英雄と白竜3-2

 主要な場所の案内が終わるとニコラは廊下の途中で急に立ち止まった。どうしたのかと思いきや、言いにくそうに視線を反らしながらたずねてくる。


「あの子……マルーのことだけどさ。――ずっとアーテルに背負われていたよな。さっきも抱っこされてたし。もしかして……足が悪いのか?」


 よく聞かれる質問だ。私はあらかじめ用意していた言葉で答えた。


「はい。幼いころに怪我をしてしまって。動かすくらいはできるのですが……」


それは表向きの説明で、実際のところは異なる。――マルーは事情あって『自分で移動することができなくなる』という呪いを受けているのだ。足も手も動くけれど、その場で回ることしかできない。ひとりでは1mmたりとも動けないのだ。


 そんな事情など知る由もなく、ニコラは急に私の両手を握って力強くうなずいた。


「俺さ、子供のころから体だけは丈夫なんだ! だからマルーの苦労とか、その世話をしてるアーテルの大変さとかぜんぜんわかんないけど……力になりたいと思った。困ったことがあったら、なんでも言ってくれ!」


 なんていうまっすぐさなんだろう。私はたじたじになりつつも、その好意に頭を下げた。


「ありがとうございます……」


 ぼっ、とニコラの顔が赤くなる。頭を下げた勢いで、私の胸元にあった彼の手にふくらみが当たってしまったらしい。


「わ、わりぃ!?」


 とっさに体を引くニコラ。けれどその視線は私の胸に釘づけだ。ただの脂肪の塊だっていうのに、全く罪作りなやつである。しかし、彼の気持ちもわからなくはない。女の姿も少しはあるようだけど、こんな山奥で兵士として働いていたら、こういう機会も少ないだろうし。


 けれど――彼には申し訳ないが、私は彼のそういう気持ちにつき合ってあげることはできない。ニコラに期待させないように、私は先手を打つことにした。


「あの、ニコラさん。先に聞いておきたいことがあって……」


「なんだ、トイレの場所か!? まだ案内してなかったな」


 思わず吹き出しそうになる。たしかにそれは大事だけれど!


「そうじゃなくて……。ニコラさんは私と仲良くなりたいのですか? その、ただの来賓としてではなく、個人的に」


 たっぷり10秒は時間があっただろうか。ニコラはやがて、深くうなずいた。


「うん……! 俺、初めてアーテルを見たときに思ったんだ。こんな子と仲良くなれたら、楽しいだろうって。そ、その、変な意味じゃないんだ! だから、仲良くしてくれるとうれしい」


 それは嘘偽りない本心だろう。けれど、その気持ちの行きつく先は、やっぱり男女のあれこれになるのは間違いなく……。


「――実は私、いろいろ事情があって。あんまり男性の方と仲良くするような余裕がないんです。なので、友達としてでもいいのなら……」


 一気に凍る表情。


「え……。あ、うん、そっか」


 しどろもどろの姿がなんとも気の毒だ。どう声をかけていいものか悩んでいると、彼は聞いてもいないのにぺらぺらと喋ってしまう。


「そ、そうだよな! うん、俺もそういうつもりで言ったんだ。もちろん友達としてだ!」


 私は若干の罪悪感を覚えながらも、仕方ないと自分に言い聞かせる。それに嘘は言っていない。――私には将来を誓った相手がいるから、ほかの男と仲良くしようなんて気持ちにはならないのだ。


 ばつの悪い沈黙が漂い始めると、ニコラはそれを払しょくするように大きな声を出した。


「お、俺さ、聖騎士さまみたいな立派な騎士になりたいんだ。エルネストさまはすごいんだぜ。たまに戦闘狂だとか、生まれてくる時代が遅すぎたとか、言われることもあるけれど――……」

