一章 はろー、ばっどらっく様(3)

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 地図の中心に、コインを一枚置いて砕いたような景観の水上都市メガフロート──『六號』がある。

 その広大かつ歪な円盤を基点に、一から五までの番号が割り振られた『號』と呼ばれるまた別の都市、あるいは土地が環状に拡がっていて、各々が独立した〝色〟とコミュニティを世界地図の上に築き上げている。

 そして、それらの周辺を取り囲むように世界の縁を閉ざした海の向こうには何もない。

 終点が定められた円形の海に浮かぶ、六つの號からなる巨大都市群メガロポリス

 ──拡張都市パンドラ。

 それこそが、少年が目の当たりにしたこの世界の姿だった。


「ふむふむ、なるほど。記憶喪失ですかー。それは大変ですね。──あ、私はこの黒胡麻ソルベサンドを一つと、フルーツジュレオで。えっ、これニンジン入ってるんですか? じゃあ抹茶の方でお願いします。──です、会計はあちらの波止場様持ちで」

 パンドラ六號、第四区──出店の並ぶマーケットを兼ねた屋外広場にて。

KOSM‐OSコスモス》の表示窓ディスプレイと睨めっこしていた少年──波止場は、出店の前で丸い尻尾を振るバニーガールに手招きされ、世界の俯瞰図を表示していた地図アプリを閉じた。

「ちょっと、勝手にうろつかないでよ。……てか、俺が払うの、それ?」

「当たり前じゃないですか。波止場様は私の契約者様なんですから」

「……はぁ。出逢ったばかりのバニーガールにたかられるなんて、最悪だ」

「等価交換と言って欲しいですねー。物忘れの激しい契約者様にここパンドラのことや、その《KOSM‐OSコスモス》について教えてあげたのは誰ですか?」

「……しかも弱みを突いてくる」

 渋々ながらカウンターに置かれた会計用デバイスに手をかざすと、ポコン、と支払いが完了した音が鳴り、表示窓ディスプレイに表示された電子マネーの残高が減るのが解った。

 どうやら首の回路図形ダイアグラムと連動している《KOSM‐OSコスモス》なるハイテクは、人々の脳に直接刷り込まれた生体情報端末、とのことだった。生体制御により外部のツールに頼ることなく気軽にネットワークに接続することが可能で、アプリの操作や個人情報の管理なんかも一括で担っている電脳ツールなのだと、このバニーガールは言っていた。

 パンドラの住人にはなくてはならない、あって当たり前の機能なのだ、と。

 当然、波止場はそんな《KOSM‐OSコスモス》の存在など全く憶えてはいなかったのだが、会計の仕方や地図の操作なんかは意外にも身体が憶えていた。それはつまり、波止場が過去に《KOSM‐OSコスモス》という異物に慣れ親しんでいたことの証明に他ならない。

 そして、なんだ俺お金持ってるじゃん、と会計してからふと気付き──

「残高があと、一一〇八エン……これ、死活問題だよなぁ……」

「んはっ、熱視線。そんな見つめてもあげませんよ?」

 死活問題を加速させた張本人は、黒胡麻アイスを挟んだクレープとゼリー状の抹茶オレを交互に味わいながら、マーケットの活気と誘惑とを愉しむようにふよふよ飛んでいる。

 頭の天辺にウサ耳こそ生えてはいるものの、天使の翼は生えていない。だというのに彼女にはまるで重力というものを感じないのが、波止場には不思議でならなかった。

「正直他にも聞きたいことは色々あるんだけど……ええと、ツキウサギさんだっけ? 結局君って……何なの?」

「──です。私たち《NAV.bitナビット》は、人間様が快適なパンドラライフを送れるよう設計された、コンシェルジュアプリです。

 パンドラを支える最大級の情報インフラ──『コスモスネットワーク』の高次運用システムを基に、、という一点に特化した夢のサポートAI。

 キャッチコピーは『あなた様のニューロンに住まう電脳天使』です」

「……アプリ、ね。つまり君は──人間じゃない、ってこと?」

「です。とはいえこの柔肌ボディはナマモノ同然。ですので、大切に扱ってくださいね」

 彼女は宙で着物の袖を振って振り返る。内ももを擦り合わせるように閉じたむっちりとした太ももは血の通った色をしていて、確かに、ナマモノって感じだ。

「そもそもなんでバニーガール?」

「古くから夢の国への案内人は〝兎〟と相場が決まってますからねー。あとは需要と供給。波止場様みたいな思春期回路直結型男子は、こういうコスプレがお好きでしょう?」

 そう言って、ツキウサギは身を滑らせ波止場の懐にススー、と急接近。ぷにん、と天体級の立体物が二の腕と触れ合い、その圧倒的なまでの弾力を相手にキョドる思春期回路。

「──ちょっ、柔らか! じゃなくて、近い近い……俺の腕でドリブル決めないで……!」

「んはっ! どうです? 喋って楽しい、触れて嬉しいバーチャル系バニーガールちゃんのリアルな感触は──あ、どうせなら味の方も確かめてみます?」

「……た、確かめなくていい!」

 舐めるように纏わりついてくる誘惑から逃れようと身を引いたところで、波止場は足をもつれさせ転んでしまう。目が覚めてからというもの、こんなことばかりだ。

「んはは。これはまた遊び甲斐のありそうな契約者様ですねー。まぁからかうのはこれくらいにしておいて、トイレで私をびちゃびちゃにした件については水に流してあげましょう。……お、これトイレだけに」

