6. 木漏れ日



 それから毎日、リリーに色々な事を教えてもらった。


 この世界の生き物は、主に3つに別れている。

 人間、動物、そして妖精族。


 妖精族は体内に魔力を宿し、その魔力を体に循環させて生きている。

 

 魔石の中にある魔力の濃度によって、個体の魔力量が決まる。

 そして、より多い魔力量を有する個体は長寿になるのだ。

 

 この世界に住む妖精族で、最も濃い濃度の魔力を宿すのは、竜種だ。

 神や天使など、伝説上の生き物と同等に扱われることが多いらしい。

 

 ちなみに、魔石を宿す者が妖精族と言われているため、魔物も妖精族の一種として考えられている。


 一方で、人間は魔石を持たず、大気の魔力を貯蔵する臓器をもつ。

 大気の魔力を体内に貯め、その魔力を循環させる事で生命を維持している。

 一度に貯められる量には個人差があり、それは老化と共に衰えていく。

 そのため、寿命が約100年だと言われている。

 

 人間は、大気から吸収できる魔力が減ると、生命維持が困難になる。

 この状態を、魔力欠乏と呼ぶ。


 逆に、魔力が体内の貯蔵量を超えると、体が蝕まれて死ぬ。

 これが、魔毒だ。

 

 また、人間と動物は神によって作られたと伝えられている。

 非常に希少だが、神に力を与えられた人間は、妖精族のように魔法を使う事が出来るのだ。


 動物も体内に魔石を宿している。

 しかし、妖精族のように、魔石の魔力が体内を循環することは無い。

 人間と同じように、大気から魔力を吸収して生きるのだ。


 魔石をもつのにも関わらず、その魔力を用いて生きる事が出来ないのが、動物なのだ。

 ごく稀に、特別な土地の魔力を吸収し、妖精に近い存在となる事がある。

 それは、魔獣と呼ばれている。


 メロウの谷に現れる悪魔も、これに近い存在だと考えられているようだ。


 ちなみに、妖精の涙を宿すメロウの民は、その魔力で生きているため妖精族だ。

 妖精の涙は、魔石の中でも濃度が非常に高いため、悪魔に食われなければ長寿な部類の妖精族なのだと言っていた。


 私の世界はあの森が全てだったから、こんなにも大きな世界で生きていた事を初めて知った。

 自分の存在はこんなにも小さくて、あの森は世界の片隅に過ぎなかったのだ。


 𓃹


 町が静止画に変わった日から2か月。

 すっかり慣れた景色と生活。


「おう、コク。今日は湖に行くぞ」

 

 珍しく、私より早くリビングに居たじぃちゃんがそう言った。

 

