第4話 おにいちゃん!

 急に重い鎧を着けさせられたかのような、瞬間的な重圧が俺を襲う。

 魂だけになっていた俺には何ら纏っていたものがなかったため、肉体という重厚な鎧の重さが急に加算されたことに驚いてしまったようだ。

 瞼を開けようとする動作にすら辛さを覚える。まだ上と下の瞼がくっついている感覚がしてさらに開きにくい。ぐっと力を込め、少しずつ開け広げていく。

 もともと薄暗い部屋ではあるが徐々にその仄かな灯りが視界に入っていく。

「う…ぐぐ……」

 瞳が外気に触れると、自然と涙が零れてきた。

「お目覚めね」

 身体を動かそうとしてもなかなか動けない。しかし力を入れていく度に全身に血が巡るような感覚が広がり徐々に動けるようになってきた。

「ぐ……」

 声が出ない。喉に水分が全く無いようだ。

「無理はなさらず。部屋に戻りましょうか」

 そう言うとメリアさんは僕に肩を貸してくれた。

「あ、それは片付けておいて」

 その呼びかけに応じてララは魂の抜けた俺の身体を引きずって仄かに光るカプセルの中に入れに行った。

 もう少し丁寧に扱ってくれ……。


「どうかしら?」

 メリアさんが部屋で出してくれた茶で喉を潤すとやっと声が出るようになった。

「ん…すごいですね、これ」

「そうでしょう?あなたの魂をあるべき姿に導いたの」

「でもせっかくなら容姿や性別なんかも…」

「あら、そういうこというヘンタイさんにはこの子は任せられないわよ?」

「あ、いや……」

 図星を突かれて目をそらす。

「とはいえ悪いようにはなっていないわよ。普通にしてればチヤホヤされるくらいの容姿だしね」

 そう言われて初めて自分の容姿をまだ確認していないことを思い出した。

「そうだ、鏡はありますか? 俺まだどんな顔か見てない!」

「はいどうぞ」

 そう言ってメリアさんが手で示した場所には姿見があった。

 やや興奮気味に姿見の前に立ち俺は俺の姿をまじまじと見つめる。

「これは……」

 綺麗な金髪に美しい薄紫の瞳。それに整った顔立ちが合わさり紛うことなき美少年だった。

「あ……ありがとうございます…!」

 気づけば俺は感謝の言葉を述べていた。

「あら、そんなに気に入ったの?」

「もちろんですよ!」

 以前までのどこにでもいるような平凡な顔立ちとはかけ離れた容姿に俺は興奮を隠せなかった。

「わ、すごい!かっこいいねそらくん!」

 やや遅れて部屋に入ってきたララが俺を見て言う。

「だろだろ!? 正直俺かなり気に入ったんだよな!」

「どうかしら、この際だから名前も変えたら? 天使にそんな名前のコはあまりいないわよ」

「確かに…なんかいい名前あります?」

 特別思いつかないのでメリアさんに任せてみる。

「はい!はらぺこサンダース」

「お前にきいてねぇし意味わかんねぇ!」

「あらいいじゃない。はらぺこサンダース」

 メリアさんがくすくすと笑う。

「ちょ、やめてくださいよ! そんなのいやです!」

「冗談よ。そうねぇ……シエルなんてどうでしょう」

「シエル……ちなみにどういう意味で?」

「空」

 まんまかぁ……。

「と、とてもいい名前ですね!気に入りました!」

「あらそう?よかった」

 そう言うとまたメリアさんはくすくすと笑った。……冗談のつもりだったわけじゃないよな?

「シエルおにいちゃん!」

「はは、ほんとに兄妹みたいな見た目になったな」

 ララの金髪と瞳の色は確かに俺と同じなのだ。もしかしてメリアさんは意図的にそうしてくれたのかもしれない。

「さて、じゃああなたたち兄妹にはこれから一緒に暮らしてもらいますから。よろしくね」

「はぁい」

 ……え?一緒に?

