三十五話 穏やかな冥土のひと時の終わり
「閻魔様の御前に座るなど、オイラには恐れ多くて無理だアカ!」
「かと言ってお隣も緊張して味が分からなくなるアオ!」
「それじゃあどこにも座れないんじゃない!?」
それからわたしと閻魔様が食堂に入ると、待っていたのは茜と葵が言い争いだった。
原因は〝席〟。前は緊張する。横も緊張する。そう言って、いつまでもいつまでも騒いでいる。
「まったく……」
先ほどわたしからお盆をひったくって食堂に行ったから、てっきり閻魔様と一緒の食事も受け入れたのかと思ったのに、このごねよう。
行き過ぎた尊敬は、ただ面倒くさいだけだ。
やっぱり二人は早急に閻魔様と馴染むべきである。
「もうっ! だったら茜と葵だけ隣の机で食べる?」
「馬鹿者! 先ほどの閻魔様のお言葉を忘れたかアカ!!」
「同じ食卓につかなくては失礼アオ!!」
「なら一体どうしたいのよ、アンタたちは……」
ああ言えばこう言う二人に頭痛がして、わたしは「はぁ……」と大きな溜息をつく。
「桃花、私に良い考えがある」
「閻魔様?」
するとこの騒ぎを黙って見守っていた閻魔様がポンとわたしの肩に手を置き、そして茜と葵の前に向き直る。
「ならば茜、葵。どの席になるか、くじで決めてはどうだろう?」
「え、くじですかアカ?」
「公明正大で、分かりやすくていいだろう? それで全員恨みっこなしだ」
「閻魔様がそうおっしゃるならアオ」
――結果的にその鶴の一声によって、良くも悪くも騒ぎは収まった。
席はわたしと閻魔様が向き合う形で座り、閻魔様の横が茜、茜の向かいが葵である。
「すまないアオ、茜」
「…………」
悠々とわたしの隣に座る葵に対して、その向かいに座る茜が緊張で肩を震わせながらもギロリと葵を睨みつける。
しかしもう、その小競り合いには付き合いきれないので、知らんぷりだ。
「さ、みんな小鍋の蓋を開けてみて。いい感じに煮えてるから」
だがしかしまぁ、現金というか。なんというか。
「ああ、そうだったね」
「お」
「どれどれ」
わたしの言葉に一斉に小鍋の蓋を開けた途端、小鍋からのぼる美味しそうな湯気と、ぐつぐつと食欲を唆る音。
みんなそれらに釘づけとなって、先ほどまでのしょーもない騒ぎなど、頭から吹き飛んでしまったのだけどね!
「うおおっ! 出汁の匂いがすごいアカ! 美味そうアカーーっ!!」
「鶏肉にしいたけに卵に……。具がいっぱい乗ってて、オイラが知っているうどんより数段豪華だアオ!!」
「ふふ、煮込みうどんは具をたくさん乗せて煮込む料理なのよ。うどんの方は粉から手打ちしてみたから、ちゃんとコシが出てるか気になるところなのよね」
「ほぉ、うどんを自作したのかい? 桃花の料理の腕前には本当にいつも驚かされるな」
広く大きな食堂なのに、わざわざこじんまりとした正方形の机で四人が顔を突き合わせて、うどんを啜る。
傍から見たらなんともシュールな光景だろう。
「「んむっ! うまいアカ(アオ)!!」」
――でも、わたしにはなんだかそれがとても尊く、得難いもののように感じるのだ。
そしてそれはきっとわたしだけじゃない。
「うん、ちゃんと麺にコシがある」
茜も葵も、閻魔様も。
「……美味い」
今みんな、きっと同じことを考えている――。
◇◆◇◆◇
「はい、茜、葵。おかわりお待ちどうさま!」
「うおおっ! 待ってたアカーー!!」
「いっただきますアオーー!!」
「あっ! まだ熱々だから、慌てて食べると火傷するわよ!?」
見た目がマスコットから少年に変わっても、相変わらず茜と葵の食欲は凄まじく、わたしと閻魔様が一杯目を食べ切る前にもう二人は二杯目に突入していた。
