英雄と白竜3-1

 狼のはらわたのちょうど中間地点――教国と帝国の暫定国境の付近には数多くの砦がある。その中でもひときわ大きく、堅牢とされるもの――通称、『狼の牙』と呼ばれる砦が、不死鳥たちの拠点だった。


 狼のはらわたから逸れて、砦へといたる急こう配を登り始めたとたん、一匹の竜が飛んできた。銀色の鱗に流線型のフォルムは竜は竜でも飛竜だ。竜と翼竜の関係は、人間とサルに似ている。両者はよく似ているけれど、人間と動物という大きな違いがあるのだ。


 飛竜が「シャーッ!」と蛇のような威嚇を発しながら私たちの周りを旋回しはじめたと思ったら、その背中で誰かが立ち上がる。


「ここから先は立ち入り禁止だ! 下がれ、行商人!!」


 まだ若い兵だ。どうやら私たちを道を間違えた商人だと思っているらしい。どう説明しようかと思っていると、司祭さまが立ち上がって書簡らしきものを投げた。


「守護天使が一人、ヒュウガ・リクドウです。友人の聖騎士エルネストに会いに来ました」


 ぎょっとした私は思わずうさんくさい眼鏡の男を振り返る。しかし司祭さまは大まじめな顔で、私にぱちりとウインクするだけだ。


 守護天使は、教国のトップである聖女さま直属の特務執行官の敬称である。彼らはあの悪名高い異端審問官にさらに権力を与えたような存在だ。その強権たるや、相手が騎士や男爵などの低級貴族なら、裁判もなしに爵位をはく奪できるほどらしい。


 まだなにかの冗談だと思っている私とは逆に、書簡を読んだ兵は青ざめた顔で一礼する。


「こ、こちらにどうぞ! 先導します!!」


 ええ……!?


 私は竜の背中を追いかけながらも、まじまじと司祭さま――いや、守護天使さまを見る。


「あ、あの……守護天使さま。もしかして私、不敬罪とかで捕まりますか?」


 ははは、とヒュウガは愉快そうに笑った。


「まさか! いままでどおりで大丈夫ですよ。私のこともヒュウガと呼んでもらって結構です」


「は、はぁ……」


 おっかなびっくりうなずいた私は、少しばかり混乱しつつも荷車を押して鉄格子の門をくぐる。石畳の道を久しぶりに踏めば、そこはもう『狼の牙』の中だ。


 狼の牙は、背の高い四角柱の塔が印象的な、歴史を感じさせる砦だった。正確なところはわからないけれど、建築様式からしておそらく第一次の大戦のころ――つまり300年前に建築されたものと思われる。


 持ち物検査もなしに塔のとなりにある住居――居館パラスの応接室に通された私たちを待ち構えていたのは、あの聖騎士さまだった。


 年齢はヒュウガと同じくらいで40手前といったところだろうか。エルネストはいかにも英雄といった風体の男だった。腕まくりした二の腕や顔には無数の刀傷が残っていて、すでに迫力十分なのだけれど、特筆すべきはその目力だった。彫りの深い顔で輝く碧眼は、底が見えないほどに深い青をたたえている。


 なんとなく私はその瞳を見て、夜の海を連想する。得体のしれない怖さがあるのに、ふらっと飛び込みたくなるような――死に引き寄せられるような、あの感覚を惹起させる目だった。


 しかしながら、そんなエルネストから出てきた言葉は、実にフランクで明るいものだった。


「よお! こんなところまでよく来たな。まぁ座れよ!」


 すすめられるままにソファに座ると、エルネストは暖炉に薪をくべながら気さくな笑みを浮かべた。


「うう、今日も寒いなぁ……! 道中、大変だったろ!? どうやって来たんだ!?」


 ヒュウガはちらりと私たちを見てから答える。


「こちらの『ミスリル便』のおふたりに乗せていただきました。いやあ、稀有な体験ができましたよ。まさかふもとの町からここまでたった7時間だなんて……ね」


 友人が自分のお尻をさすると、聖騎士さまは「ぶふぉっ!」と噴き出した。


「はっはっは! そりゃすごい。しばらく見ないうちにやつれたなと思ったら、そういうことか……。あの山道をたったそれだけの時間で来たんだ、夢のような乗り心地だったんだな!」