 あれやこれやと話し終わると、ニコラはすがすがしい笑顔を見せた。


「俺はあと二年もしたら騎士になる。そしたら――俺の飛竜に乗って、一緒に『ヒナギクの野』に行こう。アーテルに見せたいんだ」


「ヒナギクの野……?」


「ああ! ちょうど今ぐらいが満開なんだ。背の低い白い花が一面に咲いてて……なんていうか、すごい綺麗なんだ」


 それはちょっと興味があった。二年後にここに来る可能性は少なそうだけれど、私はお世辞でもなんでもなく、素直にうなずいた。


 その後も彼から「使わないから」と石鹸やお菓子をもらって、私は上機嫌で客室に戻った。こんなにも男からちやほやされたのは久しぶりで、つい浮かれていたのかもしれない。


 ところが――客室に入るなり、私は思わず背筋を伸ばした。


 ……ベッドの上に座ったマルーが、じとっとした目で私を睨みつけているからだ。


「ど、どうしたの?」


 聞くまでもないけれど、心の準備時間をかせぐために聞いてみる。


「なんで置いてったの。さみしかった!」


 マルーはむすっとした顔で、わかりやすくほおをふくらませている。


「ご、ごめん……! 寝てたから、起こすのも忍びなくて!」


「ん!」


 手を広げて、いわゆる「ハグ待ち」のポーズをするマルー。彼女はこうなってしまうと望みがかなうまで梃子でも動かない。小さな背中に手を回すと、その細い首筋から果実のような甘い香りがふわっと立ち昇って、少しだけどきりとした。


「もっと! ちゃんとぎゅーってする!!」


 思わず手を緩めそうになるとすぐにダメ出しが入る。とんだ246歳児である。私がよしよしと背中を撫でると、ふいにマルーは私の首筋に鼻を押し当てて、スンスンと匂いを嗅ぐ。――そして私の背中に、いじわるく爪をチクッと立てた。


「――男の匂いがする! 誰かと一緒だったでしょ!?」


 別にやましいことはなにもしてないのだけれど。


 どう言い訳しようか考えているあいだに、――これも騎乗していることになるのだろうか? マルーは私を押し倒して、馬乗りになってしまう。


 そしてなにを思ったか、私の胸を鷲づかみにする。


「こんなのがあるから男が寄ってくるの! こうしてやるっ!」


 容赦なく胸を揉みしだいてくるマルー。私が身をよじっても離してくれそうにない。


「くすぐったい! くすぐったいってば! あはは!」


 私のそんな反応がお気に召さなかったのだろう。


「笑うのだめ!」


 マルーは急に真顔になると、蛇みたいな真っ赤な舌で唇をぺろりと舐めてから、顔を私に寄せてきた。爬虫類じみた黄金の瞳がぎらぎらとしていて、力強い野生を感じる。


 ……たしかにこんなやきもち焼きがいたら、男と仲良くなんてできないな。


 そう思っているあいだにも、私の口をふさごうと薄くてつややかな唇が近づいてくる。触れるか触れないか、口の隙間から漏れた吐息が私の口腔に忍び込んだとき――


「失礼します」


 誰かがドアをノックした。私は思わず本気でマルーを押しのけると、乱れた服をささっと直して呼吸を整えてからベッドに座りなおした。


「どうぞ……?」


 部屋に入ってきたのはヒュウガだ。彼は珍しく深刻そうな顔をして、まるで聞き耳を立てられたくないかのようにしっかりとドアを閉めた。


「お邪魔します。座ってもよろしいですか?」


 すねてそっぽを向いてしまったマルーに心の中で謝罪しつつ、私は部屋のすみにある一人がけのソファをすすめる。


 腰かけるなり、ヒュウガは単刀直入に切り出してきた。


「エルネストの言う通り、山の民の集落が襲われたのはこれで三回目になるのですが、――実は、聖女さまは早期からこの事実を把握されていました」


 この教国の指導者の名前が飛び出したことに、私は面食らって言葉を詰まらす。ヒュウガは私が落ち着くのを待ってからゆっくりと続けた。


「国民ではないとはいえ無辜の人々が二度も殺されているのです。聖女さまは事態を重く見られて、秘密裏に調査するよう私に命じられました」


「だから……一刻もはやく、ここまで来る必要があったのですね……」


「はい。『ミスリル便』と出会えたのは本当に幸いでした」


 そこでヒュウガは「思い出した」と言いたげに表情を変えると、小さな袋から金貨を二枚取り出した。


「約束の代金です。――それから、もう一枚」


 契約にない金貨だ。


「それは……?」


 私が眉を寄せると、ヒュウガは柔和な顔を引き締める。


「相談に乗っていただきたいのです。エルネストから話を聞いたのですが、山の民を手にかけた者たちの手がかりになるものがなくて……」


 話をするだけで金貨一枚だなんておいしいチャンスは見逃したくない。しかし、なにか引っかかるのも事実だ。私は胸のしこりが解決しないまま、お金に負けてうなずいてしまう。