 今日は、残った民達で悪魔に食われた民達の弔いをするそうだ。

 しかし、塵1つ残さず食われてしまったため、遺体を葬送する事は出来ない。


 だからこれはお別れ会のようなもの。

 彼等が、湖の元で静かに眠れることを祈りに行くのだ。


 見慣れた森と町の境い目。

 この場所では、自分の爪先を見つめていた記憶しかない。

 そんな時間が随分と昔の事のように感じた。


 森の入口には人影があった。

 じぃちゃん達にもやっと慣れてきたばかりなのだ。

 少し怖くなってしまい、じぃちゃんの背中に隠れた。


「ここに集まっているのは生き残った民だ。お前は会うのが初めてだろうが、皆お前に感謝しているからな。怖がらなくていい」


 じぃちゃんがいつもの笑顔で頭を掴んだ。

 すると、人影の中から1人が近づいてきた。


「君がコクだね。いつもありがとう。助かっていたよ。皆を紹介したいんだけど大丈夫かな?」


 細い目をしていて、笑うと目尻に皺ができる中年の男性が、私の背丈に目線を合わせて話しかけた。

 私の心を慮ってくれているのだろう、という様子が伝わってきて嬉しかった。


「は、初めまして、コクです。えっと、紹介して欲しいです。……ありがとう」


 じぃちゃんの背中に隠れたままではあったが、男性の目をしっかり見ながら答えた。


 私に話しかけてくれた男性はルイスといって、山の近くの牧場に息子のダニエルと、ダニエルの友人であるペーターの3人で暮らしているそうだ。


 そして、畑に住んでいるのは老夫婦と孫娘だった。

 老夫婦の名は、マリアとアントニー。

 ミュラー夫妻とリリーが呼んでいた。


 それから、孫娘のエマはリリーの親友なのだとか。

 リリーとエマは、優しくて陽だまりのような雰囲気を纏っていて、よく似ているなと思った。


 森の中に入ると、木々の隙間から降り注いだ夏の日差しが、景色を鮮明に映し出していた。

 色が分かっていたら、きっと美しい深緑が見られたのだろうな。


 湖まで続く道は、周囲に比べて背の低い木が並んでいた。

 木々の隙間に様々な花が咲き乱れている、とても美しい道だ。


 普段は、鬱蒼とした森になっていて道が閉ざされている。

 妖精の涙を宿す者が、湖に行きたいと願う事でこの道が開かれるらしい。

 生まれてからずっとこの森に住んでいたのに、湖までの道がこのようにして出現することを初めて知った。

 

 そういえば、彼女を水葬した時も湖に行ったが、その道はここまで綺麗ではなかったような気がする。

 それでも迷うこと無く進むことが出来ていた。

 

 周囲を興味深く見渡しながら歩いていると、じぃちゃんが隣に並んだ。


「以前のコクは妖精の涙を宿していなかったからな。湖の所には、行きたくても行けなかったはずだ」


 自分1人だと道が開くことは無いが、彼女に連れて行ってもらえば行けたのだと教えてくれた。

 彼女の名前が出た事で、ずっと気になっていた事を思い出した。


「あの、じぃちゃん。気になってることあって……」


「なんでも聞いていいぞ」


 話の内容が聞にくいものだったから、遠慮がちに口を開いた私に笑顔を向けてくれて安心した。


「リリーから魔力の事とか聞いた時に、妖精の祝福で増えたハクの魔力を、悪魔に移したって聞いた。ハクが魔力移して、悪魔が湖に還らないで消滅したのは大丈夫な事?それに、町の人は犠牲にならなくても良かった?」


 リリーが言っていた“必要な犠牲”。

 悪魔の餌として食べられてしまう事は、自然の摂理なのだと言うことだった。

 もし、餌がなくなってしまえばこの谷が餌になってしまうのだ。

 湖だって滅ぼされてしまうかもしれない。

 そうしたらもう2度と、私達は出会えない。

 

 しかし、彼女の魔力だけで悪魔の腹を満たせたのなら、町の人達は無意味な犠牲になってしまったのでは…、と思った。


「ああ。その事はハクも悩んでいてな。妖精の祝福で増えたハクの魔力量は、竜種に並んでいたんだ。だから、ハクの魔力を譲渡すれば、悪魔は消えると思っていた。だが、ハク1人の魔力では、悪魔が消滅しないかもしれないという報告があってな。最悪、ハクが魔石ごと食われる可能性もあった。ハクが悪魔を滅ぼした後、お前に魔石を譲渡するためにも町の人に犠牲になってもらうしかない。そう俺達が判断した」


 詳しくは、悪魔の研究をしている機関が下した判断だと言っていた。

 手記を書いた男の息子が無事に研究所へ真実を届け、約2000年間、悪魔と谷の研究を行っているらしい。


 それにしても、竜種と並ぶ?とんでもない事を聞いた気がする。


「ハクは、竜種と同じ魔力もってたの?」


「同等、と言っても竜種のように生まれついたものではないから、器はそのままだ。ハクにとっては毒のようなものだろう」


 通常、妖精族は魔石の魔力が空になるとその生命を終える。

 しかし、彼女の場合は空っぽになっても、“妖精の祝福”で魔力が増え続ける。

 魔石だけでも残れば、その生命が終わることはないのだ。


「今もその瞳はきっと魔力を生み出し続けてる。でも、コクから魔力が溢れることは無い。その理由は分かるか?」


 確か、私の髪は魔力を吸収し分解するのだったか。


「……髪の毛が、魔力を分解してる?」


 そう答えると、じぃちゃんの手が頭を鷲掴みにした。


「その通りだ!魔石がどんなに魔力を生み出しても、コクの体はその魔力を分解しちまうんだ。魔素以外でも、体に魔石を宿せば、吸収と分解ができるんじゃねぇかって、研究所が言っててな。まぁ、一か八かではあったけどよ。その魔力を分解して、コクの生命を維持しているんだ。魔素が無くても、お前はハクの魔力で生命を維持出来ているんだ」


