さよなら 私の怪物

邪悪シールⅡ改

 扉を貫通し、ゼラの部屋に転がってきたのはガードマンの生首であった。

 後頭部が陥没したスキンヘッドは、困惑の表情に凝固したまま情けなくベロを垂らしている。

「は?」

 死ぬのはどうでもよい。だが、勤務時間中に絶命されては、誰か屋敷の警護に従事するというのだ。死体の片付けは誰が執り行うというのだ。

 ゼラは役に立たぬ能無しの顔面を踏み砕き、解雇の証とした。

 だが、泥のへばりついた生肉を貪る日々にも飽いた頃合いではある。

 ローファとスラックスに返り血が付着する。

 それも訪問者次第では水に流そう。

「私の脳味噌はどこでしょうか」

「……嫌な生き物が訪ねてきやがった」

 赤。黄。青。緑。ありとあらゆる血と臓物をたっぷりと浴びに浴びたワンピースは、幾分か華やかである。

 だが、柔い肌と黒髪は、それらの色に染まることもなく清純そのものといった面を保っていた。

「使用人共を皆殺しにしたな。てめぇこの野郎」

「襲ってきたので」 

「そう命じてあるんだよ。人ン家に土足で踏み込むクソは徹底的に引き裂けってな」

「私の脳味噌を返してください。そうすれば帰ります」

「もうよそに売った。『脳は好きにしていい』と。そういう約束だったろうが」

「私は知りません」

「お前の脳味噌と約束したんだよ。正確には、前の人格とでもいえばいいのか? え?」

 ゼラはブレザーをソファに放り、ネクタイを緩めた。

「実際に見るのは初めてだよ。身体だけで動く奴は。珍しいな」

 己が顔の肉を剥ぐ。

「てめぇの身体も殺して売ることになるか? 脳無しが」

 二十代半ばで固定した模造皮膚は修復不可能なほどにちぎれ、代わりに本来の顔である銀色の獣が牙をむく。

 四つめの全ては赤く充血し、人間性の全てをドブに捨てた唸り声が喉の奥から溢れる。

 人間時代の名残は、哀れな母親遺伝の銀髪だけであった。

「絞め殺してやる。そうすれば綺麗なままだろ」

 筋肉で膨れ上がった脚部は踏み込みと同時に床をたたき割った。

 中に舞った破片がシャンデリアに直撃し、見苦しい明滅が起こる。

 一秒。二秒。三秒。

 ゼラの右腕が肩口から失われ、彼自身の目を覆う。

 潰された視界の中、あと一瞬で、首を思うがままに蹂躙できたであろう女が笑む。

 それは呪わしき死者であり人間の笑みであった。

 残る腕を使う術はない、それは既に女の視線に射貫かれたと同時に溶解し、惨めな骨を晒した。

「首を、どうするんです」

 想像とは真逆の立場である。

 氷雪の如き掌は、ただ緩やかにゼラの下顎をさする。

「お前の脳味噌がお前から離れた理由がわかった。異能の化け物め。だが、馬鹿だな。お前の脳味噌は」

「私の脳味噌はどこです」

「知らねぇ。だが、俺のデスクに住所録がある。上から順に訪問してみな」

「ずいぶんと素直に教えてくれますね」

「お前の脳味噌が馬鹿だからさ」

「脳の売買が生業のわりに、かわいい遺言ですね」

 吐瀉物が血に混じって溢れた。だが、女の身体には触れることなく通り抜ける。

「脳を差し出したい奴は、大抵自分自身を憎んでいる。この世の全てを憎んでいる。何もかも壊したがっている。そういう奴に安息の地を提供するのが俺だよ」

「行いを正当化したければ地獄の閻魔さん相手にすればよいでしょう」

「へ、へ。まぁ聴けよ。お前の脳味噌も、さぞお前を、自分の身体を、自分自身を憎み苦しみもがいたんだろうよ。だから俺に依頼した」

「……確かに私が会いに行ったところで、邪険にされるだけでしょう。恐れられるだけでしょう」

 部屋の明滅も止まりかけ、まもなく暗闇が訪れるだろう。

 その前に、ゼラの血は眼窩から溢れ、少しばかり視界も晴れた。

「私はお別れが言いたい。私の。こんな身体の傍に十七年も一緒にいてくれた私自身に」

 女の目からは、ゼラと同じように溢れる液体があった。

 透明な涙が。

「知らなかったな。そんなに若いのかよ」

 もうゼラは、獣の姿を維持することはできなくなった。強化手術を行う前の、人間としての顔に戻った。

「……お前、どこで自分が目覚めたか覚えているか」

「家のベッドで」

「だろうよ。そのまま暮らせばいいものを」

 人造皮膚製の顔よりも少しばかり年老いた人間の顔であった。

「俺は死ぬし、てめぇも……もし脳が戻れば死ぬ。ざまぁねぇな」

「戻ってくれるでしょうか」

「さぁな。だが、お前の脳が最後に俺にこう言った」


「『身体だけは綺麗なままにしてください』ってか」


 死んだ母親も、似たようなことを金貸しに言い、金とゼラを残して消えた。


「さっさと行け」


     ○


 とうとう破損したシャンデリアは落下し、部屋に本当の闇が訪れた。

 女はもういない。二度とここへ来ることはないだろう。

「…………殺してから行けよ。あの野郎」

 闇の中、ゼラは独りごちソファへもたれかかった。

 廃業だな。

 そう思いつつ一眠りした。

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