「私なんかでよければ」


 そう言うと、ヒュウガは満足そうにうなずいて姿勢を正した。


「――山の民を虐殺したのは、いったい誰なのでしょう。行商人や冒険者という可能性もありましたが、3つの集落ともなると組織だった者でないと難しい。となると、犯人たりえるのは……」


 私は彼の言わんとすることを察して言葉を紡いだ。


「帝国空軍か、――それとも帝国空軍のふりをした教国の者……?」


「そうですね。私も同意見です。まずは帝国空軍が犯人だったとして、こんなことをする目的はなにか……」


「……私には思いつきそうにありません」


 私と同じような表情で、ヒュウガは苦しそうにいった。


「そう……。これと言ってないのです。山の民は貧しい人々です。金鉱山のような価値のあるものを隠し持っているわけではないし、略奪するものもない。無理筋ですが――わざとらしく帝国の仕業のように見せかけることで、逆に教国の仕業だと暗に伝わるよう擬装したのかもしれない、というくらいです」


 ヒュウガの言うとおりたしかに無理がある。それに動機がない。


 ……両国の関係を悪化させて、戦火を再び広げようとしないかぎり――と考えて、私ははっとなった。


「教国……いえ、聖騎士さまには動機がある……」


 彼はくすぶるる英雄だ。彼がもし戦争をふたたび推し進めようとすれば、それに乗ろうとする兵たち――いや、国民たちも少なくないだろう。彼は再び戦地に赴くために、自ら火種を用意した……?


 私の考えていることを読んだかのように、ヒュウガは小さくうなずいた。


「一般には伏せられていますが……実は2週間ほどまえに、国境付近で小競り合いがあったのです」


「小競り合いというと、空砲を撃ち合ったとか、そういう……?」


 この山脈ではそんな小競り合いはしょっちゅうある。極度の緊張で精神に支障をきたした兵士が思わず撃ってしまったとか、悪乗りして敵の砦に魔法を打ち込んだとか、そんなつまらない理由で。


 ところがヒュウガの口から飛び出したのは、耳を疑うような内容だった。


「帝国の言い分はこうです。――エルネスト率いる不死鳥の小隊が国境線を超えたため、警告のため追跡したところ、突然の攻撃を受けて巡洋艦アハトアハトが大破、駆逐艦シュネイルⅡが轟沈……」


 もはや小競り合いなんかじゃない。戦況が熾烈を極めていた二年前のような、れっきとした遭遇戦だ。


「せ、聖騎士さまはなんて……?」


「虐殺のあった山の民の集落が国境線上にあったため、調査のためにやむなく帝国領に侵入した。その最中に帝国軍の艦隊に追いかけられので逃走しようとしたが、山のあいだに追い詰められたため攻撃――とのことです」


 ヒュウガはずれてもいない丸眼鏡をついっと持ち上げて、小さくため息をついた。私はその姿をみながら確信する。


 彼は守護天使だ。その任務は聖女さまの目が届かない地方などに出向いて、門閥貴族や騎士団が不正を働いていないかを監視・指導するというものだけれど――実際のところは諜報活動や要人の確保・暗殺など政治の裏仕事を請け負っている。


 彼が聖騎士エルネストのもとを早急に訪れたのは、山の民の調査などではなく――両国間にあった大きな衝突の調査のためなのだ。


 私の視線を感じたのか、ヒュウガは膝の上にあった視線を上げて私の顔をみるそこにはあのひょうきんな司祭さまの面影はなく、緊張を強いられるような底知れなさがあるだけだった。


