第62話 本当に望んだもの(リン視点)



「時間だ。行け、リン・ラミレス」


 まるで危険なものでも見るかのように、深刻な顔をして夕真を睨んだまま指示するサミー・オズワルド。

 その声が、五分間の経過を知らせる。

 私は弾かれたように駆け出し、夕真に抱きついた。


 本当は、一秒でも早く逃げ出さなければならなかった。


 でも、私はその一・二秒を使って夕真をハグし、キスをした。

 そしてすぐさま彼の手を取り、部屋を飛び出してバックヤードの通路を二人一緒に走り出す。


 まるであの日のように、殺人鬼が追ってくる絶望的な通路を懸命に走って逃げる。

 でも、あの日と違って、私が夕真の手を引いて、彼を助けるために前を向いて走っていた。

 

 走りながら、私は必死に考えた。

 どこへ逃げるのが最善なんだろうか? 


 ショッピングモール? でも、たくさんのお客さんに紛れたら、奴らは攻撃してこないんだろうか?

 奴ら「アズリエル」は、本来アンドロイドを殺すことが目的だ。だから、普通に考えたら人間のためにこんなことをやってる、って話になるわけだけど。


 奴らは夕真を殺すと言った。いずれにしても、人間であるはずの夕真をこんなゲームに巻き込んで殺そうというのだから、群衆に紛れたところで見境なく皆殺しにしようとする可能性は全く否定できない。

 

 この妙な首輪をつけられたせいでワープルートは喪失し、もはや絶大なるバトルエネルギーを得ることは叶わなくなった。


 まるで、あの日のお父さんのようだ。

 私は、お父さんの凄さが身に染みてわかった。


 強大なエネルギーを失ったにもかかわらず、私を救うため、僅かな動揺も見せることなく即座に冷静な判断を下したお父さん。

 今になって私は、自分が大きな勘違いをしていたのだと思い知らされていた。

 

 培った力が自信となり、いかなる敵にも負けない気持ちを作り出すのだと思っていた。

 自分の命を捨てる覚悟さえあれば、何も怖いものはないと思っていた。


 しかし果たしてそうだったのだろうか? 力を失った私は、夕真を護れないと悟った瞬間に無様にうろたえ、なんの行動計画も立案することは出来なくなってしまった。

 

 目指したものが、間違っていたのだろうか。

 お父さんと同じことができなかった以上、そうだと言わざるを得ないだろう。

 でも、私は、お父さんと同じ行動を起こした人を知っている。


 私に手を引かれている男の子へ、振り返って視線を向けた。

 なんと、彼はこの状況においても、私と目が合うなり微笑む。


 こんなに可愛くて、喧嘩もできない男の子が。

 雨の降る工場街で幼き日の私を救い、雨の降る路地でリナを救い、そして今また、絶望的な状況下であるにもかかわらず私を救うために迷わず行動を起こしたのだ。


 チュイン、チュインと、壁と衝突する弾丸の音が聞こえ始める。

 夕真のはるか後方、長い通路の奥に、追手が銃を構えているのが見えた。

 

「夕真! 前へっ」


 腐ってもアームズだ。体捌きと格闘術は使える。しかし、今の状態で全ての銃撃から夕真を護ることは不可能だ。

 この長い通路では、次の角を曲がるまで退避はできない。私は、後ろから襲いかかる銃撃から、自分の体を盾にして夕真を護った。


 ふくらはぎや腿に激痛が走り、金属骨格が破壊されて運動機能が障害されたことを知覚する。

 しかしロケットランチャーでなかっただけ幸運だ。まだ、動ける!


 ようやく角を曲がると、前方には通路が三つあった。右と左。そして、バックヤードに雑多に置かれた荷物の向こう側に見える、正面の細い通路。


 私はもう、満足に走ることはできなくなった。夕真を護るために私ができることはいくらもない。

 

 お父さんは、あの時、私をしっかりと護り抜いた。

 お父さんは、あの時、どうした?



 今、私にできること……。



 私はその場に膝から落ちた。

 夕真も立ち止まって、血の流れ出る私の脚を心配しながら駆け寄ってくる。


「リン! 脚が……僕の肩に掴まって!」

「夕真。聞いて」


 私は、片膝をついて屈む夕真の両肩を掴んで、しっかりと両目を見据える。

 この短い時間で必ず説得しなければならない。だから私は、ありったけの意志を込めて、夕真を見つめた。


「君は、その後ろにある細い通路を先に逃げて。私は、この壁の陰に隠れて敵を迎え撃つよ」

「……何を言ってるの?」

「ある程度撃退したら、すぐにあとを追いかける」

「怪我をしてる。無理だよ」

「大丈夫、こうなっても私はアームズだよ! 格闘術は半端じゃない。五人や六人なら瞬殺だよ。でも、このまま走って逃げるだけじゃ、きっと逃げきれない。だから、こういうのを利用して少しずつ削っていくんだ。夕真がいると足手纏いなんだよ! ……ほら、早く!」