 その後もふたりは楽しそうに談笑していたから、水を差したくはなかったのだけれど……私は頃合いを見計らってヒュウガに視線を送る。すると彼はすぐに気が付いて、足元に置いてあった布に包まれたそれを持ち上げた。


「それからエルネスト。……これを見ていただけますか。ここに来る途中に、山の民の村でみつけたものです」


 帝国空軍の銃剣をみるなり、エルネストは眉間にしわを寄せた。


「帝国軍の武器がなぜ……?」


「それが――……」


 ヒュウガの話を聞き終えるなり、エルネストはソファにぐったりともたれかかった。傷だらけの掌をひたいに当てながら言う。


「まいったな。――これで三回目だ……」


 ぞわっとしたものが私の背筋をはしった。


「お、同じようなことが、ほかにも……?」


 僭越とは思いながらも思わず会話に割り込んでしまった。しかしエルネストは嫌な顔ひとつせず、そのまま話そうとして――しかし、はっとしたように口をつぐんだ。


「君は民間人だったな。ふむ、すまないが席を外してくれないか?」


「で、でも」


 私も関係者だ。聞く権利くらいあるのではと思ったが、聖騎士さまは私を厳しくにらみつけながら――優しく言った。


「気になるならあとでヒュウガに聞くといい。それは自由だ」


 あっ、と私は声を漏らしそうになる。エルネストは立場的に、機密情報を漏らすことなんてことはできないのだ。私は彼の精いっぱいの配慮に頭を下げて席を立つと、暖炉の前でうとうととしていたマルーを抱き上げた。


 エルネストはそんな私に会釈すると、部屋の片隅で美しく座っていた女性に声をかける。


「リリフロラ! お前のお仲間さんを客室まで案内してやってくれ!」


 そう命じられた女性はリリフロラモクレンという名にふさわしい成熟したドラコニアンだった。


 彼女は流れるようなきれいな所作で立ち上がると、私たちに美しく一礼してから、廊下につながるドアを開けた。


「――こちらにどうぞ」


 リリフロアの後を追いながら、彼女の頭の横についたくるりとしたツノや優美な曲線を描く尻尾をついつい見てしまう。珍しいホワイトドラゴンだからなおさらだ。


 初めて見るマルー以外のドラコニアンに、すこし興奮していたのかもしれない。その様子に感づいたのか、リリフロラは足をとめて急に私へと振り向いた。


彼女は縦長の瞳孔を細くして、私が抱きかかえているマルーを見つめながら言う。


「その子供は――まさか銀竜シルバードラゴン……?」


 てっきりじろじろと見ていたことを咎められるかと思っていた私は、ほっと安心しながら答えた。


「え、ええ……。おそらく、彼女が最後のひとりだと思います」


 リリフロラは感慨深そうに「そう……」と答えると、踵を返して私たちに背中を見せて、ひとりごとのように言った。


「これは私個人の独り言よ。坊ちゃんエルネストには関係のない私個人のね」


 そう前置きすると、すこしためらいつつも彼女は言った。


「――この砦にいるあいだは、その子供をよく見ておいてちょうだい。癇癪でもおこして暴れられたらたまったものじゃないわ」


 私は驚いて言い返す。


「マ、マルーはそんな……!」


 と言いつつも、図星だった。さすがに意味もなく暴れたりはしないけれど、マルーに感情的なところがあるのは事実だ。とくに私が関係するとそれは顕著で、私に危害を加えようとするものには一切の容赦がない。