 私は視線に耐えかねて口を開いた。


「ヒュウガさまは、山の民の件は聖騎士さまのたくらみだとお考えなのですか?」


「彼と私は旧知の仲なのです。確かに彼は血気盛んな男ですが、馬鹿ではない。そんなことはないと信じたいのですが、現状では疑わざるをえない……」


 悲し気に微笑むと、ヒュウガは窓の外を見る。私は先ほどからずっとうるさい自分の鼓動を聞きながら、金貨と守護天使の顔を交互にみる。……胸のしこりが悪性腫瘍になっている気がした。


「ヒュウガさま。申し訳ないのですが……話が大きすぎます。私ではお力になれないかと」


 そう申し出ると、ヒュウガは顔を窓に向けたままちらりと私をみやった。


「たしかにミスリル便のアーテルさんに聞くような内容ではありませんでしたね」


 教国人でも帝国人でもないオリエンタルな瞳をすっと細くして、彼はささやくように言う。


「――帝国陸軍近衛師団の特務少尉としてはどうですか?」


 場の空気が緊張したものに変わったとたん、マルーが手をベッドの上について竜そのものな唸り声を上げた。呪いで縛られてるとはいえ彼女は銀竜だ。その力を解き放てば――


「マルー。大丈夫だから」


 努めて冷静に言うとマルーはどうにか落ち着いてくれた。けれど、機嫌の悪い猫のように尻尾をぱたぱたとさせている。また緊迫した雰囲気になれば、こんどこそ文字通り爆発するかもしれなかった。


「……二年前までのことです。いまはただの運び屋ですので」


「そうでしたね。失礼しました」


 丁寧に下げた頭を戻したときには、すでにその表情は守護天使からただの司祭にもどっている。食えない男だ。


 私はため息をつくと、マルーを刺激しないよう穏やかに、胸に引っかかっていたことを話した。


「いくつか気になっていることがあります。一つは……私が見つけた銃剣に血がついていないことです」


 最初からおかしいとは思っていた。あの女の子につきたてられた銃剣を引き抜いたとき、その刃には曇り一つなかった。ヒュウガも奇妙に思ったらしく、しきりにうなずいた。


「確かに……。人体を深く刺しておいて、血が付かないのはおかしい……」


「そうです。それに、家の中も妙に綺麗でした。犠牲者はみんな一刀のもとに斬り捨てられているのに、血が飛び散ったあとがなかった……」


 その言葉を聞いて思い当たることがあるのか、黙り込んでしまうヒュウガ。


「どうかしましたか……?」


「いえ……。いくつか気になっていることがある、とのことでしたね。ほかには?」


「ええ。――あの帝国空軍の金ボタンはありますか?」


 私がたずねるとヒュウガはハンカチにつつまれたそれを出した。鈍く光る金色のボタンを見ながら、私は説明する。


「そのボタン……現行のものではありません」


 驚いてボタンをつまみ上げるヒュウガ。


「まったく同じものに見えますが……」


「現行のものは真鍮に金メッキを施したものです。でもそれはすずの合金のように見えます。メッキのはがれたところが銀色ですから」


 ヒュウガはなるほどとうなずいてから質問してくる。


「古いものなのですね。何年くらい前まで出回っていたものなのでしょう」


「詳しくはわかりませんが、私の曽祖父が来ていた制服がこのボタンと同じものだったように思います」


 思いのほか古いことに驚いたらしく、ヒュウガは丸眼鏡の奥の瞳を彷徨わせる。


「曽祖父ということは――百年ほど前ですか……。ほとんど骨董品ですね……!」


 私は頭の中でこれらの情報をまとめる。


 ……なに者かは人々を虐殺したことを帝国空軍のせいにしようとした。わかりやすく銃剣を突き刺し、金ボタンを握らせた。けれど、そのボタンはかなり古いもので、すぐに用意できるものではない。こんなものを今まで大事に持っている者とは……。


 それに、奇妙なくらい出血のない斬殺死体……。刺した銃剣に血が付かない原因なんて……。


 なにかが見えかけたとき、マルーが「ふわぁ」とあくびをした。ちろりと炎が出て、ほんの少し部屋の温度が上がった瞬間、私は――


「あ……!」


 と声を出していた。


 ――大昔の金ボタンを持っていてもおかしくなく、血を出さずに人を斬り殺せるであろう人間が、一人だけいるではないか。

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