嬉しいことと、嫌なこと
さて今回ろうでいさん&
というか、その前々からやんわり触れてはいましたが夏に彼女ができました。好き。(直球)
その人から「エッセイで
しかしながらデリケートな話題なので、何かを
「アウティング予防」の件(今回よりも三つ前のエッセイ)で記したように「僕の彼女はこういう人で」と、ふわっと伝えている人は一名のみでして。その「一名の人」におかれましては(大丈夫だろうけれども)第三者に吹聴せず優しく見守っていただけますと幸いです。
話変わりまして昨夜のエッセイの件。
自己満足だから読んでも読まんくても、と予防線というか保険を打ちつつも、エッセイ本文も短編リメイクも
ちょっと
前回のエッセイに関する話でした。
*
以降は別な内容。
彼女が可愛い!
例えばの話、特定個人または集団である「A」が、およそ
それを受けて、文章または動画〝発信〟可能な人間が「A」に関連する話をエグい長文でわざわざ大々的に取り上げるのは、その行為の方がモヤっとしてしまう。いや、かく言う僕もエッセイで一度だけ似た行動をとった上に「やっぱ違うな」と、そっと削除したりしましたけれども。
「思うところあるなら黙って距離置けばいいのに」
これが結論かも。
仮に「正義は我にあり」だとしても、特定個人を悪し様に書いたり
いやさ、元から〝そういう姿勢〟の活動なら良いんですよ。痛烈な批判の専用チャンネル的な位置付けの。良くはないかもしれんけど、全方位に殴りかかる芸風は実は嫌いではないです。
あるいは書き口の問題。フラットに近い目線とかならまだ、共感の気持ちも高い。
(あ、これ今回もエッセイ1000文字超えるやつだ)
軽薄な「せや、自分は事情通だしAをネタにしたろ!w」とも見える手口は好きになれません。まして、その人の活動方針が上記のような尖った属性「ではなく」ある程度の真剣さを持ってSNSという場で実益というか、お仕事に結びつけようとしている立場なら。発信することを
誰しも、
それでも、やっぱり
考えてみると創作無関係な別アカウントの頃からその傾向は自分の中にありつつ、改めて襟元を正したいと思いました。
『思うところあるなら黙って距離置けばいいのに、と
そうなんですけれども!
特大ブーメランが突き刺さり、筆者は死んでしまった!
いや、まぁ、言い訳というか、露骨に否定的な文面よりかは上っ面だけでも「悲しいっすね」くらいに留めるのが無難ではなかろうか、とか。
特定可能文面の名指しでドン! をしてしまうと一時的に賛同を得られたり承認欲求も満たされるかもしれんけど、リスクやデメリットもあるよね、とか。
そういう話です。
身近な範囲で例えば
理由や正当性があっても、公の場で
大事なことだから二回言いました。おわり。
やっぱ、もうちょい書くか。タイムリーに類似案件で「晒すのは本当は嫌だけど」とかいう枕詞からスタートする短文投稿が目に留まって『なら、晒すなよ!』としか思えなかった。これも確か、昨夜。
とは言え、五年も十年もそれよりもっと前からSNSは「そういうもの」なので、今更もうどうしようもないのかもしれません。
なお、一連の二件の方々はどちらも、僕とは縁もゆかりも絡みも絆もない人達の投稿です。たまたま、見かけました。
今回、エッセイ2000文字になってしまって草。
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