第5話
私は所謂、『拗らせ女子』という生き物らしい。この間、親友の茜にそう言われて判明した。
宇津木桃花。十六歳。クリスマス生まれ。至って普通の女子高生、だと思っていたのに。どうやら違うらしい。
彼氏はどんな人がいいかという、JKらしい、女子トーク。そこで私は王子様みたいな人がいい、と答えた。いや、答えてしまった。
親友の言葉を借りれば、『だからいつまで経っても処女なのよ。』
大きなお世話だ。じゃあお前はもう卒業したのかよ、と聞いてみたら答えは是だった。なんてこと。まさか親友が大人の階段を上っていたなんて。未だに処女を大事に取っておいてるのは、もしかして私だけだったりするのだろうか。彼氏、作った方がいいのかしら。
親友の茜は、王子様なんていない、なんて言っていたけど。私だって別に王子様みたいな人が私を迎えに来てくれるなんて、今更信じていない。けれど、夢くらい見たっていいじゃないか。まあもっとも、こんなことを言うから『拗らせてる』なんて言われてしまうのだろうけど。
最近は雨ばっかりだ。
雨という天気は嫌いだ。髪は跳ねるし、ジメジメして鬱陶しいし。
テスト期間はもっと嫌いだ。ウチの学校はテスト期間がほかの学校より一週間長い。テスト期間は部活禁止とかマジサイテー、とは親友の言葉だが、部活をやっていない私でもそう思う。
テスト期間長いとかマジサイテー。
とは言え、テスト勉強はしなければいけないわけで、私は学習センターで勉強することにした。
ここは静かで勉強が捗る。いい環境だ。だからこそ人気で席も取りにくいのだけれど、早めに学校を出て急いでここに向かえば、座れないということはなかった。
イヤホンを耳に刺してテキストを広げる。雨の音が聞こえるとどうも集中できないからだ。
好きなポップミュージックを聞きながら課題を進める。
結構時間が経ったはず。そう思って携帯を見ても、あまり時間は進んでいなかった。
少しリフレッシュしようと、音楽を止めて伸びをする。背中がググっと伸びて気持ちがいい。
すると、一つ席を挟んだ隣にも私と同じように伸びをしている男子を見つけた。
こちらを見ている彼が仲間のように思え、思わず笑ってしまう。
彼が少し困ったような表情を浮かべた。ちょっとだけドキリとした。
その後はイヤホンをつけるのを忘れていたが、意外と雨の音は気にならなかった。
彼と出会った日の夜。私がリビングでゴロゴロしていると、お母さんが説教を始めた。
やれ勉強をしろだの、やれ弛んでいるだの。しまいには大学がどうこうまで口を出し始めた。
私は自分の進路は自分で決めたかった。親にいちいち言われると腹が立つのだ。エゴを押し付けてくるだけだから。
だからつい、言い返してしまった。
お母さんは少し驚いた顔をした後、大股で自分の部屋に入ってしまった。
夕飯は作ってくれなかった。そのせいで妹の夕飯も抜きになってしまい、それはそれは文句を言われた。
私たち姉妹は料理ができないので、泣く泣くカップ麺で済ませることにした。
妹は食事中ずっと文句を言っていた。料理覚えればいいじゃんとは言えなかった。盛大なブーメランだから。
次の日、いつものように電車に乗って学校に登校する。
朝、家を出るときは降っていなかった雨も、正午を過ぎたころから降りだし、私が学校を出るころにはかなり雨脚は強まっていた。
傘を忘れた。
そう気づいたのは、下駄箱からローファーを取り出したときだった。
いつもであれば、お母さんに連絡して迎えに来てもらう。雨の日は大抵そうだった。
けど今日ばっかりは事情が違う。お母さんと喧嘩したのが後を引いているのだ。
あの人に頼りたくない。できることなら今日は家に帰りたくない。
そう思いながら、エントランスの屋根の下で雨だれが落ちるのを眺める。
どうしよう。
ちんけなプライドを優先させて雨に濡れて駅まで行くか、ちんけなプライドは切り捨てお母さんに連絡するか。
濡れるのも嫌だし、お母さんに頼るのも嫌だった。
クラスの子からは、さんざん大人だ大人だと言われる私ではあるが、こういうことをいつまでもグダグダ気にするあたり、子供なんだと思う。
数分悩んで結局、私は私のプライドと仲良くすることにした。
エントランスの屋根から出ると頬に雨粒が当たる。次第にブラウスも濡れていき、肌に張り付き始めた。
周りを歩く人たちは皆、傘をさしている。傘を持っていないのは私だけだ。
なんだか一人だけ浮いているようで恥ずかしくなってきた。
私は駆け出した。
雨粒が顔を叩く。
前を歩く相合傘のカップルを追い越して、ただひたすらに走る。
右足が水溜まりを踏み抜いた。
跳ね返った水がスカートの内側を濡らした。
内ももに水が伝う。
ローファーの中で水を吸った靴下がぐちゃぐちゃと音を立てる。
気持ち悪い。
しかし私はひた走る。
視界の端で雨粒が飛んでいく。
息が上がってきた。そりゃそうだ。最近はろくに運動もしていない。ダイエットしなきゃな。そんな考えがふと頭をよぎる。
日に日にウエストが弛んでいくのは、JKとして看過できなかった。