「あのぉ、メリアさん?一緒にって…」

「贅沢を言うのね。一軒分の家を用意しろって言うの?」

「あ、それは特に…」

 確かにそうか。土地も家もいちからって訳にはいかないだろう。

「わかりました。じゃあララ、よろしく」

「うん、おにいちゃん!」

 なんかほんとに兄妹みたいだな…。まぁこれから結構長い間一緒にいなきゃならないのならこれくらいの距離感の方が楽かもしれないけど。

「ララ、町を案内してあげたら?」

「うん!そうしますっ!」

 そう言うとララは俺の手を引っ張って走り出した。

「わっ!こらお前急に走るなっ!メリアさん!ありがとうございました!」

 メリアさんは手を振って俺たちを見送ってくれた。


 また薄暗い廊下に出てきた。ララは廊下を走りはしないもののやや焦れったそうに早歩きしていた。とはいえ体躯の小さなこいつの早歩き程度、俺の歩幅にはちょうどいいくらいなのだが。

「ろうかは…はしっちゃだめなの」

「しっかりルール守ってえらいな」

「おしおきは…やだから……」

 そう言うとララは少し震えた。いったいどんなおしおきが……。

 荘厳な作りではあるが見たところ現実のオフィスとはあまり変わらないような気もする。さっきのメリアさんのところが局長室だとして、給湯室もあれば会議室のような場所もある。なんだ、現実で就職するのとあまり変わらなかったんじゃないか。

 ……とはいえ俺は就職できるアテもなかったのでむしろこっちの方が好都合だったような気さえもする。

 そんなことを思いながら歩いているとようやく玄関らしき場所に辿り着いた。

「ここが出口だよ」

 そう言うとララはぱっと手を離し傍にあった靴箱から小さな靴を取り出した。

「あ、おにいちゃんのは…」

 そりゃあそうだ。俺はここで暮らす予定じゃなかったのだから丁寧に靴が用意してあるはずもない。

「どのくらい歩くんだ?」

「えっと…ごきげんマ・マ・マーチ3回ぶん…」

 ……知らんな。

「まぁとにかくその程度ならあっという間だろ。靴なんていらねぇよ。行こうぜ」

「ほんと?じゃあ…」

 そう言うとララはまた俺の手を握った。

「なぁ…」

 言いかけてやめた。

「なに?」

「いや、なんでも」

 思えばこいつはほんとにただのガキだ。まだ手を繋ぐことにも恥じらいなんて何も無い。なら俺がそれをわざわざ言うのも詮無きことだ。


 外に出るとそこには青空が広がっていた。ただそれは現実世界のそれとは違って眼下にも広がっていた。

「おいおいなんだこれ…島が浮いてんのか…?」

 まさしく天界のような場所だ。どういう理屈かはわからないが地面が空に浮かんでいる。振り返ると俺がいた建物もところどころ地面に接していない部屋があった。

「反重力みたいなそういう仕組みかね…?」

 ララに訊いても首をかしげるばかりだった。

 この建物自体はひとつの小島の上に立てられていてそこから吊り橋を渡って別の小島に移動できるようだった。

 小島の大きさはそれぞれでここのように建物がひとつの小島もあれば商店街や住宅街のように多くの建立物が立ち並んだ小島…というかもう島だ。そんな島も見えた。

「なぁ、これ落ちるとどうなるんだ?」

「あたしたちは翼でとべるんだよ」

 そうか、こいつらは天使だったな。……ん?そういえば…。

「おい、俺の背中のこれって……」

さっきからやけにつっぱる違和感のある物体が背中についているとは思っていた。

「あ、それ。それだよ」

 なるほどやはり……俺はもう人間じゃなくなっていたのか。未練はないがせめて一言くらい説明して欲しかった…。いや、なんか天使がどうとか言ってたような気はするが…俺がなってるとは思わないじゃん。メリアさん、結構めちゃくちゃな人だよな。

