第11話・休日の朝

 休日の朝、川岸のことを玄関前で見送った後、穂香は洗濯物をバルコニーへ干していく。奥行きのあるバルコニーは、夏場にビニールプールを出して子供を遊ばせることができそうなほど、広々としている。室外機を避けながら洗濯物を干さないといけなかった以前の賃貸物件のベランダとは比べ物にならない。


 川岸が置いていたバルコニー用のサンダルを履いて、洗い立ての衣類を物干しへと掛けていく。男物のサンダルは大きくてブカブカで、油断するとすぐに脱げそうになる。日用品の大半が100均で揃えていた穂香とは違って、それだけでもSNS映えしそうなステンレス製の洗濯バサミ。こういうお洒落な雑貨類をこの家では頻繁に見かける。


「元カノの趣味だって言ってたっけ……」


 輸入雑貨が好きだったらしい、川岸の元婚約者。キッチン用品一つにしても、デザインにこだわった物が多い。ワッフルメーカーやホームベーカリーなどもあったが、一人暮らしになった川岸には一生使うことがなさそうだ。置いていかれた物で元カノのことをとても女子力の高い女性だったんじゃないかと勝手に想像してしまう。朝から自家製スムージーを飲むような。オーナーはそういうタイプが好きなんだろうか?


 洗い物を干し終えると、リビングから順に掃除機をかけていく。ソファー周りを掃除している時に、穂香は掃除機の先に何かがコツンと当たったのに気付いた。掃除機では吸い取れないサイズの物に触れた感触。電源を切って、身体を低くしてソファーの下に腕を伸ばして探る。


「あ、なんだ……」


 ソファーの下に落ちていたのはボールペン。赤、青、緑、黒の四色で書けるタイプだ。リビングで書類を書いている際にでも落としてしまって、行方不明にでもなっていたのだろう。帰宅後に川岸にもすぐ分かるよう、ソファーテーブルの上にそれを置いておいた。


 そして、また掃除機の電源を入れて、念入りに部屋中の埃を吸い取って回る。余計な物の少ないすっきりとしたインテリアは、掃除するのにはとても効率的だ。掃除機の先端が入りきらない高さのテレビ台の下は、腰をかがめてフロアモップで拭っていく。すると、埃と一緒に台の下から出てきた物に、穂香は思わず噴き出した。


「ふっ、家の中でどれだけ無くしてるの……」


 先ほど見つけたのとはまた別のボールペン。今度は黒の単色の物だ。これには穂香も見覚えがあった。川岸がいつもジャケットの胸ポケットに挿していて、そう言えば最近は別の物に変わってるなと密かに思っていたところだった。これらのボールペンは自宅に仕事を持ち帰った後、何かの拍子に落として見失ってしまったのだろう。見つけたばかりの二本は、揃えるようにテーブルの上に並べておく。


 リビングを終えて、廊下や洗面所、今現在居候させて貰っている洋室へと回っていくが、穂香は川岸の寝室の前で掃除機の電源を切った。さすがにここに勝手に入り込む訳にはいかない。穂香は川岸にとって、ただの部下で居候でしかない。家族や恋人のような近しい関係ではないのだから、プライベートな空間に黙って踏み込むつもりはなかった。


 一通りの家事を済ませると、夜ご飯の買い出しの為にとキッチン周りを確認していく。飲み物と種類の少ない調味料だけが入った冷蔵庫。ラップ類が収納されている引き出しを開くと、アルミホイルだけがやけに沢山あって首を傾げてしまう。

 そう言えば、洗面所下の収納に入っていた歯磨き粉の数も尋常じゃなかった。彼一人では一年かけても使い切れないのではないかと思うほどの量だ。


「そろそろ無くなりそうな気がして買ってくるんだけど、買ってこないといけないのは別のやつだったとかか」


 どういう経緯でこの在庫量になったのかを聞いた時、川岸自身も首を傾げていた。毎回、朧げな記憶を頼りに買い足すからつい間違った物を買って来てしまうのだという。店の在庫数には細かいくせに、家のこととなると急に適当になる。仕事とプライベートの顔がまるで別人だ。他のスタッフはこんな気の緩んだオーナーのことを知らないのかと思うと、少しだけ優越感を覚える。


 買い足しが必要だと思う物をメモしながら、穂香は夕飯の献立に頭を悩ませる。『セラーデ』に勤務してからもうすぐ3年にはなるが、オーナー自身のことはあまりよく知らない。食の好みが分からない人に料理を振舞うのは少し勇気が要る。ただ、こないだの飲み会では食べ物の好き嫌いは特に無いと答えていたのが救いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る