7. 久しぶりの対面

 予告通り、ジュリアン王太子は昼過ぎにやってきた。

 政務の合間を縫って訪れた名目は、儀式用の聖杯を受け取りにきたというものだった。

 ディクス王国では建国の折に女神から授けられた聖杯が現存している。普段の管理は神殿に一任されているが、豊穣の儀式で使う神具に触れることができるのは王族のみ。

 ただの言い伝えだろうと思っていたが今朝、神殿長から聞かされた話によると、どうやら本当の話らしい。そのため、王太子自らが来たのだという。

 聖杯の保管場所は神殿内の最奥。神殿上層部でも限られた者しか立ち入ることが許されない禁域だ。

 神殿長の計らいで、今回は神殿代表としてクレアが王太子に同行することになった。


「聖女様。本日は貴重なお時間を作っていただき、ありがとうございます」

「……いえ。王太子殿下におかれましてもご健勝のようで何よりです。早速、案内いたしましょう」


 他人行儀なやり取りを経て、神殿長から教えられた道を先導する。

 ジュリアンは護衛騎士を二人連れた状態で、おとなしく後ろをついてくる。王族専用の通路は迷路のように入り組んでいた。侵入者対策の罠を回避しつつ、地下へと進む。

 やがて白百合の意匠が施された白い扉にたどり着いた。

 クレアは首から下げていた神殿長より預かった鍵を取り出す。そのまま鍵穴に差し込むのではなく、白百合の上にぴたりとくっつけると、ズズッと音を立てて両開きの扉がひとりでに開いていく。

 その様子を見ていたジュリアンは護衛騎士に命令を出す。


「君たちはここで待機だ」

「はっ」


 仕事に忠実な護衛を置いて、ジュリアンはクレアに目配せする。

 こくりと頷き返し、一緒に白い靄に包まれた室内に足を踏み入れた。すると、ゆっくりと扉が閉じていく。ぴったりと閉じられた扉を確認し、ジュリアンが振り返った。


「久しぶり。クレア」

「……王太子の威厳を保つのはもういいの?」

「え、そのほうがよかった? クレアはこっちのほうが気が楽かと思ったんだけど」

「…………」

「人前では取り繕うけど、今は二人きりなんだし。前のままでいさせて?」


 軽い口調は下町で会ったときを彷彿させる。

 だが、ふと気づく。彼も王太子の責務を果たすため、無理をしていたのではないかと。立太子した今、彼は第二王子ではなく王太子として常に見られている。昔のように、自然体で振る舞える場所はもうない可能性だってある。

 急に親近感が湧き、クレアは肩をすくめた。


「わたしが言うのもどうかと思うけど、次期国王が護衛を外に出してよかったの? もし不審者が現れたりしたら……」

「ん? ああ、平気平気。そのために護身用の剣も持ってるし。何よりここは王族に悪意のある者をはねのける結界があるから。出入り口は騎士を立たせているし、一般人はまず入れない。神殿関係者だって登録を済ませた者しか入室できないようになってる」

「ならいいけど……。あなたはこの国の王太子なんだから、もっと自分の身の安全を考えるべきだと思うわ」

「うーん。それを言うなら、俺より君のほうが存在価値が高いんだけどな……。君を狙っているのは国内貴族だけじゃない。他国だって君を、聖女を強く欲している。聖女は本当に貴重な存在なんだよ」


 諭すように言われ、クレアは口を噤んだ。

 聖女の価値がつり上がっているのは肌で感じていた。だけど、クレアは物ではない。誰かに望まれれば望まれるほど、珍しい稀少品として扱われているように思えるのだ。


「……所詮、聖女といっても、中身はただの人間よ」

「うん。わかってるよ。だから君は渡さない」


 当然とばかりに断言されて、顔を上げる。


「……え?」

「だって、そうじゃない? 君は戦利品じゃない。優しい心を持った女性だよ。それがわからない人にクレアを託すなんて真っ平ごめんだ」

「…………。ありがとう。あなたは違うのね」

「ふふ。どういたしまして」


 ジュリアンは人差し指を唇に当てて、悪戯っぽく笑う。

 彼の一言で、先ほどまで沈んでいた気持ちが一気に浮上したのがわかる。


(やっぱり、リアンといるときが一番落ち着くわね……。自分らしくいられるというか)