目の前の信号が赤に変わった。弾む息を整えて、足踏みをする。
この信号を渡ればもう、学習センターだ。
立ち並ぶビルが私を見下ろしている。
雨音が私を孤独にさせる。なんだか異世界に迷い込んだみたいだった。
水溜まりが信号の光を反射して青く光り、私は信号を渡った。
駆け足で学習センターのあるビルに入る。ローファーから染み出した雨水が、カーペットを濡らした。
後ろで自動ドアの閉まる音が聞こえてくる。途端、雨音が遠ざかる。あたりがやけに静かに感じて、異世界から帰還したような気になった。
エレベーターに行くまでにすれ違った人たちは、皆そろってギョッとした目で、濡れ鼠になった私を二度見した。
私はなんだか恥ずかしくなって顔を下に向けた。するとキチンと掃除の行き届いたカーペットが目に飛び込んでくる。そんなキレイなカーペットを私の足跡で汚すと思うと、ますます恥ずかしくなった。
うつむいたままエレベーターに乗った。四階のボタンを押して十数秒の一人きりを楽しんだ。
ドアが開く。
暖房がついているのか、暖かい空気が私を包んだ。もう暖房は季節外れじゃないか、とも思ったが、雨に濡れて冷えた私の体にとっては丁度よかった。
髪から水滴が垂れて鼻筋を伝う。
あ、タオル、忘れた。
自分が濡れていることを意識して、気が付いた。あろうことか、私はタオルを忘れてしまった。傘に、タオルに。なんか今日はツイてない。
どうしよう。こんなびしょ濡れまま席についてしまったら、係員に怒られてしまう。
スカートは撥水加工だったから、被害は少ないものの、髪とブラウスは酷い。特に髪だけでも拭いておきたい。髪は女の命だ。
入ってすぐの席に男子高校生の後姿を見つけた。
他にいるのは社会人や年配の方ばかり。頼るなら、歳の近そうなこの人しかいないと思った。
「あの……」
その男子高校生はこちらに気付く素振りも見せず、ただひたすらに黙々とシャーペンを動かしていた。
もう一度声をかけてみる。
「あ、あの……!」
今度は一緒に肩も叩いてみた。これなら気付いてくれるはず。
その男子高校生は驚いた表情をして、こちらに振り返った。
私はすかさず口を開く。
「す、すみません。タオルとかってありますか……?」
濡れた前髪越しに男子高校生を見る。やっぱり驚いている。そして困った表情も浮かべていた。その困り顔はどこかで見たことがあるような気がした。
「ど、どうしたんですか?」
男子高校生は、そんな言葉とともにタオルを手渡してくれた。
「すみませんっ。ありがとうございますっ!」
そう言って私はタオルを受け取った。
体をブラウスの上から大雑把に拭いて、頭も拭く。前髪も水分が飛んだことにより、幾分か視界もよくなった。
「あ、昨日の……」
男子高校生がそう呟いた。
「へ?」
昨日の? なんだろう。そう思って男子高校生の顔をよく見てみれば、昨日目が合った“彼”だった。
まさしく、昨日の。
「傘、忘れたんですか? 天気予報じゃしばらく雨って言ってたのに」
「恥ずかしながら……」
話しながら彼の横に座る。
「実は、母と喧嘩してしまいまして……。普段なら傘を届けてもらうんですけど、喧嘩した手前、言い出しづらくって」
と、私の事情を彼に話した。
彼は神妙な面持ちで聞いてくれていた。
「それは、なんと言うか、自業自得なんじゃないですかね」
神妙な顔を解いて、彼は苦笑を浮かべた。その笑顔が、同年代とは思えないくらいに様になっていて、少しドキリとした。
「でもでもっ、お母さんも悪いんですよ!」
ドキリとしたのを誤魔化すように、少し語気を強めてそう言った。
「私は国立大に行きたいのに、私立のここじゃなきゃダメだって言うんですよ」
「子供の進路を、ちゃんと考えてくれてるんですよ。いいお母さんじゃないですか」
「そうなんですかねぇ」
思ったより大人な彼の返答に、おばあさんのような受け答えになってしまった。少し恥ずかしい。
すると彼は、そうなんですよ、としみじみ言うものだから、笑ってしまいそうになった。
それにしても、いい人だなぁ。昨日会ったと言っても、ほとんど初対面の人の話を親身に聞いてくれるなんて。
って関心してる場合じゃない。私、何話してるんだろう。いくら話を聞いてくれるからって、しゃべりすぎだろう。絶対引かれた。
私は急に恥ずかしくなって、肩にかかってたタオルで、赤くなっているであろう顔を隠すように、頬を拭った。
あ、すっごいいい匂いする……。
そのタオルが彼のものだということに気付くまで数秒かかった。
しかし気が付いてしまえば、さらに猛烈な恥ずかしさが私を襲った。きっと今の私は、リンゴと比べたって勝負できるくらいには赤いだろう。
彼がちらちらとこちらを見ている。私は顔を隠すようにして髪を拭きながら、机の上に教材を広げていく。
「そういえば」
私は赤い顔を誤魔化すように声を上げた。
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