 私はあえて笑顔を作り、夕真のおでこに、自分のおでこをコツンと当てる。


 夕真は動揺しているようだった。

 そりゃそうだろう。こんな状況で何が正しいかなんて、素人が判断できるものじゃない。だから、私がもっともらしく言えば、夕真は信じてくれるはず……。

 

 なのに、夕真はこんなことを言った。 


「賭けは、どうするんだよ……」


 胸がギュッとなる。

 時間がない。夕真ために、今、私ができること────


「……あれは、私の負けだよ。はは。賭けは私の負け。いやぁ、君はやっぱり手強かったなぁ。もっと簡単に落とせちゃうと思ってたのにな。残念残念! だから、君は私のことなんてすっかり忘れてくれて大丈夫だから!」


 言っていて、自分に次々と刺さる棘の痛みを歯を食いしばって耐える。

 

「……だからね、君は、ここから生きて逃げ延びたら、葵にきちんと告白するんだ。いい? 今度こそ、今までの自分の想いのたけを全てぶつけるんだよ! わかった?」


 私は笑顔を作り、最後にもう一度夕真の心を押した。


「さ、行って!」


 きっとここでお別れだろう。

 さよなら。私の大好きな人……

 

 最後に、夕真の可愛い顔をしっかり心に焼き付けておくんだ。

 そうそう、これこれ。

 凛々しくて、強い意志を宿したような────え?



 こんな顔だっけ?



 夕真は、私の手を力強くギュッと握る。

 瞬間、私の手を引いて、正面にある細い通路のほうへと駆け出した。


 違うよ! 夕真、違う……

 あの日、お父さんも私もこんなことしなかった!

 これじゃ夕真が危険に晒されちゃう。…………あれ?




 これ、私が、こうしてたら良かったな、って、後から思ったやつ────




 目の前に見える小さなはずの背中はあの日のように途轍もなく大きく頼もしく見え、私の手を引いてどんどん前へと進んでいく。

 二人を繋ぎ止めるブレスレットが、繋いだ手を挟んで二つ見えていた。


 足を引き摺る私はすぐに走れなくなったけど、夕真は私に肩を貸して、二人三脚のようにして逃げた。

 そうこうしていると、目の前に扉が現れた。私たちは、それを押して、扉の向こうへと出る。


 バックヤードからショッピングモールの通路へ出たようだ。客は別の場所に避難誘導されたのか、周りには一人も見当たらない。

 通路をどちらに行こうかと迷ったが、私は左を選択した。


 すると、前方には広くなった場所が。

 私たちは、エスカレーターがある円形の巨大な吹き抜けに辿り着いた。


 ガォン、と重い銃声がして、もう一方の大腿部が破壊された。

 私はそのまま床に崩れ落ち、夕真が私を抱きしめる。

 振り返ると、そこには部下を後ろに従えた、金髪のポニーテールが見えた。


「……ここまでだな」


 感情のない声で、サミーは言う。


 冷たく無機質な床の上が、私と夕真の最期の場所。

 そう思うと私は後悔で胸がいっぱいになり、我慢できずに涙がこぼれた。


 やっぱり、夕真を先に逃がすべきだった。夕真に嫌われてでも、強引に夕真を先に行かせなければならなかった。私が感情的になって、夕真にほだされて、こんなふうに一緒に逃げたから、二人とも死ぬことになった。


 私は、懸命に祈る。


 神様。お願いだから夕真を死なせないで。

 私はいい。どっちみち、私はあの日に死んでいた。

 夕真が助けてくれなければ、雨の降る暗い倉庫街で、あの時に……。


 それからの人生は、夕真にもらったようなものだ。

 楽しかったな。こんなに幸せな気分になれるなんて、思ってもみなかった。


 君のおかげだよ、夕真。でも……


 仮に生き延びても、人間とアンドロイドじゃ、きっとたくさん試練が待っていたよね。

 私たちは、幾つもの困難を乗り越えないといけなかったはず。君を辛い目に遭わせていたかもなぁ。




 願わくば、生まれ変わったら、人間になれますように──……




 まっすぐ私へ向けられる銃口。

 これから奪う命に敬意を払うような表情をするサミー・オズワルドの後ろに、雪が降った。


 プロジェクションマッピングのような作られた演出以外に目にすることなどあり得ない、ショッピングモールの中でキラキラと降り注ぐ真っ白な雪。見上げれば、五階以上ある円形の吹き抜けは、シンシンと降る大量の雪で埋め尽くされている。

 私たちは、いつの間にかホワイトクリスマスのような幻想的な光景の中に置かれていたのだ。

 

 安堵の感情と希望の光が心から溢れ出て体中を満たしていく。

 現状を把握した時には、エネルギーで作られた雪はすでにテロリストたちの体に穴を開け始めていた。


「……はは。間に合った。夕真、助かったよ。リュークさんが来た。もう、大丈夫」


 涙で揺れる視界の中、ブリザードと化したエネルギーの粒は私と夕真だけを避け、テロリストたちの体を一人残らず削り取る。

 武器を破壊され体を削られながら私の名を叫んで睨みつけてくるサミーの顔を見ながら、後ろから強く抱きしめてくれる夕真の腕を、私はギュッと握った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る