 言い淀んだ私を見て、リリフロラは肩をすくめた。


「はぁ……。大丈夫かしら。とにかく、あなたに懐いているようだからちゃんとするのよ」


そこまで言うとルビーのような瞳で私を見て、語気を強くした。


「――坊ちゃんになにかあったら、八つ裂きにするから」


 頬がぴりっとした。恐ろしい言葉とともに口から漏れでた白い霧が、周囲の気温を一気に氷点下まで下げたようだ。もちろん比喩的な表現じゃない。ホワイトドラゴンは『凍結のブレス』を得意とするのだ。


 私は氷漬けになんかにはなりたくない。……彼女だけは怒らせないほうがいいな。そう肝に銘じているあいだに、私は思いのほか豪華な部屋に足を踏み入れていた。


 いつも利用しているような安宿とは比べ物にならないほど豪華な部屋だ。ふかふかとした絨毯の上にふたつのベッドが置いてあるのだが、ただの藁をつめた布袋ではなくてちゃんとしたマットレスだった。シミひとつないシーツがぴしっと張ってあって、使うのがためらわれるほどに美しい。


「素敵……」


 思わずそんな言葉が口をついてでると、リリフロラはわずかに表情を柔らかくした。


「鐘が3回鳴れば夕食よ。それまでは自由にしてくれていいけれど、この砦から外へは出ないように」


 そうとだけ言い残してリリフロラが出ていくと、私はマルーをベッドにそっと寝かした。とたん、体がずしんと重たくなってしまう。マルーを背負っているときのほうが元気な体というのも、それはそれで困ったものである。


 軽くストレッチをしてから、外の様子を見てみようかと部屋を出て――誰かにぶつかった。


「うわっ!? ご、ごめん!」


 尻もちをついた私に手を伸ばしたのは、私たちを行商人と間違えて警告してきたあの若い兵士だ。たぶん私と同じくらいの年齢だろう。


「だ、大丈夫です。ありがとう」


 私が手を握ると、男はにこっと人懐っこい笑顔を見せた。精悍な顔つきの中にまだ子供っぽさが残っていて、雪の照り返しで浅黒く焼けた肌に白い歯のコントラストがまぶしい。


 礼をいって立ち去ろうとした私に、男は声をかけた。


「な、なあ! 今からなんか予定でもあるのか?」


 私は首をかしげながら答える。


「いえ、とくには……。この砦を見学しようかと思っているくらいです」


 男は自分の胸をどんと叩いた。


「それなら俺に案内させてくれ。さっき非番になったとこなんだ」


 私が返事をする前に、男は歩き出してしまった。そのまま無視するのもしのびなく、私は急いで彼を追いかける。そんな私の態度に気をよくしたのか、男は振り返ると元気よく言う。


