第2話

 宇津木さんは斜め後ろを気まずそうに付いてきていた。


 なぜこんなに気まずそうにしているかといえば、まさか本当に泊めてもらえるとは思っていなかったから、らしい。


 親に連絡したというのもジョークだったらしいし。


 家に何もないから買い物に付き合ってくれ、と席を立った時はめちゃくちゃ焦って、冗談なんですごめんなさい、と平謝りしていた。


 気持ちを弄ばれたような気がして悔しかったので、ごり押しで家に泊めることにした。


 男をからかって挑発すると、こんなひどい目に合うんだぞと、是非学んでほしい。


 本当に嫌がるなら無理強いはさせないし、なんだかんだ付いてくるあたり、家には帰りたくないのだろう。


 母親と喧嘩はおろか、話したこともない俺にとっては、なんとも想像しがたいが。


「あ、あの、本当に大丈夫なんですか? ご迷惑になりませんかね」


 遠慮がちに宇津木さんは尋ねてきた。


 学習センターを出て、下の階にあるスーパーに来た今も、まだ気にしているみたいだった。


「別に見られて困るもんがあるわけでもないし、料理が一人分から二人分になるだけですからね」


 料理は量が増えても大した手間にはならない。


 品数が増える方がよっぽど面倒くさい。


「え、でも、えとその」


 宇津木さんはかなり動揺していた。


 ここまで動揺されるとこっちが申し訳なくなってくる。


 というか嫌われてしまいそうで怖い。


 やっぱり帰した方がいいのでは。脳内の天使がそう語りかけてくる。


「嫌なら無理強いはしませんよ? 親御さんも心配するでしょうし」


「え、でも……」


 やんわりと帰るなら今だと伝えてみる。


 ゴリ押ししたのは俺だけど。


「やっぱり家には帰りたくないです……」


 スーパーの床材を見つめながら、宇津木さんは答えた。


 よほど喧嘩したことが尾を引いているのか、宇津木さんは頑なに帰ろうとしなかった。


 そろそろこちらが日和っていることに気づいてほしい。


 初恋の娘と話して一日でお持ち帰りとか、時間が経つごとに良心がえぐられていく。


 まるでドラクエの毒の沼のようにじわじわと精神にダメージが入る錯覚さえ感じる。


 とはいえもう引き下がれそうにもないし、腹をくくるしかないか。


「じゃあ、宇津木さん。何か食べたたいものとかありますか?」


「へぇっ? 食べたいもの、ですか……?」


 突然そう聞かれ、宇津木さんは素っ頓狂な声を出す。


 動揺は収まりきってないようだ。


「じゃあ、えっと、ハンバーグがいいです……」


 宇津木さんはそう言って恥ずかしそうに俯いてしまった。


 耳がほんのりと赤い。


 何この可愛い生き物。


「ハンバーグ、お好きなんですか?」


「はい、大好きです……」


 俯いたまま宇津木さんは答えた。


 食べたいものも聞けたので、必要なものを買いそろえていく。


 宇津木さんは黙って後ろをついてくるだけだ。


「なんか……、新婚さんみたい……」


 ぽつりと、そんな声が聞こえた。


 本人は独り言のつもりなのだろうが、ハッキリと聞こえてしまった。


「新婚ですか」


「うぇ!? あ、聞こえて……!」


 耳が赤かったのが、みるみるうちに顔全体に広がって、ゆでだこのようになってしまった。


 可愛い。


「あ、あの、決して深い意味はなくてですね」


 宇津木さんは必死に弁明していた。


 言われなくてもわかっているので、あからさまに否定されてしまうと、悲しくなってくる。


 さて、一通り買い物も終わり、ビルを出る。


「雨脚、まだ強いですね」


 スーパーで買い物している間も、雨は止まなかったらしい。


「あ、傘……」


 宇津木さんが呟く。


 傘は俺が持っている一本だけ。


 宇津木さんは家に傘を忘れて、雨具はなかった。


「スーパーに売ってましたかね。私、もう一度戻っていいですか?」


「さっき見ましたけど、あのスーパーには置いてませんでしたよ」


「え、そうなんですか……」


 先程、帰りが相合傘になってはまずいと、傘が売ってないかと探したのだが、あいにく売ってなかったのだ。


 駅ビルにあるコンビニになら売っているだろう。


