最後の手段

平中なごん

最後の手段

 深夜、マンションの自室でわたしが独り寝ていると、玄関のチャイムがピンポーン…と突然、鳴り響いた。


 スマホで時刻を確認するとまだ深夜の午前2時。


 たとえ親類や知人であってもこんな真夜中に訪問するなんてことはまずありえない……だとすれば悪戯か酔っ払い、でなければ何か良からぬことをたくらんでいる輩か心霊現象であろう。

 

 なので、わたしは無視してやり過ごそうと、そのまままた目を閉じて動かずにいたのだが、さらにチャイムはピンポーン……ピンポーン…と、けたたましく連続で他人ひとの眠りを妨げようとしてくれる。


 それでもガン無視を決め込もうと頭から布団をすっぽりかぶってみるが、なおもチャイムはピンポーン……ピンポーン…と一向に鳴り止む気配がない。


 またか……。


 そのしつこさに、わたしは思い当たるふしがあった……ここまでしつこいのはやはりアイツしかいない……。


 やむなくわたしは布団を出ると、薄暗い部屋の中を用心深く玄関へと向かう。


 そして、音を立てないよう細心の注意を払いながら、ドアに近づいて覗き穴から覗いてみると、案の定、そこに立っていたのは予想通りの人物だった。


 そいつは、わたしの元カレである……。


 異様に束縛したがる超モラハラ野郎で、性格の不一致によりこちらから別れを切り出したのだが、別れた後も未練がましく復縁を迫り、果てはストーカー化までしてしまったのである。


 こうして深夜に家を訪れるのも、じつは今夜が初めてではない……最近では毎晩のようにこんな迷惑行為を続けてくれている。


 他人の迷惑かえりみずなこの粘着質……ますます以て最低のクズ野郎である。


 今にも金切り声をあげたいくらいに怒り心頭ではあったが、こういう輩はこちらが相手をすればするほどに、逆にその行為をエスカレートさせてしまう。


 やはり、無視するのが一番であろう。


 なおもドア一枚隔てた向こう側では、アイツがピンポーン……ピンポーン…とチャイムをけたたましく押し続けている。


 もし外まで音が漏れていたとしたら、こんな深夜にご近所さん達にはたいへんご迷惑をおかけするところではあるのだが、悪いのはあくまでアイツであって、まったく微塵も毛ほどもわたしに責任はない。


 やはりわたしは完全無視を貫くことに決めると、また静かにドアから離れてベッドへと戻った。


 それからもしばらくはチャイムが鳴り続けていたのだが、布団に潜り込んで我慢をしていると、いつしかようやくに静かになってくれる。


「ハァ……」


 静寂を取り戻した薄暗い室内に、やっと諦めてくれたものかとわたしは安堵の溜息を吐く……が、その矢先。


「……!」


 わたしは不意に強い視線を感じた。


 それは、締め切られたカーテンの向こう側……ガラス戸を隔てたベランダの方から感じられる。


 気づかれないよう、さりげなくそちらへ顔を向けると、わたしは薄めを開けてその場所を覗った。


 ……いる! やっぱりいた……思った通りにやっぱり元カレだ。


 街の灯りを光源にカーテンに映る男のシルエットからでも、それがアイツであることが感覚的にわかる。


 それに、わずかに空いた狭いカーテンの隙間からこちらを見つめる、あの黒い感情に満ち満ちたおぞましいまでにギラギラと輝くアイツの瞳。


 諦めて帰ってくれたものかと思いきや、チャイムを鳴らし続けても無反応なのに業を煮やし、今度はベランダの方へ回っていたのである。


 もう、ダメだ……。


 ここまでくると、わたしも最早、我慢の限界である……アイツのストーカー行為は日に日にエスカレートしてゆき、ついにベランダにまで入り込むようになってしまったのだ。


 なんとか穏便にすませるつもりでいたが、こうなったら最後の手段に出るしかない。


 わたしはベッドから飛び起きると、そのままの勢いでキッチンへと向かい、よく切れる・・・・・特製の包丁を手に取って今度はベランダへと接近する。


 そして、素早く鍵を外してガララ…と一気にガラス戸を引き開けると……。


「このっクソストーカー野郎があぁぁーっ!」


 躊躇いなく手にした包丁で元カレを肩口から袈裟懸けに斬り捨てた。


「……!」


 だが、彼は悲鳴をあげることも、また、血飛沫を撒き散らすこともなく、その代わり驚いたような顔をすると煙のように霧散して消える。


 まあ、それもそのはずだろう……なぜなら彼は生身の人間ではなく、その生霊なのだから。


 彼が初めて深夜の訪問およびピンポンラッシュをしてきた当初から、それが本体ではなく生霊であることにわたしは気づいていた。


 わたしには、そうした霊を見たり感じたりする力──いわゆる〝霊感〟というものがあるのだ。


 じつをいうとわたしの家は、奈良時代から続く〝呪禁道じゅごんどう〟という古い呪術を扱うまじない師の家系で、どうやらその特異な能力を持つ血がわたしにも流れているようなのである。


 呪禁道は中国の道教に連なる呪術であり、平安時代になると陰陽道の台頭により隅に追いやられてしまったが、それまでは陰陽師のように呪詛や怨霊を祓う公式な官職として、〝呪禁師じゅごんじ〟という役人が朝廷内にいたらしい。


 その特徴は、やはり道教の道士と同様に「武器を用いる」呪術であり、今、わたしが元カレを斬った包丁もまた、道教系の霊符を彫り込んでそれ用に謹製したものだ。


 さすがに生霊のストーカーは今回が初めてだったが、死霊に感してはままこんなことも時々あるので、こうした包丁を前々から用意していたのである。


 やはり、常日頃からの備えというのは大事である。


 ま、いずれにしろ、これでもう元カレの生霊が現れることもないであろう。


 生霊をぶった斬ったので本体の方も無事じゃすまないと思うが……そこまではわたしの知ったこっちゃない。


「ふぁ〜あ……さ、今度こそ寝よう……」


 安堵したわたしは大あくびをすると、包丁をホルダーに戻してベッドへと潜り込んだ──。




 ちなみに後日、聞いたところによると、元カレは自宅で不審死しているところを発見されたとのことだ。


 医学的な死因は心臓発作だったという……。


              (最後の手段 了)

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