「俺はニコラ・ハンツィカー。聖騎士さまのもとで従騎士見習いをしているんだ。君は?」


「私はアーテル・ティリンツォ。運び屋をして生計を立てています」


 ニコラは物珍しそうに私をちらちらとみていたが、やがて意を決したように言った。


「あのドラコニアンの女の子、名前はなんだっけ?」


「マルファエラークです。マルーって呼んであげてください」


 私がそう答えると、ニコラは力強くうなずくいて中庭につながるドアを開けた。背中を追いかけて寒く薄い空気に震えながら外にでると、そこは訓練場になっているようだった。


 驚いたことに上半身裸で、重そうな盾と、それ以上に重そうな冗談みたいに大きい剣――対帝国用の斬艦剣を振り回していた男が、私たちに気がついてニコラに声をかけた。


「なんだ、不浄なドラコニアンを背負ってた物好きの姉ちゃんか。よく相手を選べよ、坊主!」


 私の全身を舐め回すような無遠慮な視線。しかもマルーへの悪態という許せないおまけつきだ。なにか言ってやろうかと思ったとき、ニコラが私をかばうように前にでた。


「俺がどんな女と一緒にいようと、おっさんには関係ないだろ?」


「はっ。リリフロラといい、ここにはろくな女がいないな」


「――それ以上はよせ。聖騎士さまに報告するぞ」


ニコラが武器棚から取った木剣を突きつけると、男は肩をすくめておとなしく練習場から出ていった。


「わるいやつじゃないんだけどな……」


 ニコラが申し訳なさそうにそう言うと、私は武器棚から適当な槍をとりながら返事をする。


「慣れてるから気にしないでください。……この槍、意外と軽いですね」


 ずっと昔に習ったことがあるけれど、ほとんど忘れてしまった。こうだったかな、と思いながら突きを出すと、ニコラはにやっと笑った。


 う、嫌な予感。


「な、なんですか?」


「あんだけの荷物を牽けるってだけでもとんでもないのに、ドラコニアンのマルーを背負ってこの山を登ってきたんだ。――持ってるんだろ、『加護』を」


『加護』とは人間なら誰しもが持っている生まれつきの力のことだ。加護というだけあって神さまから授かった力らしいけど、私は神さまなんて信じてないから詳しくはしらない。でも、その『加護』が私にあるのは事実だ。


「いいですけど……怪我しますよ?」


 ――私が。


 そう言おうとしたときには、すでに私の槍は宙を舞っていた。


「い、痛い……!!」


 じんとしびれた手を守るように抱いてしゃがみ込むと、ニコラが真っ青な顔で剣を投げ捨てて、私の顔をのぞきこんだ。


「す、すまん!! 大丈夫か……!?」


 じんじんとする手の平をさすりながら、「大丈夫です……」とつぶやいて立ち上がる。私の目元に滲んだものを見て、ニコラは大いに狼狽した。


「わ、わわわ、悪気はなかったんだ……! てっきり、『剛力』とか『韋駄天』の加護があるのかと……!」


 だとしても手加減しろって。私は恨みがましくニコラを見ながら、ぐすっと鼻をならした。


「私の加護は『騎乗』なんです」


それを聞いたニコラは眉間にしわを寄せて、食いかかるようにたずねてきた。


「まじかよ!? なんでそんな加護があるの運び屋なんて……!!」


『騎乗』の加護の効果は「どんな動物でも乗りこなせるだけでなく、乗った動物の能力を大幅に向上させる」という強力なものだ。ニコラの反応も当然かもしれない。竜騎兵からしたら、のどから手が出るほど欲しい加護なのだから。


 とびかかってきそうな勢いに気おされていると、ニコラはふいに首を傾げた。


「で、でもおかしくないか……? アーテルは、ドラコニアンのマルーを背負えるんだよな。『騎乗』の加護にそんな効果はないはずだぞ」


 彼の疑問は当然のものだ。ドラコニアンは大きな竜がぎゅっと小さくなって人間の姿になったものだから、とんでもなく重たい。本来なら私になんか背負えるはずがないのだけれど――私の加護は少々、変わっているのだ。


「私の『騎乗』は効果が逆転しているんです。私が竜に乗れるようになるんじゃなくて、私に竜が乗れるんです」


 ぽかんとするニコラ。そんな加護は聞いたことがないのだろう。けれど事実だ。私はうまく説明できているか不安になりつつ言う。


「私が重たい荷車を牽いたりマルーを背負えるのは、背負ったマルーの力が私に付与されるからなんです」


 マルーの身体能力はドラゴンそのもので、とんでもなく力が強い。しかも、彼女はドラコニアンのくせに普通の『騎乗』の加護を持っているのだ。彼女を背負うことで、私の身体能力は冗談みたいに強化されるというからくりだった。


「そんなことが……」


 納得がいかない様子のニコラだったけれど、私は嘘は言っていない。


 ――なんでも乗りこなす竜に、なんでも背負える人間。私とマルーはまさにパズルのピースのようにぱちりとかみ合っているのだ。マルーの身体能力を付与された私は飛竜よりも早く走り、どんな悪路でも踏破あできる。しかも1トンくらいの荷車くらいなら余裕で牽いてしまえるバカ力まであった。


 ニコラは槍と剣を元の場所に戻すと、なに事かを考えながら、急に口数も少なく私を案内してくれた。食堂に竜舎、それからちょっとした本やトランプテーブルが置いてある娯楽室などだ。

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