第2章 4は最初の不運な数(2)

「飲んで下さい」


 ラルフがそこにあった水差しの水をグラスに注いで夫人に渡すと彼女はそれを一気に飲んだ。すると落ち着いてきたようだ。


「一度だけ聞いたことがあります」夫人は思い切ったように話し始めた「バチカンの教皇が持つ『聖ペテロの鍵』をご存知ですか?」


「はい。キリストがペテロに預けた天国への鍵ですね。そのペテロの墓の上にサンピエトロ寺院があり、ローマ教皇がペテロの代理人として天国への鍵を預かっている。そのため教会によって儀式を授かった者のみ、すなわち教会を通じてしか天国へ行くことはできないということのようですね」


「そうです。その天国への鍵と対をなす、『地獄への鍵』というものがあるそうなのです」

「本当ですか?」


「夫から聞きました。この銅板はエリザベスが隠したもので彼女の代理人がその鍵を受け取るために必要な物だと。その鍵があれば魔界に通じることができるそうです」


 きっとそれが魔導書のことなんだ。とラルフは思った。夫人はさらに続けた。


「ボーシャ家はあの家を管理し、エリザベスの復活に供える役割を担っていたのです。でも信じていませんでした。あなたが先ほどカードを見せた時も夫から聞いたカードの話と似ているとは思いましたが、それがこの家にあるとは思いたくなくて知らないと答えました。でもまさか本当にあるなんて。何という恐ろしい」


 といって夫人は顔を両手で覆った。暫くすると顔を上げ「もしよければそれをお持ちください」といった。


「いいのですか?」

「あの悪魔に関わるものはうちには置いておきたくありませんの」


「では、引き取らせてもらいます。それとデザイナーズ地区と聞いて何か心当たりはありますか?」

「いいえ。あの辺には行ったことはありませんわ」

「そうですか。どうもありがとうございました」


 二人を玄関まで見送ってくれたボーシャ未亡人が聞いた。


「ローレンス様、まさか『地獄への鍵』を探すおつもりですか?」

「はい」

「そうですか。十分お気を付けください」

「ありがとうございます」

 夫人に礼を述べると二人はボーシャ家を後にしてクラレンス・ホールに帰った。

 

 書斎に入るとラルフは二枚の銅板をテーブルの上に並べて置き、こういった。


「ボーシャ家は、エリザベスの復活に供える役割とカーラをここに閉じ込め、誰もカーラと接触させない役割を担っていた。カーラが秘密を洩らさないように」


「ところがついに売りに出され、ラルフが買い、カーラが僕らと接触した」

「そういうこと」


「それにしてもボーシャ家はお金に困っていたのか? あんな屋敷を構えているのに」


「ああ。貴族といっても昔と違って何もせずに家賃だけで食べていけるわけじゃない。税金もとられるし、屋敷や城があっても古いから光熱費や修繕費が膨大でかえって負担だ。

 売ればいいと思うかもしれないけど、今時城なんて広大な土地付きで二千万で売りに出しても誰も買わないよ。ランニングコストが高すてコスパが悪いからね。

 殆どの貴族が城や屋敷を公開してその見学料金と助成金でかろうじて城を維持しているのが実情だ」


「そうなのか。爵位があって羨ましく感じたけど」

「爵位は一ダラにもならない」

「でもきみの家は都会に地所を持っているから別だろう」


「祖先と父は上手くやったな。商才はあったと思う。それに先祖の土地や財産を守るのだって並大抵ではない。けど僕は自分にしかできないことをやってみたいんだ」


「それが心霊体験とエリザベスのコレクション探し? さらに地獄への鍵が加わった?」


「まあ、そういわれると単なる酔狂に聞こえるかもしれないけど」


 気持ちは分からなくもないが、かなり贅沢だな。ただラルフを見る限り、カッコつけでもなんでもなく本気でそういっているのはブラッドにもわかった。


 その夜、ブラッドは一人で卿にご飯をあげながら彼に語り掛けた。


「ヤバいぞ、卿。ラルフがハリーに騙されそうだ。彼が騙されたりしてここにいられなくなったらお前もまた飼い主が変わるんだぞ」


 すると卿がパッと顔をあげてブラッドを見た。


「お、いっている意味が分かるのか? だったらお前もなんとかしてくれよ」

 卿は余裕といった感じで尻尾を振りながら黙ってまた食事を続けた。


 ま、猫に相談しても無理かぁ。ブラッドは立ち上がって自分の部屋に戻った。

 

 翌日の昼前に再びハリーが契約書をもってやってきた。契約書を前にラルフが椅子に座りハリーの出した万年筆を受け取った。


「ココとココとココにサインしてくれ」とハリーが指示を出した。


 一旦ラルフが書類に目を通している。


 来て四日目で今度は雇い主が目の前で詐欺に遭おうとしている。どうしてこうも次から次へとこいつは。一体俺はどうすればいいんだ。黙ってこのままサインをさせていいのか。じわっと掌が汗で湿ってきた。


 と、そこへ卿が入ってきてポンとテーブルの上に乗った。

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