 乳白色の霧で覆われた室内を慎重に進んでいくと、やがて霧が晴れた場所に出た。途端に視界が開け、意図的に四角く区切られた空間に出る。

 金の聖杯は中央の台座に置かれていた。

 間近で見るのは初めてだ。両手で持ち上げるほどの大きさだ。上部に小さい紅玉の宝石がぐるりと等間隔にはめ込めてある。


(不用意に触れたら、まずいわよね……?)


 クレアが神殿長から仰せつかったのは、王族を最奥の間に案内することだけだ。目的地到着後は王族に任せたらいいと聞いている。

 どうするのだろう。興味津々で横のジュリアンに視線を移す。

 王族だから見慣れているのか、特に驚きも感動もないようだった。彼の両手がすっと前に伸び、呆気なく聖杯がジュリアンの手元に収まる。それから自然な動きで胸元から銀の布を取り出し、聖杯を包み込む。

 何か専用の儀式があるのかと構えていただけに拍子抜けだ。


「…………これで終わり?」

「そうだよ。聖杯は女神様からの贈り物だからね。女神様と王族の契約の証でもある。魔術がかけられているから、契約者である王族しか持ち出せないんだ」


 初めての情報に目を瞬く。

 浄化の旅に出ていたクレアは神殿上層部の内部事情に疎い。聖女の負担を減らすため、神殿長が善意で書類業務もすべて請け負ってくれていた。しかし、このままではいけないなと思い直す。

 聖女という肩書きを持つ以上、これからは神殿のこともしっかり勉強しておく必要がある。

 決意を新たにし、ひとまず先延ばしにしてきた問題から向き合うことにした。


「前に、考える時間がほしい、と言った件なのだけど……」

「うん」

「この二週間、考えていたけど……すぐに答えは出ないわ。気持ちを整理するにはもっと時間が必要だと思うの。でも、結論がいつになるかはわからない。明日かもしれないし、一年後かもしれない。その間、ずっとあなたを待たせ続けるのも悪いわ。だから」


 一旦言葉を句切り、クレアは顔を上げた。

 じっと耳を傾けていたジュリアンは穏やかに微笑み返す。答えを急かすでもなく、結論を邪推して口出しするでもなく、ただ言葉の続きを待っている。

 彼は今この瞬間も、クレアの意思を尊重してくれている。

 その優しさが嬉しい一方、戸惑う気持ちもある。年齢的には自分のほうが余裕があるはずなのに、経験値がまるで違う。ジュリアンは生まれたときから王族として育てられた。ぽっと出の聖女と比べるほうがおこがましいのかもしれない。

 深く考えるのはやめて、クレアは昔のように思ったままに提案する。


「とりあえず、今後は婚約者として徐々にお互いのことを知っていく、っていうのはどう?」

「わかった。クレアがそれでいいなら異議はないよ」

「……正直、あなたが婚約者でホッとしているの」

「え……?」

「だって、全然知らない王族と結婚するよりも、リアンのほうが安心するもの。王太子として振る舞っているときは違和感ありまくりだけど、下町に来ていた姿が素顔なんでしょう? あなたが相手なら結婚も悪くない気がするし」

「ちょっと待った。……確認するけど、もし王太子ではないリアンだったら結婚を受けてくれた、っていうこと?」


 真顔で聞き返されて、自分の発言の迂闊さを恥じた。

 羞恥で火照っていく顔を見られないように、くるりと踵を返す。


「…………あ、あくまで知り合いのほうが気兼ねなく一緒にいられる、という意味よ! 誤解しないでよね!?」

「……ああうん、了解」


 苦笑の気配を感じたものの、いたたまれないクレアは早足で出入り口を目指す。

 後ろを歩くジュリアンの表情を見る勇気はなかった。

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