お米の話、創作の話

【本日の結論】

・各々が楽しく、気持ち良く過ごせたら良いんじゃないすかね。

・理由を聞いたり、興味を持ち対話するステップも必要かも。

・「違う」を「ダメ」に結びつけるのは悲しい。


 茶碗の米粒を残さず食べていたら「貧乏臭い」と言われたのが精神的にキツかった、という旨の投稿が二〇二四年の六月中頃にバズっていて。


 残す派、全て食べる派、またその理由も多種多様な人々が書き込んでいて、興味深い。


「農家の人が一生懸命に作ったから残したくない」

「俺んち農家だけど米たくさんあるから普通に残すよ」


 みたいな内容を目にした時は驚きと、変な笑い声が出ました。


 僕はと言うと幼少期に祖父母だったか両親だったか、まあとにかく大人から「お米は一つ一つに命があるから残すな」という今にして思うと少し意味不明な謎の教育を叩き込まれていたので米粒は残さない派です。命があるではなく神様が宿る系の話だった気もする、記憶が曖昧。

 それとは関係なく小中学校の修学旅行時に大量の郷土料理が提供され、過半数の級友が諦める中で友人と張り合いながら「意地でも残さねえ」の姿勢で生きた際に「勝った」という妙な満足感や施設スタッフからの感謝や嬉しそうな笑顔があったので、何となく食べ物は残さないように生活してます。


 まあでも、強いこだわりある部分でもないし残す人いても別にいいんじゃないすかねって普通に思う。かく言う僕も極々稀にではあるけど、ラーメンのスープ飲みきらない時あるし。他にも、ものによっては食事を残……いや、残さないか。まあいいか。


「その行動の理由は?」


 この質問から始まるコミュニケーションって(僕は)楽しいと思っていて。似た思想に見えても背景が異なったりするので。なので頭ごなしに悪し様に否定してしまうのも対話の機会損失というか、勿体なく感じる。



 同じ日に、創作というカテゴリで「キャラクターが勝手に動くという状態に関する是非や善し悪し」のような内容も物議を醸していました。


「はえー、すっごい。色々な考え方の人がおるんやなぁ」くらいの感想しかない。


 結局、観測した範囲において(僕の中では)これが絶対的な正解! と言える内容は一つたりとも存在しなかったし、別にしなくても問題ないと思う。お米を残さず食べるかと同じで一人一人が好みに合った生き方を楽しんで欲しいっすね。

 

 その上で、自分と違った人がいても「まあ、そういう人もおるよな」で済ませて欲しいなと思う。

 

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