「……おじさん回路でも積んでるんじゃないの、このアプリ」

 彼女の中身はともかくとして、和風にアレンジされたレオタードベースの衣装は上も下も露出が凄まじく、正直、目のやり場に困った。帯と襟とに押し上げられた柔肌の大福×2は隙あらば胸元でふるふる揺れているし、尻尾の生えたお尻なんてほぼ丸出しだ。

(……こんなえっちな子がコンシェルジュって、どうなのよ。昔の俺……)

 人間とそれに付き従う《NAV.bitナビット》という構図自体は、この街では至極ありふれているようだ。

 ロボット系の外見をした卵型エッグスや、マスコット系の妖精型ノームなど。如何にも電子ペットといった姿かたちの《NAV.bitナビット》が一般的だが、中にはツキウサギのような人型ドールもちらほらと見かけることがあった。デザインに共通しているのはその頭部にはウサ耳が生えているということで、とりわけ人型の《NAV.bitナビット》は皆一様にバニーガールスタイルの衣装に身を包んでおり、どうしても目のやり所に困る。

 しかしツキウサギのような和装系のバニーガールは珍しいらしく、通行人がチラチラと彼女に目をやっているのがよく解る。人外のモノであることを考慮した上でも彼女が魅力的に過ぎる女の子(?)であることは間違いないのだが、波止場としては先ほどから危険物を取り扱っているような気がして、どうにも落ち着かなかった。

「そういえば」と、波止場は彼女の谷間に覗いたブラックホールから目を逸らしつつ、

「ツキウサギさんって俺の担当、だったんだよね? 昔の俺のこと、何か知らないの?」

「さあ」

「さあ、って……」

「私とて初期化から目覚めたばかりの身ですからねー。必要な機能や知識はバックアップがあるので問題なしですが、波止場様に関する個人ログは一つも残ってないんです。過去に契約してたのは間違いないですが──ま、記憶喪失同士傷を舐め合っていきましょう」

 ツキウサギはまるで他人事のように言うと、口端についたアイスをペロリと舐める。

「それで? 波止場様はこれからどうするつもりなんです?」

「どう、って。どうもこうも……」

 と、波止場は思案顔で空を仰いだあと、今にも泣きそうな顔で肩を落とした。

「……どうしよう?」

KOSM‐OSコスモス》という文明の利器を手にしたまではよかったが、そこに搭載されていたどのアプリを開いてみても、肝心の〝波止場の過去〟に繋がる情報はなに一つ残されていなかった。

 アドレス帳には連絡先一つ載っていなかったし、SNSのアカウントは削除されてしまったのかアクセス不可。自宅の住所は地図アプリにもIDにも記載がなかった。

 解ったことといえばせいぜい自分の名前や年齢(一七歳)といった簡単なプロフィールくらいのもので、今まで自分はどこに住んでいたのか、どうやって生きてきたのか、どんな人間だったのか、家族は、友達はいたのか……肝心なことは解らず仕舞いだった。

 そういうわけで波止場は今、六號と呼ばれる街で途方に暮れていたところだった。

 六號は、枝分かれした河川によって一三区のエリアに区分けされた水上都市メガフロートで、それら〝砕けたコイン〟の中心部──第一区には、河の源流となる貯水湖と、円形の人工島が鎮座している。地図で見ただけでは解らないが、そこがここ六號の要地であることは間違いない。そしてその中心地からおよそ三〇キロ離れた第四区は、六號の中でも特に都会寄りで、キャットタワーのように肩を組み合った複合型の高層ビル群が特徴の大都市だった。

 そんなダウンタウンの街並みを見晴らせる屋外広場は、商業ビルの七層目にある。もうじき日も暮れる時間帯だ。マーケットの賑わいから少し離れ、波止場は展望台からその雑多な街を見下ろした。見れば見るほどに異世界としか思えない風景に、うんざりする。

(……俺は今日からここで生きていかなきゃならないのか……)