「あっちのコンビニなら売ってると思いますよ。行ってみましょう。屋根もあるんで濡れずに行けますし」


 コンビニまで大した距離はない。こちらのビルとは、駅のロータリーを挟んだ向こう側にあり、屋根のついた歩道橋を渡ればすぐに行ける。


 コンビニに行きましょうと声をかけ、歩道橋を渡る。


「あれ、傘売ってませんね」


 コンビニに入ると、そんな声を上げる宇津木さん。


 この駅は利用者が多いので、今日の雨のせいで売り切れてしまったらしかった。


 どうしよう。


 併設されたドラッグストアには売ってなさそうだし。


 そんなことを考えていると、宇津木さんが声をかけてきた。


「あの、買いたいものがあるので、外で待っててもらってもいいですか……?」


 遠慮がちに尋ねる宇津木さんの顔は赤かった。


「荷物持ち、しますよ?」


 俺がそう答えると、


「そ、その……、下着を買いたくて……」


 宇津木さんはさらに顔を赤らめた。


 そういえば。完全に失念していた。


 一泊するのだから、下着類は必須だろう。


 それを買うところは異性には見られたくないということだ。


 善意が裏目に出てしまった……。


「す、すみません」


 俺はそう言って、おとなしくコンビニの外で待つことにした。


 コンビニの外は屋根があるので、雨に濡れる心配はなかった。


「ごめんなさい。おまたせしました」


 数分して、宇津木さんが店内から出てきた。


 手には小さなビニール袋があった。


 そのビニール袋から目を逸らし、宇津木さんの目を見て言う。


「それじゃあ、行きましょうか」


 宇津木さんは、緊張した面持ちではい、と頷いた。


 コンビニで買い物をしてもなお、雨は止まなかった。


 コンビニに傘が売ってなかったのは誤算だ。


 傘は俺の持つ一本しかない。


 相合傘不可避じゃないか。


「相合傘になっちゃいますけど、大丈夫ですか?」


 一応俺は宇津木さんに尋ねる。


 断られたとしても、傘を貸して、ずぶ濡れで帰る覚悟はできていた。


「だ、大丈夫ですよ。ただ傘を半分こするだけです。そこに深い意味なんてないですから……」


 顔を真っ赤にして言う宇津木さんは、深い意味なんかないと言いつつも、明らかに意識していた。


 意識してくれるのは男冥利に尽きるのだが、こっちまで気恥ずかしくなってしまう。


 努めて意識しないようにしてたのに。


「そうですよねっ! 同じ傘に入るだけですもんね!」


「そうです! 電車で隣に座るみたいなものです!」


 お互いテンパってよくわからないことを口にしていた。


 テンパるのも無理はない。女子と相合傘なんて初めてだ。


 心臓がやけにうるさい。


「……」


「……」


 歩きだしてからしばらく、お互いに緊張してか、一言も交わさないまま数分が過ぎた。


 時折肩がちょん、と触れるたび、宇津木さんはびくりと震える。


 あまり大きくない傘だったので、俺の右肩はビショビショだが、宇津木さんを濡らすのに比べたら屁でもない。宇津木さんは一度濡れてしまっているのだ。


 紳士として、これ以上濡らすわけにはいかなかった。


 沈黙が続く。


「あのっ」


 とうとう沈黙に耐え切れなくなったのか、宇津木さんが口を開いた。


「早乙女さんは西高の生徒さんですよね。学習センターにいたってことは、西高もテスト近いんですか?」


 そんなことを訪ねてくる。


 も、ってことは宇津木さんの通う高校もテストが近いのだろう。


「そうですよ。来週からです。輝城高校きじょうこうこうもですか?」


 輝城高校とは宇津木さんの通う女子高のことだ。


 ちなみに県有数の進学校で、お嬢様学校としても有名だ。


「やっぱり。うちは再来週からです」


「そうなんですか」


「……」


「……」


 それきり会話が終わってしまった。


 気まずい!


 ほとんど初対面の二人だ。会話が続くはずもなかった。


 その後、宇津木さんが何回か話題を振ってくれたものの、二言三言交わすだけで会話は途切れてしまう。


 人生最高の気まずさだった。

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