「これをね、こうすると…」

 ララが背中についたちっさい翼をはためかせた。

「ほら、とべるよ」

 そう言いながらドヤ顔をしているが彼女の身体は10cmほど地面から浮き上がっているだけだ。

 ……いや、実際はすごいのか。

「す、すごいなララ」

「えっへん!」

 とりあえず褒めておいた。

「まあ翼は今は使い方がよくわからないからメリアさんにきくとしてひとまず家に案内してもらおうか」

「うんっ!」

 ララは小気味よく返事をした。


「まっままっままーっまっままー!」

「な、なんだ突然」

 家への道を歩きはじめるとララはいきなり大声でまーまー言い出した。

「ごきげんマ・マ・マーチだよ」

「あ、あぁ…」

 好きにさせておこう…。

「ふんっふふんっまふんっまふんっまふっふっふふーん!ままままっふまっふまっふふんまっふまー!」

「……」

「……」

 あれ、歌うのをやめたぞ…?

「ねぇ~!今のおにいちゃんのうたうとこだよ!」

「は?」

「は? じゃないがっ?」

 いや…は? じゃないがじゃないがっ? 俺がそんな珍妙な歌を知ってると思うか…?……だがここで揉めてたらおにいちゃんとしては失格だ…。よし、オトナとしての威厳を見せつけてやる…ッ!

「ふんっふんっふふんっふんっふんっまふっまふっまふっまふっまままふまふまふまままふふっ! ふんっふんっふんっふんっまふまふまー!ふまふまふまーふまふまふまーっ!まふまふまままふまふまふまー!」

 ……どうだ!全く知らないけど適当に繋いでやったぞ!

「うわ…なにそれ、きも…」

 ララは顔を引き攣らせて足を止めてしまった。

「なんだよ!」

「いや…なんですかそのうた」

 ガチで引いてるのかこんな子どもに敬語でそう言われると流石に傷つく。

「こっちのセリフだっつの!」

「もう~おにいちゃんごきげんマ・マ・マーチも知らないの~?」

「知るかそんなの。こっちの世界のものだろうが」

 俺がそう言うとララは急にハッとしたような顔をした。

「あ、そっか!」

「まったく…」

 あまりに馬鹿らしくなって俺はひとつ大きなため息をついた。

「……っ!でも!でもでも!さっきごきげんマ・マ・マーチ3回ぶんって言ったらあっという間って言ったもん!」

 俺のため息をきいたララは急に顰め面になって反論してきた。

「いや……いや、たしかに言ったけど。あれはな、歌3回分程度ならそんなでもないなっていう一般論でだな…」

「言ったもん言ったもん!」

 叫び声を上げながらララは顔や手をめちゃくちゃに振り回し始めた。

「あぁ…わかった…わかったから落ち着け…」

「言ったもん…!」

「言ったよ。悪かった」

 そう言うとやっとララはおとなしくなった。

「ほら、行くんだろ?」

 そう言ってもララは下を向いて唇を噛み締めている。

 参ったな…マジのお守りじゃねぇか…正直一人っ子だったし子どもと接する機会なんてなかったから扱い方が全くわからねぇ……。

「ララ」

「……なに」

 どうやら拗ねてるらしい。そんな時には興味のありそうなことで気を引くしかないか…。

「……背中に乗れ」

 そう言って俺はララに背中を差し出した。

「え…えっ! い、いいの?」

 どうやら正解だったようだ。

「あぁ」

「わーいっ!」

 途端にララが俺の背に飛び乗ってくる。ジャンプしてきた瞬間はずしりと強い重さを感じたが背負ってみると案外重くはない。

「おにいちゃんしゅっぱ~つ!」

「はいはい」

 やっと機嫌の直ったララを背負いながら俺はララの指差す方へ歩いていった。

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