無能教師と少女たちの御伽噺。~かつて子供だった者たちに捧ぐ、夢と希望の物語~
あざね
オープニング
プロローグ 新米教師、着任。
「えっと……髭もちゃんと剃ったし、服装も問題ないな。やっぱり何事も第一印象が大切、と……」
日本の都市部にある学園。
その一つの教室の前で、俺は何度も自分の身だしなみを確認していた。これほどまでに緊張するのは、それこそ学生時代に転校先の学校で自己紹介した時以来。どうにも自分は、このような新しい環境に足を踏み入れるのが苦手のようだった。
だが、そうはいっても今日からはもう弱音は吐けないだろう。
何故なら俺はもう、学生ではないのだから。
「あ……っと、予鈴だ」
そのことを考えて、深呼吸をしていると『キーン、コーン、カーン』という分かりやすいチャイムが響き渡った。つまるところは、ここからはもう後戻りできない、ということになる。
そうなると、不思議と覚悟が決まった気がした。
俺は一つ頷いてから、ドアを開く。すると――。
「ほらほら、早く席につきなさい! 先生がきましたよ!!」
――2年A組。
全員で二十五名の女子生徒たちは、委員長然とした少女の言葉にザワザワと移動し始めた。素直に着席する子もいれば、不満げに一か所に留まっている子もいる。俺はその様子を見回した後、ゆっくりと教壇へと移動した。
そうすると、先ほどまで統一性のなかった生徒たちの視線がこちらへ。
その気はないだろうが、品定めをするような眼差しに一瞬だけたじろいでしまった。でも、ここで引いてはいけない。
「えー……今日から、このクラスの担任になりました。天ヶ瀬礼音です。前任の先生が退院されるまでの短い間ですが、よろしくお願いします」
なるべく平静を装って口にすると、何やらピリッとした空気になった。
女の子たちは各々、仲が良いのであろうグループでコソコソと会話をしている。だが、それを諫めるようにして声を上げたのは先ほどの委員長気質の子。
「みんな、私語は慎みなさい! 先生が困っているでしょう!!」
「あ、あはは……」
俺はそんな彼女の態度にも苦笑いしつつ、出席簿を取り出した。
そして目を通しつつ、これまでの経緯を思い出すのだ。
◆
「……え、俺が私立箒星学園の教員、ですか?」
「あぁ、悪くない話だと思うが。どうだろう」
大学を卒業して間もなく、就職活動に失敗していた俺は行く当てなく日々を過ごしていた。日中は生活費を稼ぐためのアルバイトをこなし、夜は決まって同じ居酒屋に足を運ぶ。そうやっていると、声をかけてきたのは一人の女性だった。
眼鏡をかけた二十代後半ほどの彼女は、小さく笑うとこう続ける。
「私は箒星学園の理事長をしているのだが、あいにく教員が一人不足してしまってね。猫の手でも良いから借りたい状態なのだよ」
「はぁ……猫の手、ですか」
ビールを口に含みながら、俺は半信半疑に答えた。
たしかに大学時代に教員資格は取っており、しっかりとした手順を踏めば教員免許も問題ないだろう。しかしながら、自分のような半端者に声をかける相手を信じ切ることができず、どうにも踏ん切りがつかない。
そうしていると、理事長の女性はくすりと笑って言った。
「なに、すぐに信用してもらおうとは思っていない。だから私としても最大限、真摯に対応させてもらうつもりだよ。……天ヶ瀬礼音くん?」
「え、どうして俺の名前……?」
「ふふふ。この出会いは偶然ではない、それだけの話さ」
「………………」
虚を突かれてこちらは思わず黙り込む。
居酒屋で偶然に隣になった人、だったはずなのに。相手のその言葉は、俺の中の何故をさらに大きくした。そして自然、こちらの興味を強く引き付ける。
俺が何も言い返せずにいると、理事長は一枚の名刺を置いて席を立った。
「決心ができたら、ここに連絡してくれ。……待っているよ」
そう言い残すと、彼女は颯爽と立ち去ってしまう。
俺はその後ろ姿を見送って、呆然とするしかできなかった。
◆
――教師というのは、子供たちに未来を示す職業だ。
少なくとも俺は、そのように教わっている。かつての自分がそうだったように、子供たちは己の身近な大人の背中を見て育っていく。親、兄弟然り、教師という存在もその中の一人に含まれているはずだ。
「えー……それでは、朝のホームルームを終わります」
そのことに責任を持てないのなら、辞めておくべきだろう。
しかし俺は、いまここに立つ決断をした。その理由は複合的で、一言では片付けられない。ただ一つたしかなのは、もとより教師という存在に憧れや敬意を抱いており、自分もかくありたいと願っていることだった。
もっとも、まだまだ自分は未熟。
日々を一生懸命に過ごして、子供たちの信頼を得られるように努めなければならない。そう考えつつ、職員室へ戻ろうとした時だった。
「あ、あの……天ヶ瀬先生!」
「ん……?」
一人の生徒が、どこか緊張した面持ちでこちらにやってきたのは。
赤い髪に赤の瞳をした童顔に、高校生というより中学生といった小柄な体格をした彼女は、逡巡したのちにこのように言う。
「え……っと、もしかしたら、ですけど――」
少しだけ、息を呑んでから。
「レオンお兄ちゃん、ですか……?」――と。
微かに、円らな瞳を潤ませて。
俺はその呼び方と表情を確かめて、思い出した。
「もしかして、マナ……なのか?」
その名前は、懐かしい。
幼い日々を想起させる響きだった。
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