Alleluia MOEluia BLuia!〜イテ・ミサ・エスト3

PAULA0125

第1話 アレが入ってくるところ

 聖職者、もとい、宗教家の休みは貴重である。事務的な会議から、突然の葬式、病人の見舞い、切羽詰まった信者からの「声が聞きたかった」という電話などなど。

 その為、宗教家たちは年に2度ほど、長期間の「出張」に出て、心身を休ませる。と言っても遊び歩くのではなく、喧騒を離れて静かにしているだけだ。これが結構な癒しになる。

 さてもさても、人に似て人に非ずものである彼らも、その気になれば飲まず食わずで働き続けることは出来る。ただ、人を模した以上、人と同じように空腹になるし疲れるし息抜きもしたくなる。それこそ、完全な神であり完全な人間であったイエスのように。

 牧師、神父、僧侶、宮司の三者三様のスケジュールが奇跡的に合ったので、その日は4人で酒を飲んでいた。

 いつもは鋼鉄の理性を持つ牧師であるマーティンだが、今日は泣き言を繰り返している。

「―――僕だって1週間、頑張って考えたんだよ!? 子供たちは仕方ないとして、その親まで寝るのってどう思う!? 兄さん、黙禅もくぜんさん、神褻あやなれくん!」

「そりゃ一時間も説教聞かされてたら、みんな寝るよ…。あと『くん』はやめとけ。こんな姿でも、伯父さんより前からいらっしゃる方だぞ。」

「良い。わしはぬしの名づけが気に入っておる故、好きに呼ぶが良い。しかし、説教とは大変なものじゃのう。神道わしらには縁遠いものじゃ。」

「拙僧はいつも寝てるとか言われるからなぁ〜。 」

 矢追町は信仰の坩堝である。無神論者もいるし、インテリジェンス主義者もいる。しかしながら、彼らは普通の人間であって、特別矢追町に縁があるからここにいる訳ではない。

 宗教そのものが嫌いな人物も住んでいる。

 要するに、住人の全員が全員、熱心な訳ではない。その為、マーティンの渾身の力作を聞いているようで、聞いてない、なんていうのは珍しくもなんともないのだ。

「大体俺のところなんて、15分の説教でも寝るぞ。」

「ローマンのところは儀式が長いのじゃよ。」

「お念仏は子守唄っていうのは世界の常識だよね〜。」

「じゃあ、彼ら何のために教会に来てるんです? 一応信者なんですよ、彼ら。」

「お茶だろな。」

「お茶じゃな。」

「お茶だね〜。」

「僕だって―――。」

 と、このような具合である。よしよし、と、兄に慰められ、何とかかんとか、コミュニティの大切さを3人で説くと、マーティンは満足したのか、ローマンの肩で寝入ってしまった。店も閉店だというのに、録に飲めやしなかったので、とりあえずマーティンのことはローマンが背負うことにする。神褻あやなれが、神社の御神酒で呑み直そうと言ってくれたので、恐縮しつつ彼の住居である矢追神社へ向かうことになった。

「悪いな、うちの弟が。」

 道中、信号機を待っている間、僅かに会話が途切れたので、ローマンが言った。

「いや〜、説教つくるって大変なんだね〜。」

「時事ネタ取り込まねえと、納得しない信者なかまが多いんだよな。実際のところミーハーなんだけど。少し前かな。セクハラした神父を罷免しろって言うから、『被害者と加害者のために祈りなさい』って言ったら、への排斥運動起きたぞ。」

へのか? 教義ぬしそのものとは、やれやれ、これだから人間は愛いのじゃ。」

 ふー、やれやれ、と、小さな子供の姿をした宮司ら両手を上げた。何故このような子供が居酒屋に居られたのか、そんなものは、店主に宮司が以外に他ならない。

「ローマン的にはどうなの? 眠られるの。」

「疲れてる中、力を振り絞って教会に来たんだろ? 結構なことじゃないか。それに、」

 おっとっと、と、ローマンは背中の泣き上戸を担ぎ直した。


福音だいじなものは毛穴からも入るからいーの。」

「けあな。」


 ぽかんとした2人に、うん、毛穴と、ローマンは繰り返した。


「そういう貴方は? 神褻あやなれ殿。」

「ふぁふぁふぁ。わしは過ぎ去りしものを繋ぎ、未だ来ぬところへ紡ぐだけ。教えも何も、初めからないのじゃよ。祈祷がせいぜいじゃ。玉串料分くらいは、皆起きておるぞ。」

「お念仏も禅も、自分を静かにするためのものだからね〜。未だに般若心経の授業やってるけど、やっぱりそういうのは一時間の勉強会であって、儀式じゃないから、みんな起きてるよ〜。」

「…こいつが起きてる時に言わないでくれてありがとう。」

「あ、でも。」

 ふと思いついたように、黙禅もくぜんが言った。

「浄土三経によると、お浄土では「澍法雨じゅほうう」と言う、お釈迦様の教えが雨になって四六時中降ってるらしいよ〜。そんで、迦陵頻伽かりょうびんがが天女達と歌を歌って、雨とそれはそれは綺麗な調べになるんだって〜。」

「なんかインド神話みたいだな。」

「お釈迦様、インド人だからね〜。」

 それもそうだった、と、ローマンは納得した。キリスト教ローマンのいちぞくからすると、既に日本には日本仏教もくぜんのかぞくがいたので、どうもその辺がややこしい。

「良いのう、良いのう。言葉に齟齬が生まれぬのは真に良いことじゃ。わしのところなぞ、50音そのものに意味があるからの。1音の組み合わせで組み合わせが変わってしまう故、現代には殆ど伝わらぬ。伝わるのは所作だけじゃ。」

神褻あやなれ殿は、『呼ばれていると雨が止む』とか言うのでは?」

「あれ別に、わしがどうにかしているものじゃないからのう…。わしは所詮はまつりじゃからの。まあ、まつりを託した過ぎ去りし者共が、あやしい力で招いても不思議はあるまい。そのようなモノについては、ぬしの方が詳しかろうに。」

「いや、聖霊なる神って、『風』だから、雨とはちょっと違う…。」

「あれ? 悪人にも善人にもうんたらかんたら、とか言ってなかった?」

「そりゃ、父なる神の御業みわざであって、神そのものとか、福音そのものとかじゃないんだよなぁ。」

 なるほど、と、頷き、ぱんと神褻あやなれは手を叩いた。

「つまり、この世の者たちは、あやしき嵐の中にいるのじゃ。雨に潤い、風の齎すものに囲まれておる。それが良きか悪しきかは、その者によるじゃろうの。真に愛きことよ。」

 黙禅もくぜんは何やら納得していたが、ローマンはなんとも言えない顔しかできなかった。それは単に言語と文化背景の違いであって、単純にアブラハムの宗教おじからうまれたいちぞくでは『嵐』という単語に良いイメージがない。ただ、神褻あやなれの言いたいことも分かるには分かる。


 さて、この「世界は神の恵みに満ちている」という話を、如何様にして憂い信者ミーハー達に伝えるべきだろうか。彼らはいつでも、身近な神の恵みよりも、遠くの血と弾薬の雨の話が大好きだ。

 

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