 なるほど。

 魔石を持たない私の身体が取り込める魔力は、魔素だけだ。魔素以外の魔力を吸収する事ができない。


 そのため、悪魔が消滅して魔素が無くなった現在、私の体は魔力を取り込めなくなって死ぬのだ。

 

 彼女は“妖精の祝福”で魔力が溢れて死ぬ。

 皮肉なものだ。


 彼女が譲渡してくれた魔石は、私が自ら吸収出来ない魔力を補ってくれているようだ。

 

 生み出され続ける魔力と、魔力を分解し続ける体。

 魔石を破壊する以外に、寿命を迎える事が無いかもしれないと、じぃちゃんは言った。


「ハクがお前さんに魔石を譲渡したいって言い出した時、俺達は反対したよ。魔石の無い妖精が生きる事は、不可能だからな」


 木々の隙間から空を覗くように、遠い目をしたじぃちゃんが言った。


「研究所の奴らとも色々考えてよ。ああ、旅に行くなら、クローリス王国の魔法研究所にまずは行ってくれ。ハクがお前さんに残したものがある」


「ハクが残したもの?なに?」


「それは行ってからのお楽しみってやつだな」


 じぃちゃんがいたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。

 その研究所にいる優秀な研究員が、魔石の譲渡方法を見つけてくれたらしい。

 

 彼女がいなくなって、知らない彼女をたくさん知った。

 私は彼女と生きていたかっただけなのに。


 灰色の木の葉から見え隠れする青空が、少しだけ眩しくて目を伏せた。


 𓃹


 湖は綺麗だった。


 前来た時はきっと夜だったのだ。

 鉛のようだと思った水面には、青空が映っていた。

 まるで、空が2つあるみたいだ。

 太陽の光が、風で揺れる水面に反射して散らばった。


 湖の畔には、石造りのどこか懐かしい建物があった。

 古くなって蔦が絡んでいるようだが、綺麗に管理されているように見えた。


「コクちゃん!こっちに来て手伝っておくれ!」


 ぼんやりと風景を眺めていると、シャーリーが私を呼んだ。

 シャーリーの元に近づくと、ルイスとリリーが草でできた舟に、花を編んでいた。

 子供1人が乗れそうな草舟の隙間に、小さな花が揺れている。


 周囲を見渡すと、3~4人で1つの草舟に花を編んでいた。


「このお花をね、こうやって間に差し込んで、くるってやるんだよ」


 リリーが自分の手元を見せながら説明してくれた。


 湖までの道で、リリーとエマが花を摘んでいたのはこういうことだったのか。


 リリーを真似しながら、私も花を編んでみた。


 花で彩られた草舟が3隻できた。

 これを湖に流し、この地に眠る物達の旅路が穏やかであるように願うのだと、リリーが教えてくれた。


 舟が水面に浮かぶ。

 私達は、広大な湖を躊躇いなく流れていく舟を見守った。

 湖に風が吹く度、花がふわりと揺れて幻想的だ。


「さて!じゃあ、お昼ご飯を食べましょうか!」


 暫く静かに眺めていると、シャーリーが手をぽんっと叩いて言った。


 シャーリーが大きなバスケットを開いて、サンドイッチを取り出す。

 お昼ご飯を持っていたから、バスケットが大きかったのか。

 皆がシャーリーの元へ集まって、サンドイッチを取り、散り散りになっていった。


「はい、コクちゃんの分」


 最後尾に並んだ私に、シャーリーが手渡してくれた。


「ありがとう、シャーリー」


 私はお礼を言って受け取ると、湖の畔にある小さな岩の上に座った。

 風が心地良い。


 ベーコンとレタスとチーズが挟まったサンドイッチを、ゆっくりと咀嚼した。


 湖の水面が揺れているから、涙なんて出ていないのに泣いているみたいだ。

 

 

 

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