しかし出来立ての熱々を冷ますことなく口いっぱいに入れようとするのでさすがに静止するが、わたしの心配をよそに茜と葵は美味しそうにズルズルとうどんを啜っている。
「「ずるずる、むしゃむしゃ……」」
「……あら?」
なるほど、茜と葵は熱いのも平気なのね。
フーフーと未だに目の前でうどんに息を吹きかけている閻魔様とはなんとも対照的だ。
「なんだい、桃花?」
「い、いいえ!」
しまった。つい真正面にいるからって、じっと見過ぎていたらしい。
だけど茜と葵が閻魔様の真ん前を固辞した理由が、なんとなく分かった気がする。
「あまり食が進んでいないな? 日中相当無理をして掃除していたんじゃないのか?」
「い、いえいえ! 閻魔様に言われた通り、出来る範囲で掃除しましたし、めちゃくちゃお腹空いてます!」
心配そうにこちらを見つめる閻魔様に、わたしは慌てて首を横に振った。
お腹はもちろん空いてる。
でも閻魔様のこの世のものとは思えない端正な容姿を前に食事をするのはこう、緊張するというか、ドキドキして胸がいっぱいになってしまうのだ。
「はぁ、うどんって美味いなぁアカ! なあ桃花はなんでこんなに美味い料理を色々作れるんだアカ?」
「え?」
ズルズルとうどんを啜りながら、不意に茜がそんなことを言う。それに副菜の豚しゃぶサラダをバリバリと食べていた葵も頷いた。
「それはオイラもずっと思っていたアオ。桃花はまだ記憶が戻ってないのだろうが、もしかして誰かに教わった過去があるのかも知れないアオ」
「…………?」
葵の言葉にその可能性を頭の中で思案するが、どうにもそれは
「うーん……。いいえ、わたし誰にも料理を教わったことなんてないわ」
「? なんで記憶が無いのに断言出来るんだアカ? ただ思い出してないだけなんじゃないのかアカ?」
「それは……」
思い出してないだけ。確かにその可能性はある。でも――、
『桃花、君が両親の帰る場所になるんだ。たくさんの料理を覚えて振る舞ってあげなさい。そうすればきっと――……』
わたしにそう言ったのは、誰だったっけ?
「いいえ、思い出してないからじゃない。わたしは自分で見様見真似で覚えたのよ。だってわたしの
……あれ?
スルリと口から出た言葉に、言ったわたし自身がビックリする。
「両親? カレーライス? ……っ!」
瞬間、閉ざされていた記憶の扉がカチリと開く音がした。
「――――!?」
更にそれと同時に様々な記憶が一気に頭の中へと流れ込んでくる。
『……お父さん、お母さん、お腹空いた』
『ねぇ、ここはどこ? あなたは誰?』
真っ先に脳裏に浮かぶのは、あの何度も夢で見た幼き日の自分と、初めて閻魔様に出会った時のこと。
『行っちゃダメっ!! 危ないっ!!』
そして次に二度目。
今のわたしが冥土を訪れることとなった、そのキッカケは――。
「なぁなぁ、桃花。カレーライスってどんな料理だアカ?」
「――えっ!?」
「それって美味いのかアオ?」
「え、ええと……」
無邪気にカレーに興味を示す茜と葵の問いに対し、この時のわたしは上手く答えられたのか覚えていない。
――ただ、わたし達のやり取りに決して介入することなく、静かに見つめていた閻魔様の紅い瞳だけはハッキリと覚えている。
『空腹が満たされれば、おのずと桃花の記憶は戻る。
わたしが冥土に来た日、閻魔様は確かにそう言った。
ならばこの穏やかなひと時が終わるのは、きっともう間もなく。
=煮込みうどん・了=
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