好きこそ物の上手なれという言葉があるが、没頭しすぎたことが彼女の心を傷つけたのだろうと、今の鏡には理解できていた。
「まあ、なんだ、今度いい出会いがあれば大事にするからなとか思ってみる」
「思うじゃだめなんだよ。まあ、そこがお前さんの良いところでスーパー設計士の元なんだがな」
昔を思い出させる話が酒を進ませ、田中と鏡はある程度酔うまで飲み、そして飲み会は終わりを告げる。
駅のホームで少し酔った田中は鏡の肩に手を置くと優しげな声音を発する。
「もし、明日も無理そうなら俺を頼ってもいいかもな。その代わり週末のネトゲには付き合えよ。かみさんも待ってるからな。ははっ」
夫婦揃って同じネトゲをプレイしてイチャラブをするのだから、その熱気に当てられるこちらはほんのりとした幸せな気持ちになる。
「ヒーラーさんは厳しいからな」
「まあ、かみさんはお前のことが好きなんで、ちょっとのミスじゃ怒フーラルだろうと思ってみる。あくまで勘だぞ勘、ははっ」
と、田中は言うが。この間ボス戦の手前で鏡がミスをし、こってり絞られたことを鏡は思い出す。別にリアルで完璧な縫製ができるからといって、ネトゲの縫製職でもなんでもできる訳じゃない。スキルと時間、そしてそれに見合った道具とアイテム、そしてゲームの才能が必要だ。だから鏡は苦笑いを浮かべ、
「光栄なことだ。是非週末はお願いするとお礼をいっておいてくれ」
「INして、キョースケの口自身で言うと喜ぶぞ」
「はは」
田中と共に、そろそろ電車が到着する頃合いだと思うと、鏡はアナウンスを待った。暫しアナウンスを待つと、
駅構内へピンポーンという音が木霊し、アナウンスと共に音声ガイダンスが流れ始める。
『まもなく一番線に各駅停車○×行きがまいります。線路の内側でお待ちください』
電車が来ると分かったところで、途端にリラックスモードになる。鞄に力を込め、既に乗り込む準備は完了している。後は電車の到着を待つだけ。電車の音を聞いて田中は顔を綻ばせる。
鏡もやってくる電車の音色を聴きながら、家に帰ったらネトゲの溢れかえってしまって課金寸前の荷物整理と仮眠でもするかなと思った瞬間、背中にどんという謎の衝撃が走る。
「え?……」
衝撃を感じた瞬間、自分の体は線路の中へと傾いていた。なにが起きたのか鏡自体も理解ができない。
既に視界にはこちらに高速で向かってくる列車の姿。線路の中へ転げ落ちるように転落した鏡。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁ」
「お、おい! 人がおちたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉ!」
「キョースケえええええええええええええ――! だ、だれかあああああああああああああ!」
叫ぶ田中とお客。まさに阿鼻叫喚とはこういうことを言うのだろう。
迫り来る列車は激しい汽笛を鳴らして接近してくる。今起きている異常事態を車掌も感じて飛び出してきた。
しかしそんな汽笛や鉄道音が聞こえないのか、鏡はただただ線路上でのたうち回り
「うおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおお――!」
と、いう叫び声しか上げられない。猛然と迫ってくる列車がその網膜に張り付いて、恐怖の余り視界がブラックアウトしそうになる。
激しい汽笛が耳朶を打ち、高速で走行する列車に轢かれそこで鏡の意識が完全になくなった。
こうして鏡の短い人生があっけなく終わりを告げたのであった。
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