 そう思うと、途端に不安が押し寄せる。さらには溜息と共に、くぅぅ、と切なそうな音をお腹が奏でるものだから、いよいよ惨めな気分にもなってきた。

「……はぁ。金なし宿なし、記憶もなし……もう詰んでるでしょ、これ……」

「んはは、すっかり傷心モードですねー。波止場様」

「そりゃそうだよ。目が覚めたらいきなりこんな最悪な状況に追い込まれて、俺が何をしたっていうんだ……こんな状況、どうしたらいいんだよ……」

「どうとだってなりますよ。波止場様が〝希望〟を持つことさえ忘れなければ、ね」

 展望台の柵に寄り掛かって項垂れる波止場の隣に、ひょいとツキウサギはやってくる。柵に腰掛け足をぷらぷらとさせる彼女の表情は、どこか得意げだ。

「いいですか、波止場様。今あなたの目の前にいるエロキュートなバニーガールちゃんは、なにもおやつと引き換えにデートの相手を務めるだけの存在ではないんですよ?」

「……希望コンシェルジュ、だっけ? それって結局なんなの?」

「そうですね。大なり小なり、誰もが心に秘めている夢や願望、そして欲望。私たち希望コンシェルジュ──通称|NAV.bit《ナビット》は、それらの希望を叶えるお手伝いをしています。

 早い話が、希望すれば〝どんな望みだって叶う〟──と、そういうことです」

「……それはまた、夢みたいな話だ……。どんなって、なんでもいいわけ?」

「です。一夜にして一攫千金を手にすることも、トップスターの座に上り詰めることも、はたまたそれ以上に荒唐無稽な希望を叶えることだって夢じゃありません。

 ──ま、百聞は一見に如かず。お試し感覚でサクッとリクエストしてみては?」

「……俺みたいな全ロス人間引っかけても、大して毟り取れる物はないと思うけど……」

「私たち《NAV.bitナビット》をそこらの悪徳商法と同じにしないでください」

「上手い話には裏があるもんだ。でなけりゃ俺をからかってるかのどっちかだよ」

「んはー、ネガティブ思考な方ですねー。一つ言っておきますがこのツキウサギ、契約者様に嘘は吐きません。それにからかうならもっとエロくやります!」

 神にでも誓いそうな真面目な顔の下で、豊満な胸をたゆんと張るツキウサギ。

「……はぁ。そこまで言うなら──この最悪な状況を〝なんとか〟してよ。このままだと今日から野宿確定だ」

「んはー、夢がないですねー。それでも思春期真っ盛りの男子ですか。異世界に転生して俺ツエーしたいとか、異世界で可愛い女侍らせてエロエロしたいとか、異世界に転生して新世界の神になりたいとか、そういう欲望にまみれた感じのはないんですか?」

「せめて現世で叶えてくれよ……」

 そういうところがいまいち信用できないんだ、と言ってやりたかったが、今は少しでも無駄なカロリー消費は抑えたい。波止場は眼下に広がる繁華街の風景に力なく視線を落としながら、切実な想いでその〝希望〟を改めて口にする。

「今は夢なんかよりも、当面の寝床を確保する方が先決だよ……あと今日のご飯も」

 とはいえ、こんなのは空しい独り言だ。どんな望みも叶えてくれるバニーガールだなんて、そんな都合のいい話などあるはずもないのだから。すっかり諦めの面持ちで、野宿ができそうな場所でも探しにいこうと波止場が思い立った、そのときだった。

「──ま、いいでしょう。それも一つの希望のカタチ。ここは私自身の試運転も兼ねて、チュートリアルでも挟むとしましょうか」

「……え?」

 絶望の淵で叶わぬ救いを待つ少年に手を差し伸べる天使が如く、ツキウサギは応えた。

「それが波止場様の希望とあらば、私が〝なんとか〟して差し上げましょう!」

 気付くと、幼くも超越者染みたツキウサギの顔がすぐ目の前にあった。唐突に彼女が波止場の正面に回り込み、その目と鼻の先まで顔を近付けてきたのだ。

 蠱惑的なオッドアイの瞳。その双眸が、ぽぅっと淡い光を灯したその直後──

「ちょっとくすぐったいですよ」

「……え、なに──を!?」

 バチッ、と視界が瞬き、次の瞬間──

 波止場の意識は真っ白な空間へと放り出されていた。

「──!」

 全身の神経が電子回路となって弾け飛ぶような感覚があった。前後不覚の背景に刻み込まれた回路図形ダイアグラム、夥しい数の数列の流動に呑まれ、個と世界とが繋がったような、けれどもそれは恐らく一秒にも満たないゼロコンマの体験で──

 次に瞬きをしたときには、先ほどまでと同じ広場の喧騒が視界には広がっていた。

「──ッ、今のは、一体……」

「波止場様のリクエストを登録アップデートしたんですよ。これでマッチングの用意は整いました。あとは〝希望〟が合う相手が現れるかどうか、ですが──」

「……マッチング? 君は何を言って……」

 なに一つ状況が呑み込めず当惑するばかりの波止場をよそに、ツキウサギはふっと地上に降りて、カツン──と下駄のヒールを打ち鳴らす。そして、

「ときに波止場様。ゲームはお好きですか?」

「……は?」

 回路図形ダイアグラムが浮かぶ街の上空を見上げたところで、彼女は天を指差してニヤリと笑った。

「──希望、合いました──距離二〇メートル、頭上注意です!」

 ツキウサギと共に見上げた頭上に、いきなりスクーターが降ってきた。

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